↑電脳書庫↑ 論理 物理 生命 動物 _脳_ 認知 言語 心理 人間 社会 世界 思想 中国 地域 日本 仏教 漢文 中文 英文 韓文 外文 資格 講座

b12.中国


●● 中国社会史:全般 ●● 
3◎   中国と東部ユーラシアの歴史┃佐川英治、杉山清彦┃放送大学教育振興会┃放送大学教材┃2020「皇帝六璽、3つは外国用  正月の都での元会会議  二里頭遺跡が夏王朝の都。中国の公式見解  始皇帝ははじめから天下の統一を掲げていたわけではない。六国の平定は秦を脅かす敵を一つ一つ除いた結果  始皇帝の巡行、神仙に巡り会って不老不死になる目的もあった  漢高祖の直轄地は始皇帝即位時の秦の領土とほぼ同じ  武帝の改革、貧しい農民は銅銭を手に入れるために土地を手放した  フン族匈奴説  2-6世紀、古墳寒冷期  西晋の戸籍人口は1600万人  かくれん勃勃、かくれんは天を意味するきょうどの言葉  梁職貢図、梁の武帝のとき元帝が書いたもの  煬帝の改革、府兵と農民の戸籍を同じにして兵農一致に  唐、良賤制、租庸調、羈縻政策  武后は自ら弥勒仏になぞらえる  安史の乱、前年は891万戸5292万人、乱後は193万戸1699万人に  平城京が唐の長安城を模したとわかったのは20世紀初め、その前の藤原京は全く異なる  トルコ系のシャダ/沙陀  宋の巨大な軍隊:正規軍の禁軍、労役集団の廂軍。百万を超える皇帝の直属軍。財政支出の7割に  モンゴルの投下領主ダルガチ  駅伝網ジャムチ  貨幣:銀錠、交鈔/紙幣、塩引/塩の引換券  14世紀の危機、人口減、モンゴル時代の大交流  明は漢民族王朝の復興ではない。理念も易姓革命。元の制度を多く引き継いでいた  朝貢貿易で繁栄したマラッカと琉球  後期倭寇、真倭は十の一、二  北虜南倭:嘉靖大倭寇とアルタンの北京包囲  石見銀山、1533年朝鮮から精錬技術灰吹法の導入  一条鞭法の広まり  郷紳の成立  ジュシェン/女真人  マンジュ=グルン  儲位密建:皇帝継承法  数十万のマンジュ人が一億人以上の漢人を支配  地丁銀、課税対象が土地だけに  サツマイモ、トウモロコシの普及  嘉慶白蓮教徒の乱1796-1804  上帝会、太平天国1851-1864  アロー戦争/第二次アヘン戦争  買弁:簡単な外国語を解する華人商人  1875年日本は琉球の朝貢を停止させる、1879年沖縄県の設置  国土瓜分  康有為、孔子を古代の理想社会の記録者から新たな社会の創案者改革者と見なす儒教解釈  梁啓超:中国といい、中華というのも、自尊自大ではたから見ればそしられることを免れない  革命派/孫文と立憲派/梁啓超の対立  済南事件1928年:中国のナショナリズムの対象がイギリスから日本へと変化する大転換点  1932年に満州国を建国させる  新疆ウイグル、8-9世紀のウイグル帝国と直接の関係はない、1930年頃に始まる自称  汪兆銘政権を正統な中国政府としたため最後まで宣戦はなし  1944年の一号作戦/大陸打通作戦で国民党軍は大敗  日ソ中立条約で、ソ連は国民党への援助打ち切る  ソ連は満州での日本軍装備と物資を共産党へ提供  三反運動、五反運動  法的な手続きのない大衆運動による告発  七七級、七八級:文革後の大学入試再開、高い倍率の入試をくぐり抜けた世代  1987年アメリカ下院人権小委員会でダライ=ラマ14世の演説  2001年資本家の入党を認める、2018年党員は9000万人  香港、1997年から50年間は一国両制  中華民国の国恥図  中国の範囲1750-1840年の清の版図  雍正帝:軍機処の設置、御製朋党論、信書/奏摺の報告を受ける  南京国民政府⇒満州事変⇒西安事件  南宋の都杭州  元代の怯薛  明末の民変、開読の変  下関条約:台湾割譲、朝鮮独立、賠償金  袁世凱総統⇒共産党成立⇒南京政府成立  元に来た人物:マルコ=ポーロ、プラノ=カルピニ、ルブルク  放送大学教育振興会  反右派闘争⇒大躍進⇒文革  鄭成功はオランダ東インド会社を駆逐  李登輝は本省人  第3回:王莽は自殺   ▽誤り。自殺ではない  王莽が作った制度を多く踏襲しています。  ▽王莽の制度を廃止して、前漢に戻すことにしていているが、儀礼を中心に王莽のまま踏襲したものがある、前提を説明しないとミスリード  雲崗石窟、5つの仏像は北魏の5人の皇帝がモデル  唐の貞観の治、300万戸に過ぎず誇張  元の行政区域が現代の省に  元の馬の駅舎が現代中国語の駅に  西ヨーロッパの人口が1/3になったアジアの風土病ペスト  明は地名と無関係な国号、元を意識したもの  洪武:皇帝一人に元号一つの始まり  易性革命の原理、元の統治を讃えた朱元璋  勘合貿易、割札ではなく1mの絹文書  目次  中国史の見方  中国王朝の誕生  秦漢帝国と漢人の形成  中華の拡散と多元化  隋唐帝国と東部ユーラシア  東部ユーラシアの変動と再編  モンゴル時代の大統合  明と内陸世界・海域世界  「清の平和」と東部ユーラシア  近代への変容と動乱〔ほか〕 (10/10,5/10,9/10,9/10)」
     ⇒ 佐川英治(さがわ・えいじ)1967〜。中国古代史、古代東アジア史。     中国史の名君と宰相┃宮崎市定、礪波護┃中公文庫┃2011┃1978「隋は琉球を占領、台湾のことか 馮道と汪兆銘 晋陽の軍閥資本家李嗣昭 賊の宋江と官軍の宋江は別人 後漢で学校を建てて教育の開祖を祭るとき、先聖として周公、一段下って先師として孔子を祭った 郷紳階級」    現代語訳論語┃宮崎市定┃岩波現代文庫┃2000┃1974
4★# ■東洋的古代┃宮崎市定┃礪波護,編┃中公文庫┃2000「推理小説のように史記を解き明かす。荀子の三人の弟子、趙公子復讐記」
3★#  論語の新しい読み方┃宮崎市定┃礪波護,編┃岩波現代文庫┃2000┃1996「論語の伝写ミス、詩の引用部分による訂正、論語の読まれ方。“君子”は弟子への呼びかけ、神がかりの巫・卜する祝・筮する史、キリスト者の論語解釈、易を研究するとバカになる」
3△▽  古代大和朝廷┃宮崎市定┃ちくま学芸文庫┃1995「古代日本に戦車なし 遺跡の年代を紀元一世紀と教えてくれる王莽の貨幣、貨布と貨泉 漢委奴國王の文面の問題、漢は不要、國も不要、最後に印か章が必要 燕の名将秦開の遼東経略 八俣大蛇は銅剣を積載した貿易船のこと、人身御供は対価として払った童女の奴隷 三角縁神獣鏡、海東は朝鮮半島のこと、中国の工人が材料を持参して、帯方郡に渡り、そこで製造に従事した 大和政権の瀬戸内海制覇の根原は吉野郡の森林資源 紀ノ川と紀ノ国、紀=木 神武によって建設された瀬戸内統一国家 『古事記』神功皇后はオキナガタラシヒメノミコト、ヒメノミコトが卑弥呼に 有力政権は山陰のイヅモタケル、九州のクマソタケル 天皇以前は大王ではなく天王だった、大王は王の尊称に過ぎない 石勒、石虎、苻堅その他は天王を称した 大魏天王?遼 漢天王?準 苻堅は大秦天王 天王は、皇帝より一つ下もほとんど皇帝と同じ、仏教の影響 天皇は皇はなぜtennoでtenkouでないのか、もともと天王だから 角林文雄が同じく天王説を主張 紀ノ川河口に大和朝廷の水軍基地 西洋建築には屋根=軒が出ていない 世界の文化の一元論の伝播説 日本の古代文化はターミナル文化 割拠的、分権的な傾向が世界史に共通する中世の特徴 北魏の源賀、北魏の王室と同源だから姓を賜る、日本の源氏も 日本国皇子真如法親王と顧師言の囲碁対決。辛うじて顧師言が引き分けに持ち込みごまかす、真如法親王は天竺をめざし、シンガポール付近で死去、虎に食われたとも、高丘親王のこと」
3△   中国文明論集┃宮崎市定┃礪波護,編┃岩波文庫┃1995「西洋絵画の東洋の影響、毘沙門天はイランの拝火教のミトラ神。火葬は犯罪、郭沫若氏の周公悪人論、五代史=鳴呼史、叛乱が農民義起に、一日と十五日の太学生のフリーマーケット槐市、酒屋と肉屋と易者でひまつぶし、唐は両漢に及ばぬ、春秋は官報の切れはし:王安石」
3#   宮崎市定全集3:古代┃宮崎市定┃岩波書店┃1991「阡陌は農道・城門に接続し農民が朝夕往来する道・城郭内部の道路が術・城郭外の耕地を走る道路が阡陌・碁盤の目のように阡陌が広がる、百里=45kmの遠方に薪を売っても儲けにならず・千里に米を売っても商売にならぬ、経済成長は武帝を頂点とする?、唐代まで古代が多い日本、奴婢は終身懲役刑とも言える」
3#   宮崎市定全集7:六朝┃宮崎市定┃岩波書店┃1992「北魏首都の洛陽は人口50万以上、唐代長安は八万戸・人口百万、黄金一斤が銅貨万銭、後漢以来の経済界の深刻な不況 ⇒間違い、光武帝は尚書相手に国策を決定し三公など大臣はトンネル機関に、後漢の孝廉の推挙:十万以下は三年に一人・二十万以下は二年に一人・二十万以上は二十万につき一年に一人、煬帝の次男は父に殺されると思った、陳の後主も煬帝」
4    宮崎市定全集10:宋┃宮崎市定┃岩波書店┃1992「宋の太学など。」
4★▽  中国古代史論┃宮崎市定┃平凡社┃1988「荊軻と高漸離のパフォーマンス、斉桓公と車工人、宋鄭の緩衝地帯、漢の郷聚亭は元小国家、農民も城に住む、首都の人口は兵士、首都だけ大きい、小さな咸陽、垣は神聖不可侵、芝居の流行、遊侠=旅する剣士、社交界入りと学問、服喪三年は立候補宣言」
3△   史記を語る┃宮崎市定┃岩波文庫┃1996┃1979「史記の内容をそのまま信じていけない、とのこと」
2◯△  中国史(上)┃宮崎市定┃岩波全書┃1977「文化一源論:一地域で発達して伝播・西アジアのシリアから拡散、時代区分のズレ:西アジア・東洋・ヨーロッパ、三国から五代まで中世、人文科学で最も根本的な基礎科学が歴史学、後漢まで古代・ローマ帝国滅亡まで古代、古代:太古より漢代、中世:三国より唐末五代、近世:宋以後清朝滅亡まで、最近世:中華民国以後、布陣:右翼が主力・楚のみ左翼が主力、西洋の封建:君主が臣下に領土を与え代価として忠誠を誓わせ主従の身分関係が成立、唐律:奴婢は主人の意志により結婚可能・家族はなし・奴の妻は婢その子も奴婢、唐末から石炭が燃料として利用、阿片戦争と南京条約が時代区分に、同姓間の婚姻禁止、姫は固有名詞・周王室の姓・女性は結婚後も実家の姓を名乗る、義渠はインド・イラン系・火葬の習慣、胡服騎射・アレクサンダーの東征の影響・20年で伝播、秦の法律:夫が姦通をなした時これを殺しても罪にならない、古今の大戦争では指揮官が若い方が勝つ、太平道の中心は運輸交通業者・五斗米道も・道路修理はそのためか、前漢に多かった黄金・西アジアへ流出か、前漢末から盛んになった耕地に仮住居を建てて群れを作る村落形式・荘園へ、中世の終わり・宋とともに禅譲がなくなる」
2◯△  中国史(下)┃宮崎市定┃岩波全書┃1978「漢字の利点・そのまま北京人も広東人も日本人も読む、宋代の新文化・ルネサンス・王安石や蘇東坡、王安石の改革、均輸法:近くて安いところで物資を調達、青苗法:銭を貸して穀物を収める、市易法:国立銀行と倉庫業の新機関を設立、募役法:運営に必要な最小限を付加税として徴収、保甲保馬法:自警団の組織・馬を買わせて養育、名もなき民間人の提案から考えた王安石、韓世忠は方臘を手ずから捕らえた、太祖趙匡胤に似た金の総帥・生まれ変わりと言われた、紙幣の信用の安定した孝宗の時代、道学派は禅宗に近い儒教の形をした仏教とも、朱子の宇宙論:精神的原理の理・物質的原理の気、宋では紙幣は補助貨幣だったが元では紙幣本位に、中国の反乱はたいてい失業者の反乱・治水工事完成後の労働者の解散と失業問題、宋の太祖は贓罪以外では殺さぬと誓った、名君の誉れ高い明の孝宗、陽明学、心即理:人間の心は絶対善・本来の姿にする、致良知:心の作用で良知をフル活動させる、知行合一:知は単なる認識でなく行為に持っていく認識でなければならぬ、命令で組み立てられているのが特徴、秀吉の朝鮮侵攻・裏に堺の商人の煽動、義和団事件:大運河の運搬業労働者が汽船の運航で失業したため、三民主義:民族・民権・民主、リンカーン:国民の・国民による・国民のための、フランス革命:自由・平等・博愛、この本は記憶だけに頼って書いた」
3◯  ■アジア史概説┃宮崎市定┃中公文庫┃1987┃1973「▽中国と西アジア史 唐代に多様な宗教が伝来したのはイスラムが追い出したため ギリシア文化は西南アジア文化の反映 イスラムの圧力がキリスト教の改革へ 林邑はインド文化の国 北魏孝文帝の華化政策は多民族統一のため 宇文氏の府兵制に始まる中国の隆盛 固有神アフラ・マズダ 古代:ヨーロッパは民族移動の375年まで、西アジアはアレキサンダー没の前323年まで、東アジアは三国分裂の220年まで 中世:ヨーロッパはルネッサンスの1330年まで、西アジアはヘジラ紀元の622年まで、東アジアは宋統一の960年まで 近世はナショナリズムの勃興 イスラムとともに近世 宋を民族国家とする 倭冦は明のゆきすぎた鎖国が生んだ 秀吉の朝鮮の役も明の鎖国への抗議、明と国交を開くため 宋学は太極で宇宙論を説き宇宙論から人性論を導く唯物論的傾向がある 朱子学のヨーロッパでの反響、ライプニッツや経済学者ケネー 日本は平安末1192まで古代、江戸幕府成立1603まで中世、 中世は異民族の侵入で始まる。日本は武士の勃興が対応する 親鸞とプロテスタント理念の類似 鳥銃こそヨーロッパ的近世の先兵 アメリカは日本の復活をおそれ韓国に日本を監視する探題の役目を与え排日教育を奨励した」
3△   水滸伝:虚構の中の史実┃宮崎市定┃中公新書┃1972「水滸伝の由来、宋代の官職など。宋江は二人いたとか」
2◯   大唐帝国:中国の中世┃宮崎市定┃中公文庫┃1988┃1968「題名と異なり、三国から唐の終わりまでの概論」
2◯   隋の煬帝┃宮崎市定┃中公文庫┃1987┃1965「歴史考証も付録。隋のシンニョウ説のこじつけなど」
3#  ■科挙:中国の試験地獄┃宮崎市定┃中公新書┃1963「怪談が多い。カンニングシャツ、武科挙、山林隠逸の科挙、古代中国に文官武官の区別なし」
5    九品官人法の研究:科挙前史┃宮崎市定┃中公文庫┃1997┃1956「漢代は丞相の子といえど徭役あり、曹操死後の改元は漢朝の反撃、翹関=重量挙げ」
2ゑゑ  雍正帝┃宮崎市定┃岩波新書┃1950「小説かと思った」    日出づる国と日暮るる処┃宮崎市定┃中公文庫┃1997┃1943「円載と円珍 明で銀一両が銅銭750文、日本は銀一両が銅銭250文、差額で容易に儲けることができた 王直の兵力の大部分は中国人 倭冦より中国兵の略奪がひどい 倭冦は営利として成り立たない 女房と畳は新しいのがよい。大石内蔵之助」
     ⇒ 宮崎市定(みやざき・いちさだ)1901〜95。中国の社会、経済、制度史。擬古派の代表格。 
2◎◯  大世界史3:万里の長城┃植村清二┃文芸春秋┃1967「祖先崇拝は血族を大きくする、殷代華北は温暖多雨、春秋に人質なし、樹を五大夫に、始皇帝と産業振興、趙侘は秦を自称?、毛筆は蒙恬でない、漢直轄は15┃42、ローマ帝国は5400万、徴弐とボアヂケア、冒頓はトルコ語の勇士、光武帝とフリードリヒ大王 280-292p 13ページが光武帝 281最後にのぞんだ王莽が、未央宮で火をさけながら、なお銅の威斗のもとに坐して、 「天はわたくしに使命をあたえた。漢兵もわたくしをどうすることもできまい」 と、なお狂信的であったのは、1945年、総統官邸の地下室でソヴィエト軍のベルリン進撃をむかえたヒトラーを想いおこさせる。ヒトラーは自殺したが、王莽は乱兵に殺された。 291 ……「わたくしは楽しんでいるから、疲れはしない」 というのがその答えであった。秦始皇帝も政務に勤勉であったが、そこには独裁者が権力を独占する姿がある。光武帝の勤勉は、フリードリヒ大王に似て、「最高の公僕」のおもかげをみるようである。 劉秀の逃亡劇について 284 馮異は薪をかかえ、ケ禹は竈に火をもやし、劉秀はこれにあたってぬれた衣をかわかした。馮異はまた麦飯をつくって献じたという。かのアルフレッド大王が、デーン人の侵入のために、アセルニイに亡命中、民家に宿をもとめて、その家のパンをやいたのと好一対の話である。」
3◯  ■アジアの帝王たち┃植村清二┃中公文庫┃1988┃1956「アショカ、チムール、康熙帝なども」
2◯◎  万里の長城:中国小史┃植村清二┃中公文庫BIBLIO┃2003┃1944「中国語のmaとモンゴル語のmorinは同系 秦の政策をそのまま継承した高祖 アウグスツスの時代のローマ帝国の人口、ヨーロッパに2300万、アジアとアフリカに3000万、合して5400万人 北匈奴=フン族Huns説、Hirth.F、ヒルトの説 中国に江南の穀倉地帯、東ローマにエジプトの穀倉地帯 煬帝の遠征は高句麗戦以外はすべて成功している 唐玄宗の時代は、その法典の完成した点からいって、これを東ローマのユスチニアヌスの時代に比較しても、敢えて当たらぬ嫌いはあるまい。 この点において唐の法律は、東アジア文化圏の内で、ヨーロッパにおけるローマ法と同様の地位を占めている。 ……自己の将帥を皇帝に擁立したことさえある。後唐の明宗や後周の太祖はそれである。それはあたかもローマの帝政時代に、近衛兵やプロヴィンキアの軍隊が、その将軍を皇帝に推戴したのと酷似している。 鄭韜光は唐末から後晋まで11君に仕えて高官に至る 凌遅の刑の始まりは五代 貴族勢力の衰退が決定的に 南唐の都金陵の陥落時、太祖は人民の被害を憐れみ米十万斛を施す 嘗て社会を支配していたのは貴族の集団であって、皇帝はただその一員として、部分的な政治上の権力を有するに過ぎなかったが、今や皇帝は社会秩序のすべてを支配するようになって、朝廷はあらゆる名誉と権力との中心になった。 およそ漢代から唐代に至るまで、宮廷内の常套事であった、廃立や弑逆や簒奪が、宋代以来全く跡を絶つようになったのは、畢竟こうして皇帝の権威が絶対的になったためである。 支那における独裁君主制は宋代にはじめて確立した。 秦檜。和議は最も賢明な策 南宋の再造は檜の力なり。明の丘濬 元の漢人抑圧政策、儒は乞食の一つの上、娼婦の一つ下の階層 東蒙古がタタール、西蒙古がオイラト およそ漢人の天子で、親しく馬を漠北に進めた者は、古来実に成祖ただ一人である。 1636年の丙子の虜乱で朝鮮の財はほとんど尽きた 察哈爾汗の滅亡と共に、元室から伝わった伝国璽は、後金の手に帰したという。 晩年の明はローマ法王にも援軍を依頼 鄭成功はオランダと戦って台湾を平定 「朕は天に対して臣僕なり。何の不可かあらん」康煕帝 かのプロシアのフレデリック大王のよう 後期帝の宮廷の費用は36年合計しても明の一年にもならず 乾隆帝の晩年に国家の余剰金は7000万両に達した。連年の大遠征も影響せず、人口は3億1328万人、ヨーロッパ最大のフランスは2300万人 聖祖は年少の時から読書を好んで、過労の結果、痰に血を交えたと自ら言っている。彼は朱子学を喜んで、戦陣の間にあっても、一日も経義の講筵に就くことを廃しなかった。」
     ⇒ 植村清二(うえむら・せいじ)1901〜87。東洋史。 
4△   中国マクロヒストリー┃黄仁宇┃山本英史┃東方書店┃1994┃1990「国家財政から見た中国史。孟子の影響力は孔子以上、土地税と人頭税は所有者や奴婢の数に関係しない、王莽の秘密警察、奴隷は1%以下、紀元前西安25万落陽20万、39年の課税台帳の作成、後漢は専売制の廃止、張衡:天は鶏卵地は卵黄、金の6000倍インフレ、明の累進課税」
     ⇒ 黄仁宇(こう・じんう,Ray Huang)1918〜。歴史、国家財政管理。中国湖南省長沙生まれ。 
4#   オリエンタル・デスポティズム┃カール・A. ウィットフォーゲル┃湯浅赳男┃新評論┃1991┃1981「東洋的専制主義の研究、全面的権力の根源としての治水灌漑事業・水力的文明・専制官僚制、風土とそれにより規定される農業のタイプで文明の型が決まる、639年ナイル河谷に700万人、14世紀後半:リュベック2.2万人・ロンドン3.5万人・コルドバ100万人・1248年のセビラ30万人以上・イスラム支配の終末期のグラナダ50万人、1939年ソ連の識字率81.8%」
     ⇒ カール・A. ウィットフォーゲル(Karl A.Witfogel)1896〜1988。ドイツ。中国問題。 
2◯   中国小史:黄河の水┃鳥山喜一┃角川文庫┃1972┃1951「王安石のあだなは拗相公」
     ⇒ 鳥山喜一(とりやま・きいち)1887〜1959。東洋史。     「生き方」の中国史:中華の民の生存原理┃竹内康浩┃2005「荀粲への冷たい評価、旧唐書薛放伝:近衛兵に孝経を習わせた光武帝、孝経師という官があった後漢、気とは遺伝子、家と家族を中心とした生き方」
     ⇒ 竹内康浩(たけうち・やすひろ)1961〜。東洋史学。 
3#   古代中国:驚異の知恵と技術┃佐藤鉄章┃徳間書店┃1988「魏晋代の平均寿命は47歳、易の定義:簡易・変易・不易の三要素の変易を対称とする数理哲学分野の判断学」
     ⇒ 佐藤鉄章(さとう・てっしょう)1914〜。作家、古代史家、東洋史、日本史。 
3#   中国古代の社会と黄河:早稲田大学学術叢書┃濱川栄┃早稲田大学出版部┃2009「全国規模での治水は前漢末にようやく整備された、後11年の黄河の決壊・河道が東へ変化、王景の治水69-70・唐末まで800年間安定、遊牧民による牧草化・黄河の泥が減ったためか、1938年国民党の日本軍阻止のための堤防決壊・死者は89万人、呂氏春秋には誤記誤謬が多い、鄭国渠・一畝当たりの収穫は10倍、元封四年・関東に流民200万人・無戸籍者40万人、武帝期の算緡告緡のきっかけは匈奴戦争でなく黄河決壊、商人層の庇護者としての諸侯王、黄河決壊による水路網の機能低下が商人を弱らせた、范蠡と卜式の類似性、范蠡思想が黄老思想の祖型、王景の工事・黄河と卞渠と瓠子河も塞ぐ、後11年の決壊で河北は安定し淮北は被害、劉秀と劉永・同時期に王となり黄河を挟んで勢力拡大を始める、劉永の領土は6郡の62県中の28県に過ぎなかった」
     ⇒ 濱川栄(はまかわ・さかえ)1964〜。東洋史。 
_   ■中国:民族と土地と歴史┃オーエン・ラティモア、エリノア・ラティモア┃平野義太郎、小川修┃岩波新書┃1950┃1947「原題:China, a Short History」
     ⇒ オーエン・ラティモア(Owen Lattimore)1900〜。東洋学。 
_   ■中国女性史┃山川麗┃笠間選書┃1977「」
     ⇒ 山川麗()19〜。。 
2◯   少年少女世界の歴史10 中国史物語┃司馬遷、常石茂┃あかね書房┃1987┃┃「奇貨おくべし これは、ほりだしものだ、買っておこう。 ▽玄武門の変を完全無視 三蔵法師、楊貴妃、ジンギスカン、マルコ・ポーロ ▽最後は中国共産党絶賛で終わる」
     ⇒ 常石茂(つねいし・しげる)1915〜。高校教諭。 
2☆   中国全史 上: 6000年の興亡と遺産┃マイケル・ウッド┃須川綾子┃河出書房新社┃2020┃2022「原題:The Story of China: a portait of a clvilisation and its people   天壇:四角い範囲に円形の祭壇  牧野の戦い、紀元前1045年1月15日  漢代には書記官になるための学校があった  17歳までに家庭で読み書きを修得し三年間学校で正式に学ぶ  書記官試験:暗唱と筆記手引書から5000字を書き出す、8つの書体で書く  方士の試験:筆記手引書から3000字を書き出す、占い用の書物から3000字を暗唱、試験管の前で6つの占いをして1つは当てる。最上級は3万字を把握  偉大な皇帝タイソン、唐太宗  聖書:植物が動物のために存在しているように、動物は人間のために存在している  五代のすべてに仕えた王仁裕  1103年、開封の大学の学生数は4000人に増え、帝国全土で学校に通う学生は20万人前後にのぼった  ▽後漢の1/3くらいなんだが、人口は倍以上なのに  中国のペスト、1334年、死者1300万人  ▽見事なまでに後漢二百年を空白時代にしてしまっている」
     ⇒ マイケル・ウッド(Michael Wood)イギリスの歴史家、映像作家。     中国村落制度の史的研究┃松本善海┃岩波書店┃1977「林語堂:中国人はわれわれの心の中には全体的な一つの抽象概念としてのみ存在する 天子の代官たる長官と地方人の意志の代表者ため諸曹の共同統治 ▽豪族の拡大がなぜ農民の困窮に直結するのか考え直すべき 一県が約四郷、一郷が四亭 パール・バック:中国人は個人としてはその日常生活において常に民主主義を実行して来た 自分で自分自身のことだけを考える習慣のついた中国人」
     ⇒ 松本善海(まつもと・よしみ)1912〜74。東洋史。 
6    中国法制史研究:土地法・交易法┃仁井田陞┃東京大学出版会┃1960「捜神記の労働消却債奴制」
     ⇒ 仁井田陞(にいだ・のぼる)1904〜。法律学。  
5    中国正史の基礎的研究┃早稲田大学文学部東洋史研究室,編┃早稲田大学出版部┃1984「戦国縦横家書は蘇子、呉討伐は荀或を軍中におびきだして毒殺するためのもの」
     ⇒ 古賀登(こが・のぼる)1926〜。     東アジア世界史の展開:青山学院大学東洋史論集┃青山学院大学東洋史論集編集委員会┃汲古書院┃1994「光武帝が個人的に官僚を任命することができなかったほど強い規制を受けた権力 ▽予言書による任命への反対だがこれは規制といえるのか? 軍備縮小の対象の10人の将軍のうち四人が河北豪族 蓋延呉漢こうえん劉植 ▽蓋延呉漢はそれぞれ軍の要職で現職のまま亡くなっており間違い。劉植は軍縮以前に死去。正しいのはこうえんのみ。 度田の反乱は河北でひどい ▽青州と徐州のはずだが 建武六年の軍縮 永楽帝はモンゴル平定もベトナムでは敗退」
     ⇒ 青山学院大学東洋史論集編集委員会 
4    中国前近代史研究┃早稲田大学文学部東洋史研究室┃雄山閣┃1980「周勃陳平は呂氏に寝返った、沛派蕭何と曹参の対立、斉王劉肥も暗殺、劉邦の人材は呂氏の一派、劉邦は呂氏の侠客、蕭何は沛の大豪族、呂后の権力は人質にあり、四民月令に役人を示す言葉あり」

●● 中国社会史:木簡 ●● 
3#  ■木片に残った文字:中国木簡の世界┃大庭脩┃有限会社タケナカ┃2003「」
5#   木簡┃大庭脩,編┃大修館書店┃1998「露布=真四角の棒で封泥ありカバーなし、[木曷]=荷札タグ、伝は長距離、致は関係者、元始二十六年、官吏は脱穀し戍卒はは籾、秋に弩のテスト、刻歯、王充は八歳で書館へ、書館に百人、史と不史は公文書が書けるか、平均年齢三十六歳、長期勤務は家族連れ」    徳川吉宗と康煕帝:鎖国下での日中交流┃大庭脩┃大修館書店┃あじあブックス┃1999「▽日中交流史 弓の大会で康煕帝は右で五発五中、左で五発四中 虎狩りで虎を射殺 吉宗、鉄砲の名手、雛がいる鳥を撃たず、雛の近くでも撃たず 鷹野に出て糞桶に落ちで糞まみれなったとき、糞桶の持ち主に謝り服とお腰の物を与えた 明末に日本に来た中国人 国性爺合戦 キリシタンの禁書は漢文のもの 享保二、三年に小倉沖で唐船と和船で砲撃戦に 紅葉山文庫、吉宗の図書館 洋馬の輸入、オランダ馬術師を招こうとする みかんの皮を鼻でむいて食べた象 江戸、浜御殿で飼われる 『東医宝鑑』は『本草綱目』に影響されていない」
5#   漢簡研究┃大庭脩┃同朋舎出版┃1992「殺人主犯でない70歳以上は無罪、材官・騎士は特殊訓練を受けた精鋭、陳湯と孫ぴん兵法、軍礼は司馬法、啓は旅行者身分証明書、関で書き写す、先登・却敵・陥陣は軍法用語、世界どこでも木に書く、伝統儀式には木」
4◯   木簡学入門┃大庭脩┃講談社学術文庫┃1984「伊尹九主、戦国縦横家書、夏至に水火を改める、火打ちを切り新しく火種を作り、井戸浚えをする、爰書=口述書、一日七十里、御史大夫は御史をひきいる秘書官」
3▽#  秦漢法制史の研究┃大庭脩┃創文社┃1982「律、令と、韓信による軍法、張蒼の章程がある。比を集めて科とする。漢より追加法を令と呼ぶ。民衆も刑徒も皇帝に上書できる。服役者が将作大匠で労働。節の形状。一年間の試験期間を守。功は功績、労は期間。官吏の休暇に告と寧、賜告予告。夏至冬至は休暇。官吏の妻子は舎に住む。不道とは?     律、令と、韓信による軍法、張蒼の章程がある。比を集めて科とする。漢より追加法を令と呼ぶ。文、宣、光武は自ら政務を判断。民衆も刑徒も皇帝に上書できる。服役者が将作大匠で労働。狡猾とは賄賂を受け取ったものへの形容。節は竹で8尺からうしの尾の毛飾りを三重につけてある。一年間の試験期間を守という。功は一つ二つと数え、労は何歳何月何日と数える。官吏の休暇に告と寧があり、賜告があり、一般のものは予告。夏至冬至は休暇。官吏の妻子は舎に住む。   ●不道とは?   誣罔:天子をあざむく行為   罔上:臣下に味方して天子をあざむく行為   迷国:主張に一貫性を欠き、天子・朝議を惑わす行為   誹謗:天子及び現在の政治をあからさまに非難する行為   狡猾:不当な方法で多額の金銭を収授し、もしくは官費を浪費し、又は着服する行為   惑衆:一般民衆を惑わし、又は誤らしめ混乱におとしいれる行為   虧恩:優渥な天子の恩意を損なう行為   奉史無状:天子、王室又は国家に多大の危害を及ぼすごとき職務上の失態   大逆:現在の天子を替えんとし又は天子の身に危害を加えんとする企て及び行為。宗廟及びその器物の破壊。天子の後継者に危害を加え又は危害を加えんとする企て及び行為。  」
4◯   木簡┃大庭脩┃学生社┃1979「吏の住居侵入への抵抗は無罪、冊書の背中央に篇名、ノンブル、扁書=立て札掲示、秋射で労=休暇がもらえる」
     ⇒ 大庭脩(おおば・おさむ)1927〜。木簡学、中国古代史、古代法制史、日中関係史、東洋史。 
3▽#  中国古代訴訟制度の研究:東洋史研究叢刊之六十八┃籾山明┃京都大学学術出版会┃2006「漢代の大官に自殺が異常に多い、謁者は儀容の端正なるを選ぶ、三環:裁判の三審制度・日を変えて3度訴状を提出させる、犯罪内容の確定の前に本籍地へ照会する、封守:差し押さえて看守する、不孝罪は必ず三環する、拷問は下策・拷問には必ず報告の義務づけ、裁定終了後の再審請求権、人名・辟死、女性名:序寧・君佚、須以〜:結果を待って〜する、一万銭に満たない訴訟は移書しない・地元の有識者に決裁してもらう、爰書=担当官吏により書かれた公証文書、秦と漢初の労役刑に刑期なし・事実上の身分・文帝の時代に刑期設定、肉刑は奴隷にするということ」
3〆# ■漢帝国と辺境社会:長城の風景┃籾山明┃中公新書┃1999「居延漢簡・敦煌漢簡など。意外にも家族連れで赴任するらしい」
     ⇒ 籾山明(もみやま・あきら)1953〜。中国古代史。 
3#   睡虎地秦簡┃松崎つね子┃明徳出版社┃2000「秦の法律問題集。指揮官は兵士と首争いしてはならぬ、奴隷の処罰権は国家にあり、鼠の穴とハツカネズミの穴の数で罰金、身長六尺未満は小人にて法的責任なし後に年齢制へ」
     ⇒ 松崎つね子(まつざき・つねこ) 
3#   秦漢刑法研究┃水間大輔┃知泉書館┃2007「棄市は斬首 p137、傷害と刑罰の一覧表 秦の刑罰は主犯従犯の区別なし 湖南省張家界市古人堤遺址出土漢簡 なぜ奴婢射人があるのか」
     ⇒ 水間大輔(みずま・だいすけ)1973〜。東洋史。     中国古代の社会と集団┃兪偉超┃鈴木敦┃雄山閣出版┃1994「漢印資料と石碑より。村落共同体・単の変遷。戦国晩期にも授田制、父老には財産が必要、村落共同体は戦乱で解体され安定すると再組織される、徴兵制と共有制、募兵制と私有制」
     ⇒ 兪偉超(ユ・ウェイチャオ)1933〜。考古学。 
3◯   概説中国史〈上〉古代−中世┃冨谷至、森田憲司┃昭和堂┃2016「秦漢にはじまる漢民族の王朝の流れは南朝の滅亡とともに終焉 唐の李氏は鮮卑族説 前一万年に稲作 前8000年に粟作 前6000年に竪穴式住居、土器と文字 前3300年に城壁、青銅器 夏王朝は複数の地方政権の伝説の融合 蘇秦は張儀より後の人 焚書令の目的は学者による政治批判の封じ込め てき義軍は20万余 王莽政権崩壊の原因は外征の失敗 後漢の政治理念は儒か法かという二者択一ではない 222年に呉がたてた年号は魏の黄初、蜀の章武を足して2で割った黄武」    中国義士伝┃冨谷至┃中公新書┃2011「節190cmの竹棒で先端に三重の旄牛の毛の房飾り 唐の玄宗は名君のふりだけの凡君だった 国破れて山河在り 願わくば死の一字を賜わん 天地に正気あり/天地有正気 "Song of Righteousness"」
2#   文書行政の漢帝国:木簡・竹簡の時代┃冨谷至┃名古屋大学出版会┃2010「法律文書を遺体とともに埋葬したのは法律の力で悪霊から守るため、簡の長さ:詔書は1.1尺・儒教教典2.5・論語0.8、檄文、Exposed polygonal rod of notification、郡守のもとで八月一日に試験・五千字以上の読み書きで史・暗唱による審査、天地玄黄、宇宙洪荒、急就篇・役人が行政文書を作成するときに学ぶ識字書、善史書・書記としての文書を視覚的に作成する能力が高い、吏は脱穀した穀物・卒は未脱穀のものを支給、p340、建始二年十月乙卯朔丙子、令史弘敢言之、迺乙亥直符、倉庫?封皆完、毋盜賊發者、敢言之。、建始二年十月二十二日、令史弘が申し上げます。二十一日の宿直。倉と庫の戸の封印に異常なし。盗賊が開けた形跡なし。以上、報告したします。」
3▽   韓非子:不信と打算の現実主義┃冨谷至┃中公新書┃2003「斉の桓公に鮑叔の進言:危うきを助けるより滅んでから復興させるべし、荀子の天人の分・自然現象と人事に関連なし、死刑の正当性を主張したカントの応報刑論、韓非子の法思想は一般予防のみ・刑罰による威嚇、韓非子:人を助けて乱れるより死んでも安定しているのがよい、カント:たとえ市民社会がなくなってもその前に殺人犯を死刑にしなければならぬ、徳の原義:天上に源泉する生命力、人間を理性的な存在と認めない韓非、罪刑法定主義とその派生原則:罪と罰との法定と明示・刑と罰との均衡・遡及法の禁止、息子の母親を殺した武帝・母親が生きていると国が乱れる・韓非子に従ったもの、法律とは威嚇と畏怖の道具・如律令という呪いの言葉」
3▽#  木簡・竹簡の語る中国古代:書記の文化史┃冨谷至┃岩波書店┃2002「初期の紙は包装用・薬など、包装用紙を書写用に改良したのが蔡侯紙、後漢時代に石に文章を刻むのが流行、編綴簡は標準一尺・皇帝は一尺一寸・経書は二尺四寸・一行は札二行は両行、韋編三絶:編綴の綴じ紐が何度も切れた、簡側にひもをかける刻み、簡牘の装幀がもつファイル的機能・累加挿入する、日本に竹簡なし・紙が登場したため、竹簡は編綴して冊書として使用する書写材料、木簡は単独簡として刻歯を入れたり頭を円形したり穴を開けて使う、詔書には副本を取って控える、皇帝直筆の詔には青紙・簡牘のときは青布の嚢に包んだ、冊書は布類に包んで検をつけて発送、緊急時には赤白縞模様の嚢に入れて発送、東晋時代に戸籍が紙に」    秦漢刑罰制度の研究┃冨谷至┃同朋社┃1998「連座制とその変遷。奴婢は戸籍簿でなく財産簿に記録、中国の刑罰は未来のためにある」   ■古代中国の刑罰┃冨谷至┃中公新書┃1995「丸坊主でなくざんばらに、公羊伝の影響、謀反=反を謀る」
     ⇒ 冨谷至(とみや・いたる)1952〜。中国法制史、簡牘学、中国古代史。 
3#   敦煌文書の世界┃池田温┃名著刊行会┃2003「前漢武帝は貨幣経済のピーク、前漢後期・官吏の俸銭一ヶ月:候官3000尉2000二百石塞尉2000候長1300士吏1200候士600,670,900嗇720[隊]長600,900,1100令史480史400、前漢後期・物価(銭):一匹:帛450-477布八稷布240校布290九稷曲布333白練1400[亨鳥]綵1000、一領:裘1150[白/十](シロ)練複袍2500[糸薫](クロ)長袍2000布複袍400[白/十]布章単衣353、一両:[白/十]袴800官袴80、一石:粟105-130黍150大麦110[禾廣](麦の一種)120、肉一斤4-7、建武三年の張掖の物価:穀(粟)一石3000-4000大麦一石3000魚一枚80肉一斤400牛一頭240000大車軸10000成人男子の雇庸一日600-800か穀物二斗・本来は月に300文、北朝と敦煌での布帛経済優位、中唐の国家財政の銭の比率は一割、敦煌の名産:瓜・碁石・黄色と赤の明はん石・石膏・野生馬の皮革・革製バンド・大粒納豆・生薬の胡桃涙、武威の毯・西州トルファンの綿布」
5    中国古代籍帳研究:概観・録文┃池田温┃東京大学出版会┃1979「漢〜宋までの戸籍と名簿の原文集。漢代5900万は最大値、晋の客は主に注すも自らの籍もあり、庶民の名前は簡単なものが多い」
     ⇒ 池田温(いけだ・おん)1931〜。東洋史。     秦漢刑罰体系の研究┃陶安あんど┃創文社月┃2009「文帝による有期刑の導入 死刑が七種類ある 宮崎市定:秦の滅亡は高度な商業化にあり 後漢中期以降は労役刑が金銭により贖罪される率が高まった 前漢:奴は1.5万銭。一日の庸賃は30銭。 明確な有期刑の導入は魏か晋 The indirect determination of labour terms by gradual amnesty can be interpreted as the first attempt to limit the exploitation of the convict labour force to manageable degree.」
     ⇒ 陶安あんど(Arnd Helmut Hafner)1968〜。ドイツ。東洋史、中国古文字学。 
3#   中国古代の律令と社会┃池田雄一┃汲古書院┃2008「子産の刑書 李克と李[小里]はおそらく同一人物 前241年8月女性が背後から斬られ気を失う間に1200銭奪われる。犯人は窃盗の常習犯。商人が使う値札を残して捜査を攪乱。刀を持ったことがないという犯人の帯ひもに刀の痕跡を見つけ自供に追い込む 後漢になって律令が典籍化 魏書刑罰志:後漢の二百年間は律令に大きな変更はなし 戸籍は県吏が直接調査 戸籍は里にある 尹湾六号漢墓の人口統計では男が女より多い。溺女の結果か 明の人口が最盛期で6600万人ぐらい」
3#   奏[シ献]書:中国古代の裁判記録┃池田雄一,編著┃刀水書房┃2002「22の裁判記録、奴隷関係6、住所不定者1、強制徒遷民1、刑徒2、少数民族2 奴婢の戸籍は主人のところにつけられる、人頭税の対象にもなる 『九章算術』と『幾何学原本』とは東西に輝き、数学史上の二大名著であって、現代数学の二大源泉であることは疑うべくもない。呉文俊」
3#   中国古代の聚落と地方行政┃池田雄一┃汲古書院┃2002「落。城壁なし、自然集落、新興の、税収の枠外 聚。社がない、城壁あり 馬王堆出土地形図は下が北 長安の城内人口は十万人以下 中央政府の意志は県まで。県以下は村落自治体や有力者 長吏は県の令、長、丞、尉、郡の守、尉も含む地方勅任官の総称 長吏は国家機構の末端。民衆蜂起でしばしばに攻撃対象に 少吏は棒禄のみでは生活が困難 斗食は月棒九百銭 基準穀価一石は71.42銭 月棒11石説 順帝永和三年。洛陽の吏は427人、奉月45石」
     ⇒ 池田雄一(いけだ・ゆういち)1937〜。東洋史。 
3▽   秦漢律令研究┃廣瀬薫雄┃汲古叢書┃2010「李?、商鞅、蕭何の法律編纂は虚構、秦漢に法典なし 秦漢時代の律は皇帝の制詔によって一條ずつ制定、律も令も同じ 九章律は経書 故事が律令に似た強制力を持つ 令とは詔のこと。律とは詔によって定められる規定 前漢末後漢初に九章律が作られ蕭何に仮託される 後漢初法律家は儒生である、律経、法経という儒学の経典 律は経書として倫理的規範、法規定としての実効性を失っていた 旧制と故事は同義 尚書台で故事を収集し保存 漢家故事は南宮に収蔵し尚書台が保管 一年に二、三ヶ月だけ働く非常勤官吏、踐更 王莽時代の漢簡、額済納漢簡 王莽は三十万の大軍を集められず匈奴攻撃はしなかった」
     ⇒ 廣瀬薫雄(ひろせ・くにお)1975〜。。 
3〇#  ある地方官吏の生涯:木簡が語る中国古代人の日常生活┃宮宅潔┃臨川書店┃京大人文研東方学叢書┃2021「簡牘:簡は竹の札、牘は木の札  喜:前262年12月生まれ、19歳で南郡安陸県書記官、二度従軍、216頃他界  秦人か楚人か。新しい地域に自国人材を派遣すれば秦人、天下統一の記載がないから楚人  出生日時による占い。日書  占書は医学、農学と並ぶ実用書として焚書を免れる  胎児:人間の姿になっているかどとうか  深刻な身体障害児は子殺しの罪を問わない  宣帝の時代に深刻な間引き、結婚が早すぎる、婚姻費用が高すぎる  親は子どもを勝手に殺すと罪だが、親不幸と訴えて認められると死刑に  禹蔵埋胞図法:胎児の膜や胎盤を地中のどこに埋めるか  郷部嗇夫:郷の責任者の官吏  里正と里典:住人の互選、里の代表者、官吏ではない  令史:県の書記官  戸籍の年齢を自己申告、3年以上の差は労役刑  戸時:8月の戸籍調査、十月が年度の始めで八月は年度末  調査は住民が一カ所に集まる  戸籍は箱に入れて封印、文書庫に入れて封印  奔書:民衆の逃亡記録書類  伝/符伝:通行証、本籍地を離れるときに必要  前231年から戸籍に年齢を書かせた  男性は六尺五寸(150cm弱)、女性は六尺二寸(140cm程度)で大小。六尺五寸で小の記録があり、実際はそれよりやや上  未成年は17歳未満に  一世帯五人が平均  什伍組織:共同責任の制度  史の登用試験、二年律令で五千字、漢書の芸文志や説文解字の序では九千字  ▽漢書の芸文志、太史試学童「能諷書九千字以上、乃得為史」。諷書とは何か  書記官は世襲:史の子でなければ学室で勉強してはならない  疇官:世襲の特定職、卜祝史(占官、神官、史官)など  役人になるのを嫌う人も、遠隔地に赴任させられるため  漢書の食貨志に初等カリキュラム:冬に、子供は序、8歳で小学  獄:裁判所+拘置所、監獄ではない  秦の裁判の合理性、秦以外の神明裁判との差  秦では村八分や村落共同体の意識はもう失われていた  喜の結婚は20代後半  漢代の初婚年齢:男14-20、女13-16  離婚届けの提出忘れは罰金  爵位を得るため味方の兵士を殺して兜首を奪おうとする事件  穀物一斗が五銭  文帝の詔勅、地域の住民は、体力の衰えた老人や病みつかれた者までも、杖にすがってこれを聴きにいった  法律では50代後半から老人  鳩杖、鳩はむせばないため、老人が食べ物を喉に詰まらせないように、70歳で、長さ2m  90代では官から毎月一石の粥の支給  ハンセン病は天罰と見なされ犯罪者として扱われた  お墓にあの世のお役人への報告の手紙を入れる  非現代人の異形の者への忌避感の強さ」    中国古代刑制史の研究┃宮宅潔┃京都大学学術出版会┃東洋史研究叢刊┃2011「解放された奴は直ちに庶人となったのではなくしばらく私属となった 後漢初期の獄は二千あまり 光武帝は建武六年に辺郡以外の常備軍の撤廃 民爵の機能 Women could receive rank if their father or husband was killed in the line of duty and no eligible male successor existed. 父や夫が公務により死亡し、適格な男性の後継者がいないならば、女性が爵位を継承することができた。」
     ⇒ 宮宅潔(みやけ・きよし)1969〜。中国古代制度史、東洋史。 
3▽   漢代の地方官吏と地域社会┃高村武幸┃汲古叢書┃2008「前漢末の官吏数は12万人以上 景帝は官吏の任官制限を財産10万銭から4万銭に引き下げた 材官騎士は官吏に準じた身分、給与はない 三老、里正、里典も官吏に準じるが給与はない 九千字書けて官吏になれる 高祖劉邦と廬綰は郷里で文字を学んだ。普通の農家の子弟も文字を学んだ 前漢の奴婢にも文字の知識はあった。秦以降文字の知識は特殊ではなかった。一般庶民に文字の知識が普及していた 史は試験による資格。 漢代の官吏はみな帯剣している 成人すると帯剣する 官吏の出張は一日30-40kmを移動 交通許可証の伝。旅行目的が記載され伝舎と従者が利用できた 長安に行く師饒の餞別。最高は1000銭最低は100銭。多数は200-300銭 漢代風俗制度史┃」
     ⇒ 高村武幸(たかむら・たけゆき)1972〜。。 
3#   漢時代における郡県制の展開┃紙屋正和┃朋友書店┃2009「一般人は所属する郷の嗇夫から前科のない旨の証明をもらい、県の認証をへて過所の発給をうけ、旅行していた ▽県の仕事一覧 裁判の権利は郡が県より強い。中央への貢献は郡。人材推挙も郡。 江幡真一郎:天子の夭折と中央政府の混乱にもかかわらず帝国が長くもったのは地方政治がうまくいっていたから 後漢では尚書はまだ三公にとってかわってはいなかった。尚書は人事のみ 光武帝は県や道の官吏を削減したが郡国の属吏は充実し始めた 前漢東海郡の属吏は93人、後漢会稽郡は500人余り 列曹が増えた イナゴではなくバッタが正しい」
     ⇒ 紙屋正和(かみや・まさかず)1947〜。東洋史。 
3◯   中国出土文献の世界┃朱淵清┃高木智見┃創文社┃2006「民国の時代に穆天子はヨーロッパに到達したと考えられた、竹簡・文字を書く前に綴じて冊にする・墨書・簡ごとの字数は不定・27.6cmなら35文字程度・簡の上下を余す書き方と詰める書き方、篇名を書くところ:一枚目の上部に篇名を書き二枚目から本文・一枚目の裏の上部に篇名を書き一枚目の表面から本文・これは巻き終えたとき題名が見えて便利・篇末の最後の簡の下に篇名を書く、孫ぴんのゲーム理論:斉の将軍田忌の賓客となる・斉の公子と三頭の馬を出して速さ競争・馬の速さを上中下に分けて上に下を中に上を下に中を当てて二勝一敗とした、馬王堆から素紗/白い薄絹・絨圏綿/フランネル・素紗は50gもなく蝉の羽のよう、詩序の作者は子夏、窮達以時・君子は自己を省みることに勇気がある」
     ⇒ 朱淵清()1967〜。中国古代史、古代文学、古典文献学。  

●● 中国社会史:殷周春秋戦国 ●● 
3◯   孟子┃貝塚茂樹┃講談社学術文庫┃2004┃1985「宗教行事や有職故実に通暁する人が思想界の権威で優れた外交官、祭祀の儀が終わると盛大な酒宴、鄭は商人層・衛は手工業者に勢力、斉王に燕への侵攻を勧めた孟子、孟子の井田制・漢の限田制や北魏隋唐の均田制度に、人間を殺すことを好まない人が天下を統一することができる(不嗜殺人者能一之)、学者孟子より雄弁家孟子として高名を得た 、人民といっしょに楽しむなら真と王となる(與百姓同樂,則王矣)、心が動揺しない方法・誰に対してもどんなことでも必ず報復する・勝てないときも勝てるような態度で対する、浩然の気:至大至剛・まっすぐに育てじゃまをしないと天地の間に一杯になる・義と道から離れることはできず分離すると衰える・義を行ったのが積み重なって発生したもの、浩然の気は原始道家の学説より、曽子は真の勇者、大志を持つ君主には呼び出すことのできない臣下がいる(故將大有為之君,必有所不召之臣)、政治は人民の心を得ること(得天下有道:得其民,斯得天下矣)、頭脳を働かせるものは他人を統治し肉体を働かせるものは他人に統治される(労心者治人,労力者治於人)、人間を観察するには瞳がよい、人の上に立つ大人は赤子の気持ちを失っていない天真爛漫な人である(大人者,不失其赤子之心者也)、民を貴しと為し社稷これに次ぎ君を軽しと為す(民為貴,社稷次之,君為軽)」
3◯   韓非┃貝塚茂樹┃講談社学術文庫┃2003┃1982「鄭人は訴訟好き・議論好き・理論に走る、子産の成文法典の編纂と公布、竹書紀年では申不害の時代も戦争が多い、韓非子に荀子の記述は一回のみ・子之を賢とし孫卿を非とせり、韓非は荀子の弟子ではない・楚の春申君にも記述ミス、戦国諸子の著作は一篇ずつ刊行され死後にまとめられた、韓の美人は有名、兵馬俑の容貌・奥目に高い鼻縮れた眉毛・アーリヤ系か、尉繚が魏恵王時代に仮託した書が尉繚子、始皇帝にも西北民族の血、老子の法家伝本は韓非が改編したもの、管子の心術・白心・内業は尹文や宋ケンの書、韓非子は道教思想家あるいは法術の士と自認、韓非子は荀子より管子に影響、戦国文章の形式・経=理論と説=実例に分ける、魏の李カイの法経が商鞅を通じて秦に、李斯の焚書は韓非子の五蠧篇を法文化したもの」
3    世界の歴史3:中国のあけぼの┃貝塚茂樹┃河出書房┃1968「後漢末までの概説。光武帝の土地対策は失敗?」
2    東洋の歴史2:春秋戦国┃貝塚茂樹┃人物往来社┃1966「楚平王が覇者扱い?、孫子は孫ピン作?、呉子が抽象・思想的?、郡県制は戦国各国にあり、李克の弓の上達法、呉子の妻の離縁、鉄の名剣、楚の青銅の通行証、禅譲は古代の部族会議の名残り、許行の皆農主義と物価統一論、道路に灰をすてるな」    中国の歴史(上)┃貝塚茂樹┃岩波新書┃1964「  ▽盆子を殺すなっ!劉備の年齢が違うぞ。時代背景を感じさせます」    中国の歴史(中)┃貝塚茂樹┃岩波新書┃1969「石勒は百万人虐殺、梁武帝は庶民に厳格で農民反乱多発、玄宗の長安は36万戸うち突厥9万戸、宋太祖は処置が手ぬるい」    中国の歴史(下)┃貝塚茂樹┃岩波新書┃1970「蒙古の統治による破壊、太平天国革命」
2◯   論語┃貝塚茂樹┃講談社現代新書┃1964「ギリシアの古典時代の貴族の宴席ではホメロスが歌われた、中国人は言葉を信用しない・行動で判断する、君子不器:君子は専門家であってはならない、學而不思則罔,思而不學則殆:知るだけで考えないのは盲目だし考えるだけで知らないのは危うい、カント:知識は経験とともに始まるが思惟がなければ盲目だ、知之為知之,不知為不知,是知也:知っていることを知っているとし知らないことを知らないとするこれが知るということだ、可知と不可知を区別したデカルト、夷狄之有君,不如諸夏之亡也:魯国で君主が亡命したがそれでも文化はあるので外国より優れている、唯仁者能好人,能惡人:愛あるもののみが人に優しくすることができ人を憎むことができる、君子懷コ,小人懷土;君子懷刑,小人懷惠:君子が徳を慕えば民衆も故郷を慕うし君子が刑罰を考えれば民衆は利益を考える ⇒どう考えても貝塚氏より萩生徂徠の方が正しい、公冶長の妻は孔子の娘、南容の妻は孔子の兄の娘」
2◯▽  神々の誕生:中国史T┃貝塚茂樹┃筑摩書房┃1963「戦国時代以前の資料は口頭伝承、興:たとえばなし、道:むかしばなし、諷:朗誦、誦:歌謡、言:問い、語:答え、戦国時代の宮廷・故事暗唱の口頭伝承の物語により子弟を教育、語:古の王様の故事によるたとえ話、秦漢の頃にもの凄い形相の蚩尤の肖像画が民間に普及・悪魔を払う守護神、漢高祖の挙兵に蚩尤を祀る・青銅武器の発明者にして軍神の蚩尤、スサノオノミコト伝説は出雲民族系、折口の本縁伝説、月に兎は後漢の末に成立」
2△  ■諸子百家:中国古代の思想家たち┃貝塚茂樹┃岩波新書┃1961「  ▽データが古いので注意。  先進と後進、ソクラテスやアリストテレスとの比較など」
_   ■毛沢東伝┃貝塚茂樹┃岩波新書┃1956「」
3◯  ■孔子┃貝塚茂樹┃岩波新書┃1951「孔子のいた世界、その由来や背景、思想」
4◯  ■古代中国:原始・殷周・春秋戦国┃貝塚茂樹・伊藤道治┃講談社学術文庫┃2000「考古学データが豊富。  ▽原人を現代人と結びつける説は主流ではないぞ」
     ⇒ 貝塚茂樹(かいづか・しげき)1904〜87。古代中国史、東方学、甲骨文字、戦国時代。ちょっと左翼っぽくて解釈が不自然だが‥‥‥ 
2▽▽  孔子:戦えば則ち克つ┃高木智見┃山川出版社┃世界史リブレット人┃2013「質素で小さな孔子の墓 万人が仁を獲得した世界の実現を目指す 孔子の仁が誕生した歴史的背景を探る 春秋以前の君主は戦争の最前線で指揮を取り戦闘行為に参加する戦士 孔子の父叔梁?の二度の武勇伝、身長十尺武力絶倫 孔子は御術と射術に長けた戦士 我、戦えば則ち克ち、祭れば則ち福を受く。礼記 母は顔徴在 身長九尺六寸 攻撃は交互に行われるべきという春秋時代の観念 軍礼の存在 前527年晋の荀呉の正義の戦い 宋の戦士に濃厚な軍礼は仁の精神の実践 春秋時代は貴族戦士の時代 軍礼の基盤が崩壊し始めたのが孔子の時代 射には、君子のあり方に似たところがある。命中しないときにはも責任を自分自身に求める。中庸 勇は仁の出発点 血族的な共同体が崩壊し、祖先祭祀集団から析出された人々が自分自身を生きるようになったとき、孔子は、射術の錬磨の過程で己に克つ力を獲得し、それにもとづく仁愛によって人は結ばれるべきである、と主張したのである。」
     ⇒ 高木智見(たかぎ・さとみ)1955〜。中国先秦文化史。 
3〇   戦争の中国古代史┃佐藤信弥┃講談社現代新書┃2021「▽軍事を中心とした漢王朝までの歴史  大都無城説:中国古代の都市は外郭を備えていないのが常態か  殷と西周時代に隕鉄による鉄剣や鉄刀  女性の出征  鄭の荘公は小覇  尊王攘夷、春秋時代の覇者の行動のこと  楚は外部の侵略者でなく王朝内勢力。蛮夷とは創られた伝統  曹ばつ之陳:罠や奇襲は説かれず。戦争は軍礼に基づく  序章:戦争の起源  第一章:殷王朝 旬に憂い亡きか  第二章:西周王朝 溥天の下、王土に非ざる莫し  第三章:春秋時代 「国際秩序」の形成  第四章:戦国時代 帝国への道  第五章:秦漢王朝 「中国」の形を求めて  終章:「中国」の行く末」
1#   戦乱中国の英雄たち:三国志、『キングダム』、宮廷美女の中国時代劇┃佐藤信弥┃中公新書ラクレ┃2021「秘本三国志=八百長三国志  p84 秀麗伝。元はタイムスリップもの、ドラマ版では設定はなかったことに。広電総局の規制を避ける  歴史とは、現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話。カー  中国史史料研究会会報の連載、中国時代劇の世界より」
3#   周:理想化された古代王朝┃佐藤信弥┃中公新書┃2016「成周八師と西六師」
     ⇒ 佐藤信弥(さとう・しんや)1976〜。中国殷周史。     中国社会の成立 原始・秦・前漢┃伊藤道治┃講談社現代新書┃新書東洋史4中国の歴史1┃1977「戦国諸子について古い。五覇と五行」
     ⇒ 伊藤道治(いとう・みちはる)1925〜。中国古代史。     都市国家から中華へ┃平勢隆郎┃講談社┃中国の歴史02┃2005「  ▽誤訳が多いらしい」    よみがえる文字と呪術の帝国:古代殷王朝の素顔┃平勢隆郎┃中公新書┃2001「克殷は−1023、呉や楚も天命を受けた天子、魏恵成王は夏王」    中国古代の予言書┃平勢隆郎┃講談社現代新書┃2000「予言書=正当根拠の古書。前338年より立年から踰年へ、春秋と公羊は斉、左伝は韓、穀梁は中山、竹書紀年は魏の正当化。夫子と吾子は不吉」
5★△  史記二二〇〇年の虚実┃平勢隆郎┃講談社┃2000「史記は年代矛盾だらけ。秦始皇帝は最後の仕上げだけ、威宣王とびん宣王、魏の恵成王、宰相にも年号、蘇秦と蘇代、春秋に金銭授与なし」
     ⇒ 平勢隆郎(ひらせ・たかお)1954〜。東洋史、東アジアの中の中国古代史認識。“せ”は難しい字です。 
4◎▽  古代中国研究┃小島祐馬┃筑摩書房┃1968┃1943「派手な斉の祭り、愉快な社の祭り、古楽は眠く鄭衛は楽し、星を祀る、宋で大火、晋で参、生命刑と身体刑は族外制裁、自由刑と財産刑は族内制裁、戦争と刑罰の未分化、復讐は部族的、商は行商人、賈は店舗の物売り、ユダヤと商の人、漢字と弁証法発展、農家と階級、司馬遷と自由経済主義」
     ⇒ 小島祐馬(おじま・すけま)1881〜1966。中国哲学史、社会思想史、中国学、法律学、政治学、経済学、フランス社会学。 
4▽   殷周秦漢時代史の基本問題┃殷周秦漢時代史の基本問題編集委員会,編┃汲古書房┃2001「丁公城とイ族、京都学派と唐まで古代の史的唯物論、文帝に内外の徭役なし、董仲舒の上奏はいつ?、材官騎士とは?、漢代は内部貨幣にて布の下部貨幣、始皇帝は儒家を迫害せず、法家は儒家の一種にて漢代に分岐」
     ⇒ 松丸道雄(まつまる・みちお)1934〜。中国古代史、甲骨金文学。     中国史のなかの家族┃飯尾秀幸┃山川出版社┃世界史リブレット┃2008「仰韶文化の集落と家族 殷に王位を世襲する王家なし、王朝とは言えない。松丸道雄」
     ⇒ 飯尾秀幸(いいお・ひでゆき)1955〜。中国古代史。 
2    人間の世界歴史2:古代中国に生きる┃小倉芳彦┃三省堂┃1980「陶は運河に沿う天下の中心、文帝の政治には実効なし」    古代中国を読む┃小倉芳彦┃岩波新書┃1974「ある古代中国史家の歩み。論語、左伝、史記」
     ⇒ 小倉芳彦(おぐら・よしひこ)1927〜。朝鮮。中国古代史。 
3#   戦国秦漢時代の都市と国家:考古学と文献史学からのアプローチ┃江村治樹┃白帝社┃2005「宋代の都市人口は25%・11世紀イギリスは5%、斉の臨シの人口は30-40万人、1邑の人口は1000人足らず戸数200-300、趙と斉の違い・斉は小規模な集落ばかり・趙には大都市・黄河中流域に都市が発達、陶器や漆器に民業と官業が存在、都市の里には里老・郷三老・県三老という指導者がいた、市は行政が設置・辺境の関市・軍事基地の軍市・市は自然発生ではない、身分職能に応じた政治批判の方法・庶人は謗る・商旅は市で・市は庶民の感情発散の場、前漢前半期の県は民政全般を管理・郡国は軍事と監察のみ、県の民政:民の教化・搖役の課徴・裁判・勧農・県城の修築・祭祀・市の管理・官営工房の管轄・貨幣の鋳造」
3#   春秋戦国秦漢時代出土文字資料の研究┃江村治樹┃汲古書院┃2000「鄭の商人が各地で活躍、周の百工が内乱の帰趨を握る、漢代に都市が縮小・戦国時代にとりわけ巨大都市が発達、斉の都市は小さな農業都市ばかり・三晋地域は大都市あり、秦は統一後に城壁を破壊・銅兵器鋳造権を奪う・都市の力を削減した、秦末の各地郡県の反乱は都市の反乱・都市住民の行動」
     ⇒ 江村治樹(えむら・はるき)1947〜。東洋史、東洋考古学。 
3# ? 漢字の構造:古代中国の社会と文化┃落合淳思┃中央公論新社┃中公選書┃2020「第一章 古代中国と漢字の歴史  第二章 漢字の成り立ちと字源研究  第三章 原始社会の生活  第四章 古代王朝の文明  第五章 信仰と祭祀儀礼  第六章 古代の制度や戦争  第七章 複雑な変化をした文字  分担者の佐藤信弥  p15 現代でこそ格差は悪と見なされるが、新石器時代においては指導者層の出現が集落の分業化・効率化をもたらし、また集落間の闘争を有利に導いたと推定されている。現代とは逆に、格差(階層化)が社会の強さにつながったである。  ▽論理的に支離滅裂。格差が悪と見なされるのが新石器時代で現代は格差が肯定されている。そもそも新石器時代の階層化と現代の格差は全く別物ではないか?  殷王朝の首都:幅20m高さ10m周囲8kmの城壁  甲骨占卜、事前の加工で意図的に吉が出せる  中世:後漢滅亡〜唐代  近世:唐滅亡後〜清代  羊:2つの点は角  犬:点は上顎  至る:矢が地面に到達する図  イ人間は人の古い字形  休:人が木にもたれる図  問の部首は口  仮借:字音による転用  転注:意味による転用  月と夕は同じ字から分岐  白川は呪術儀礼を重視しすぎた  初:衣服を作り始めること  日本、中国、エジプトでも奴隷制社会は否定、古墳、王墓、ピラミッドは農民が作った  ▽この程度の社会学の知識とナイーブな認識で現代と古代を比較するのは止めたほうがよい  ▽変化する中で別の偏や旁に変わることが多く、漢字を覚えるのには役に立たないものが多い  義の簡体字は唐代から使われたもの  雲と云、云が元の字  ▽乙は人  県は討ち取った敵の首を木に掛けた様子より  ▽あとがきの差別問題も恐ろしくナイーブで呆れる」
1△ ? 古代中国の虚像と実像┃落合淳思┃講談社現代新書┃2009「甲骨文字の吉凶判断は吉や大吉が多い、政策を承認する儀礼、王侯将相いずくんぞ種あらんや、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
     ⇒ 落合淳思(おちあい・あつし)1974〜。甲骨文字と殷代史。  

●● 中国社会史:秦漢 ●● 
2◎   光武帝:「漢委奴国王」印を授けた漢王朝の復興者┃小嶋茂稔┃山川出版社┃世界史リブレット┃2023「日本列島に居住していた人物と謁見した初めての中国皇帝  范曄、独自の判断で書き改めたところもある  王莽の新は新野の新  曹金華:劉秀が学んだのは欧陽尚書  ▽昆陽の戦いはほぼ省略  劉揚とは軍事的な連合  ▽銅馬軍巡回の話もなし  劉秀包囲網の完成:延岑、秦豊、彭寵、張歩  敵国=対等な国  公孫述、王莽を継承すべき正統な存在と主張  1/3の県を廃止  常備軍の廃止  ▽収入との関連で実は重大  度田の反乱、見地故縦の罪、沈命法の適用  度田は成功  公孫述、色は白を尚ぶ  倭国の使者が来た年の正月に后土神を祀る祭祀、前年に北郊が建設  ▽後漢書が非の打ち所のない皇帝像を描いているとは思えないが……」
3◯#  漢代国家統治の構造と展開:後漢国家論研究序説┃小嶋茂稔┃汲古叢書┃2009「漢代国家統治の構造と展開:後漢国家論研究序説 漢代国家統治的構造和展開:東漢国家論研究緒論 The Structure and Development of State Governance during the Han Period:Introduction to Research in the Theory of the Later Han State 藤川和俊 西川春華 浜川栄 後漢の基盤は南陽ではなく河北 南陽は劉秀に反乱すらした 河北に随行したのは潁川の人たち 豪族の糾合ではなく郡県制統治機構の掌握 具文? p329に功臣の封地変遷表 光武帝が夢に出てくるぐらい後漢の勉強をしないといけない」
     ⇒ 小嶋茂稔(こじま・しげとし)1968〜。中国古代史、近代日本のアジア認識・史学史、東洋史。 
3☆#  古代中国の24時間:秦漢時代の衣食住から性愛まで┃柿沼陽平┃中公新書┃2021「皇帝は日の出前から仕事  未来から来た著者の24時間、ロールプレイングゲームの体裁で  資料の史料化  名前を自由に変えてよい  ▽現代も中国や韓国は自由に変えることが多い  当時の地図は北が下、南が上が多い  門番には身体障害者が多い  里、郷、県、郡  里は100戸以下、郷は1500-2000戸、県は7000-10000戸  世田谷区の人口は鳥取県より多い  北はナラ林文化、南は照葉樹林文化。日本の東西に対応  長江流域は象もいた  最古の歯ブラシは唐代  曹操の頭痛の原因は虫歯か  お口の消臭剤、鶏舌香  毛先を隠さないと死ぬ。毛先から魂が抜けていくから  ある学者はすぐれた意見をのべるたびに皇帝から席を賜り、八枚も九枚も重ねて座ったという。まるでテレビ番組「笑点」の世界である。  室内ではクツを脱ぐ  漢代四合院  戦国時代に犬の鑑定士  狸はネコだった  長生きしたネコは化ける  兵馬俑は大量生産品の顔パーツを組み合わせたもの  前漢後期は毎年数万人が死刑になった  占い:妻を娶るとき、子が生まれたとき  石崇の芸妓緑珠、ハノイ出身  『玉台新詠』巻二甄皇后「楽府塘上行」  出世したからといって、もとからの妻を捨ててはいけない。……」
3△   劉備と諸葛亮:カネ勘定の『三国志』┃柿沼陽平┃文春新書┃2018「霊帝の改革、西園八校尉と鴻都門学の新設 董卓の弁護論 劉備にはヒゲがなかった 陳群は馬も乗れないほどのデブ 赤兎は一般名詞かも」
3★◯# 中国古代の貨幣:お金をめぐる人びとと暮らし┃柿沼陽平┃吉川弘文館┃歴史文化ライブラリー┃2015「弥生時代の日本に半両銭や五銖銭 四角い穴に棒を通して回してバリを取る ひもを通して束ねる。ローマやインドの貨幣に穴はない 古代インドでは前五世紀以前から打印貨幣と呼ばれる銀貨が使われた 半両銭は恵文王二年に発行、前336年 貨幣は納税用として始まり交易用に広まる 算賦は民間での銭の大量流通を前提とする 五は漢王朝の聖数 三種の物価。固定官価、平価、実勢価格 後漢の月平、県ごとに決定される公定価格 店頭の商品にはすべて値札をつける 一銭未満の商品は売買できない 商取引の仲介管理役の[イ會] 値切りの天才、趙広漢 市は県に一つ程度 商店は市に集中、どの道ばたにも店ができるのは唐以降 店の平均的な入口の幅は2m程度 隣接する店はみな同じ物を売っている 黄金は一寸四方で重さ一斤 布帛は幅二尺二寸/50.6cm、長さ四丈9.2mを一匹 三幣制。上幣の黄金、中幣の布帛、下幣の銭 銭の発行総数は必要貨幣に全く足りない 黄金一斤は一万銭 戦国秦、一布=長さ八尺/185cm幅二尺五寸58cmの良質の布のみ貨幣と認めた 漢では帛の幅二尺二寸/51cm以上のみ販売 戦国秦、一布=11銭 経済圏内交易、時の交換、貯めておいて不足する時期に売る 経済圏外交易、財の交換、余るものを不足する場所に売る 役人は五日に一日休日、五日官は役所に泊まる 県以外にも小市場や行商人も 漢代の黄河流域、粟の雨水による農業が一般的 中家の資産は5〜15万銭 市場には占いの館があり数十〜百銭で日書を持つ日者に占ってもらえた キスの習慣はあった 旅行の前に禹歩を三回、ああと叫び祝詞をあげる 爵位、血縁、徳行、価格の秩序原理 剣は贈り物として人気で交換しあった 漢代、刑事の延長に軍事があり境界線は不明瞭 人の家に初めて訪問するときは菓子折りではなく銭 前漢の官営の結婚媒酌機関」
3★#  中国古代貨幣経済史研究┃柿沼陽平┃汲古書院┃2011「中国古代貨幣経済衰退論 銭=国家的決済手段論 漢代の銭=国家的支払手段、黄金=贈与物、布帛と穀物=経済流通の中心 塩と鉄を外部から購入することが貨幣経済の農村への流入の契機 建武十六年の五銖銭の復活は銭納人頭税のため 殷周の時代も宝貝は貨幣でなく生命と再生のシンボルとして贈与されるのみだった 黄金一斤=一万銭、一布=十一銭 三つの価格:固定官価、平買=公定価格、実勢価格 通銭=銭を国境を越えてやりとりすること 行銭=公認青銅貨幣 盗鋳組織は任侠が多い 会稽と予章郡の没収により銅山と鋳銭を失う、呉の財源を失う、呉楚七国の乱の引き金に 黄河流域では炭の産地たる森林が減少 民間では銭は秤量貨幣、国は決済貨幣 前漢武帝〜平帝期の五銖銭総量は280億枚 民間の商取引に銭では足りない 地方官吏の月奉が布帛で支払われることも 秦では185cm×57.8cmの布が行を認められる 戦国秦には機織=女の仕事、家内分業としての婦織の政策原則があった 布帛=民間供給型貨幣、銭=国家供給型貨幣 塩鉄の一般小農民購入者は基本的に布帛を官に納めた 布帛が塩鉄用の決済手段」
     ⇒ 柿沼陽平(かきぬま・ようへい)1980〜。中国古代史、経済史、貨幣史、古代中国貨幣経済史。 
3#   中国古代国家と社会システム:長江流域出土資料の研究┃藤田勝久┃汲古書院┃汲古叢書 85┃2009「敦煌の壁書、四時月令、中央からの文書による命令の伝達 命令と文書の伝達ルート 試験で5000字以上を暗誦して史となった者に、郡で8体の文字を試して、中央の太史が採点し、そのトップの一人を県の令史とする。三年に一回試験して最高の一人を選んで尚書の卒史とする 笥牌 女性名:南、子駝、移、平、規、子趙、子見、燕、妨、精 伍子胥の兵法書『蓋廬』 壁書と扁書 扁書。郷、亭、市、里の高くて見やすい場所に扁書する 文書、壁書、扁書、詔書の読み聞かせ、口頭の伝達 旅行の一日の行程は25〜70km 戦国時代の包山楚簡と睡虎地秦簡、秦代の里耶秦簡、漢代の張家山漢簡「津関令」の検討」
3▽   項羽と劉邦の時代:秦漢帝国興亡史┃藤田勝久┃講談社メチエ┃2006「斉の技撃・魏の精兵・秦の刑罰と論功行賞、楚の懐王は領域拡大の時代、農閑期の一ヶ月の労役・租税より重い、平民時代に張耳のもとに数ヶ月逗留した劉邦、県城の官吏・周辺の農村・酒を商う家・錦をさらす女性、項梁は司馬欣や曹咎と知り合い・逮捕されたとき助けられた、秦の隠官・趙高は宦官ではないかも、項燕が楚王に立てた昌平君・ロウアイの乱を平定・楚の王族・扶蘇は母が楚の王女・胡亥の母は趙の王女、項羽を破ったのは韓信とその部下の潅嬰、領土・大義名分と民望・功績いずれも韓信は劉邦より上」
3▽#  中国古代国家と郡県社会┃藤田勝久┃汲古書院┃2005「新県の渠灌漑・水路、旧県の陂灌漑・ため池、県:8000戸・4万人・40km四方・71%は山林沢住居と道路・6%が墾田・23%が未開墾田、官僚・官吏は13万人・人口460人に役人1人、水利事業:黄河治水・漕運事業・郡県灌漑事業、漢代には統括的水利機構なし・軍隊による臨時機構と郡国の地方的運営、漢代の徭役:更卒・正卒・戍卒、更卒:本籍地で年一ヶ月の無償労働、正卒:軍隊に一年、戍卒:辺境に一年、初の本格的黄河治水・後漢明帝69年の黄河と卞渠の修治と築堤・王呉と王景・十万人と百億銭、水利専門官の登場は成帝の王延世から、黄河治水と京師漕運、前漢の都水官は全国の水利を統括していない、灌漑水利は地方長官の手に委ねられていた、黄河治水:災害救助と交通輸送の維持のため中央より派遣される、漕運事業:京師への輸送のため郡県の組織と中央からの援助、郡県灌漑事業:在地の官吏と労働力で、王莽始建国三年・西暦11年・黄河が魏郡で決壊・東流れが主流に、大家は牛車で小家は自ら背負って県の穀物倉庫へ租税を納めた、都尉の系統が漕運に・軍事系統、太守の治所は河川の中流や上流・都尉は河川の入口や出口や結節点、30年郡県の統合・39年戸口と田土調査・69年と70年に治水・76年土地を3ランクに分類して台帳を作成、東海郡・亭688に亭卒2972人・1亭に4.3人・辺境の砦の卒四人に等しい、前231年に徴兵基準が身長から年齢に、大庭:材官と騎士は専門兵・材官とは弩を善くする軍人、23歳で専門兵となる者は一年の任務・京師で1年の衛士・さらに材官や騎士となる・毎年8月に都試で査定・56歳で亭長の資格、都尉の廃止・軍政統治から文官統治へ、四時月令・対象は地方行政の官吏、時令による教化の思想、木簡で伝達された詔書を部屋の壁に書写、後漢の三分類:光武帝明帝章帝・和帝安帝・順帝以降は地方官の横暴と豪族の自立化、班固の四民による分業論、四民月令の穀物売買は物価安定のため、四民月令は勧農書の類、祭祀と交際は豪族より郡県の官吏の礼儀、四民月令は豪族の農業経営ではなく官僚に封する時令の大綱・官僚や官吏が遵守すべき規範、県は一つの基層社会・民政は内部で完結、建武18年に州刺史の名が復活」
3◯   司馬遷の旅:『史記』の古跡をたどる┃藤田勝久┃中公新書┃2003「父の司馬談のコメントも多数ある・交遊のあった人々の記憶と伝聞・荊軻伝など、扶蘇は楚と婚姻関係にある公子・だから楚の将軍と項燕と一緒に・後の楚王の昌平君とロウアイの乱を鎮圧した始皇帝、司馬遷は前135年生まれ・前116年に旅行、博士による各地風俗調査、公用旅行:所属長官が目的を書き関と津の吏に下令する伝を発行・車駕や宿泊施設が利用可能、一般人:県の郷嗇夫から前科なしの証明を受け県長官の許可のケイを携帯」
     ⇒ 藤田勝久(ふじた・かつひさ)1950〜。中国古代史。 
2★△  中国漢代人物伝┃濱田英作┃成文堂┃2002「ヒストリー=実録物語、現代中国と前漢が表面的な制度上でほとんど変化がない、漢は法が人為で運用される恐怖政治に満ち満ちた恐るべき国家・命の値段が安く流血が日常茶飯事・ゲシュタポのような酷吏が横行する抑圧体制、首都の暴走族チームは一網打尽で即決裁判で生き埋め、逆らうものは長城警備の強制労働、中国人として一貫している"自分の言い分を通す"、自分の言い分を通すために死ぬ前漢中国官僚、福建省の漢代遺跡・下水道完備・レンガで舗装、漢代中国人・床に敷物をひいて正座・膳に並んだ漆塗りの食器で飲食・調理の実演や演芸つきの宴会を楽しむ・日本の温泉旅館のようなもの、漢代は現代中国人より日本人のほうが違和感なく受け入れられる・江戸時代に似ている、居延漢簡から昌邑国の戸籍の警備兵の名簿が多数・昌邑王のとばっちり、鮮衣凶服=特攻服、前漢の西北辺境と西部劇・ローマによるガリアのケルト人征服・坂上田村麻呂の対アルテイ戦役も、按剣:鞘におさまった剣に手を下ろした状態、撃剣の謎、顔師古:撃剣とは剣を以て遙かに撃ちこれにあてるもので斬ったり刺したりするものではない、荘子:剣を相互に打ち合うとする、典論:短を以て長に乗じる、劉敝は撃剣を戯=競技とする、尹翁帰は文法=文・撃剣=武で文武兼備・撃剣は役人の素養、項羽の言葉から撃剣は戦闘用でなく個人の闘争用の技芸、前漢代には少年時代に撃剣を学べる環境があった、剣は君子の武備で護身用」
     ⇒ 濱田英作(はまだ・えいさく)1956〜。東西交渉史、前漢史。 
3★▽# 漢代都市機構の研究┃佐原康夫┃汲古書院┃2002「長安の出土:霊芝・桃・柏の記述、池から鯨の石像、弩は一石から八石・標準は六石、五石弩は射程120歩165m・六石弩は185歩250m、府で青銅礼器と貴金属製品・庫は兵器、貨幣流通の中心に府と庫をおく、民間大邸宅と官邸は同じ構造、官吏は役所に住み込み・法定の休暇以外自宅に帰れない・堅物以外は妻子と住む、丞相府の周りに属吏が住む吏舎、官吏の数:河南尹は927人・会稽郡で500余人、聴事の堂・堂の奥に寝室・堂の後ろが便座・便座の後ろに菜園、府中の雑用は役として働く卒や官奴婢と刑徒・刑徒が死ぬほど酷使されることも、県に学室という吏のための研修所・漢律:17歳以上で9000字覚えている者に史の資格を与える、門下督・門下賊曹は朝刊のボディガード・門下がつくと長官直属の意味、孝廉科は郡太守が20万人に一人の割合で推挙・郎官として試してから任命・人選ミスは選挙不実として連帯責任、郡の特産・書籍・楽器の売買した学生・論議することも・月二回望と朔の青空定期市・槐樹並木の広場に集う、酒屋に宣伝ののぼり、長者とは任侠の親分のこと、成帝の令・男子のいない老夫婦に市の売買や酒も無税で売って良いとした、坐買=店舗販売と客商=行商人、販売に使う布帛には国家の定める規格、玉杖を授けられた老人と流民は無税で販売できた、市は亭吏が管理、段干木は売買仲立ちする大物ブローカー、銭11が布1にあたる・秦の罰金に11の倍数が多い・貨幣の中心は布、加熱法:坑壁を火で加熱してから水をかけて岩を脆くし掘り崩す、前漢中期まで鋳鉄と鋼鉄、鉄官は50ヵ所・全国で1万から1.5万t、石炭利用の宋代で3-4万t、固体製錬鍛造は鋼鉄で武器・液体製錬鋳造は鋳鉄、資源のない地域に小鉄官・屑鉄の再生、銭の代用としての布帛の貯蔵と使用、銭の廃止への反対・布帛は尺寸に裂いて使えぬ、足立啓二:中国前近代の貨幣は一般的な交換手段でなく国家的支払い手段・マックス・ウェーバーの内部貨幣に近いもの、五銖銭の発行による安定と衰退説の矛盾、六銖ある五銖銭も・軽くなければよい、銭は布に対する下位貨幣として用いられたに過ぎない、司馬遷はアダム・スミスか、紙屋正和:商業は衰退したのではなく小農民を対象に健全に発展した、古代資本主義は国家のお目こぼしで発展したに過ぎない、成年男子の力役負担・更賦として銭納化、すべての五銖銭が一年に3〜4回持ち主を変えないと流通に足りない・五銖銭は最初から経済規模に対して少なすぎる・相当部分は布帛という実物貨幣、貨幣経済の衰退とは見かけ上の変化の結果」
     ⇒ 佐原康夫(さはら・やすお)1958〜。中国古代史。 
3▽   中国古代史と歴史認識:歴史学叢書┃太田幸男┃名著刊行会┃2006「牛奴婢の評価額、後漢時代の三回の検田、文簿=財産台帳、奴婢が土地耕作していたとはいえない、奴婢の値段が一人一人でなく合計で記載、市場で一人いくらで売買されたと必ずしも言えず、奴婢に多い特殊労働者・官営工場の器物製造者・手工業者が多いか、漢代の算賦口賦は男女でなく男子のみ、盗は盗み以外の意味も・不法不正・道義的意味から法的意味への変化、商鞅の分異の法・小家族を作ったのではなく居住単位を成年男子単位とした・徴発を容易にするため・三世代共同の単位は変わらず・雲夢秦簡に例外の同居規定も」
     ⇒ 太田幸男(おおた・ゆきお)1939〜。中国古代史、東洋史。 
3#▽  中国古代書簡集┃佐藤武敏┃講談社学術文庫┃2006「書:かきもの、啓:申し上げる、移:まわしぶみ・公文書、牘:竹のふだ・木のふだ、簡:竹のふだ、戦国時代の簡牘:2.4尺1.2尺0.8尺がある、漢代の簡牘:2尺1尺0.5尺がある、普通は一行に22〜25字・一番少ないのは八字、書翰:筆毛から手紙の意味に、郵や亭には宿泊や食事の設備・、厩置:厩舎、乗伝:駅伝用の車や馬、副車:予備の車、食厨:食堂、伝食律:駅伝における食事の規定・御史の卒人が使者なら食事は精米が半斗・醤が四分の一升・野菜のあつものとして韭葱、行書律:命書と急はすぐ運ぶ・急でなくともその日に終わること・文書の受け渡し日時を記すこと、伝の四種:置伝/四馬高足・馳伝/四馬中足・乗伝/四馬下足・[車召]伝/一馬二馬、十里に一亭・五里に一郵、前536年刑法を鋳込んだ鼎を作った、前513年晋でも刑鼎、前501年竹簡に書かれた刑法、戦国縦横家書:蘇秦は燕の昭王・斉の泯王の時代に燕王のために活動、雲夢木簡:長さ23.4cm幅3.7cm厚さ0.25cm、秦の兵士は自分の衣服や費用を負担・官給のことも、甘粛帛書:34.5cm・幅11cm・全10行・最も多い行は43字少ない字は6字・全文で322字・沓一揃い・絹一尺二寸・筆五枚・200銭あずけるので鞭を・呂安の印、始皇帝の宝:昆山の玉・随侯の珠・和氏の璧・明月の珠・太阿の剣・繊離の馬・翠鳳の旗/かわせみの羽を飾った旗・霊ダの太鼓/わにに似た動物の革で作った太鼓、楚王が献じた夜光の玉、犀の角・象牙の器物、鄭衛の美女、江南の金と錫、西蜀の丹青、宛の珠の簪、真珠の耳環、斉の東阿産の練り絹の衣・錦やぬいとり、雅で艶めかしくたおやかな趙の女、鄭衛の桑間、昭・虞の舜の音楽、武・象の周武王の音楽、匈奴の生活:なめし革のゆごて・毛織物のテント・羊の生肉・牛や羊の乳・胡人の笛・牧場のいななき、漢書楊ツ伝:伏日/夏至後の節日と臘日/冬至後の節日に羊を煮て子羊をあぶる・一壺の酒・秦の歌・趙の女は鼓や瑟がうまい・歌い手の奴婢・缶(ふ)を打って秦の歌を歌う、日食で殺された楊ツ、蟹醤:蟹を加工した発酵食品:朱登が張敞に送る、呂思勉:漢代の婚姻は本人の意思を重んじる、上計:歳の終わりに郡国から中央へ報告・計簿の提出:戸口・墾田・銭穀の出入・盗賊の多少が記載、夫から妻への贈り物:形や文様の美しい鏡・千金の値段の宝石のついた釵/かんざし一対・龍虎の文様のある組みひもで作った履き物一対・麝香など香料四種一斤/222.73gずつ・素琴一張、牛の尾のちり払い・越の布の主巾・厳器/化粧箱、金メッキの碗で書に用いる水を盛る、瑠璃/紺青色の宝石で七宝の一つの碗で薬酒を飲む、詩経の飛蓬:衛風伯兮・恋人の去った女の淋しさを歌う」
3#  ■長安┃佐藤武敏┃講談社学術文庫┃2004┃1971「韓退之:京師の人口は百万のみにあらず、漢唐とも商品の種類ごとに店が分かれて並ぶ、唐は行というギルドを結成し共同行為・価格協定、長安西市に薬行」
3◯   中国古代工業史の研究┃佐藤武敏┃吉川弘文館┃1962「殷から後漢までの手工業、絹、麻、漆器、青銅、鉄、塩の生産販売について。顔高の弓は180斤、酒は販売は官営、鎧は革、蜀は前漢は麻織物、後漢は絹織物、潜夫論に農村から都市への人口移動、規格外の布は販売できぬ、山東は桑と麻の栽培、布は2尺2寸、有名な布、哀牢夷の蘭干細布、テイ族の[糸并]、武陵の賓布、越の白越、エン州と予州が漆の産地、漆器は貧乏人には無理、殷周の青銅生産は職業氏族が、春秋時代の鉄器は貴重品、鉄は悪金は戦国以降、塩は斉、鉄は国家生産販売、塩は民間生産国家販売」
     ⇒ 佐藤武敏(さとう・たけとし)1920〜。東洋史学。 
4#   漢代官吏登用制度の研究┃福井重雅┃創文社┃1988「酷吏と循吏に差なし、後漢の官僚は孝=儒家と廉=法家が混在、察挙は応じなくとも価値あり、明経や博士弟子には射策なる試験あり、六百石のボーダーライン」
2△  ■古代中国の反乱┃福井重雅┃教育社歴史新書┃1982「▽珍しい黄巾の乱の新書。6割黄巾、残りは赤眉緑林陳渉呉広 公車門は、上訴や密告を受理するために設けられた宮門の一つである。 科挙の前身をなす郷挙里選 太平道の跪拝首過、仏教の懺悔、カトリックの告解 符水呪説 張角は大医にして善道を事とす 蒼天已死 黄天当立 歳在甲子 天下大吉 ★蒼天已に死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在り、天下大吉ならん。 青色の天はすでに死んでしまった。まさに黄色の天の立つべきときがきた。たまたま歳は甲子の干支にあたる。いよいよ天下に大吉が訪れることになるであろう。 青と黄は五行説と整合しない 押韻を踏んでいる 蒼天は少典、黄帝の父 黄帝の父親にあたる蒼天の少典が死んでしまった。いよいよその子にあたる黄帝が立って、黄老信仰にもとづいて、理想的な世界像を実現すべきときがきた。 国家の重要な案件は三公の合議が必要 宦官の呂彊が霊帝に党人の釈放をそそのかす ▽そそのかす?悪いことなの? 戦費の大半は皇帝の私的財産から捻出 波才は有能 南陽は盆地で初夏は非常に暑い 黄巾の乱は十余年もの準備期間を経ての計画的挙兵。他の民衆反乱と全く違う かつてあれほどはつらつとして時代の変革を要求した黄巾の理想やエネルギーは、 ▽そんな美化しなくても? 赤眉の法律は高祖の法三章と同じ 光武帝に降伏し、伝国璽、七尺宝剣、玉、璧を献上 投降を受け入れたのは劉氏一族に対してだけで、その他の赤眉には宣戦布告した ▽そんなわけない。単なる会話 光武帝の挙げた美点はかなり身勝手な同族意識の発露 ▽はあ? 侠は刀を腰に差した無産無頼の徒 ▽言葉を守るために法律を無視する刀を持った無官の人か 任侠の徒は運輸業を正業としている 斉の地域の特殊性、遊侠と老荘」
     ⇒ 福井重雅(ふくい・しげまさ)1935〜。東洋史。 
4▽   中国古代農民叛乱の研究┃木村正雄┃東京大学出版会┃1979「漢四百年の農民−豪族反乱の解説。国家の治水政策と農民反乱、一次農地と二次農地。蒲将軍=呂臣、光武帝の堅壁待機主義」
4★#  中国古代帝国の形成:新訂版┃木村正雄┃比較文化研究所┃2003┃1960「一家五人が百畝で百石を収める、北魏の均田制は古代土地制度の総合、哀帝の限田制・名田は30傾まで奴婢も30人まで、王莽・奴婢を解放して私属・名田900畝は成年男子8口で耕しうる・奴婢不要、商人の土地所有の禁止・農民の奴隷化を生むから、兵役義務年齢23-55歳・二年の兵役・一年に三日の国境警備・一年一ヶ月の郡の役あるいはかわりに更賦を収める・光武帝が廃止・西魏に府兵制になり復活・両税制で消滅、孫叔敖の芍陂・楚の国家権力と結びつく・遷都の理由、水利による二次農地の形成、国家は治水水利機構を支配して農地を支配・農地支配から農民を支配、後漢の県廃止:1577県の478県・55県を除くと新県、古代商業衰退の原因は貨幣材料の枯渇ではない・金納税制とともにした、右史が尚書に左史が春秋に、鄭国渠の巨大な収入:大半なら1700万石・関東から関西への輸送が平均400万石、長安8.8万戸24.6万人、長陵5.0万戸17.9万人、洛陽5.2万戸、陽テキ4.1万戸10.9万人、エン陵4.9万戸26.1万人、宛4.7万戸、成都7.6万戸、魯県5.2万戸、彭城4.1万戸、茂陵6.1万戸27.7万人、前17年黄河決壊渤海信都清河の三郡はほとんど水没・後70年に王景による治水、県:中央にかかる地方の意味」
     ⇒ 木村正雄(きむら・まさお)1910〜75。東洋史、地理歴史。 
3▽   中国古代の田制と邑制┃佐竹靖彦┃岩波書店┃2006「周秦の地に城郭都市なし、商鞅田制は牛耕か鉄農具か、鉄製手労働農具の普及、銀雀山竹簡田法:上家でも牛馬の使用が想定されず、鉄犂牛耕に対応した代田法・前漢中期、亭・異域との結界と捉えられた、亭長は結界における守護者、亭長は家貧しいかアウトロー出身・亭長になるのは県に給仕すること、求盗も亭長も厳しい管理下にあった・劉邦が夏侯嬰を傷つけた・両者とも否定・嬰が一年の獄・数百むち打たれる、王莽の郡県の亭の改名・郡県から行政権を取り上げるためか」
3△   劉邦┃佐竹靖彦┃中央公論社┃2005「面白いが支持するには根拠の弱い話が多い。、また創作部分と論文部分の区別ができない。、劉邦は楚と中原の接点に生まれた、邦はにいちゃんという方言・カンボジア、左言:形容詞を名詞の後に置く、西王母も本来は母王のはず、兄の子の信は羮頡(あつものがりがり)侯に、兄弟関係は史記を支持、任侠を紐帯とする裏社会、一年の妊娠期間と授乳期間の不妊を考える、劉邦は項羽より5歳上説、劉邦が罵る場面は12回、日本人は人を軽々しく罵倒する・中国人には理解し難い危険なこと、劉邦の罵と犬の調教、秦の魏制圧と難民・豊沛への移民、曹姫との長男の劉肥、武負=許負・劉邦軍団のお雇い占い師・高名な占い師に、撃剣:フェンシングのように一定の判定基準で試合をする、簡牘は一尺が標準、東海郡の功曹史の師饒・一年に郡県内出張が5-6回・他郡へが6回、関中は人口面積は1/3だが冨は6/10、男女七歳にして……は同じ座布団の上では遊ばないの意味、一斗は6-70銭・一キロで3-4銭、羊一匹250銭・鶏5羽180銭・4鉢のヨーグルト72銭・米7斗168銭・酒一石3斗130銭、呂氏との出会いは打ち合わせ通り、呂公は呂不偉の息子:呂不偉の領土に呂公の単父県が含まれる・父にならって先物買いした・呂氏春秋と呂后の政治方針の類似、芒[石昜]の沼沢地・群盗の根拠のイメージ、項燕と昌平君の挙兵・秦王が陥落された陳の視察に出かけそこで襲撃して秦軍は潰走した、東城・項羽が28騎とともに戦った場所、蚩尤は中原では蔑視も楚では民衆で信仰された、左司馬の曹無傷は郡守壮の首を取った豪傑、蒲将軍は鐘離昧、劉邦の家族を守った勇士の斉受、法三章の布告は一種の憲法、鴻門の会は降伏の儀式、曹無傷は項羽に報告に行ったがそれを事実無根とした、漢中へ向かう劉邦についた項伯の三万、彭城に集結した五諸侯は史記の通り、項羽は斉国討伐で自ら板築を担いで士卒の先頭に立った」
     ⇒ 佐竹靖彦(さたけ・やすひこ)1939〜。中国前近代史。     世界の歴史2:中華文明の誕生┃尾形勇・平勢隆郎┃中央公論社┃1998「鉄生産と山林薮沢、黒夫と驚の手紙、前漢末の東海郡に亭長688亭卒2972人口1397343流民42752、宣帝晩年奢侈に溺れる、光武帝は奴隷売買を禁止?、曹氏の墓に:罰当たり:蒼天すでに死すの落書き」
5    中国古代の「家」と国家┃尾形勇┃岩波書店┃1979「奴婢は無姓、漢初に張王李趙を割り当てた?、奴婢は国家身分」
3◯   中国史┃尾形勇・岸本美緒,編┃山川出版社┃1998「殷王の直接統治は周囲20km、後漢の県は1/4、律は法律、令は追加法令、晋武帝の土地規制、王安石の新法は北辺防備のための物流システム、モンゴルの人種差別は弱い、中国のマルサス洪亮吉」
     ⇒ 尾形勇(おがた・いさむ)1938〜。東洋史。  
3#   張家山漢簡『算数書』の総合的研究┃大阪産業大学産業研究所┃2006「算数書は算木計算を下敷きにして書かれている、誤答は11題、度量衡は秦の商鞅の制度が漢から三国と受け継がれた、190枚の竹簡に69の問題、竹簡の書写は一句一句読み上げて多数の人が写す、術曰,以六十為法。以五十五乘十五為實。、術に曰く、60を分母にとり、55に15をかけたものを分子にとる。、The method says: take 60 as the divisor, and take 55 times 15 as the dividend.」
     ⇒ 大川俊隆(おおかわ・としたか)19〜。中国古文字学。 
3#   秦帝国の領土経営:雲夢龍崗秦簡と始皇帝の禁苑┃馬彪┃京都大学学術出版会┃2013「起居注 ▽禁中や禁苑を巡る考察 付録に龍崗秦簡の訳注 奴婢自購 亡人挟弓弩矢居禁中者、棄市。 亡命者が弓、弩、矢を持って禁中に居れば、棄市の罪である。」
     ⇒ 馬彪(ま・ひょう)1955〜。歴史学。 
2#   漢新時代の地域統治と政権交替┃飯田祥子┃汲古書院┃汲古叢書┃2023「秦末から文帝・景帝までの政治的展開。統一を自明視しない視点。松島隆真  武帝期に中国一統が実現されたとする阿部幸信  植松慎悟。三公、尚書、地方官制における光武帝期の画期性  辺郡は軍事を担い、内郡が農業生産  常備兵力:郡で5000名、大郡で一万名  光武帝の建武6-7年改革まで全国で数十万の常備兵力  辺郡をのぞき郡国常備兵を撤廃した  都試が実践的軍事演習から儀礼化していた可能性があるのではないか  内郡では形骸化の可能性  王覇や郭涼は太守として軍事に当たる。民政はなく軍事指揮官として  営:屯田経営の組織  五営、黎陽営、虎牙営、雍営:父子永代の特殊兵  異民族統御官も営  営は刑期中の刑徒も管理  辺境官僚:対周辺民族政策に専門的に従事した官僚集団  異民族兵集団:羌胡、義従  董卓の湟中義従、秦胡兵  p181 東海恭王は虎賁や楽器、葬儀など皇帝の礼を与えられた。  ▽東海王が洛陽にまだいることに気づいていないっぽい。この年に母郭聖通が亡くなっていることも  諸生と儒家を尊重し続けた王莽  劉嘉と劉伯升とともに長安に学ぶ  太学は官吏養成機関でありながら、官僚として活躍した人物は少ない  有力者の子弟を集めることに意味がある  交し牧ケ譲、更始帝政権による任命の可能性が高い  「後漢書補表」銭大昭  ▽DLする  光武帝、三公すら列侯しない  郭皇后の廃位、皇子を公から王に進める、中山王太后とするため  同産:父が同じ兄弟」
     ⇒ 飯田祥子(いいだ・さちこ)1979〜。歴史学。 
3◯   古代中国の都市とその周辺┃服部克彦┃ミネルヴァ書房┃1966「[竹/于]、瑟、筑、琴。闘鶏、犬競争、双六、蹴鞠。斉の物産は漆、生糸、麻、後漢洛陽は35万、霊峰羅浮山と観光都市博羅県、長安の外国人街:藁街、酒人保、冶家傭、売菜傭、北魏太武帝が雲台で宴会、国子学堂と太学、荀或の邸宅、長沙[雨/ロロロ+β]県の銘酒」
     ⇒ 服部克彦(はっとり・かつひこ)1925〜。東洋史学。  
5    西嶋定生博士還暦記念:東アジア史における国家と農民┃西嶋定生博士還暦記念論叢編集委員会,編┃山川出版社┃1984「古代から清までの制度・経済の論文集」
3#▽ ■中国古代の社会と経済┃西嶋定生┃東京大学出版会┃1981「漢代の農業、商業がわかる。氾勝之書、四民月令など   列侯と関内侯は大違い、二十等爵は軍功より、上爵には田宅奴婢の給付、爵の売買、賜爵は良民のみ奴婢医商工は不可、戸籍に爵を記載、名刺=爵里刺、爵は宴会の席次のこと、封爵には置酒をともなう、飲酒の楽しみによって皇帝の徳を普及する、亭が土地・里が人を管理することは土地を媒介にしない人民支配を意味する、新邑には城邑と里区分田宅区分済みの建て売り状態、賜爵のとき女子には里ごとに牛一頭酒一石、五日間の宴会   王充の論衡に、町町たること荊軻の閭のごとし、九族衆多にして同里にして処り、その九族を誅せば一里且に尽きんとす     ●空侯   23弦の竪琴。胡楽器。武帝の楽人侯調が作ったとされる。  」
4◯〆 ■秦漢帝国┃西嶋定生┃講談社学術文庫┃1997┃1973「秦漢の概論。五口の家、呂不韋は道家、秦水徳はでっち上げ、二世即位は物語、漢代は3人以上の宴会禁止、納粟授爵制度、昌邑王の中尉王吉は密告者?、賜爵で皇帝と庶民は結びつく、王莽の改革一覧、光武帝の耕地と人口調査は成功、当時関中では、この劉秀のことを銅馬帝とよんでいたという。それはかれが銅馬軍団を併せて大勢力となったことを示すとともに、関中のひとから見れば、劉秀は銅馬軍団をはじめとする農民反乱軍団の統率者たちに推戴されていると理解したからであろう。」
3▽   岩波講座世界史4:古代4┃岩波書店,編┃岩波書店┃1970「後漢まで。論語述而編と易、叔向と晏嬰から孔子へ、子産から墨子へ、漢は刑徒も皇帝に上書可能、蕭何の九法・韓信の軍法・叔孫通の儀法・張蒼の章程   ◯蕭何の九法   盗・賊・囚・捕・雑・具の六律と戸・興・厩の三律   挟書律・妖言令・収帑相坐律・肉刑が文帝までに廃止   ◯韓信の軍法◯叔孫通の儀法◯張蒼の章程   懲罰の先例は「比」「決事比」      漢代の世界観   天帝と自然神の世界、西王母など仙人の昆崙世界、人間の現実世界、死者の地下世界。  」    中国経済史研究┃西嶋定生┃東京大学出版会┃1966「広畝散播法から條播列條栽培法へ、+牛耕が代田法、火耕水耨=直播式焼畑稲作法、いしうす、屯田、均田、綿花。販売用蔬菜、葵、蔓菁、蒜、薤、胡孚、荏、蓼、後漢は庶民にも礼、成童は学校に行き農耕も、鉄器専売と代田法   販売用蔬菜、あおい葵、かぶ蔓菁、にんにく蒜、らっきょ薤、こえんどころ胡[廾/孚]、えごま荏、たで蓼、後漢は庶民にも礼、奴婢以外の成童は学校に行き農耕も、鉄器専売と代田法、広畝散播法ひろうねばらまき法から條播列條栽培法へ、+牛耕が代田法、河北の稲作は生産力低い、あわ、きび、うるちきび、おおあわ、もちあわ、麦が主穀、火耕水耨=直播式焼畑稲作法」
4▽   中国古代帝国の形成と構造┃西嶋定生┃東京大学出版会┃1961「列侯と関内侯は大違い、二十等爵は軍功より、上爵に田宅奴婢の給付、賜爵は良民のみ、戸籍に爵を記載、名刺=爵里刺、爵は宴会席次、封爵には置酒、賜爵は里に牛一頭酒一石、五日間の宴会、お祭りによって皇帝の徳を普及する、土地を媒介にしない人民支配を意味、新邑は建て売り状態、九族を誅せば一里尽く、良民より奴隷」
     ⇒ 西嶋定生(にしじま・さだお)1919〜98。東洋古代史、経済史、古代日本史、漢高祖集団と秦漢の爵制。 
2#   東アジア世界の歴史┃堀敏一┃講談社学術文庫┃2008「東アジア文化圏:中国を中心とし朝鮮・日本・ベトナム:漢字・儒教・律令・仏教、普天の元、王土に非ざるはなく、率土の浜、王臣に非ざるはなし、板楯蛮・劉邦の三秦征服に協力・歌舞をよくする・巴渝舞・十六国の成の李氏、後漢書の倭人・鮮卑伝に登場、石虎・私論之条・偶語之律・吏が上官を奴婢が主人を告訴できるとした、匈奴はトルコ系・柔然はモンゴル系、日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」
3◯   漢の劉邦:ものがたり漢帝国成立史┃堀敏一┃研文選書┃研文出版┃2004「郵は文書を送るのが仕事、亭は人を送るのが仕事、項羽:よしかれに取って代わってやろう、劉邦:ああ、立派な男というものはこうありたいものだ、陳勝:王侯将相いずくんぞ種あらんや」
2◎   曹操:三国志の真の主人公┃堀敏一┃刀水書房┃刀水歴史全書┃2001「田租、戸調の制度の創始 蒼天已に死し、黄天当に立つべし 背が低いことを気にしていた 屯田の分析 荊州でも徐州でも家族を捨てて逃げた劉備 魏略の劉禅の奴隷として売られた説 孫権が張昭に従っていれば戦乱は終わり天下は平和になった 酒に対しては当に歌うべし、人生幾何ぞ 単家であった薛夏、郷里では何度も殺されかける、曹操に優遇されて出世するも郷里は危険で帰れず 」
3◯   中国通史:問題史としてみる┃堀敏一┃講談社学術文庫┃2000「漢代にも秦と自称、中国とは中原のこと、叙事詩書経⇒叙情詩詩経⇒散文諸子、春秋二回の土地神の大祭、市籍(商人手工業医巫占)金の辮髪令、明の錦衣衛・東廠、八旗」
4#   中国古代の家と集落┃堀敏一┃汲古書院┃1996
4#   中国古代の身分制:良と賤┃堀敏一┃汲古書院┃1987「唐までの身分制。春秋時代に人身売買の記録は少ない、庶民の人身売買は秦から禁止されていた、漢の九章律に劫略と和売買人が別条に規定、雇用も売買、裴豹は丹書に記される、奴婢の起源は罪人の縁坐、奴婢は畜産ではない、後漢では七科□制廃止、534北周の奴婢解放」
3◯   世界の歴史4:古代の中国┃堀敏一┃講談社┃1977「唐末期までの概論書。舜と成人儀礼、西周諸侯も国内では王を自称、諸子は焚書されず、社の土地神の祭り、魏晋の給客制度、三月三日の水辺の禊、拝んで殺す宋明帝、長安は李建成が一番乗り、武后と民間新興地主」
     ⇒ 堀敏一(ほり・としかず)1924〜2007。東洋史、中国古代社会史。     中国古代の商工業と専売制┃影山剛┃東京大学出版会┃1984「塩と鉄の生産風景、後漢の塩政策。貨幣量と不況は結びつかぬ、亡命とは戸籍剥奪者、民間小業者に錬鉄あり、塩は民営・鉄は官営、卜式と武帝の寄付デモンストレーション八百長、商業取引は矮小」
_   ■漢の武帝┃影山剛┃教育社歴史新書┃東洋史┃1979「」
     ⇒ 影山剛(かげやま・つよし)1917〜。東洋史。 
3◯▽ ■中国文明の歴史:秦漢帝国┃日比野丈夫,編┃中公文庫┃2000┃1966「東洋の歴史から絵を減らし、冨谷至の解説追加。蔡倫は筆記用の紙を発明。前漢の高祖とはまったく対照的な、光武帝の気まじめでひかえ目な性格は、社会の安定を願う人びとの心をとらえたのであろう。それに高祖と違って儒教の素養があり、すべて儒教の理想にのっとって政治わしようという態度が一般に受けたのであった。かれは高祖のように部下をののしり、はては殺してしまうというようなことは絶対にしない。じつによく寛大に人の言を聞き、それを取り入れた。軟弱にみえるほどであるが、これが高祖とはちがった意味で部下を巧みに使いこなせた理由である。敵に対しても辛抱強くどこまでも降伏をすすめ、降伏したものには相当な待遇を与えてやった。欠点といえば、野生味に乏しかったことであろう。……。これがもし唐の太宗だったら、臣下が「よく上官のいうことを聞いて、まじめにやます」といえば、きっと「何とつまらんことをいうのだ」とやり返して、逆のことをいったであろう。光武帝はそれを臣下のほうにいわせて感心しているのだから、やはりひとかどの人物である。」
3◯▽  東洋の歴史3:秦漢帝国┃日比野丈夫,編┃人物往来社┃1966「始皇帝は正、呂氏春秋は成文法、司馬遷は董仲舒から聞いた、命は制度、令はいいつけ、始皇帝三一年にも刺客に、挟書の令は恵帝四年解除、王莽は国家社会主義、豪族三種、廻避の制、奴婢と契約、一万五千銭、王莽に倭人、ヘディン、後漢は仇討ち可、都亭は宿つき」
     ⇒ 日比野丈夫(ひぴの・たけお)1914〜。東洋史。  
3△   アジアの歴史と文化1中国史:古代┃永田英正,編┃同朋社出版┃1994「焚書後も儒の書は都にあり、国家財政一覧、酷吏は豪族の抑圧、父老の自治組織、官吏の生活、漢代の食生活、なま・干物・漬物・加熱、五銖銭のみの流通が不況の元凶、父老は徳のある高齢者から資産家の長老へ」
     ⇒ 永田英正(ながた・ひでまさ)1933〜。秦漢史。  
5    中国古代の田制と税法:秦漢経済史研究┃平中苓次┃東洋史研究会┃1967「漢文解釈論争。居延漢簡の奴婢価格は査定価格、漢の財政、漢の経済事情   武帝以前。百姓の租税は40憶、官吏の俸禄は20憶、20憶は貯蓄、少府は83憶。元帝。都内で40憶、水衡は25憶、少府は18憶。店舗は賈、行商は商、斉と蜀の絹織物、服官は臨シ・陳留・襄邑・洛陽・成都。南方は麻布や葛の服。」
     ⇒ 平中苓次(ひらなか・れいじ)1907〜。東洋史。     前漢政治史研究┃好並隆司┃研文出版┃2005「天子となってから皇帝となる 皇太子から皇帝となるときは同じ意味 匈奴が漢王朝に臣属したのは宣帝の頃ではなく光武帝の建武25-26年 宣帝の頃は対等 故事:漢王朝の政策 古制:周公による政策 あらゆる天文現象は天の子たる皇帝にたいする天の意志の表明である。山田慶児 皇帝は外朝の頂点、天子は内朝の頂点 真人とは昇天する仙人の謂」
4△   秦漢帝国史研究┃好並隆司┃未来社┃1978「秦は犬戎、趙魏の重装歩兵、私有化しても田租不変、爵と田の広さが比例、建武二年二十八宿も祀る、二業の禁、門番は墨者、奴婢別称:僮、生口、奴僕、蒼頭、臧獲、甬、奴婢は千銭で自買して庶人に、奴婢は貧農の一形態、一金では生活不能、四金ないと官になれぬ   秦は犬戎の一系列、趙魏の重装歩兵、私有化しても田租は変わらぬ、爵と田の広さが比例、建武二年二十八宿も祀る、二業の禁、農漁は一業、河地重造は光武帝専政、門番は墨者、奴婢の別称:僮、生口、奴僕、蒼頭、臧獲、甬、官婢は官吏に犯される、奴婢は千銭で自買して庶人に、奴婢は貧農の一形態、十金ないと官になれぬ、一金は千銭、一金では生活不能、二金から十金の農家は不安定、四金に低下」
     ⇒ 好並隆司(よしなみ・たかし)1929〜。     前漢国家構造の研究┃楯身智志┃早稲田大学出版部┃早稲田大学学術叢書┃2016「爵位の特権は前漢から低下し後漢では爵位が民衆に影響力なし 高祖の功臣の特権的地位は封爵之誓に支えられていた、白馬之盟に関係」
     ⇒ 楯身智志(たてみ・さとし)1980〜。漢代制度史、政治史。 
4    秦漢政治制度の研究┃鎌田重雄┃丸善┃1962「秦の水徳と36郡、賈誼の略歴、公孫弘は儒家を装った法家、地方官僚制度の変遷、前漢の党固事件、後宮の変遷」
     ⇒ 鎌田重雄()1909〜。東洋史、秦漢行政制度。 
3#   中華の成立:唐代まで┃渡辺信一郎┃岩波新書┃シリーズ中国の歴史1┃2019「唐=タブガチ 社会の生活圏と政治社会の組織を中心に叙述 現生人類の東アジア到達は四万年前 現代中国人のDNAに東ヨーロッパ系の流入 武帝の晩年に人口半減 漢の均田制、爵制的土地所有 『漢建武律令故事』『建武故事』『永平故事』」
5#   中国古代社会論┃渡辺信一郎┃青木書店┃1986「漢初期も明瞭な階層区分を持つ、殷周は木製農具と不定期作付け放置の粗野な切り替え畑農法、趙過の代田法と牛犂、阡陌制の崩壊、分田=私田、百口=家父長制的世帯共同体、僮客、牛犂耕は前漢中期から後漢に発達、白居易の慚愧、後漢以前を前期古代、以降を後期古代」
     ⇒ 渡辺信一郎(わたなべ・しんいちろう)1949〜。中国古代史、中国楽制史。 
3#   秦漢時代における皇帝と社会┃福島大我┃専修大学出版局┃2016「内朝や外戚の台頭や儒家礼制の受容は、むしろ皇帝権力の絶対化への指向の一側面であるという指摘が1980年代以降提出されている。  『二年律令』『張家山漢簡』『奉[言献]書』  身長が6尺ないと未成年  二年律令の五関:う関、び館関、武関、函谷関、臨晋関、せん津  三輔の人的資源の確保、陵邑と徒民政策の重要性  p104 淑孫通  ▽誤字」
     ⇒ 福島大我(ふくしま・たいが)1978〜。歴史学。 
3#   秦漢における監察制度の研究┃王勇華┃朋友書店┃2004「孫文の四権分立:立法司法行政監察 後漢の御史台の設立により観察機構が完成した 刺史の職務変遷など 刺史の監察対象は二千石と豪族」
     ⇒ 王勇華     秦漢史の研究┃栗原朋信┃吉川弘文館┃1960「秦始皇帝刻石、秦水徳は漢代より、始皇帝の水がらみの説話は水徳からの空想、伝国の玉璽は光武帝より、璽印と内臣・外臣・客臣」
     ⇒ 栗原朋信(くりはら・とものぶ)東洋史。 
4◯〆  秦漢税役体系の研究┃重近啓樹┃汲古書院┃1999「地方財源の公田、稲は酒用、地主の仮作への強い支配なし、仮作は一年契約、市租は申告売上に課税、市租は毎日、客商も本籍で登録、居住区や旅館での商売、市籍は家単位、市の形態、財産税は臨時、女子に徭役なし、大家中家貧家、郡兵は五千、北辺の郡で一万、材官は歩兵、都試の風景、事=徭役   郡国の地方財源としての公田、稲は酒用、地主の仮作への強い支配なし、仮作は一年契約、市租は申告売上に課税、市租は毎日、客商も本籍で市籍登録、居住区や旅館で商売するものも、市籍は家単位、市に住む人、無人の市、財産税は臨時、女子に徭役なし、      大家:数〜数百頃、数〜数十名の家内労働奴隷   中家:5〜6人、1〜数頃、10金前後   貧家:4〜6人、10〜数十畝、数金      県において材官と騎士が選抜される。郡兵は五千、北辺の郡で一万、総兵力50〜60万、一県当たり三百数十。雍営と虎牙営ももともとは天子直轄。材官は歩兵の意味。材官騎士は一年間に一ヶ月治安維持の任務。年度末の秋には太守・都尉・県令・丞・尉が集合して都試。   事=徭役。県は方100里。一県は4郷。里は100戸。  」
     ⇒ 重近啓樹(しげちか・けいじゅ)1951〜。中国古代史、秦漢。 
4#   貨幣の中国古代史┃山田勝芳┃朝日選書┃2000「方孔円銭は実用的、王莽と貨幣の不足、大布黄千はパスポート、更始帝も五銖銭、公孫述の鉄の貨泉、後漢と布帛の貨幣化、白金は銀とその合金、揺銭樹、紙幣は宋より、売買:券書・掛け売り・仲介人、光武帝の運送業、劉備の直百五銖は魏呉へも   【10】貨幣の古代中国史   方孔円銭は実用的、王莽と貨幣の不足、大泉五十、小泉直一、金の影響の排除、大布黄千はパスポート、更始帝も五銖銭、公孫述の鉄の貨泉、後漢と布帛の貨幣化、罰金の変動:秦は甲冑と盾・前漢は金・後漢は帛、晋は金と帛、梁と北魏は金、北斉は絹、唐は銅、白金は銀とその合金、揺銭樹、紙幣は宋より、売買は券書が必要、掛け売りが基本、仲介人が必要、光武帝の運送業、張魯の太平百銭、劉備の直百五銖は魏呉へも、孫権の大泉五百と当千、宮崎市定の金銀保有量による景気変動、      大行山脈の東:魚介類・塩・漆器・絹織物・舞姫      西:木材・竹材・麻類・玉石類   揚子江の南:香辛料・金・鉛・丹沙・犀の角・たいまい・象牙・皮革   山西・河北:牛羊の畜産品・毛皮類  」
5#〆  秦漢財政収入の研究┃山田勝芳┃汲古書院┃1993「田租は墾田面積に課税、案比には画家が参加、奴婢は財産簿に、奴婢の人頭税は後漢より、父老は税金の代納も、関税はなし、後漢の官奴婢は1万人以下、漢の予算推計   芻稾税は秦より、面積単位で銭納入。田租は土地使用料。240歩1畆で3〜4石の収穫に租は5升。実際は定額税率。叔父の劉敝の土地は83〜104畝。田租は墾田面積に課税。後漢は特権階層へ貨幣集中、女子の徭役は運送や軍服縫製、女性の地位の高さ、案比には画家が参加、奴婢は財産簿に、奴婢の人頭税は後漢より、亡命は一定期間後戸籍削除、大きな亭には亭佐、父老は税金の代納も、人は籍、財産は簿、武帝の官営漁業、反支の日は公車で上書を受け付けず明帝時廃止、前漢末の宗室は十万人、劉備は宗室、官吏が12万人、   成帝時代に質の高利貸しを禁止   関税はなし、後漢末は1割関税   山沢市井の税と商工業に連動      後漢末の蜀では奴婢は4万銭、牛は1万5000   居延漢簡大奴婢は2万、牛は2500〜3000、酒1石100銭   1石3000〜4000、大男は一日2斗、一日600〜800必要   平常時は1石100銭   穀物は1石30銭   前漢末の顧山銭が月に300   客傭は月1000   一般的な労賃は月600   兵役の代傭は一年29000、月に2400余   市税は1割、毎月納税   高利貸しは年利2割   塩と五穀は同価格、   武都郡、穀物は1石1000⇒80塩は8000⇒400   粟は100銭   武帝の頃、塩1石450銭、前漢末250銭      塩専売収入は30憶   鉄専売収入は8憶   酒専売収入は14〜17.5憶、非専売で4550万   前漢の官奴婢は10〜30万人   後漢の官奴婢は1万人以下      宮崎市定全集3   中国古代農業技術史研究┃米田賢治郎1989      国家財政収入(億)             中央     地方   田租  70     10     60   芻稾  12.8    0.8   12   算賦  41.4   20.7   20.7   専売  38     38   その他  1      1   小計 163.2   役  103.5         103.5   兵役 238.3  119.2  119.2   奴婢   2.9    2.9   刑徒  28.9   12.4   16.5   合計 536.9  205    331.9             38%    62%      帝室財政収入(億)   山沢の税・市井の税 13   口銭         2.9   酎金          .2   鋳銭         1.5   皇太后・皇太子    3   雑収入        6   小計        26.6   奴婢         4.3   刑徒         2.4   合計        33.3  」
     ⇒ 山田勝芳(やまだ・かつよし)1944〜。東洋史学、財政史、東アジア社会・制度史。  
4    世界の歴史3:東アジア文明の形成┃筑摩書房編集部,編┃筑摩書房┃1960「[爪/寸+虎]の歴史、匈奴とシャーマニズム。漢書芸文志で詩経の附会を否定、冒頓=英雄」
4#   中国古代の社会と国家┃増淵龍夫┃岩波書店┃1996┃1960「民間土着勢力を媒介して人民把握、任侠秩序への民間の信頼、任=庇護を求めた亡命罪人を匿うこと、秘密結社暗殺団:会任の家、漢書酷吏伝尹賞伝の暗殺団、県吏は民間の豪侠土豪、任侠的習俗にもとづく人的結合関係、郎は人質、孫叔敖の楚国法と呉起、荀恁の光武帝評p1740   論功行賞は戦闘終了すぐ、味方の損失より多く敵の首を取らないと爵に近づかない、高祖と豪族は比較できぬ、三族制の是非、   里に社、社の祭は自費で全員参加、25家に1社、祭に動物牛羊豚をささげる、社で閲兵、天変地異で社に祈る、豊凶を占う、社はむき出し、亡国の社は屋根つき   石、樹木、土、木を立てて犠牲の血を塗る、社は原始集落、集落の標識、木をつかねて塗って立てる、集会、獲物の分配、血をすする盟約、戦争の占い、日食干ばつのお祓い  」
     ⇒ 増淵龍夫(ますぶち・たつお)1916〜83。中国古代史、ドイツ中世経済史、東洋経済史、郡県制・官僚制・家産制。 
3▽   中国古代国家の形成と史学史┃五井直弘┃名著刊行会┃2003「徴兵制をやめて兵隊の家を作った光武帝、後漢の洛陽・太学に240の校舎・1850の教室・学生三万人・地方には数千数万の門人の学者も、銅馬の根拠地は蒲陽、銅馬祠の光武廟・銅馬の降伏した場所・また馬武祠も・鉅鹿郡、尤來:山東から第二の根拠地林廬山/隆慮山、銅馬・上郡の孫登・黒山賊張燕などは中山国の再生、長安の東市の広場の老人の昔話・楚漢の争覇を聞いた司馬遷、蔡ヨウは史記を謗書と呼んだ・後漢では史記に人気なし」
3▽   中国古代の城郭都市と地域支配┃五井直弘┃名著刊行会┃2002「長安の城内人口は11万、古今注に建武六年に洛陽の市に火事あり、洛陽:城壁基礎厚さ・東14m西20m北25m・長さ東3.9km西3.4km北2.7km、城内に住むのは高官と外戚のみ・一般市民は城外に、太学も洛河をへだてた南岸に、呂不韋は洛陽10万戸に封じられた、長安も内城のみ・城壁東6km南7.6km西4.5km北7.2km、高さ12m、基部の幅12-16m、城門は3つずつ12、濠は幅8m深さ3m、門道は幅8m、市:四門を結ぶ十字路の交差点に旗亭・市嗇が市租の徴収、光武帝の施策:奴婢解放・租賦徭役の減免・都尉の廃止・高級官僚の減俸と下級吏員の増俸、建武24年大司空張純に陽渠を穿つ、王梁は掘り下げ方が足りなかった、春秋の制度、晋645作州兵633作三軍・魯594初税畝590作丘甲483用田賦562作三軍・鄭538作邱賦」
5▽#  漢代の豪族社会と国家┃五井直弘┃名著刊行会┃2001「後漢豪族政権説に異論あり。小隊長にも奴婢、漢初の三段階統治、後漢=都市国家崩壊期、大商人は市籍なし、任侠潁川に通ず、貧民は半地下住居、前漢は木の壁、後漢はレンガ、功曹は郡宰相、5:1⇒2:1、外臣、官吏として勢力、潅漑は豪族に出来ぬ、陳留は麦食」
5#   中国の古代都市┃五井直弘,編┃汲古書院┃1995「中国建築史、成都は二城か?、魯の邑に城く、蔡国古城の城門、勃海遺跡、侯外廬、神都充実策、成周の城、漢代の市、商邑の区画」    中国古代の城:中国に古代城址を訪ねて┃五井直弘┃研文出版┃1983「光武帝の昼寝場所、版築(つく)から建築へ、後漢太学のお守り[イ辰]子、少林寺と王世充打倒、世本、斉の左足のない人骨と晏子」
     ⇒ 五井直弘(ごい・なおひろ)1925〜99。東洋史学。 
2#   後漢政治制度の研究┃渡邉将智┃早稲田大学出版部┃2014「▽官僚の執務場所の検討が興味深い 宰相機能の波紋的循環発生 尚書台を禁中に宿衛させて政策の立案と事実上の決定を担う政務担当機関とした。三公九卿以下の官僚集団である外朝を政策の実施を担当する政務執行機関とした 賢良、方正の察挙科目は宣帝期に始まったが制度として定着したのは後漢 漢王朝の官僚機構は後漢において基本的に整備された 前近代中国の皇帝支配体制の原型は後漢において形作られた 皇帝の執務場所・生活空間と、諸官の執務場所の"空間的な距離"にこそ、皇帝と諸官の"政治的な距離"が投影されている 洛陽北宮は皇帝の儀礼執行、南宮前殿は執務場所、ただし北宮でも執務することも 皇帝の生活空間は北宮の掖庭 省尚書事は"尚書の事を省る" 領尚書事は"尚書の事を領す" 録尚書事は"尚書の事を録ぶ"、官僚機構の統率と国政の総覧 平尚書事は"尚書の事を平す"、尚書台が上奏文を皇帝に伝達する前に被閲する 宦官は中常侍の制度から権力を発揮 三公形骸化説の論拠は仲長統『昌言』。その台閣は尚書でなく光武帝自身のこと 政策案の作成は、尚書台の所属する官の任官者に限らず、官吏であれば誰にでも許された行為であった。 政策作成の中心は三公や将軍 尚書台は南宮、禁中の外にあった 南宮の禁中の内部に皇太后の居所たる長楽宮 ▽p266撮影 後漢和帝永元四年以降中常侍は宦官専任に 後漢に廃止した散騎、諸吏、左曹、右曹、給事中 光武帝が親政した時期には、三公に加えて、建国の功臣たちもまた政策の立案を担当していた。 太医令や侍医は前殿の門の付近に宿衛 皇后の居所は長秋宮、側妾は掖庭」
     ⇒ 渡邉将智(わたなべ・まさとも)1978〜。漢代政治制度史、後漢政治史。 
3◯   王莽:儒家の理想に憑かれた男┃東晋次┃白帝社┃2003「胡適の王莽論:1900年前の社会主義者、学校制度:太学・郡国学・県校・庠序、光武帝は太学でなく私学か、儒家と法家の郊祀争い、甘忠可の天官暦包元太平経・真人の赤精子、災=洪水など・異=日食など、製鉄労働者の反乱の頻発、西王母の算木を伝えまわした・六博の道具を備え歌舞で西王母を祀る、西王母と東王公への分裂が後漢に定着・鏡の銘や買地券に描かれる、学校:郡や国にある学・県や道や邑や侯国にある校・学校には経師一人、郷に庠・聚に序・庠序には孝経師一人、班固の東都賦:四海の内学校は林の如く庠序は門に盈つ、字を覚えて最初に学ぶのが孝経と論語、下位から上への上行文書に使う"敢言之"、元始年間には皇帝即位の意思は明確ではなかった、孺子嬰は座敷牢で監禁・犬牛馬の名前も知らず、王莽の玉牒が長安城の桂宮より出土・泰山封禅のため、伝国の玉璽は前漢に存在せず、王莽に批判的な謡が見あたらない・謡とは知識人が児童や庶民に託して政治批判、詩経:普天の下王土に非ざるはなく率土の浜王臣に非ざるはなし、地方からの訴訟など公文書の処理をすべて自分で決済した王莽、呂母は酒造家か・専売違反で摘発、王立と南陽諸劉氏との結恩、王莽の生体解剖・王孫慶・尚方の解釈や銅製人体模型の鋳造・計量解剖の記録・黄帝内経に残る、聖女なる王后を西王母になぞらえようとした、光武帝をという執筆誘いを断り王莽を書いた」
4★◎〆 後漢時代の政治と社会┃東晋次┃名古屋大学出版会┃1995「後漢豪族論の決定版。太学生の生活。後漢とは中国ができた時代。前期に豪族弾圧、豪族は自立できず、父老や亭長は持ち回り徭役、小農民の太学生も、社会全体の富裕化、豪族が叛乱者から叛乱討伐に、豪族に営殖型と共生型、童謡から清議へ、逸民は新しい模索、張倹の帰郷と黄巾の乱、貴族は清流より   後漢とは中国専制社会の基礎形成の時代、中国のすべてが出そろう、   漢代官吏登用制度の研究┃福井重雅┃創文社   孝廉制は儒家と法家を含む、官吏の俸禄は不十分、光武帝も法家を重用、諸王の謀反、前期には豪族弾圧あり、父老は県の命令による持ち回り徭役、謫されて亭長に、父老は豪族ではない、豪族は王朝から自立できず、後漢前期には豪族の力は確立されず、列侯=貴、班固知友表、竇氏と地域間対立、士大夫は後漢末に成立、太学生は徭役免除、書館では諷誦=経文暗唱、小農民の太学生も、社会全体の富裕化、豪族が叛乱者から叛乱討伐に、豪族に営殖型と共生型、童謡から清議へ、豪族内部の貧富の差、朱雋はど貧民、光武帝も民謡を集める、清流は察挙体制の維持、逸民は新しい模索。張倹の帰郷と黄巾の乱、天子の権力集中、貴族は清流より      ◯太学の学長は六百石の博士祭酒、教授するのは博士で比六百石、当初七人宣帝十二人後漢は十四人。博士から業を受けるものが博士弟子。   太学の入学資格は、18歳以上で儀仗端正な太常に選ばれた者=博士弟子、地方官の推薦による者、六百石以上の官吏の子弟。   祭酒−博士−博士弟子−太学生   ◯郡国学。大半の郡にあり。文学主事掾=学長、文学掾=教官で易掾・尚書掾など=文学博士、弟子、諸生=諸郡生徒=郡学生がある。会稽郡が千人、琅邪郡が四百人。本籍の郡でなくとも入学可能。   ◯私学。師−都講−弟子−門生。馬融の門徒400余り、堂に升るもの50あまり。   木簡は不便であるため、内容の暗記が必要。授業は暗唱と朗読である。孝経や論語が基本。五経では、詩経から。次が尚書。そして春秋。易と礼はやや高年より。諷誦の次は章句を学ぶ。正しく区切って理解すること。歌うように暗誦する。   学童に諷書9000字以上の試験。   ◯太学の諸生の博士弟子選抜試験:誦説。規定された量の暗唱と章句の解釈。   入学一年後に射策によって一経に通じるかの試験される。秀才異等の特選者の他、高弟者は郎中に、一経に通じたものは文学掌故になり、成績の低いものは退学となった。   太学生は寄宿舎暮らし。   ◯博士の官舎、内外の講堂がある。講堂は長さ10丈、広さ3丈。   ◯五経の他、郷射礼、雅吹撃磬、歌吹なども学ぶ。   ◯一ヶ月の標準労賃が300銭。5000銭が年間の太学の生活費用。  」
     ⇒ 東晋次(ひがし・しんじ)1944〜。後漢時代史。  
5    古代中国史の諸問題┃三上次男・栗原朋信,編┃東京大学出版会┃1954「殷の衆とは、鎌、周の年代、国風の植物、燕、楚の霊王、戦国策の思想、秦の人物、阡陌、皇帝、衛氏朝鮮、工匠・医巫・卜祝も市籍、巫と侠は密接、十二神獣」
5    古代中国の社会と文化┃中国古代史研究会,編┃東京大学出版会┃1957「丘甲を作る=牛甲制作、畝に税す=定額から定率、衛、鄭と商人、犀と牛革の鎧、相とは、陳、楚は殷の末裔、開阡陌封彊=区画整理とその標識、田算は半分以下、山林薮沢の利、内史の公田、関市に税す、始皇帝は泰山を重視せず、延命は極秘、光武は全公開」
5    中国古代史研究┃中国古代史研究会,編┃吉川弘文館┃1960「甕棺墓、鄭事雑識、春秋の周と戎、鼓は量詞でなくフイゴ、春秋に鉄農具なし、刑徳二元主義、軍事は社が中心、竹書紀年の魏表、先秦時代の客、蠻夷経営の道、戦国官吏と土豪の密着、復讐は集団で、漢代家族の形態、高祖の奴婢解放、明帝と山海経」
5    中国古代史研究第二┃中国古代史研究会,編┃吉川弘文館┃1965「燕斉・三晋・楚・秦の4文化区分、先秦鏡、斉の建国神話、俘、木主、太学は西北7里に宿舎と市場、一里に住居40、漢の市は城外にあり、徴召と辟召、光武帝の外戚処罰、宇文融の括戸政策、李カイの法経、前2550年黄帝生まれる」
5    中国古代史研究第三┃中国古代史研究会,編┃吉川弘文館┃1969「召公は架空、占夢、楚の霊王は巫、韓非、鄭の七穆、祖父の字を氏、弐は離れる、盟から離れる叛、日・隋交渉、祁氏・羊舌氏の邑、徴姉妹とドンソン遺跡、治水は中央管理、治水工事は奴隷が、王充、戦国瓦当と秦瓦当、史記の五帝の在位年」
5    中国古代史研究第四┃中国古代史研究会,編┃雄山閣出版┃1966「施釉陶器、別墨、司馬牛、王船山、王充性論、魯の三桓、晋と狄、田斉の成立、郡県制の展開。後漢の出世コース、限田令は王氏は例外、明帝が流民に賜爵、後漢の公田の少なさ、8┃32の流民」
5    中国古代史研究第五┃中国古代史研究会,編┃雄山閣出版┃1982「山海経と玉、左伝民俗学。赤眉と約、商鞅死後秦律に変化、奴婢は主人に連座せず、家人は奴婢を含み室人は含まぬ、国家支配が私奴婢に、処罰権は主人になし。盗は法に適う、墨者の二法、巨人と鋸子、趙括に軍約なし」
     ⇒ 中国古代史研究会(三上次男・栗原朋信・五井直弘・増淵龍夫・松崎つね子・堀敏一・他) 
3#   後漢書 本紀[一]┃范曄、李賢、司馬彪、劉昭┃渡邉義浩┃早稲田文庫┃2022「本紀ほんぎ  ▽全体にぼかして訳しているように感じる  p7 尚書を学んで、だいたいの内容を把握した。  ▽略通大義。大義は内容ではなく、深淵な隠れた意味のことで、深い部分にまでおよそ通じるほどであったという高い評価を示している。  p16 具体的な作戦を示した。  ▽為図画成敗。  p47 〜の肩を借りて馬に乗ると  ▽撫其肩而上。借りてるかな?  p47 本来は(劉秀軍の)威勢の盛んなことを恐れていたので  ▽素懾大威  p58 山林・川谷のうち、雲を興し雨を降らせる力のあるものは、みな神という。  蘇茂そぼ  p104 天地の性は人を貴いものとしている。  p108 成都を攻め滅ぼし  ▽屠成都  成帝と光武帝が兄弟の世代  風水師の蘇伯阿、王莽の使者として南陽に  p163 これを評価した。  ▽奇之  p164 つねに天下のことを重要に考えるためには、万民のことを第一とせよ  ▽顧重天下以元元為首  ▽『帝王世紀』の光武帝の原陵の大きさと位置の記述  明帝の字は厳  梁松、匿名の投書で明帝を誹謗して死罪に  禹王、鬼神や怪異の姿を鼎に描いて知らせる  明帝は自ら笛を吹く  章帝はたつ  光武帝の詔書、堯は臣下を試すために仕事を与え、言葉や文章のみに依っていない  p260 宮刑……女子(の死刑囚)は(生殖器官を)幽閉した。  章帝の瑞祥は数百千  釜や甑が資産税の対象、貧しい人は売って課税を避けた  和帝の瑞祥は81  p344 龍眼・れい支の献上が、取りやめられた  後漢書の成立、432-439  散逸を免れたものは後漢書と後漢紀のみ  武帝の儒教官僚は2%、後漢初期は70%以上  儒教が官僚と在地勢力の関係を調整する役割を果たした  范曄も南陽郡生まれ  現行の後漢書は范曄、李賢、司馬彪、劉昭、4つの別々の資料の寄せ集め」    始皇帝:中華統一の思想『キングダム』で解く中国大陸の謎┃渡邉義浩┃集英社新書┃2019「始皇帝の秦には5000万人が暮らしていた ▽定説とは大きく異なるのでは? 現存する史料から推定すると、秦の国民が約5000万人だったことがわかる 『キングダム』を題材にして法家と中華統一を考える」
3〇   漢帝国:400年の興亡┃渡邉義浩┃中公新書┃2019<総2019.06.22!>「韓信の先鋒、陳賀と孔[廾/聚] 赤眉は城陽景王信仰を集団の核の一つとした 老子の道の把握、万物と無媒介に一体となる玄同 二十等爵制による個別人身的支配 五経博士は宣帝期、儒教の国教化は後漢 『太史公書』が霊帝の頃から『史記』と呼ばれるように 『史記』の戦国史料の9割以上が文字資料 後漢の明帝は司馬遷が春秋の筆法により武帝を批判していることを理解 王莽は符命四十二篇を天下に宣布 王莽の三雍の建設 儒教から生まれた讖緯思想を放置すれば政権は安定しない [言焦]周も漢に代わる「当塗高とは魏である」と主張する 蜀漢を建国した劉備や諸葛亮から見れば、こうした讖緯思想を見事に押さえ込んだ光武帝は、尊敬して已まない存在であった。 後漢を建国した光武帝は、一度滅びた漢を復興し、功臣を殺さず、軍備を縮小し、二百年の太平の礎を築いた名君であるばかりでなく、三国志の英雄たちに大きな影響を与え続けた、理想の君主だったのである。 豪族を弾圧せずに利用する寛治は、章帝の次の詔を起源とする 郡太守はその郡の出身者からは選任されない、本貫地回避の制 漢を古典中国とする意識」
3#   中華思想の根源がわかる!中国古代史入門┃渡邉義浩┃歴史新書y┃2016「占卜の亀甲はあらかじめ溝を掘って吉が出るように操作していた 鄭玄の論語注は孔子を完全無欠とみなさず誤りを認めている 論語は子供の教育書 論語で易の書名が出るの一回、亦の誤写の可能性、孔子は易を読まなかったかも 史記に引用される孔子言行録は古論と呼ばれる論語、易を読んだと記録 性は天に根拠があるとした『性自命出』、孟子より早い 殷の鉄器、鉞三点、戈一点、隕鉄と青銅の複合製品 西周の鉄器は七点 しかし新をわずか十五年で打倒し、漢朝を回復したのが光武帝劉秀であった。黒崎恵輔 ▽新を打倒したのは更始帝なんだが…… 後漢が滅んで呉が独立するまでの期間、呉では魏ではなく後漢の元号を使用した クシャーナ朝は人口十万戸、邪馬台国は十五万戸 ▽論文カタログ本。詳しくは論文をとなっていて 太学に通ったことのある皇帝は後漢の光武帝劉秀と楊堅だけである」
2◯   三国志:運命の十二大決戦┃渡邉義浩┃祥伝社新書┃2016「史実においても三国時代で個人として最も強い者は呂布 後漢を建国した光武帝劉秀のもと、最も強力な軍隊を率いていた呉漢は、かれら烏桓族を中核とする「幽州突騎」と呼ばれた騎兵部隊を率いることにより、向かうところ敵無しの強さを誇った。 ▽戦いの歴史、12の決戦までの細かい戦いもすべて解説している 劉備の軍隊指揮能力の高さ 三国時代を作ったのは荊州を劉備に貸した魯粛だ 入蜀後も諸葛亮は糜竺、法正の次の存在 曹操は曹氏夏侯氏以外の者に原則として一万人以上の兵力を任せることはなかった 表とは公開を前提とする上奏文 三国志はもともと五丈原で諸葛亮を司馬いを防いだことを宣揚するために書かれた史書」
3▽   英雄たちの「志」 三国志の魅力┃渡邉義浩┃汲古書院┃2015「▽内容の重複が多い、監修者としてのレッドクリフ秘話 空海の文章に諸葛亮の記述がある 太平記に水魚の交わり 季漢、末っ子の漢 諸葛亮が矢を集める話、『新唐書』張巡の故事  曹操の話をすると、曹操が来る 説着曹操、曹操就到 噂をすれば影 かれはかれで自分の主君のためにしていることである。追ってはならない 曹操の兵法書『兵書接要』 南北朝に木牛流馬を製作した国がある ▽どの国? 『心書』と『将苑』は宋代の捏造、孫子の剽窃 『便宜十六策』は一部真作 二十八宿の旗を立てて天に祈った諸葛亮 国力が劣り、兵糧の補給に苦しむ中、最も困難な撤退をすべて成功させている。これだけでも名将と評してよい 美しい妻を一途に愛した荀粲 漢文読みの中国知らず 現代中国と切り離された古典中国学の問題 宋史に諸葛亮十二時風雲気候という書」    両漢儒教の新研究┃渡辺義浩,編著┃汲古書院┃2012「北斗七星は帝の車 郭店楚簡『太一生水』の太一は女性であるかのように表現されている 後漢における天の祭祀は、光武帝期に定められた郊祀制度が継承されている 鄭玄の六天説 その教義の眼目を「治鬼療病」に置く「初期天師道」は、後漢の明帝年間、洛陽、西安を中心とする中原で確立された。 解注器、非業の死を遂げた人が苦しみ生きている人に災いをもたらしているのを解除する儀礼のための器具 『赤松子章暦』 光武帝期・明帝期を通じて、後漢は匈奴の侵攻に苦しみ続ける。 ▽あれ?南匈奴帰服後は違うような気がするが?」
3#   王莽:改革者の孤独┃渡邉義浩┃大修館書店┃あじあブックス┃2012「▽分析的観点のみで比較的観点がないのが欠点か? 天下は方万里、洛陽が土中 王莽が古典中国の形成に最も貢献した 王莽は班固の祖父と同僚であり兄弟のような関係 朱子学は無神論体系 董仲舒まで儒教は権力にすり寄る術がなかった ▽始皇帝の内側に儒教が食い込んでいたのは常識だと思うが 五経博士の設置は董仲舒ではない 儒学:諸子百家の一つとしての儒学の哲学 儒教:緯書による宗教化されたもの 経学:儒教の学問的領域 文帝の遺詔。自分に対する喪を25ヶ月から36日に短縮。民間人も三日ととした 天子七廟制、南北郊祀は王莽が定めた 王莽は古文学を立学 黄鐘の律管をメートル法の原器とするような合理性。劉?の古文学 今文は二社一稷、古文は二社二稷 王莽の政策は後漢書が言うほどそのままの形で後漢に継承されたわけではない 今文は孔子、古文は周公 左伝と古文学は王莽の正統性を立証 劉?は左伝に加筆 平帝毒殺説は?義の檄文より 光武帝が即位後に図讖を天下に宣布 ▽泰山封禅の後と言うべき。即位の30年後 地方官の世襲制度を打ち出した 公卿以下の棒禄は布二匹、帛一匹 『管子』軽重篇が『周礼』の経済思想へ 王莽は原理主義者ではない。臣下に恵まれず空回りしただけ ▽現実社会に適合しなかったし、意見撤回を受け入れたら原理主義者ではないとは無理がある 呂母は赤眉の源流 ▽実は全く無関係 揚雄の劇秦美新 白虎観会議は政治的には、王莽が古文学を中心に形成した中国の古典的な国制を『春秋公羊伝』に代表される今文学により、経学的に正統化しようとするもの 十四項目で十が王莽に関連。ただし王莽提案は四つ 『儒教と中国』講談社メチエ┃渡邊義浩」
3#   儒教と中国:「二千年の正統思想」の起源┃渡邉義浩┃講談社選書メチエ┃2010「ミネルヴァの梟は暮れ染める黄昏を待って飛び立つ。ヘーゲル 孟子:四端の惻隠を仁に、羞悪を義に、辞譲を礼に、是非を智に 韓非子は儒家+道家 法を重視する道家が黄老思想 天人相関論:月と人体の大きな関節12、日と小さな関節366、五臓と五行、四肢と季節、寝起きと昼夜。人体は小宇宙 子は母を以て貴く、母は子を以て貴し。 劉秀は政治学者 劉秀は図讖を戯事に済ましてしまう合理主義者 人は志がなければ人ではなく、言語により表現することが志を示すための唯一の方法である。」    後漢における「儒教國家」の成立┃渡邉義浩┃汲古書院┃2009「王莽の符命革命と光武帝の図讖革命 白虎観会議で儒教国教化が完成 後漢儒教国家の儒教の特徴:宗教性の強さ。国家制度との緊密性。臣下に対する配慮 劉秀に対して用意された緯書を劉備に合わせて修正した」    宗教から見る中国古代史┃渡邉義浩┃ナツメ社┃図解雑学┃2007「東晋、三教:儒仏道、四学:儒文史玄  スターリンの定式:原始共産制→奴隷制→農奴制→資本制  赤眉の城陽景王信仰  赤は火徳の漢王朝、赤眉は漢を慕う存在  仏図澄ブトチンガ  鳩摩羅什クマラジーヴァ  宋代以後、知識人は禅宗、民衆は浄土教  ▽古代史のはずが清まで解説がある」
2◯   三国志┃渡邊義浩┃ナツメ社┃図解雑学┃2000「名士の動きからみる三国志。曹操は名士を弾圧、益州で劉備に抵抗したのは寒門と東州兵」
5  ? 後漢国家の支配と儒教┃渡邊義浩┃雄山閣出版┃1995「白虎観会議、豪族政権論、祭祀、外戚、宦官、党錮。儒教の国教化は後漢より。董仲舒の災異説は当時受け入れられず、  ▽でたらめな貧の解釈  桓帝と老子の夢、私諡」
     ⇒ 渡邊義浩(わたなべ・よしひろ)1962〜。古典中国学、中国古代史、歴史、人類学。 
2◯   後漢政治史の研究┃狩野直禎┃同朋社出版┃1993「時代別・地域別に分類。袁紹と烏桓、竇融は昆陽で敵対、張歩と魚塩の利、彭寵と呉漢はともに亡命、反側子は関[目隹]、光武の卓茂と更始の鄭興、光武>高祖?、竇融は景帝の母の子孫、明察を用いる、[糸兼]で贖罪、章帝と列僊図道術秘方、第五倫は医師、皇后に子供なし、三互法、和帝と観採風謡」
2    三国志の知恵┃狩野直禎┃講談社現代新書┃1985
3▽  ■「三国志」の世界:孔明と仲達┃狩野直禎┃清水新書┃1984「孔明の父は192年没。母は189年没。 諸葛玄の死は197年 曹操の屯田制と兵戸制 屯田は牛があれば税は半分、牛を借りれば6割 彊弩の末勢魯縞も穿つことあたわず。 人のまさに死なんとするや、その言や善し。 論語:ひねもす食事もせず、夜もすがらねもやらず考えたが益はなかった。本を読んで学問することにこしたことはないと。 君自ら取るべし。 明帝は口吃 西南夷の飛軍 孫資と劉放の無血クーデター 何晏と司馬昭は屯田の経営を巡って対立があった 諸葛玄の元に赴くのは194年」
     ⇒ 狩野直禎(かの・なおさだ)1929〜。東洋史。古代史。     中国逍遥:『中論』『人物志』訳註他―┃多田狷介┃汲古書院┃汲古選書68┃2014「徐幹『中論』と劉邵『人物志』の全訳 有争気者勿与辨也。 争いの気のある者と弁論してはならない。荀子 馬王堆一号墓、154cm34.4kg 漢代の鳳凰山168号墓、166cm52.5kg60歳、外形は基本的に完全 ▽死亡時の推定体重ではなく、実測値なのか 貴人は光武帝に始まる 陳真1934-2004、北京中央放送局日本語アナウンサー」
5#▽  漢魏晋史の研究┃多田狷介┃汲古書院┃1999「郷邑秩序は豪族が維持、庸は通貨を得る、仮作は土地を借りる、貴戚大豪族と違い地方豪族は小さい、樊氏陂は樊宏ではない、すぐ歌い舞い踊る漢代、七盤舞、二丈の舞巾、奴隷は高い、豪族共同体は里共同体の再編、父老⇒豪族⇒貴族、潅漑不用の一次農地に豪族、漢代の食生活   郷邑の秩序は豪族が維持した、庸は通貨を得る、仮作は土地を借りる、豪族の経営は規模が小さい、後漢書77で貴戚大豪族と違い、地方豪族は貧しい。勢力は自己の郷里にとどまる。関東の流民と飢民が豪族の私的経営を深くする。流民焦先も戸籍に気狂いと注記。樊氏陂は樊宏ではなく樊曄のもの。唐まではすぐ歌い舞い踊る。七盤舞。二丈の舞巾。居延漢簡:奴隷は高い。豪族共同体は里共同体の再編。父老から豪族貴族へ。商鞅の法は族的結合の分解。潅漑不用で自立できる一次農地に豪族。豪族は武力で脅す。漢代の食生活。」
     ⇒ 多田狷介(ただ・けんすけ)1938〜。東洋史学、後漢豪族論。     中国古代の政治と社会┃越智重明┃中国書店┃2000「341年成帝の土断、斉末は百万戸、梁武帝508年の改革で戸数半減、客は主の籍に、後漢末の士大夫は貧乏、奴婢や女子の算賦は戸主から、建武年間に牛耕広まる、清節の士は官僚として無能?」    戦国秦漢史研究2┃越智重明┃中国書店┃1993「夏夷思想、法家思想、孝、塩鉄論、商人。秦は振商政策、春秋の大きな隊商、両漢は建前上永代人身売買禁止、劇孟は運送業者の親玉、任侠の名声は商行為を核として生まれる」    戦国秦漢史研究3┃越智重明┃中国書店┃1997「家族と集落。後漢の戸口統計は信用できぬ、亭には牢獄がある、里父老と里正が算賦を徴収する、父老は里社の祭で社宰の選択・経理・行事運営、止雨の祭、土木営繕、儒教は自然宗教の幼態成熟、漢家が支配するのは庶民のみ」
     ⇒ 越智重明(おち・しげあき)1923〜98。中国古代史。     武帝:始皇帝をこえた皇帝┃冨田健之┃山川出版社┃世界史リブレット人┃2016「武帝が背負った負の遺産、直轄地の増大に伴う構造改革の必要性 黄河の決壊を23年も放置、武帝の認識不足」
     ⇒ 冨田健之(とみた・けんし)1955〜。中国古代史。 
4    古代遊牧騎馬民の国:草原から中原へ┃舟木勝馬┃誠文堂新光社┃1989
     ⇒ 舟木勝馬()  
3#   三国志考証学┃李殿元+李紹先┃和田武司┃講談社┃1996
     ⇒ 李殿元()     侠の歴史:東洋編 上 士は己を知る者のために死す、「侠」に生きた勇者たち┃鶴間和幸┃清水書院┃2020「始皇帝:策謀の士が遊説、名士を金品で味方に、拒否するものは刺客で殺害、良将を送って武力攻撃  墨侠  浩然の気≒大勇、不動心  算緡制の規定:密告で資産が発覚した場合は没収財産の半分を密告者が得る  侯景、仏教徒、法華経の観世音菩薩普門品を唱える、相国天柱将軍から宇宙大将軍  盗跖 孔子も逃げ出す最兇の哲学者─竹内康浩  子路 ?気の必要性を身を以て示した儒者─高木智見  戦国時代の封君と任?たち 『史記』に描かれた─藤田勝久  曹沫 刺客か、知恵者か─村松弘一  専諸 「刺客」の誕生、加えられる伝説─村松弘一  豫譲 「己を知る者」のために死んだ「国士」─濱川 栄  荊軻 最後の刺客の醸成される「?」、共感される「?」─村松弘一  卜式 「自由な市場」を守り抜こうとした羊飼い─濱川 栄  呂母 歴史を動かした女?たち─佐々木満実  張倹 ?なる人々に守られた党人─小嶋茂稔  臧洪 己を見出した恩人のために命をも投げ出す─小嶋茂稔  関羽 神になった英雄─渡邉義浩  張飛 庶民の英雄─渡邉義浩  趙雲 主君の子を守り抜く─渡邉義浩  太史慈 約束を守る─渡邉義浩  侯景 南北朝を駆け抜けた六鎮武人の挽歌─津田資久  王琳 南朝梁の残光─津田資久  泉献誠 信念に生きた高句麗出身官僚─金子修一  狄仁傑 権威に屈しない硬骨漢─金子修一  李泌 王朝危難の際に尽力─金子修一」
2▽   「悪の歴史」東アジア編〈上〉┃鶴間和幸,編┃清水書院┃2017「光武帝は12ページ 神話学、史実の神話化、歴史人物か神話化する 妲己は紂と共にせず、権力者への復讐か 秦を滅ぼす者は胡なり 王莽は同姓の妻を娶っていた、同姓婚はあり得ないはず 公孫述や竇融も図讖を信じた 曹操の徐州大虐殺、名士が呉や蜀へ、赤壁の敗戦はこれに比べたら微々たるもの、孝の思いが強すぎたため ▽青州賊の暴走と考えるべき 曹操のADHD説 曹操の妻子へのこまごまとした心配 張昭を頂点とする孫呉名士社会」
3★◎  人間・始皇帝┃鶴間和幸┃岩波新書┃2015「▽簡牘資料と著者自ら始皇帝の道を追い史記と異なる始皇帝像を描く 趙正書、白人で病気になる、胡亥は始皇帝が指名 正月生まれなので正 始皇帝の生まれた時代は、家柄に関係なく奴婢すら大臣王后にまである可能性があった 睡虎地秦簡の喜、前262年12月甲午の午前二時生まれ 相国は相邦、劉邦の字の忌避のため 鄭国渠は今も使われている ろうあいの乱は未然に防がれていた 外交家としての荊軻の暗殺未遂 趙の李牧が秦の王翦と戦って戦死 荊軻は暗殺が目的ではなく土地の奪還を目指した 秦の法律では50歩逃げた者と100歩逃げた者は処罰が違った 東方人の軍神蚩尤 霊渠、湘水と離水をつなぐ運河で南北を結ぶ 礼治主義の始皇帝 匈奴30万や南越50万派との戦争反対への言論統制としての焚書坑儒 始皇帝の死は八月の丙寅21日 諡かつくまで先帝は大行と呼ばれた 孔子は俑を批判 胡亥は12歳で即位 阿房宮とり山の建設に70万人動員」
2☆▽  ファーストエンペラーの遺産┃鶴間和幸┃講談社┃中国の歴史03┃2004「  ▽〜p176  前漢末の山東人はウイグル・キルギスに近い、筑:バチで撃ち鳴らす・弦は5本・長さ117cm幅11cm厚さ6cm・竹のバチで叩く、項羽の楚の婢が漢へ逃亡・戸籍未登録・1万6000銭で売った・44歳・私は婢ではないという訴え・否決、呂后は女主と呼ばれた、馬王堆の利蒼と辛追、"城旦[春]"男は築城女は精米・"鬼薪白粲"薪集めと精米・"隷臣妾"奴婢労働・"司寇"国境警備、儒家:詩は政治風刺・書は先王の事績・易は自然と社会の変化・春秋は歴史の鑑・楽は宗廟の祭祀、巫蠱:虫を皿の中で共食いさせ生き残った虫で人を呪って殺す、皇后の后は大地、東海郡:6歳以下は18.79%と少なく90歳以上0.8%と多い、滑稽:酒が稽という器から滑り流れるように弁舌がとどこおりなく巧み、地方統治は土着豪族の自律的秩序、飢饉ときは流民に旅費と亭への無料宿泊、章帝は自ら騎馬で巡察、居延漢簡の女性名:弟・足・君・待・南・女・憲・女足・君来・君至・王女・自予・悪女、王莽も泰山封禅しようとした、墳墓を守るため決壊した黄河を放置した王莽、七家後漢書、赤眉の呂后の屍陵辱は劉章の無念を晴らす儀式、章帝:流民に旅費・亭の宿泊を無料に、張家山漢簡の算数書:狐と狸と犬の関所租税計算、10里で1郷・3郷で1県」
3#   始皇帝陵と兵馬俑┃鶴間和幸┃講談社学術文庫┃2004┃2001「二世皇帝の墳丘は高さ5m直径25m、黄河は唐代に一般化・唐代まで黄濁していなかった・黄土高原に森林があった、秦代の黄河は黒いと見られていた、漆を乾燥させるのに乾燥でなく湿潤がよい、秦の青銅武器は錆を防ぐためクロムメッキ、14面のサイコロ・六博は酒を飲みながらする、趙高の書"爰歴篇"、古代の地図は南を上にする、ひげを剃る刑罰・耐刑、滑り止めのある秦の靴、戦国六王都は海抜100m以下・咸陽は300-400m、敵の城邑を破壊することが戦国の戦争」
2◯▽  秦の始皇帝:伝説と史実のはざま┃鶴間和幸┃吉川弘文館┃2001「名は正、出生の秘密は創作の風聞、鄭国は政争、戦地と故郷の書簡往復、始皇帝は死後の呼び方、官吏は竹筒に入った筆を携帯、焚書令は匈奴戦反対派への弾圧」
3★◎  岩波講座世界歴史3:中華の形成と東方社会┃岩波書店,編┃岩波書店┃1998「時代概論、地域概論、論争点。漢は漢民族とはいえぬ、羌は火葬、匈奴は人間と家畜を奪う、戦国の1/3は都市人口、漢代も実物貨幣が流通、動員力という社会的な富、39年の乱は諸侯列侯地域、華北にも竹、竹簡と木簡の違い、黄土は肥沃ではない、西周封建とは農耕民の武装入植   時代概論、地域概論、論争点。漢王朝は漢民族とはいえぬ、禹は行神・治療神、羌の神、羌は火葬、匈奴は人間と家畜を奪う、戦国の1/3は都市人口、漢代も実物貨幣が流通、動員力という社会的な富、24%が未墾地、6%が定墾田、39年の乱は諸侯列侯地域、華北にも竹、竹簡と木簡の違い、孫ぴん兵法は孫子の追記?、黄土は肥沃ではなく長年の努力、西周の封建とは農耕民の武装入植      前漢の県は、民の教化、戸籍の管理、民衆の田宅の登記事務、爵・田・宅の賜与、穀物物品の管理、租税の徴収、徭役の義務、裁判、勧農、県城の修築、祭祀、市の管轄、官営工房の管轄、貨幣の鋳造   関中、燕斉、南陽淮水、巴蜀、呉楚の5つ   竹簡は束ねて册書とする   木簡は形状を細工するため  」
3☆   始皇帝┃NHK取材班┃日本放送出版協会┃1994「始皇帝陵のCG復原、為吏之道、孟姜女、徐福伝説と蜃気楼、水銀の発見」
     ⇒ 鶴間和幸(つるま・かずゆき)1950〜。東洋史、中国古代史、秦漢史。 
2◎   魏の武帝 曹操┃石井仁┃新人物往来社文庫┃2010┃2000「英雄曹操から南宋から姦雄曹操への流れ ▽石勒がすでに寡婦や孤児をだまして国を取ったと非難している、当時から英雄と認められていたとはいえない 曹操の親友たる丁沖、字は幼陽、丁夫人の一族 後漢では人質は無視して攻撃逮捕するもの、橋玄のエピソード 袁紹は曹操より十歳近く年上で、曹操の庇護者 桓帝と霊帝はいわれるほど暗愚ではない 無上将軍と称した霊帝、西園軍を設立、牧伯制の採用 後漢の人々にとって、光武帝はヒーローだった。袁紹や袁術などは、悪くいえば、光武帝にかぶれていたふしがある。ふたりにくらべれば、よほど自由な発想のもちぬしだった曹操や劉備でさえ、光武帝の幻影から逃れることはできなかった。 荀いくの妻は宦官唐衡の養女 軍師と軍師祭酒は、ケ禹が設立したものを曹操がまねた 曹操の唯一の心残りは丁氏のこと 官渡の戦いの曹操軍が一万満たず、数千、歩兵五千とされるのが公式見解 p176後漢初期の群雄割拠図 ちょっと知恵があるばかりだ。曹操の知恵自慢 梁冀はケ禹に比せられて封邑を得る 袁遺、伯業。大成した後も学び続けた人」
     ⇒ 石井仁(いしい・ひとし)1958〜。魏晋南北朝史、中国軍制史。 
3#▽  三国志:正史と小説の狭間┃満田剛┃白帝社┃2006「陳寿三国志の完成は280-4年、劉備の妻は皇后と記載、楊戯の伝があるのは季漢輔臣賛を載せるため、魏書編纂に阮籍も参加、軍楽・鼓吹曲・国家の正統性主張の歌詞、鼓吹曲の作詞家は歴史書編纂にも参加、歴史書は国家の正統性主張という目的がある、唐ではお寺の前で三国の講談、魏や呉から蜀漢の銭、陶謙と朱儁によるもう一つの反董卓同盟、曹操の青州兵や劉焉の東州兵が兵戸制の基礎に、石井によるとこの袁紹の戦略は、後漢の光武帝と一緒である。ちなみに、袁術は南陽を拠点としていた。これは荊州北部の都市で、洛陽の南にある。この南陽は光武帝の出身地である。やはり光武帝を意識していたと見られている。袁紹も、袁術も、さらに実は曹操も劉備も光武帝を意識していたとされる。先に劉虞を皇帝に擁立しようとした際も、劉虞と光武帝の共通点が指摘されていた。後漢末の群雄たちは光武帝の"陰"に操られていたと考えられるのである。p111、曹操の徐州侵攻の虐殺・この一件のため曹操は天下を取れなかった・徐州出身者は呉と蜀へ、荊州より東に[氏/一]族の居住地、荀ケの妻は宦官の娘、五斗米道の兵力は板循蛮、三国時代の名酒・[儒-イ+β]湖の水で作った[儒-イ+β]酒、夷陵の戦いの孔明の意見は秦[ウ/必]が代弁、劉備と孔明・孫策と張昭・国を取れの遺言、冀州は桑が多い・蜀の錦生産・呉の麻織物、街亭はうっそうと樹木が茂った森林地帯、孔明北伐時は魏も兵糧に苦しんでいた、北伐軍の将軍孟玉は西南夷、五丈原の戦いの孔明の狙い・持久戦で魏の兵糧切れを持ち西方を押さえて長安を狙う、曹爽の蜀遠征・夏侯玄の副官として司馬昭が参加」
     ⇒ 満田剛(みつだ・たかし)1973〜。三国時代の史学史。    ■古代中国を発掘する:馬王堆、満城他┃樋口隆康┃新潮選書┃1975「発掘専門の役人発丘中郎将・摸金校尉、馬王とは五代楚王馬殷のこと、」
     ⇒ 樋口隆康(ひぐち・たかやす)1919〜。考古学。  

●● 中国社会史:六朝隋唐 ●●     六朝貴族制社会の研究┃川勝義雄┃岩波書店┃1982「族・地域・身分階級を越えた支持ある与論そのものが地盤にあった清議、単微出身の陳寔・貧しい牛医の子の黄憲・逃亡者魏朗、董仲舒の思想・地上の国家が天界の秩序の裏付けを持つ・天には日月北斗五星二十八宿がある、郷邑の秩序は土豪により維持されたのでなく複数豪族の競合対立により引き裂かれていた、門生故吏関係」
3◯  ■魏晋南北朝┃川勝義雄┃講談社学術文庫┃2003┃1974「出身地別の名士伝は2世紀末から、匈奴の支配部族はインド・ヨーロッパ系、烏桓と鮮卑はモンゴル族、宇文部は鮮卑の中の匈奴族、郡学という地方大学・鄭玄は小作人の大学者・知識層の厚さ、清議による三君や八俊はシャドー・キャビネット、五斗米道に先住民も数多く参加、個人の人格的主従関係・門生故吏の関係、李雄の大成国は五斗米道の国、劉氏の漢国・六夷に対する部落統領制・漢人に対する領戸制、北魏398年部落の解散・三長制と均田法、後漢まで古代・魏晋から中世とする京都学派、隋唐まで古代の東京派」
     ⇒ 川勝義雄(かわかつ・よしお)1922〜84。東洋史。 
3▽   中国の歴史05:中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝┃川本芳昭┃講談社┃2005「占田・課田制が豪族の大土地所有を規制、20万胡人虐殺・350年・高い鼻と髭の風貌の者をすべて殺害、552年淮南で野象数百が暴れる、山越は一見してわかるほど背が低い・中国中南部では非漢族が漢族と同等かより多い、畜蠱:虫を飼育し呪う巫術、北魏の孝文帝の出生の秘密・献文帝13歳と太后の子ども・レヴィレートの風習」    中国史のなかの諸民族┃川本芳昭┃山川出版社┃世界史リブレット┃2004「▽中国は多民族国家というが、比率で言うと日本とあまり変わらない気もする 北魏孝文帝は中国史上まれなほどの名君 万民平等の仏教ゆえに多民族国家の北魏で広まる 鮮卑文字の可能性、万葉がなのようなものか 宋の時代に科挙により絶対君主のもとに万民は平等となった 清ではべん髪とともに胡服も強制、狭袖 苗族の英雄張秀眉、1855-1872の反乱指導者」
     ⇒ 川本芳昭(かわもと・よしあき)1950〜。東アジア古代中世の民族問題、国際交流、政治史。 
3▽   中国の歴史06:絢爛たる世界帝国┃氣賀澤保規┃講談社┃2005「両税法の効果で憲宗の中興、唐は3/4で皇后不在、唐の女性:騎馬の風・素顔で街を闊歩・男装の女性・胡服スタイル、唐前半期の公主の30/100が再婚、自雨亭子:屋根から水が流れる噴水機能と扇風機が回る冷房の効いた建物、唐末の広州に胡人19万人、杜祐の通典に認められる時代が下るほど文明度が高まる史観」
     ⇒ 氣賀澤保規(けがさわ・やすのり)1943〜。東洋史学、魏晋南北朝から隋唐時代の政治社会文化史。 
3◯   大都長安┃室永芳三┃教育社歴史新書┃1982「唐朝300年の盛衰史。安史の乱以降、長安は商業都市として膨張」
     ⇒ 室永芳三(むろなが・よしぞう)1934〜。中国生まれ。東洋史学 
3#   南北朝時代:五胡十六国から隋の統一まで┃会田大輔┃中公新書┃2021「五胡十六国、独自年号を立てた勢力は31も  北魏、子貴母死、後継者決定後の生母を殺す  崔浩の誅殺、遊牧的風習記述のためではない、同時代史で国家政策に部分的批判を加えたため大逆不道と見なされた  劉裕、長安陥落後、引き返す、劉穆之の急逝のため  『後漢書』のなかで帝位の非正統な継承を企図した人物を批判した  『後漢書』の叙述や人物評価には、南朝の政治社会状況が反映されており、読む際には注意が必要である  雁臣:秋に洛陽に来て、春に北方へ帰る遊牧生活の部族民酋長  ▽爾朱栄が董卓っぽい、侯景は呂布、高歓が曹操、宇文泰が劉備  万_醜奴/ぼっきしゅうど  天柱大将軍  鮮卑族なのに馬も飼えないほど貧しい高歓  慕容紹宗、渦陽の戦いで侯景に大敗、落馬して負傷、持久戦で追い払う  西魏、八柱国、十二大将軍  梁武帝の寺院へ自身を布施して奴隷となる捨身、群臣が買い戻す手の込んだ喜捨  菩薩戒を受けた初めての皇帝は宋の明帝  捨身による喜捨は蕭子良の先例を踏まえたもの  『淮南子』より天柱大将軍、宇宙大将軍」
     ⇒ 会田大輔(あいだ・だいすけ)1981〜。中国史、南北朝隋唐史。 
3◯   五胡十六国:中国史上の民族大移動┃三崎良章┃東方書店┃2002「南匈奴90年に23.7万人・二世紀半ば50万人・三世紀半ば100万人以上、異民族統御官:護烏桓校尉・使匈奴中郎将・護羌校尉、314年前趙・漢族220万・五胡400万、後趙の全盛期人口は600万、前燕の人口は1000万、前涼の370年代人口100万超、前秦は2300万人に、南燕は兵力37万人口200万、後秦の最盛期は人口300万、西秦の390年頃人口100万に、北魏道武帝の頃は人口200万、十六国以外の勢力:320年関中の巴の句渠知の大秦・337年安定の侯子光・352年漢中で秦王となった張[王居]・374年成都で蜀王となった張育・394年に秦王となった竇沖・405-413年に蜀で成都王となった[言焦]縦・鮮卑の段部など、西晋の華北人口は860万」
     ⇒ 三崎良章(みさき・よしあき)1954〜。東アジア史。     中国古代の家族と国家┃守屋美都雄┃京都大学┃1968「商鞅の改革、高祖と豪族は比較できぬ、南人と北人の差、三族制の是非、家訓、桓譚の生没。論功行賞は戦闘終了すぐ、社の祭は自費で全員参加」
     ⇒ 守屋美都雄(もりや・みつお)1915〜66。東洋史。 
5△   漢代社会経済史研究┃宇都宮清吉┃弘文堂┃1955「時代区分、古代概論、経済、官僚の俸禄、蒼頭、僮約にみる荘園生活、家族思想、世説新語。洛陽の殺し屋は一人10万賃金数千、南陽は未開拓のフロンティア、上古下戸、7銭3穀など   馬4000-5500、牛2500-3000、羊900-1000、どれい10800、牛車2000、[車召]車10000   僮約のどれい15000、少年どれい7500、どれい15000-20000   あわ一石50-100   武陽と南安はケシナグサの産地、南安は柑橘   ◯僮約の産物   ムギ、アワ、豆、イモ   ウリ、ナスビ、ネギ、シソ、ニラ、ショウガ   牛馬ロバ、ガチョウ、カモ、アヒル   魚、亀、すっぽん   アサ、竹、クワ、ガマ、イ草、シュロ   ホウキ、サオ、カラサオ、ロクロナワ、ゴザ、ムシロ、ワラジ、ナワ、コモ、アサ布、ナワヒモ、  」
5△   中国古代中世史研究┃宇都宮清吉┃創文社┃1977「国人・人⇔民・野人、興=優雅に表現するため、観=世相を知る、群=集団の統一、怨=政治批判、劉邦が好き劉秀は嫌い、貧乏人も書館で学ぶ、建康は140⇒12万へ、北魏は胡300万漢族300万、顔子家訓、慈恩伝の成立」
     ⇒ 宇都宮清吉(うつのみや・きよよし)1905〜。東洋史、東洋中世史、漢代の生産形態と流通過程。 
4◯   魏晋南北朝社会の研究┃佐藤佑治┃八千代出版┃1998「県と基準が1/10に、六朝奴婢多し、里は自然集落、村=山に逃げた集落、郷主は戸籍管理、戸籍偽造、客は課役なし家籍に、東市は商人の朝市、中央は一般、西市は行商人の夕市 営業税と入市税。売買に書類、高洋の異形の市遊び」
     ⇒ 佐藤佑治(さとう・ゆうじ)1945〜。中世中国史、社会学、思想。     秦漢隋唐史の研究(上)┃濱口重國┃東京大学出版会┃1966「漢〜唐の軍制。漢と唐の徭役と刑罰。屯騎、長水、胡騎は乗馬、射声は弓術、虎賁は戦車。長水は烏桓。黎陽営、雍営、虎牙営の歴史。驍騎将軍と驍騎校尉と屯騎校尉、関都尉と函谷関都尉、捕虜斬首は10倍   屯騎、長水、胡騎は乗馬、歩兵は徒歩、射声は弓術、虎賁は戦車。長水は烏桓。黎陽営は千人、黎陽に定住し世襲、復徐多い、建武7設立。虎牙営と雍営は京兆虎牙都尉と右扶風都尉、建武15設立。建武9に驍騎将軍を校尉に、15に屯騎校尉に。建武19に函谷関都尉。捕虜と斬首は10倍報告。徴兵は20歳、前漢末から23歳に」    秦漢隋唐史の研究(下)┃濱口重國┃東京大学出版会┃1966「高歓は漢族ではない。後漢では太守は出身地を回避=三互法、部下はその郡県から抜擢、伝は県城に一つ、合計6乗を六乗伝、30里に駅一つ、北斉書は高歓は漢族でないことを指摘」
     ⇒ 濱口重國(はまぐち・しげくに)1901〜。東洋史。     中国民衆叛乱史1秦〜唐┃谷川道雄・森正夫,編┃平凡社┃東洋文庫┃1978「正史の民衆叛乱の翻訳。陳勝・呉広、緑林・赤眉、黄巾・五斗米、孫恩・慮循、大乗教、隋末群雄、唐末三乱。太平道・五斗米道の罪の告白、太平道は流民団」
2△  ■新書東洋史2中国の歴史2:世界帝国の形成┃谷川道雄┃講談社現代新書┃1977「少数民族の内包、中央と地方・政府と民間の一体化、邑:城壁あり、村:城壁なし、太平道・五斗米道は新しい共同体への宗教運動、王道の子孫とローマ法王」
2◯   唐の太宗┃谷川道雄┃人物往来社┃中国人物叢書〈第2期 第2〉┃1967「▽資料の改竄を全く疑わないのでよいのか? 突厥の撤退。公主か李世民か 八柱国、宇文泰、李虎、元欣、李弼、独孤信、趙貴、于謹、侯莫陳崇 慶善宮で母について涙する 天子の宮人に手をつけて挙兵 矢玉雨あられと降るなかで、身分が賤しいのどうのということは、問題ではない。勲賞を与えるのに差別があってはならぬ。 楊玄感は煬帝の行在所襲撃を計画したことがあった わたしが弓矢をとり、貴公が槊をもてば、百万の敵にも負けないね。 劉黒闥を倒したのは李建成 p152が推心置腹のエピソード 突厥の頡利可汗を捕縛 即位後の埋葬作業 蝗を飲み込む 司馬懿、司馬炎、陸機、王羲之の論評を書く 蘭亭序の強奪作戦を立て、人選したのは房玄齢 煬帝の文章は、いずれも教養の広さ、感情の深さを示し、読む人の心を打つ作品ばかり 太宗におべっかを使った宇文士及 劉黒闥征伐を進めた魏徴 突厥語の片言をしゃべったり遊牧民のまねをする承乾 承乾の太宗弑逆計画 太宗の心情につけこんだ李世勣 高句麗軍15万 営州で戦没者の遺骸を集め慰霊祭 すべてに積極的過ぎた人 気疾という持病、呼吸器系統、高温多湿や高所がだめ」
     ⇒ 谷川道雄(たにがわ・みちお)1925〜。中世中国史、東洋史。  
3◯   中国喫茶文化史┃布目潮風┃岩波現代文庫┃2001┃1989「西漢末の蜀に茶、唐代の[酉甫]は一種の演劇祭・漢代は3人以上の群酒」    つくられた暴君と名君:隋の煬帝と唐の太宗┃布目潮風┃清水新書┃1984「煬帝と太宗の類似点など」
6    東アジアの法と社会┃布目潮風博士古希記念論集┃汲古書院┃1990「先令券書、粉食、唐〜清まで。亭とは何か、長安の飲食店一覧、唐太宗の名医ぶり、もと病弱で持病の気病・気疾あり、李勣に薬を調合、部下に鍼灸する、宋の賃貸住宅、ベトナムの市」
3◯   隋唐帝国┃布目潮風・栗原益男┃講談社学術文庫┃1997┃1974「隋唐の概論」
     ⇒ 布目潮[シ風](ぬのめ・ちょうふう)1919〜2001。中国唐代史、中国喫茶文化史。 
2◯  ■安禄山と楊貴妃:安史の乱始末記┃藤善真澄┃清水新書┃1984「二聖と仰がれた安禄山と史思明、平家物語の義経:出っ歯で背が低く残忍で功名心にかられる、張守珪の足を洗った安禄山、盗は五女あるの門を過ぎらず、楊貴妃はインドネシア系?、楊銛は実の兄、玄宗を三郎と呼ぶ王皇后、武恵妃の陰謀で位を奪われた王皇后、道教経典を試験とした道挙、楊貴妃とともに殺されたチベット使節団」
2◯   安禄山:皇帝の座をうかがった男┃藤善真澄┃中公文庫┃2000┃1966「高力士は偽宦官、李林甫=李猫、長安観光ガイド、裁縫が得意な孫孝哲」
     ⇒ 藤善真澄(ふじよし・ますみ)1934〜。東洋史学。 
2〇   唐:東ユーラシアの大帝国┃森部豊┃中公新書┃2023「内藤:後漢の中頃まで上古、五胡十六国から中唐まで中古、宋から近世  唐の李氏に大野という姓  ▽歴史解釈における個別事象の一般化傾向  高祖李淵、関中十二軍の設置、李世民から軍事の主導権を奪い返そうとする。対立の元に  最後の梁師都の平定628年  ▽挙兵617年から11年  太宗は幾分コンプレックスをもった知識人タイプ。三田村  太宗による645年帰国した玄奘への支援  李世勣、一度左遷して李治が取り立てる。疑念を抱き唐の皇室に危機をもたらす  武后の立后に反対しなかった李勣  高宗の泰山封禅  妖僧薛懐義  仏教を利用、華厳教学と法蔵  阿倍仲麻呂、科挙進士科の合格には疑問も  徳宗の頃に最澄と空海  日本では最澄だが、唐では空海の方が有名  憲宗の時代、元和の中興  文宗に末年に円仁  宣宗、小太宗  広州城内に12万人のイスラーム世界の人々」
3#   安禄山:「安史の乱」を起こしたソグド人┃森部豊┃山川出版社┃世界史リブレット人┃2013「史思明の哀冊 安禄山の出生に赤い光の奇跡 ソクド商人のネットワークの盟主安禄山 幽州の人口の30%は非漢人 突厥の遺民を配下に組み込む 安禄山軍も唐朝軍もさまざまな種族からなる連合部隊 モンゴリアにおける突厥とウイグルの争いが北中国で再現した」
     ⇒ 森部豊(もりべ・ゆたか)1967〜。唐・五代史、東ユーラシア史。 
5#   中国古代の法と社会:栗原益男先生古希記念論集┃汲古書院┃1988「両漢を通じて公田と田租は同率、入り婿や後夫、逵市=大通りの市、遊女屋も市に、里内では禁酒、後秦の大営、東晋の白籍と黄籍、戸籍の偽造、富豪・衣冠・商人・百姓」
3◯  ■乱世の皇帝:後周世宗とその時代┃栗原益男┃桃源選書┃1968「五代の概論」
     ⇒ 栗原益男(くりはら・ますお)1918〜。史学。  
2    日本にとって中国とは何か┃礪波護,他┃講談社┃中国の歴史12┃2005「国民党の鄭州の堤防破壊は溺死者89万、コムギは秋に蒔き春に収穫・イネと反対、岡倉天心:支那に通性なし、酒の席の無礼講になったモンゴル族」
2◯  ■馮道:乱世の宰相┃礪波護┃中公文庫┃1988「安録山の乱から五代の終結までの概略。民のため君を見捨てる宰相の話」
     ⇒ 礪波護(となみ・まもる)1937〜。中国の政治・社会・宗教史。 
3〇   江南の発展:南宋まで┃丸橋充拓┃岩波新書┃シリーズ中国の歴史┃2020「第1章 「古典国制」の外縁―漢以前(長江流域の諸文化;「楚」の血脈 ほか)  第2章 「古典国制」の継承―六朝から隋唐へ(南からみる『三国志』;江南の「中華王朝」 ほか)  第3章 江南経済の起動―唐から宋へ(運河と海;文臣官僚の時代 ほか)  第4章 海上帝国への道―南宋(金・モンゴルとの対峙;江南の繁栄 ほか)  第5章 「雅」と「俗」のあいだ(俗―地域社会の姿;雅―士大夫のネットワーク)  船の世界と馬の世界  民の世界と官の世界  レガリア:九鼎  呉越の名剣:干将、莫耶、湛盧、純鉤、勝邪、魚腸  秦漢帝国の陰画、楚  戦国から続く東西対抗図式は前漢に入っても延長戦が続く。  ▽武帝で終了  六朝貴族が領主化を果たし得なかった  貴族の大土地所有に制限がきかず  ▽前後矛盾しているような?  鄂州の奇跡  南宋の商業発展と近代化の分岐、西洋との違い  中国伝統社会には家父長制が存在せず、国家権力が家の内部まで介入する専制的な国制  家、村、ギルドが固定的な枠組みを持たず  官僚制とエリート支配  民間社会の人つなぎの論理」
     ⇒ 丸橋充拓(まるはし・みつひろ)1969〜。中国隋唐史。     六朝江南地域史研究┃中村圭爾┃汲古書院┃汲古叢書┃2006「▽墓の話が多くほぼ史料集  建康は越王勾踐の時代に始まる」
     ⇒ 中村圭爾(なかむら・けいじ)1946〜。六朝。     唐代の国際関係┃石見清裕┃山川出版社┃世界史リブレット┃2009「涼王子孫である李重耳の子が李煕であるのは詐称、もともとの姓は大野氏 天子の死にはおのずから法というものがある。毒酒を用意いたせ。 煬帝の孫煬正道と蕭皇后は突厥に身を寄せて隋の亡命政権を立てた 玄武門の変。権力闘争説、貴族と新興地主の対決説、仏教道教の対立説、高祖と太宗の対決説 遣唐使 唐の後半はユーラシアの商業のネットワークの比重が内陸貿易から海上貿易へと移り変わる時代」
     ⇒ 石見清裕(いわみ・きよひろ)1951〜。中国隋唐史。 
5    東アジア古文書の史的研究┃唐代史研究会,編┃刀水書房┃1990「漢から唐まで。守法等十三篇、候吏、敦煌文書、チベットウイグル語資料。唐は官も個人の奴婢も公権力の管理下に、トルファンの戸籍」

●● 中国社会史:宋以降 ●● 
2◯   中国史にみる女性群像┃田村実造┃清水新書┃1990「四面楚歌・呉の謳・越の吟・劉邦が楚歌を歌い戚夫人が楚の舞い、虞姫・斉の官僚一家、漢書は生の資料が多く信憑性が高い、烏孫に嫁いだ武帝の兄江都王劉建の娘細君、三世紀頃から王昭君の話は悲劇に変化、則天武后の嵩山の封禅」
     ⇒ 田村実造(たむら・じつぞう)1904〜。東洋史。 
3◯   五代と宋の興亡┃周藤吉之・中嶋敏┃講談社学術文庫┃2004┃1974「宋太祖はみずから試験・科挙合格者は天子の門生に、江南人は文を好み進士が多く・華北は質を貴び経学が多い、党項の安価良質の青白塩の流入、四川は銅が少なく鉄が多い、中国最古の紙幣交子は四川に始まる、南宋は旧法党となり王安石を否定評価」
     ⇒ 周藤吉之(すどう・よしゆき)1907〜90。東洋史。 
4#  ■中国の城郭都市┃愛宕元┃中公新書┃1991「中国歴代の町と城の様子がわかる。野戦や攻城戦との関連」
     ⇒ 愛宕元(おたぎ・はじめ)1943〜。唐宋時代。 
3▽   主張する〈愚民〉たち:伝統中国の紛争と解決法┃大沢正昭,他┃角川書店┃1996「清明集の翻訳と解説、訴状の受付場所に詞訟牌、士人であるかは古典の教養で判定・士人は刑が軽くなる、檻の中でらんちき騒ぎする豪民・地域社会の権力者、"射射":女性犯罪者を射撃比べの勝者の商品の妻として与える刑、道路掃除という刑罰、釈迦とキリストとマホメットを一緒に祀る道観、竹内好:日本人の喧嘩は手が早い・中国人は手を出さず口論を続ける、釈迦誕生日の4月8日に奴隷市場、伊地知栄治:バクチのイカサマは一人で生きている流れ者がする、中国に村落共同体なし・紛争の解決は村落内部でなくお上のお裁きを待つ」
     ⇒ 大沢正昭(おおさわ・まさあき)1948〜。。 
2◯   王安石:北宋の孤高の改革者┃小林義廣┃山川出版社┃世界史リブレット人┃2013「万緑叢中紅一点。一面の緑のなかに一つの赤い石榴の花が咲いている。王安石 二人の弟も新法 反対派 22歳で科挙4位合格 剛直で頑固 兵力126万人、国家収入の六、七割が軍隊の支出に 民衆の与論に従うばかりの政治なら君主も官僚も必要ない 欧陽脩の皇帝機関説的論 死後、孔子廟で顔回と孟子に次ぐ位置に列せられるも北宋滅亡後、格下げ 朱子学からもっとも嫌われる」
     ⇒ 小林義廣(こばやし・よしひろ)1950〜。中国宋代史、宗族。     モンゴルに拉致された中国皇帝:明英宗の数奇なる運命┃川越泰博┃研文出版┃2004「明から皇帝一人に元号一つ 明以降は皇帝を元号で呼ぶことも ★戦略にとって、最も単純な最高の法則は、将帥が彼の兵力を集結しておくことである。クラウゼヴィッツ 徹夜、夜通し=夜不収 モンゴル軍を防いで勇戦するも戦死した呉克忠と薜綬はモンゴル人 朱能は身の丈八尺(約2m57cm) ▽それは変 ▽日本語の変なものが多い。校正が仕事をしていない エセン率いるモンゴル軍は三万人 于謙の南遷論の封鎖。救国の英雄的行為と賞賛するのはきわめて皮相な見方 ▽于謙の評価は低め、この本では印象が悪い」
     ⇒ 川越泰博(かわごえ・やすひろ)1946〜。史学、明。     朱子と王陽明:新儒学と大学の理念┃間野潜龍┃清水新書┃1984「内藤湖南:両税法の価値とは所有の自由・居住の自由を認めたもの、韓愈の論仏骨表、朱子社倉法、朱子:性は気によって乱されているので人欲を去って天理そのものになることが人間の課題・学問により理を知らねばならない、王陽明の龍場の一悟・五経臆説」
     ⇒ 間野潜龍(まの・せんりゅう)1923〜。東洋史、明。 
2☆   王朝の都 豊饒の街:図説中国文化百華007┃伊原弘┃農文協┃2006「清明上河図を中心に宋の都市を見る、詩経の定之方中の中野美代子訳、ペガサスの中に定星が来たとき日陰をすくって楚に宮殿をつくる」    宋代中国を旅する┃伊原弘┃NTT出版┃1995「円仁、成尋、浮き橋、景観など」    中国人の都市と空間┃伊原弘┃原書房┃1993
3☆   中国開封の生活と歳時:描かれた宋代の都市生活┃伊原弘┃山川出版社┃1991「張択端の清明上河図、孟元老の東京夢華録より」
3☆  ■中国中世都市紀行:宋代の都市と都市生活┃伊原弘┃中公新書┃1988「孟昶の芙蓉城、街路からは壁しか見えない、宋は帝国でなく王朝」
     ⇒ 伊原弘(いはら・ひろし)1944〜。中国史、宋代の研究。 
3◯▽ ■モンゴルと大明帝国┃愛宕松男、寺田隆信┃講談社学術文庫┃1998┃1974「五代の遼から解説 チンギス・カーン、滅国四十 郷村自衛団から義軍そして漢人世侯に アラブ人に蒲姓が多い、Abuの音写 鎌倉幕府は元朝国書の「兵を用いるにいたるは、それ孰か好む所ならん」を非礼とし拒絶 元朝の勅令は俗語で書かれていた 県の総数は漢代以来約1200前後を上下 ▽経済政策に詳しい 元の税制:江北に租庸調・江南に両税法、 紙幣である中統鈔の成功 好投拝戸:自発的に投降した者、不投拝戸:やむをえず投降した者の強い差別 元朝もっとも賢と称された仁宗 白蓮教主韓山童、韓林児の反乱、紅巾の賊 紅巾軍は内モンゴルから高麗まで逃げて流賊化 白蓮教は東晋の慧遠の白蓮社より 六人兄弟の朱元璋、長兄が死去、五人は離散して生涯再会することがなかった 朱元璋の建国の功臣二十四人の大半は地主や地方有力者 丈量と編審 魚鱗図冊、賦役黄冊、里甲制 明治の教育勅語の原型は朱元璋の六諭 皇帝と政務を処理するとき大臣は漢唐では椅子に、宋では立って、明ではひざまずく 燕賊簒位 そんなにおえらいお方が、こんなみすぼらしい家においでになるご用などあるはずがございません。なにかのおまちがいではありませんか。道衍 スマトラより西が西洋 鄭和がキリンを連れて帰る 帝の身長はどちらかといえば寧ろ低い方。髭は多からず少なからず、ただ顎より垂れたる二三百根の髯は甚だ長く伸び、腹の上へ来て溜って、三四個の渦を巻く。 朝貢貿易はもとでの五六倍の利益 足利時代に地獄の沙汰も金次第ということわざが生まれる 太祖は宦官を政治に介入させず 仁宗洪煕帝は期待されるも体が弱く急死 宣宗宣徳帝は評判の名君 とう茂七の乱、鉱賊、数十万に 孝宗は明朝中興の英主 武宗と陽明学 聖人の道は我が心のうちに完全にそなわっている。これまで理を事々物々に求めてきたのはまぢかいであった。王陽明 王陽明は新中国でも評判が悪い 真倭は二三にして、偽倭は七八なり 日本は銅銭を欲しがり中国は銀貨を欲しがった 世宗は革新に燃えたがさしたる治績なし 穆宗は北辺に平和をもたらす 神宗と名宰相張居正の財政再建 太祖ヌルハチは大砲砲弾の破片による傷がもとで生命を失った 銀経済の普及 一条鞭法 客商、土商、坐賈 第二回目の中国ルネッサンス、一回目は宋代 李卓吾、イスラム教徒、陽明学左派 技術的なものへの関心は陽明学によって開かれた 魏忠賢、九千歳 ヌルハチは女真人の間で文殊菩薩の化身と信じられた。満州は文殊より 熊廷弼と袁崇煥が女真を防ぐ 牛金星が李巌を殺す」
     ⇒ 愛宕松男(おたぎ・まつお)1912〜2004。東洋史学。     「三国志」の迷宮:儒教への反抗有徳の仮面┃山口久和┃文春新書┃1999「」
     ⇒ 山口久和(やまぐち・ひさかず)1948〜。中国哲学史、清朝を中心とする中国近世思想史・文化史。 
2◯◎ ■伝統中国の完成┃岩見宏+谷口規矩雄┃講談社現代新書┃新書東洋史4┃1977「元末からアヘン戦争直前まで 左よも右を尚しとするモンゴル風を改め、左を尚しとすることに定める 移民開墾政策、救荒植物の指示、綿花の栽培、水利事業の推進、堤防改修 この王に白い帽子をのせよう。道衍 北京と江南を結ぶ大運河の完成。1411年永楽9 永楽帝の遠征はそれほど讃えられるべきものではなかった とう茂七の乱の画期的意義。小作騒動の延長、銀経済への転換 聖人の道は、わが心のうちに完全にそなわっている。これまで理を事々物物に求めてきたのは誤りであった。王陽明 買官で出世して才能を発揮した李衛 治安上の盲点、三不干、三つの行政区画が接する場所」
     ⇒ 岩見宏(いわみ・ひろし)1924〜。中国近世史。  
3    鄭和の南海大遠征:永楽帝の世界秩序再,編┃宮崎正勝┃中公新書┃1997
     ⇒ 宮崎正勝(みやざき・まさかつ)1942〜。史学。 
2◯  ■独裁君主の登場 宋の太祖と太宗┃竺沙雅章┃清水新書┃1984「朱全忠の善政・民衆を大切にした、後唐の明帝の願い・早く聖人を・趙匡胤がその人、五代は河南・河北・山西の抗争、湖南は開封に茶の販売店を置いた、趙匡胤:色が黒く猪に似る・酒豪・神経質・お忍びの外出・頻出する不安で眠れないという台詞、金匱預盟は創作、太祖の十兄弟って誰よ、太宗が一年で読み終えたから太平御覧、太宗は酒を飲まない、太宗:些細な案件でも自分で処理・小さな仕事はしないは嘘、太宗:太祖郭威は詐欺師・後唐荘宗は遊びすぎ・唐末の皇帝は深宮に籠もったのが駄目・李世民は宣伝してから行って記録された・虚名を好む皇帝、頻出する老子の言葉」
2◯◎ ■征服王朝の時代┃竺沙雅章┃講談社現代新書┃新書東洋史3中国の歴史3┃1977「安史の乱から 河北三鎮では安禄山と史思明は聖人としてあがめられ続けた ▽二人の死因は偽造ではないか? 黄河以北の四鎮では廃仏を拒絶、禅仏教が隆盛 780年から両税法 茶にも税金をかけたため茶賊が横行 荊南国の江陵には当代最大の茶市があり、中原の商人がここに集まって茶を買い求めた。のちに後周の世宗となった柴栄も若いころ豪商に連れられて、ここにやって来てで茶を商ったと伝える。 南越地域に南晋国 宋代には開封は百万の大都会に いつも清流と自慢しているから、黄河にほうりこんで濁流にしよう。 農民生活の安定につとめた朱全忠 自分は30年のあいだ皇帝をやりたい。はじめの10年で天下を統一し、つぎの10年で民生を安定させ、おわりの10年で太平を致すのだ。世宗 むかしの人は、年30になってやっと立って歩けたのだね。論語の講義を聞いたある節度使 文盲だった明宗 馮道を評価した王安石、否定した司馬光 科挙合格者。太祖の頃は平均9人、太宗の頃は平均50人 太宗は二度、遼に親征するも大敗、太宗自身も負傷 四川では宋初から鉄銭が流通 宋では夜行の禁なし。大通りに門をつくるのも自由に 人口が流動し、流罪が無意味に 南人官僚を採用しない北宋の方針 范仲淹、宋代第一の名臣、士大夫の模範 宋代は募兵制、兵卒が老弱でも止めさせられない、失業者対策の生活保証 官吏の数。真宗1万、仁宗2万余、英宗2.4万 江南の地方官を歴任して水利事業や貧農救済事業で大きな成果を上げた王安石:均輸法、青苗法、市易法、募役法、保甲法、保馬法、重禄法、河倉法 蘇東坡を批判した王安石、美しい文章は無用 神宗と王安石と新法、哲宗の即位とともに新法廃止、哲宗の親政とともに新法復活、徽宗即位で廃止、徽宗親政で新法復活も自分の遊興費に充てる、花石綱 金の助力で燕京を奪還 張邦昌の楚国 金に通じた秦檜 劉豫の斉国 金の新道教。真大道教、太乙教、全真教 南宋の臨安杭州は百万人をゆうに越えた 賈似道の公田法 全真教が雑劇を布教に利用し雑劇が広まる」
     ⇒ 竺沙雅章(ちくさ・まさあき)1930〜。中国近世史、東洋史、宋。 
3△  ■宦官:側近政治の構造┃三田村泰助┃中公文庫┃1983┃1963「  ▽解釈がおおざっぱな気が...」
     ⇒ 三田村泰助(みたむら・たいすけ)1909〜89。清朝史、東洋史。    ■太平天国┃増井経夫┃岩波新書┃1951「洪秀全は大塩平八郎の養子格之助説 太平天国を明の復興と理解した キリスト教というより孔子儒教に対する反発 洪秀全はキリストの弟 翼王石達開は武勇の人で民間で関羽に匹敵する人気 東王楊秀清は軍令厳整賞罰分明 北王韋昌輝 忠王李秀成は兵卒に人気あり 黒旗将軍劉永福 我が子よ、お前は下界で身体が汚れている。お母さんが河で清めて上げるから、それからいって天父さまにお目にかかりなさい いや妖魔は下界ばかりではない。この天国三十三天にもいりこんでいる」
3◯   大清帝国┃増井経夫┃講談社学術文庫┃2002┃1974「清代の概論。白蓮教、広東十三行、アヘン戦争、太平天国、銀の流通、学術と文芸が詳細。軟玉=瑪瑙、硬玉=翡翠」
     ⇒ 増井経夫(ますい・つねお)1907〜95。清代史。     康煕帝伝┃ブーヴェ┃末雄後藤┃平凡社┃東洋文庫┃1970┃1697「康煕とは平和の意味 弓は左右利き 土木事業を好まない 康煕帝は宮中で育ったのではない、北京の堅実な庶民の生活の中で育った 整った立派な顔立ち オルガンやチェンバロを製造させて演奏させる、西洋音楽を愛好した 釣りや漁、狩猟も好む」
     ⇒ ブーヴェ(Joachim Bouvet、白普)1656〜。フランス、イエズス会士。 
_   ■項羽と劉邦┃長与善郎┃岩波文庫┃1954「」
2◯   大帝康煕:支那統治の要道┃長與善郎┃岩波新書┃1938「明が朝鮮に出した救援軍の費用は二年間の予算に相当 天下を安んじ、生民業を楽しみ、共に泰平の福を享くることを願ふのみ。 ▽外国人がどうやって漢族を支配するかの例としての本 17,8歳のとき読書のし過ぎで血を吐く 哲学をまで熱心に研究し、余の疲労を覚えざるは、その楽しめるが故のみ。 40歳のときマラリアにかかりキニーネで回復 キリスト教が流行らなかったのは中国の一夫多妻制度のため ガルダンの戦いで皇帝自ら十万の軍を率いて遠征 57歳で初めて白髪が 云ふまでもなく、喇嘛教は低級なる婆羅門教の迷信と混合したる佛教の最下等な偶像崇拝宗である。 謙遜家ではない ネロはセネカの弟子 背は普通より高い。恰幅がよい。顔に痘痕あり。額大きく、口は立派 純粋に学問に興味を持っていた この一書がもし、今日支那に日本が進出し、工作する上の一参考ともなることがあれば、誠に本懐である。」
     ⇒ 長與善郎(ながよ・よしろう)1888〜1961。作家、劇作家、評論家。 
2◯   康煕帝┃間野潜龍┃人物往来社┃中国人物叢書〈第2期 10〉┃1967「ルイ14世は17世紀ヨーロッパを代表する象徴、世界の太陽王 全国家が自分にあり、全人民の意志は自分の意志のなかにある。ルイ14世 愛妾陳円円が取られたことを知り呉三桂は態度を変更 ねずみ色の毛皮の服をつけた、やせて背の高いドルゴンの姿 陳円円を殺そうとした李自成、結局解放し、陳円円は呉三桂と再会 学問を好み書と絵に巧みな順治帝 p90から康煕帝が登場 ただ天下が平和になって、人々が生業にはげみ、ともに太平の福をうけることを願うだけです。康煕帝八歳 専横にふるまうオバイを、集めて練習させた力士に取り囲ませて投獄 北京を陥落させ明の最後の王を殺した呉三桂が明の仇討ちを掲げて挙兵 八年間、十省に広がった三藩の乱 幼帝として即位して後に実権を握った康煕帝、ルイ十四世、ピョートル大帝 一介のラマ修行僧ガルダン、蒙古からチベットにかけてのラマ教によるジュンガル帝国の建設を目指すも康煕帝に破れ服毒自殺 天下の人民はすべてみな朕の赤子である。その中でも最も気にかかるものに三種の人がある。一つは読書の寒士、一つは飢寒の窮民、一つは無知で法を犯す人である。 財政窮乏のため売官、1677年から三年間 黄河の堤防工事の視察 及讀大易,觀象玩占于数實,覺義理理悦心,故樂此不疲 大易を読むに及んでは観象玩占し、実際に義理が心を悦ばせることを知った。ゆえにこれを楽しんでいるのであるから、少しも疲れない ▽光武帝のコピー 熊賜履、オバイを弾劾、オバイに処罰を求められるが康煕帝が保護 40歳のときマラリアにかかるもキニーネにより快癒 三度以上、仏教の聖山五台山に登る 酒も飲まず煙草は一番嫌い」
     ⇒ 間野潜龍(まの・せんりゅう)1923〜。東洋史学。    ■大清帝国への道┃石橋崇雄┃講談社学術文庫┃2011┃2000「餃子とヌルハチ伝説 華夷一家 現在も満州語を使う人たち。新彊ウイグルの錫伯族。錫伯語と錫伯文字 ▽一度滅んだ王朝の再興は後漢より金⇒清の方が凄い ホン=タイジ。本名すら不詳 呉三桂と陳円円 ★頭を留めんとすれば髪を留めず。髪を留めんとすれば頭を留めず。 ドルゴンとフリン順治帝 ドルゴンが兄ホン=タイジの正皇后であった孝荘文皇太后を妻にしたと。孝荘文皇太后はあろうことか順治帝の生母である。……北アジア世界の伝統的慣習では女性は重要な財産とみなされており、兄の死後に弟が娶ることはごく普通に行われることだったのだから。しかし中華世界の倫理観からは決して許されない忌むべき行為である。 文科挙、武科挙、繙訳科挙 ネルチンスク条約、唯一の勝利した条約 キリスト教の布教、日本は30年で25万人、中国は27年で2500人 ▽なぜ中国で広まらなかったか?太平天国は? 皇太子の密建制度 長寿もまた君主の天分 中国史上、最大の私財をたくわえた怪物。和_、ホシエン 乾隆帝漢人説 溥儀が死の直前に望んだ食べ物は日本のインスタントラーメン」
     ⇒ 石橋崇雄(いしばし・たかお)1951〜。中国清朝史。 
2◯   物語 中国の歴史┃寺田隆信┃中公新書┃1997「囲碁・17道から19道のなったのは南北朝、樗蒲:賽子と馬・盤は長方形・120の升目・40ずつ三分・馬は20個・各自4個ずつ・5色で5人まで参加可能・賽子は五個・五木と呼ぶ・二面体白黒・賽子の目だけ馬を動かし盤の端から向かいの端まで移動させれば勝ち、伊達政宗の独眼竜・頼山楊の李克用についての漢詩より、清の康煕帝・明の一日分の宮廷費が清の一年分、盛世滋生の人丁・1711年2460万人・60年後2億500万・100年後3億突破、暗愚な皇帝を出さない太子密建の法、怪=時流に妥協しない個性の強い人物、賽先生=サイエンスと徳先生=デモクラシー」
2◯▽ ■中国の大航海者 鄭和┃寺田隆信┃清水新書┃1984「駱駝一頭の荷物は300kg・30頭のキャラバンで9t、商船一隻の荷物は6000-7000t、8世紀末の広州の西アジア人は数十万人・年に40隻が往来、南宋初期の貿易収入は歳入の1/20、宋銭は世界の通貨、海上貿易は陶磁器の道、明太祖・建国から末年までに耕地面積が5倍に、足利時代の諺・地獄の沙汰も金次第、イスラム教徒が10人集まれば9人が馬姓、鄭和は身長180cm腰回り1mの巨漢、宝船は船長150m・幅62m、鄭和の4次5次以降キリンが続々と到来、貿易が主要目的、西洋取宝船、鄭和は日本来訪し足利義満と会見したという説も、インド洋はアラビア人の航海法で、アラビア式観測器カマール・牽星板」
2◯▽  永楽帝┃寺田隆信┃中公文庫┃1997┃1966「項羽の再来・陳友諒、賦役黄冊/国勢調査・里甲制・魚鱗図冊・里老人制・教民榜文/教育勅語、怪僧・道衍、飛竜が天にのぼるときは風雨がともなう、政府軍の勇将・平安と瞿能、知将・鉄鉉の済南の防衛、永楽帝は樺太にも派兵、背はやや低い・髭が長い、一説に鄭和は足利義満と面会、永楽帝の対外遠征で国力は衰退せず・財政破綻なし」
     ⇒ 寺田隆信(てらだ・たかのぶ)1931〜。東洋史、明。 
3△   皇帝政治と中国┃梅原郁┃白帝社┃2003「太祖は廟号・お位牌の文字、歴代帝王図巻は唐でなく北宋中期楊褒の模作、唐太宗の凌煙閣の24人の功臣図、始皇帝は偉丈夫、前漢の陵墓の顔かたちは全体に四角く切れ長の目・秦の人は顔が三角で大きめの目、ローマ帝国のイギリスのハドリニアス・ウォールという長城、始皇帝は1日10斤=6キロの簡牘の決済がノルマ・雍正帝並み、漢代:官・郷・亭、県の役所:県令と県尉・有秩・令史・薔夫・尉史・官佐と獄吏・牢監、農村部:有秩・薔夫・佐・亭長、廉とはかどめのないきっかりとがった性行・法官吏向き、孝は儒家向き、諸生には儒教の章句・文吏に行政文書類の牋奏で試験、易は焚書から外れる、王莽:ギョロリとした赤い目・大きな口・短いあご・動物的な大きな声・雲母の扇子で顔を隠す・妙な服装を好む、後漢王朝は前漢を矮小化したコピー、光武帝が頭が上がらなかった馬皇后 ⇒それは明帝やろ!、杖で官吏を殴打した皇帝・隋の楊堅・明の朱元璋、中国近世は胥吏で理解・同じ役所で一生を過ごす・官は換えて吏は換えず・県に100人州に300人・手数料という賄賂を取る、康煕帝は15人力の弓をひく・虎を135頭・狼を96匹倒す・酒タバコ女性に興味なし・朱子学を教えを一途に実行、雍正帝・君たるは難し・朝4時起床0時就寝・赤ペン皇帝・皇太子密建の法」
     ⇒ 梅原郁(うめはら・かおる)1934〜。中国宋代史、法制・制度史。 
2◯   朱元璋┃谷口規矩雄┃人物往来社┃中国人物叢書〈9〉┃1966「漢文の読めない皇帝に、漢文の読めないものが総裁になり、漢文で書かれた書物を編纂して献じたのである。 劉福通は開封を占領 大都に迫った毛貴、屯田など統治にも成功したが暗殺される 父は朱世珍 貧民というより流民 徐達、湯和と往来するようになったのは皇覚寺に戻った21歳頃 よほど醜男だったのだろう 腹心の24人衆:徐達、湯和、?良、?驕A花雲、陳コ、顧時、費聚、耿再成、耿炳文、唐勝宗、陸仲亨、華雲龍、鄭遇春、郭興、郭英、胡海、張龍、陳桓、謝成、李新材、張赫、周?、周コ興 朱元璋の養子、義男児、20余人 ▽劉基、李善長の意見より朱元璋の意見が正しいことが多い 項羽の再来と言われた陳友諒 知謀をもって聞こえた張士誠の弟張士徳 六王:徐達、常遇春、ケ愈、沐英、湯和、李文忠 1391年人口5677万人、元の最盛期は5000万人に届かず 秦の始皇帝は書物を焚いて天下を愚にしようとしたが、明の太祖は学問を奨励して天下を愚にした。 国初の勅令はほとんど宋濂が草した 拷問のための毒薬琵琶 朱元璋の寝台は皇帝の金竜の飾りをのぞくと一般家庭と変わらず 朱元璋の食事は馬皇后が自ら作った 馬皇后は文盲だったが字を知る女官から学ぶ読み書きでき故事に通じるようになった 朱元璋も戦いのひまに詩文も学び故事にも通じるようになった。メモ用紙を手放さず、衣服に綴じつけた 毎日平均200の報告書を読み、400件の案件を処理した」
     ⇒ 谷口規矩雄(たにぐち・きくお)1935〜。東洋史学。 
3◯   天下と天朝の中国史┃檀上寛┃岩波新書┃2016「中国のGDPは日本の二倍以上 狭義の天下は秦の領土、広義の天下は五夷も含む 皇帝は国内向け、天子は国外向け 天子は天が有徳者に任命するが、皇帝は世襲。矛盾がある 五胡十六国の随一の名君苻堅、六合一家 「漢の倭の奴の国王」、正しい読み方は「漢の倭奴国の王」 金印と王爵のみ授与し官位はなし 長い中国の歴史の中で、南から興って統一王朝になったのは、後にも先にも明だけである。 朱元璋の恐怖政治、江南出身者の癒着を絶つ 1372年にモンゴリアを急襲して大敗 清朝転覆をねらう曾静事件、死罪を免れる、雍正帝の尋問に屈服して誤りを認める、雍正帝の十大罪は論破、裁判記録『大義覚迷録』として出版される 乾隆帝は即位後直後に曾静を処刑、『大義覚迷録』も発禁に 費孝通の中華民族多元一体構造論 習近平の新型の大国関係、太平洋の勢力圏分割」
3◎▽  永楽帝:華夷秩序の完成┃檀上寛┃講談社学術文庫┃2012┃1997「即位時に一万人を粛清 治世に十万人を殺した朱元璋 金と南宋は君臣関係と規定された 元末の疫病はペストか。同時期のヨーロッパにペストが大流行し3500万人が病死 不満はやがて信仰に転化され、弥勒仏による衆生救済を説く非合法の白蓮教が、急速に教勢を拡大していく。 紅巾の乱 徐達。永楽帝の妻の父 科挙の受験を学校の学生に限定。それ以外の者は受験禁止。士は一つの身分となり出仕のための資格に 民戸、匠戸、軍戸など。職業は世襲で他の戸籍に移ることはできない 倭冦に張士誠や方国珍の残党が合流 ▽永楽帝登場はp75から 孝慈皇后は実子なし。永楽帝の母は碩妃。元の順帝が父説は嘘 王の危険を述べた葉伯巨は獄死 朱元璋が燕王を後継者にしようとして劉三吾に相談したのは事実 燕王は「賢明仁厚」で「英武」の誉れが高く、諸子のなかではもっとも自分に似ている。彼を新たに皇太子として立てては如何なものか。 斉泰と黄子澄の削藩 劉基は今孔明と呼ばれた 方孝儒、湘東学派の理念の改革、周礼にならった官制改革、民衆の負担を減らし牧歌的憧憬の対象として理想化された 朱元璋の死に燕王は軍隊を率いて上京、単騎での入城が許可されたが、引き返した 燕王来朝の伝説 挙兵時の暴風雨を龍の吉兆に読み変えた道衍 わずか800名の手勢での挙兵 燕王の書状を読んで斉泰と黄子澄をいったん解任 燕王自身いく度となく敗北を味わう 黒こげの皇后の死体は見つかるも建文帝の死体は見つからず 太祖は臨終にあたって一つの筐を残し、大難にあえば開けてみよと遺言したとのこと。さっそく取り出してみると、なかに度牒(僧の身分証)や袈裟、草鞋、僧帽のほか、わずかの路銀が入っている。髪を剃った建文帝はこれらを身につけ、神楽観の道士の手引きのもと、数名の伴の者に守られて南京城を去ったという。 建文帝は蘇州穹窿山の皇駕庵に身を隠し、永楽21年、1423に死亡した。徐作生 豊臣秀頼の薩摩落ち 建文時代の上奏文のうち軍事と経済関係以外をすべて焼却。官僚を安心させるため 息子の鼻と耳を削いで父に食わせる 奸臣の親族女性の悲劇、永楽帝の嗜虐性 方孝儒には朋友門生を加えた十族を処罰 唐太宗の帝範、永楽帝の聖学心法 太祖の錦衣衛、永楽帝の東廠 義満、日明貿易の利潤、日本国王として冊封を受ける、屈辱外交ではない 永楽帝は義満に恭献王の諡号をあたえる ブルネイやマラッカ、スールー等の国王は、一族郎党臣属数百人をひきいて来朝し、紫禁城で永楽帝に謁見した。 賢明な宣徳帝 タタルのブンヤシリ 五回の北方遠征も三回目以降は戦闘なし 洪武五年のトラ河畔の大敗北以来、専守防衛に変化 北京はこの先、中国が中国である限り、永遠に天子の都でありつづけるに違いない。 永楽帝による北京と紫禁城 永楽帝は病弱、癲癇症 永楽六年以降たびたび朝鮮に美女の献上を求める あんたが役立たずだから、若い宦官とできたんじゃないの。どこが悪いというのさ。朝鮮王朝世宗実録甲辰十月戊午 2800年の連座を出した魚呂の乱 遠征を諫めた夏原吉を投獄して財産没収、後に解放復権? 洪煕帝の南京遷都 江戸時代の鎖国は明の海禁の焼き直し 華夷一家は永楽帝の造語」
2◯   明の太祖朱元璋┃檀上寛┃白帝社┃中国歴史人物選┃1994「蓋し明の太祖は、一人で聖賢と豪傑と盗賊の性格をかね備えていた。趙翼 清の順治帝と康煕帝は洪武帝を最高評価 貧農一家というよりむしろ流民 親分肌で皇帝ごっこも 天下の体計を述べたふう国用 人材を集めた李善長 先生として尊ばれた秦従竜 謀略家の劉基 学者肌で制度を立案した宋れん 地方官として活躍する章いつと葉しん 四川に大夏国を立て善政をひいた明玉珍 猪突猛進で殺戮の多い常遇春 沈着冷静で恩義に厚い徐達 十年で耕地を二倍にさらに十年で五倍に わい西集団としょう東集団の対立 皇后の鑑。唐太宗の文徳皇后 天下の母を自認した馬皇后 リンチの語源は凌遅より」
     ⇒ 檀上寛(だんじょう・ひろし)1950〜。中国近世史。     魏源と林則徐:清末開明官僚の行政と思想┃大谷敏夫┃山川出版社┃世界史リブレット人┃2015「魏源『海国図志』 事は必ず心にもとづくものであり、善く心を言う者は必ず事を験す。魏源の学篇 黄河の北流を予言。1855年に北流に」
     ⇒ 大谷敏夫(おおたに・としお)1932〜。清代政治思想史。     <軍>の中国史┃澁谷由里┃講談社現代新書┃2017「中国には国軍がない 後漢では地方軍備を豪民にゆだねた ▽これは後漢末の現象ではないか 曹操の兵農分離政策 ▽光武帝の時点のはず、後漢にも世襲の兵戸、黎陽営や虎牙営があった ▽後漢が兵農一致と言えるかはかなり疑問 北宋仁宗時代は80数万の兵力 ▽アヘン戦争以降の軍事史が中心 中国は私兵が国軍のかわりをはたす歴史を持つ」
     ⇒ 澁谷由里(しぶたに・ゆり)中国近現代史。     明末の文人 李卓吾┃劉岸偉┃中公新書┃1994「後期倭寇の大半は中国人、略奪や密売買から中継貿易に移行、明太祖:ひときれの板も海に浮かべてはならぬ、朝貢:国内の費用はすべて中国もち・相当な見返りの商品・関税も免除、中国の物産を異国へ運び品物を仕入れると利益は十倍、道における孔子と老子の違いは南北の米と黍の違い、モンテーニュ:絶えず死を想い死になれ親しむことで死を越えよ、道・天・心・性・命のこれら諸概念は同じ内容、60年代の中国の大衆哲学キャンペーン・私欲と戦う・闘私」
     ⇒ 劉岸偉(りゅう・がんい)1957〜。比較文学、比較文化。 
2◯   李自成:駅卒から紫禁城の主へ┃佐藤文俊┃山川出版社┃世界史リブレット人┃2015「最初の李自成集団、李過、劉宗敏、田見秀 羅汝才、綽名は曹操 1635年1月の13家72営の流賊首脳の大会、けい陽 明季の良将第一、曹文詔 楊嗣昌の机上の空論 闖王、高迎祥 騎兵の精兵一人に二十人の補佐、馬を家とする 捕らえた技術者は逃亡できないように刺青や髪切り耳を裂く 矢を受けて左目を失明 牛金星、李岩、宋献策 1643年1月襄陽で老府奉天倡義文武大将軍となり政権樹立 1644年1月西安で大順皇帝に即位 崇禎帝、賊が自分の屍を裂くにまかせるが、百姓一人も傷つけないでほしい p63に1643年1-3月に李自成が羅汝才を殺害 p86に1644年4月30日に李自成に続いて羅汝才が北京を出発 ▽羅汝才はどうして生き返ったのか? 5月、明の弘光帝が即位し南明、清呉三桂、大順、大西の張献忠の四国対立 トド、アジゲ 李自成は自らを西夏のタングート族の李継遷の末裔とした 牛金星は余生を全うした」
     ⇒ 佐藤文俊(さとう・ふみとし)1938〜。中国明清政治社会史。 

●● 中国近現代史 ●● 
_   ■奉天三十年(上)┃クリスティー┃矢内原忠雄┃岩波新書┃1938┃1914「原題:Thirty Years in Moukden 1883-1913」
_   ■奉天三十年(下)┃クリスティー┃矢内原忠雄┃岩波新書┃1938┃1914「」
     ⇒ デュガルド・クリスティー(Dugald Christie)1858〜1927。スコットランドの伝道医師。 
_   ■競雄女侠伝:中国女性革命詩人秋瑾の生涯┃永田圭介┃編集工房ノア┃2004「纏足を放足にも大きな苦痛、風蕭蕭として易水寒し壮士一たび去ってまた還らず、伯父から武芸も学ぶ、飛向花間両シ翔」
     ⇒ 永田圭介(ながた・けいすけ)1935〜。建築学。 
3#△  台湾海峡一九四九┃龍應台┃天野健太郎┃白水社┃2012┃2009「成龍の本名は陳港生 1948年3月15日〜10月19日、長春の包囲戦。餓死者が10万〜65万人、 蒋介石は57年間日記をつけていた 君が代が楚辞に似る 1942年台湾の1000人の募兵に42万人の応募、2回目は60万人に 高砂義勇軍。1974年本尼育唔。中村輝夫。摩洛泰島 父が子どもに教える技術。靴ひもの結び方、ネクタイの結び方、髭剃り」
     ⇒ 龍應台(りゅう・おうたい)1952〜。作家。 
2★#  「南京事件」の探究┃北村稔┃文春新書┃2001「侵攻⇒進出の誤報より、ティンパーリーは国民党中央宣伝部顧問、ティンパーリーとスマイスの背後に国民党宣伝処、曲線的宣伝手法、ルーデンドルフ元帥:ドイツはロイテルに負けた、虐殺でなく無秩序、日本軍が安全区外住民に米を供給、計画的で6、7週間続いたとはいえない、大量の中国人兵士の処刑は弁護できない、郭岐の作り話・明らかに高度な中国語による会話、南京市街の放火は国民党軍の清野戦術、30万は根拠希薄、中国人の愛国虚言」
     ⇒ 北村稔(きたむら・みのる)1948〜。中国近現代史、法学、史学。 
3▽#  中国革命を駆け抜けたアウトローたち:土匪と流氓の世界┃福本勝清┃中公新書┃1998「2000年続く均分相続・大地主が何代も規模を維持できない、農村の土匪と水運陸運の労働者仲間の都市の幇会、幇会と無縁の業界なし、肉票:人質、撕票:人質を殺す、快票:娘の人質・若い女は人質にならない・一晩土匪と過ごすと汚されたと家族が身代金を払わない、日本軍阻止のため国民党が花園口の堤防決壊:その後の9年間で391万の難民と89万の死者、官途につくには土匪が近道、東北の馬賊の増加は日露戦争より・敗残兵の無頼化・戦乱の流民、中華民国大元帥になった馬賊張作霖、民国期唯一の農民蜂起指導者白朗、中国の村は日本の村のような共同体ではない・守るべきは家であり村ではない・連帯感を作り出す必要があった、武術結社の鉄布杉、強力な宗族社会、匪に通じた共産主義者賀龍・朱徳、劉子丹とロビン・フッド、1930年:文字を知らない60%・200字20%・記帳できる15%・三国が読める5%・手紙が書ける3.5%・文章が書ける1%、三国志や水滸伝は読むものでなく見るもの聞くもの、見知らぬものは信頼の対象でなく親切しなくてよい、強力な村は1村1姓、黄河の治水や遊牧民族対策は地方の手に負えず中央に力が集中、身内の極大化による安全確保、傑出したものが必要な中国指導者・日本の調停型との違い、打抱不平な人間に対する強い憧れ」
     ⇒ 福本勝清(ふくもと・かつきよ)1948〜。中国近現代史。 
2#   南京事件┃笠原十九司┃岩波新書┃1997「言語の通じない大軍同士の攻城戦とその陥落後に起きる典型例。ドイツ軍事顧問団による蒋介石軍、第16師団の戦略状況の悪さ、日本軍の軍紀に大きな部隊差、7万に憲兵17人、中国軍の清野作戦により難民が殺到、便衣兵容疑者、当時の人口は40-50万、埋葬諸団体の遺体記録は188674、目撃外国人:ダーディン、スティール、L・C・スミス、C・Y・マクダニエル」
     ⇒ 笠原十九司(かさはら・とくし)1944〜。中国近現代史。 
2△   「反日」で生きのびる中国:江沢民の戦争┃鳥居民┃草思社┃2004「趙薇事件、両憶三査の苦難想起大会、戸籍変更不能を利用して三年雇用して解雇する工場・シンガポールのフィリピン女性と同じ、共産党は真の権力を知らない、階級苦と民族苦、英文のジャップのある中国人民抗日戦争記念館と南京虐殺館、東京裁判で日中戦争の軍人被害は320万民間合わせて570万・江沢民は3500万と発言、抗日戦争の勝者としての共産党の威信確保、改革派胡耀邦、中国の人口と経済は日本に似ている。  ▽反日教育ってたったこれだけ?全然凄くないやん。これで反日を感じろってたって無理やわ」
     ⇒ 鳥居民(といり・たみ)1929〜。中国近現代史研究。 
2☆   「天下」を目指して 中国多民族国家の歩み:図説中国文化百華013┃王柯┃農山漁村文化協会┃2007「歴史という言葉は明以降、春秋時代・蛮や夷や戎を謚にすることも・差別意識はなかった、秦の時代の属邦、唐の羇縻政策:羇は馬の手綱・縻は牛の鼻綱、元の土司制度」
3◯   多民族国家 中国┃王柯┃岩波新書┃2005「少数民族と漢族の子どもは少数民族を選ぶ、中華文化は異民族により作られた、人民解放軍のチベット族での七擒孟獲、少数民族:モンゴル581チベット541ウイグル839満州1068回981ミャオ894イ776ヤオ263朝鮮192チワン1617土家802ブイ297トン296ペー185カザフ125ハニ143タイ115リ124、チベット鉄道・西気東輸ガスパイプライン・西電東送・南水北送、少数民族率:ウイグル自治区59%・チベット92.2%、鳥葬・身体のお布施・化学物質を避けてタカが食べなくなった、上海ファイブ体制:中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・ダジキスタン、和製漢語・中華思想は中国学会から拒否」
     ⇒ 王柯(おう・か)1956〜。中国近現代史。 
3◯   革命家 孫文┃藤村久雄┃中公新書┃1994「五権分立:立法・司法・行政・考試権・観察権=弾劾権、人民の政治的権利:選挙権・罷免権=リコール・創制権=法律をつくる権利・複決権=法律の廃止制定に参加する権利」
     ⇒ 藤村久雄(ふじむら・ひさお)1927〜。中国近現代史、日本放送協会会友、東洋史。     物語 江南の歴史:もうひとつの中国史┃岡本隆司┃中公新書┃2023「銅銭を得るための法難、仏教弾圧による仏像からの銅の収集  漢は中原だけで六千万人、唐は江南に重心を移しての六千万人  北宋の人口拡大、塩潮を防いで低湿地の江南デルタの開発、インディカ型の占城稲の導入  漢字にカタカナ英語のルビがおもしろい」    中国の論理:歴史から解き明かす┃岡本隆司┃中公新書┃2016「経、史、子の順 家柄番付で自分の家が第三等にランクされて怒った唐の太宗 范仲淹998-1052、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ 事実上の唐の建国者、第二代皇帝・太宗李世民は、「貞観の治」を実現させ、内外に平和をもたらした名君とされる。多分に眉唾なこの評価は、しかし新たな時代の一典型を示した、という意味では正しいかもしれない。 和魂洋才と中体西用の違い 中国を提唱した梁啓超 筆者だって、中国・中国人が好きか、嫌いか、と聞かれれば、嫌いだ、と答えるだろう。」
2◯   袁世凱:現代中国の出発┃岡本隆司┃岩波新書┃2015「あえて科挙を受けず 甲申政変で、クーデタを水泡に帰せしめ、日本の野望を砕いた袁世凱、二十代の策士 清朝の属国というのは内政外交はその自主による 日清戦争、清で日本と戦ったのは李鴻章の北洋艦隊のみ 袁世凱ほど軍事を知る文官はいない 康有為派の史料偽造、自己の弁護、正当化のためには文書や勅命の偽造改竄も辞さず 法術はたしかに恃みにならないかもしれない。しかし人心も恃むに足らないのか。今日、中国は衰弱きわまり、もはや人心しかよりどころがない。人心まで失ってしまったら、どうやって立国してゆけばよいのか。西太后 清末の督撫重権と垂簾聴政 外国人を保護し義和団を虐殺し袁世凱が台頭、中央政府の主導者は義和団鎮圧に消極的だったため一掃される 西太后の死後、放逐され三年の隠棲生活 武昌首義で南方諸省が独立、北京政府の総理大臣に復帰 辛亥革命、孫文が朱元璋を祭る、漢人により政権奪回 袁世凱、酒も阿片も嗜まず、物腰や人当たりの良さ気配り、愛情のこもった態度に実直 世評のごとき奸雄の器にあらずして堕弱なる俗吏なりき。北一輝の袁世凱評」
     ⇒ 岡本隆司(おかもと・たかし)1965〜。東洋史、近代アジア史。     日中関係史:「政冷経熱」の千五百年┃岡本隆司┃PHP新書┃2015「唐の高宗は665年に封禅 宋代に伝わった文化、朱子学や禅宗 中国の文化は唐と宋でかけ離れている。唐宋変革 宋における火薬、羅針盤、印刷の発明 勘合貿易=パスポート旅行 明朝の現物主義 永楽銭は中国では使われず、さらに日本でも模造 17世紀、世界の金銀の1/3を産出した日本 応永の外冦、十日あまりで撃退された事件 鎖国から日本型夏夷秩序 吉宗の米の増産は失敗、金銀の減産によるデフレ不況のため 日露戦争では清朝は日本に好意的 未知の存在、貿易の相手、軍事的な脅威からの変化 日清戦争後の中国人留学生は十万人」
     ⇒ 岡本隆司(おかもと・たかし)1965〜。近代中国史、東アジア国際関係史。     論点・東洋史学:アジア・アフリカへの問い158┃吉澤誠一郎┃石川博樹、太田淳、太田信宏┃ミネルヴァ書房┃2021「江戸時代の国家とは各藩のことを意味した  ピラミッド公共事業説の根拠は薄弱  エジプトの農民は一年中労働する必要はなかった。一年中働かなければ生活できないというのは現代人の悲しい発想  ▽エジプトは東洋史なの?  紀元前2世紀の初め、漢王朝は中国各地の独立王国の盟主として覇権を握った。阿部幸信  武帝が独立性を奪う  屋久杉の年輪測定、紀元前後〜3世紀まで寒冷  安禄山の独立運動を安史の乱  任那日本府:安羅に派遣された使節団  イスラム期のイベリア半島  アフリカ植民地支配  ▽スペインやアフリカまで東洋史?」    清朝と近代世界:19世紀┃吉澤誠一郎┃岩波新書┃シリーズ中国近現代史1┃2010「徳川政権は清朝と国交がなかった 1863年太平天国の鎮圧の指揮官となったゴードン 康煕帝もジューンガルに完全な勝利を収められず、乾隆帝が討滅 中国のマルサス洪亮吉 天地会 白蓮教 八卦教 阿片の弛禁論と厳禁論 死刑を決定できるのは皇帝のみ 不平等条約という概念はなかった 第二次阿片戦争。アロー戦争 曾国藩。官位を売って財源確保 捻軍。略奪側と自衛側の区別が曖昧 曾国藩の湘軍、李鴻章の淮軍 杜文秀。スルタン・スライマーン 西洋人が機器・火器などを作ったり、船や軍隊を動かしたりするのは、すべて天文学・数学に由来しているのです。奕[言斤] 私の処理はすべて和平の維持をめざすものだが、きっと清議の指弾を受けるだろう。曾国藩 1871年琉球民が台湾に漂着し殺される 琉球の北を日本に、南を中国にしようとした李鴻章 ハワイの白檀。中国語でホノルルは檀香山 善士によるNPO活動 曾国藩の日記 人心善悪の機微は、国家治乱の機微にあい通じる。 清朝は、最末期になってようやく帝国と名乗り始める。」
     ⇒ 吉澤誠一郎(よしざわ・せいいちろう)1968〜。中国近代史。     中国のフロンティア:揺れ動く境界から考える┃川島真┃岩波新書┃2017「ケ小平の韜光養晦の政策 2009年11月オバマ大統領提案の世界政治を米中二大国で主導するG2論を温家宝総理が断ったといわれている 中国の世界進出、企業や中国人の世界もセット アフリカの保定村、中国の保定市農民が定住、伝説 広東のアフリカ人街 黒人、黒鬼子 2008年マラウイが台湾断交 ▽中国の外交政策と海外進出の解説 日本軍玉砕の地の倭塚 金門島は人口10万人 中華民国100周年を祝うにふさわしいのは金門と馬祖。100年間統治したのはここだけ」
     ⇒ 川島真(かわしま・しん)1968〜。中国近現代史、アジア政治外交史。     近代国家への模索 1894-1925┃川島真┃岩波新書┃シリーズ 中国近現代史 2┃2010「魯迅が辮髪を切ったのは別に深いわけがあったわけではなくただ不便であったから、湖北政府の独立宣言、辛亥革命・中央政府に対する省政府の自立として進行、第一次大戦で中国は戦勝国に、西洋の覇道の番犬となるか東洋の王道の牙城となるのか」
     ⇒ 川島真(かわしま・しん)1968〜。中国近現代史、アジア政治外交史。 
2#   革命とナショナリズム:1925-1945┃石川禎浩┃岩波新書┃シリーズ 中国近現代史 3┃2010「革命尚未成功、革命なお未だ成功せず、Revolution has not yet prevailed.、??? ?? ???? ???.、中共はソ連の金で活動・コミンテルンの中国支部、曾国藩、政権は鉄砲から生まれる、張学良2001年没、1940年の重慶・7%が戦争相手が日本と答えられず、1943年12月アメリカで排華法が撤廃、1944年にソ連の援助で樹立した東トルキスタン共和国、大陸打通作戦で重慶政府の権威が失墜・日本軍に味方する民兵まで、山西省で三年間国民政府軍とともに共産党軍と戦った日本軍」
     ⇒ 石川禎浩(いしかわ・よしひろ)1963〜。中国近現代史。 
3◯   社会主義への挑戦 1945-1971┃久保亨┃岩波新書┃シリーズ 中国近現代史 4┃2011「1946年の政治協商会議。国民党8人、共産党7人、青年党5人、民主同盟9人、無党派知識人を加えて38人 国民党の経済政策の大失敗 四七年憲法 民有民治民亨民主共和国 人民の人民による人民のための共和国 ▽国共内戦の描写がない。莫大な死傷者を出したのに…… 建国時の人民共和国の副主席六名。孫文夫人の宋慶齢、民主同盟の張瀾、国民党の李済深に共産党三人 大躍進で2000万人以上餓死 59年でチベットが反乱し独立宣言。チベットの旧支配層の3/4、僧侶の6割が反乱に参加。9.3万人が 死傷あるいは捕虜となる 黒猫だろうが白猫だろうが、ネズミを捕まえるのがよい猫だ。 文革。100万人以上死傷 王蓉芬。毛沢東に文革批判書簡」
     ⇒ 久保亨(くぼ・とおる)1953〜。中国近現代史。 
2△ ?? 未来をひらく歴史:東アジア3国の近現代史┃日中韓3国共通歴史教材委員会┃高文研┃2005「時期尚早・学問の自由のない国の学者と本を作っても不毛なだけ、本としては三国が並列に対照され読みやすい。平塚らいてうと14歳年下の男性の愛の共同生活、朝鮮人なのに日本語を使わなければならない? ⇒日本人でしょう、45年の勝利は民族連合軍の勝利で得たもの? ⇒連合軍による解放でしょう、インドネシアからの400万のロームシャ・インドネシア語に、中国帰還者連絡会・戦犯管理所の1109名・56年に解放・戦争犯罪についての告白と証言活動・長期にわたる人間教育? ⇒洗脳したと読めますが」
     ⇒ 日中韓3国共通歴史教材委員会。  
3    世界繁盛の三都:ロンドン・北京・江戸┃加藤祐三┃NHKブックス┃1993「1800年都市人口万人:江戸100-300北京90ロンドン86-110パリ54イスタンブール50ペテルスブルグ22ニューヨーク6、1850年江戸北京同上ロンドン240パリ105ニューヨーク70、ロンドン:下着は上着を保護するために着る」
     ⇒ 加藤祐三(かとう・ゆうぞう)1936〜。東洋史、中国近現代史、文明史。 
2▽ゑ  僕は八路軍の少年兵だった┃山口盈文┃草思社┃1994「満洲開拓団から中国共産党軍に加わり、朝鮮戦争にも従軍した日本人の話」
     ⇒ 山口盈文(やまぐち・みつふみ)1929〜。日中貿易にたずさわる。  
2▽   ワイルド・スワン(上・下)┃ユン・チアン┃土屋京子┃講談社┃1998
     ⇒ ユン・チアン(張戎)1952〜。近衛兵、農民、英文科、言語学。 
_   ■西太后┃濱久雄┃教育社歴史新書┃1984「」
     ⇒ 濱久雄(はま・ひさお)1925〜。史学。 
_   ■暗い夜の記録┃許広平┃安藤彦太郎┃岩波新書┃1955「」
     ⇒ 許広平()1898〜1968。魯迅夫人。 
_   ■解放の囚人〈上〉:中国革命にまきこまれたアメリカ人夫婦┃アリン・リケット、アディール・リケット┃阿部知二┃岩波新書┃1958┃1957「原題:Prisoners of Liveration 1957」
_   ■解放の囚人〈下〉:中国革命にまきこまれたアメリカ人夫婦┃アリン・リケット、アディール・リケット┃阿部知二┃岩波新書┃1958┃1957「原題:Prisoners of Liveration 1957」
     ⇒ アリン・リケット、アディール・リケット(Allyn and Addle Rickett) 
_   ■孫文と中国の革命運動┃堀川哲男┃清水新書┃1984
     ⇒ 堀川哲男(ほりかわ・てつお)1936〜。  

●● 現代中国政治 ●● 
3#   新訂 現代東アジアの政治と社会┃家近亮子┃放送大学教育振興会┃放送大学教材┃2020「江戸時代、日本、中国、朝鮮はすべて鎖国していた  日中戦争、中国国土の40%は親日政権の支配下  国連の東アジア規定:モンゴルも含む  20世紀は日本の衝撃、21世紀は中国の衝撃  日本のキリスト教徒、最大で180万人に  ▽当時の人口を2000万と考えると相当な比率  鎖国、志筑忠雄の著書より  アヘン戦争の賠償金2100万ドル、清朝の国家収入の1/3  明治政府の三大改革:兵制、学制、税制  天は人の上に人を造らず、は引用部分。福沢諭吉は、これは嘘であり上下の格差があり、それは学問をすることで上になるという主張である  ▽東アジア現代史の間違いではないのか?  孫文は幼い頃、洪秀全を英雄とする話を聞いて育った  戦艦ポチョムキン号の水兵の反乱、ロシア革命へ  マニフェスト・デスティニー:自明の理  2018年末、中国共産党員数は9059万人  大正天皇:明宮嘉人  IPR.Institute of Pacific Relations:太平洋問題調査会  1932年犬飼毅の暗殺、政党政治の終焉  西安事件。張学良らが蒋介石に反共から一致抗日を求める  日中戦争、双方とも宣戦布告なし。1928年の不戦条約,Kellogg-Briand Pactのため条約違反になる。アメリカの中立法のため戦争とすると援助がなくなる  廬溝橋、Marco Polo Bridge  ▽日中近現代政治史の間違いではないのか?  ソ連とモンゴル、英国とチベットを争う  中国が世界四大強国の一つであるとは全く笑わせる。チャーチル  日本軍機のオーストラリア爆撃  蒋介石の以徳報怨  中国共産党の双十協定で国民党と和平、同日に国民革命軍35000を殲滅  故宮博物院、国家は滅んで再興できるが、文物は一度失われたら永遠に元には戻らない  中華人民共和国、当初は新民主主義、政協代表は共産党44%  1953年から社会主義へ、1954年憲法の制定  1979年アメリカの台湾関係法  現行憲法、82年憲法の制定  第二次天安門事件により民主化の可能性は0%に  天安門事件:北京政治風波、八九風波  天安門ではの殺害はなかった、スペイン国営テレビの撮影映像で証明される  2011年無戸籍の黒はい子は1370万人  2015年男は女より3388万人多い  ジニ係数:一位,南ア0.62、二位,中国0.51。日本0.34、韓国0.30  中国に相続税、贈与税なし  中国、義務教育の導入は1986年  戸籍の点数制度による選抜、北京市戸籍12万人の応募に6019人が取得  2018年の日本の大学短大への進学率は57.9%で過去最高。台湾90%韓国93%  日本の四年制大学への進学率は49.6%  歴代の政権は村山談話の基本精神を引き継ぐことを表明している  記憶の共同体の形成  ・TV  日中戦争時、国土の40%は親日で日本との和平を求める  共産党史観では全面戦争  日本の名字の数は世界で第2位、一位はアメリカ  西嶋定生、初めて東アジアを統一的に見る  福沢諭吉、学問をしないものは落伍する。国家にも当てはめる  支援していた朝鮮独立党員の処刑後、脱亜論を展開  太平天国の乱から、満族でない軍隊を作る。曽国藩ら  ▽放送授業の終わりに終わりの挨拶がなくぶつ切り  農奴:農民は土地とともに売買される  ナロードニキ運動  中国共産党設立時、党員は57名  毛沢東は抗日戦争を指揮したことはなかった。延安から下りず  教科書問題:文部省の指摘は強制力のない弱い段階のものだった  ▽結果として書き変わった以上、政府から民間への責任転嫁ではないか?  金大中は親日派として有名だった  空巣老人  中国の義務教育の開始は1986年  人口大国論:孫文、毛沢東  日露戦争の背景:朝鮮の支配権  農村戸籍だと都市の公立学校に入学できない  蒋介石はインドの独立を主張  新文化運動:袁世凱の尊孔運動に対抗  1912年中華民国臨時約法:主権在民と男女平等を謳うアジア初の民主憲法  中国GDP2位:2010年  天皇訪中:宮沢内閣  ポツダム宣言受諾:8月14日  連合国中国戦区最高司令官:蒋介石、タイ、ベトナムを含む  琉球王国が薩摩藩の支配下に:1609年  1548611【6/10,7/10,5/10,6/10,7/10,8/10】5択10問」
     ⇒ 家近亮子(いえちか・りょうこ)1954〜。中国近現代政治史、日中関係史。 
2★◎  大地の咆哮:元上海総領事が見た中国┃杉本信行┃PHP研究所┃2006「末期癌、外国人に対する犯罪に厳しかった・外国人のわかる格好なら安全・被害を訴えると品物が戻ってくる・凄まじい監視社会、文革・失われた教育の十年間、破綻している年金、庶民の貯蓄率が高い、60年の大飢饉・借金返済のためソ連に食料輸出・飢餓輸出、ODA総額3兆の内2兆は実質贈与、中国を放置すれば北朝鮮化した・ODAなしはより危険、台湾の笑い話・大陸からきた兵士・蛇口や電球を壁や天井に取り付けて水や電気が出ず怒った、アメリカが台湾を見捨てることは有り得ない・アメリカのイデオロギーの放棄につながる、地方政府にとって中央か外国かどうでもよかった、ODAの日本企業の受注率は32.1%、プロジェクトの選定に日本政府の意向を反映、義務教育費用の7割は受益者負担・国家3割・7割は地方・地方は実質個人に、泥棒被害に警察に届けると警察署に被害額の半額を払うのが常識、黄河断流・97年は226日・2000年以降断流なし、黄河水量は長江の1/10、行政サービスの受けられない農民の方が負担率が高い、共産党幹部は死ぬまで運転手と秘書付き、A級戦犯=一部の軍国主義者が悪いとした日中国交正常化の前提を破壊する、民間賠償訴訟で日本企業が敗訴すると雪崩を打って資産差し押さえの危険も、遊就館・現在は中国が支配し東北部と称する地域、A級戦犯の分祀を、ジニ係数:81年.281・05年0.5以上、固定資産税・贈与税・遺産相続税も未整備、実際の失業率は十数%、世界での中国の消費シェア:鋼材27%・石炭31%・セメント40%、上海で日本人が毎年30人以上死ぬ、20階以上の高層ビル・東京は100・上海は4000、中華人民共和国とバチカンの国交正常化を、尖閣諸島・鰹節工場や鳥の剥製作り、終戦時に放棄した日本の海外資産は280億」
     ⇒ 杉本信行(すぎもと・のぶゆき)1949〜。上海総領事、法学。 
2★△  中国人と日本人┃金谷譲・林思雲┃日中出版┃2005「メールでのやりとりより、過ちを犯した指導者の写真から消去する・公共のメディアや教科書に載る資格がない、古為今用・歴史は政治に奉仕するもの、靖国は爆撃で死んだ民間人を祀らない、中国は推定有罪・無罪と証明できなければ有罪、03年より容疑者に黙秘権を認めた、二つの反日勢力:政府と反政府民主派勢力、政府は思想教育だけで行動なし、中国の官より民への差別、外国での差別より国内での官吏からの蔑視と侮辱が強い、中国人は親疎の違いで扱いに差をつける・親戚友人を他人のように扱うと嫌われる・たやすく友が敵になる、裁判官は賄賂より情実で法を曲げる、中国の面子はプライバシーではない、中国人のほら話・話し手も聞き手も承知・ほらを指摘してはいけない・ほらを尊重する文化、面子をつぶすことは何よりも恨まれる、中国語に訳せない"世間"、中国人の面子は積極的な自己アピール、日本のビザ発給公務員が賄賂を取らないことが驚き、中国軍が弱いのは政府にために死ぬのが嫌だから・臆病なのではない、60年代の大飢饉3000万も誇張・数十万から数百万、中国語メディアは政府と反政府組織に握られている、民主化組織:日本軍は共産党を助けたから反日・共産党が天下を取ったのも・天安門事件で制裁しなかったのは日本だけ、日本で許されない中国の習慣:時間にルーズ・普段着での訪問、双方のタブーを知る、中国人の5分間の熱情、米国とソ連に続いて日本が選ばれただけ・米国とソ連の援助は日本より大きかったが感謝しない、ドイツとフランスは文化の根を共有している? ⇒知らないものは同じに見えるだけでは、中国語は罵倒語が豊富、エジプトがイスラエルに勝てないのは相手が嫌いだから知らないため、靖国反対なのは倫理道徳の理由から、文化の衝突」
     ⇒ 金谷譲(かなたに・じょう)1960〜。翻訳者、銀行員、NGO。     「中国問題」の内幕┃清水美和┃ちくま新書┃2008「共産党員は人口5%・私営企業家の1/3は共産党員・国営企業を私有化した党幹部、贈与税相続税の創設への反対・豊かな者から貧しい者に所得を移転するのは極左思想、上海の人権派弁護士鄭恩寵・上海の党幹部の不正を告発して三年投獄、河南省の奴隷工場・経営者に党の幹部も」
2★△  中国はなぜ「反日」になったか┃清水美和┃文春新書┃2003「日中関係史。天安門事件を契機に共産党と抗日戦争の正当性を強調、中韓首脳の訪日順序逆転、最高指導者への忠誠表明としての発言、批判報道が規制されたマスコミの公認のはけ口、ツルの一声、潜在的脅威としての日本という米中関係改善の口実、迷惑の出典楚辞を贈る、84年前後の日中蜜月、エリートでない中国人民は歴史問題に興味なし、95年抗日の夏、ミサイルと空母による米中対話、ネットで江沢民批判は懲役4年の実刑、大使館爆撃抗議デモは党中央の動員、日航風波事件、ヴィッキー・チャオの災難、中国の反日論と日本の嫌中感、小泉靖国参拝は橋本との遺族会票争い、中国の反日と同じく権力者の地盤固め」
2#◯  中国農民の反乱┃清水美和┃講談社+アルファ文庫┃2005┃2002「党幹部に対抗する農民領袖、土律師・農民弁護士、毛沢東:誤りをただすには度を越さなければならず度を越さなければ誤りはただせない、農村の既得権を手中に収めた共産党幹部・土皇帝、禹作敏:金があってこそ前に向かって進める、農民領袖現象と書記現象、秦の地租は50%、北京の民工学校、子どもを北京に連れてくる出稼ぎ者・公教育を受けられない・故郷でも満足な義務教育がない、学費稼ぎのため児童が爆竹作り・爆発事件に、90年代に中学校を卒業できたのは57.71%、公安当局による外地人狩り、盲流から民工潮、地方出身大学生が北京の戸籍を取るのに三万元以上、農村の選挙・海選、村民委員会への直接投票と党支部指導部への信任投票・両票制、法輪功の思想と大同思想、世界最大の玉石仏・玉仏苑・宗教的背景なし、土廟ブーム、中国の一人当たり耕地面積は世界平均の1/2以下・日本はその数倍、都市化の水準:中国30%・世界平均45%・発展途上国平均40%、農家が土地を株式化すれば農村市場が動き出す」
     ⇒ 清水美和(しみず・よしかず)1953〜。東京新聞編集委員、北京特派員。 
2#△  中国 第三の革命:ポスト江沢民時代の読み方┃朱建栄┃中公新書┃2002「自由は拡大している、市民社会の入口に来ている、2000年専業農家は4割、球籍討論、対外依存度は日本の2倍、米国の最恵国待遇審査ごと人権活動家を解放、天安門事件直前に物価改革による値上げ、中産階級の拡大と納税者意識の定着、法輪功公称8000万実数200万が中央政府を包囲、偽物退治の英雄王海、他人男女の同居・週末婚、映画TV人気・米国香港日本中国の順、ゲームソフトは日本製が一番人気、地方政府批判が登場、出版に1.5-2年が1週間に、米国より安全なタクシーや住宅に鉄の柵があるのは自己防衛意識の現れ、7割が共産党を信じていない、民主派同盟への展望、ニューリーダー胡錦濤・日本ファン曾慶紅・第二の周恩来温家宝、1963年生まれ海爾の副総裁柴永森、ロシアの混乱・インドの貧困・米国の覇権主義が民主主義を遅らせた、2002年チベット語習得の義務化、石原知事チベットで200万殺害発発言、基礎体温を維持しての改革促進、海外:短期は悲観し長期は楽観・国内は逆、1800年に世界経済の30%、ネットを気にする指導者、30代以下の日本好感度は上昇、対中ODAは有償協力で返済義務あり」
2△   中国2020年への道┃朱建栄┃HNKブックス┃1998「中国予測の整理、世界の耕地9%で人口22%を養う、一人当たりの水は世界平均の1/4、20世紀前半の食糧増産は5%・1950-80は2.5倍、中国の適度人口は資源で8億・経済で9.5億、49年非識字者と半識字者が9割、盲流⇒民工潮、ウイグル族と漢民族+その他が対立、チベット:明清とも軍隊・2人のラマの選出法は清皇帝が決めた、1750年製造業生産高の32.8%・1830年29.8%イギリスの3.1倍米の12.9倍、1880年イギリスの54%、1950年アメリカの6%イギリスの47%」    朱鎔基の中国改革┃朱建栄┃PHP新書┃1998「中国の対外依存度16-17%・日本は6-7%、天安門事件での上海での対応」    江沢民の中国┃朱建栄┃中公新書┃1994「毛沢東:ダライラマを取り逃がせ、農村児童:小学校進学率80%中学10%、20%2億5千万が文盲、小城鎮・郷鎮企業、広西チワン族自治区に水に溶ける天然植物油・火麻油、1988年南沙諸島の一部を占領」
     ⇒ 朱建栄(しゅ・けんえい)1957〜。中国。政治学。 
2▽▽  中国とどう付き合うか┃天児慧┃NHKブックス┃2003「交渉失敗すると誹謗中傷で相手を貶める、2人に1人は二枚舌、朝日新聞の改変、青年は悩みを誰にも相談しない、極端な自己中心的生き方の中国・他者依存型の日本、出身地への帰属意識が強い、謝れば相手につけ込まれて立場が弱くなる、人間不信感の強さ・個人のことは誰にも話さない、最も嫌いな国で好きな国でも1位、奇怪な孔健の日本人論、腐敗指数はインドネシアに次いで世界第2位、2010年から急激な高齢化、弱国に外交なし、独仏か英米か」    中華人民共和国史┃天児慧┃岩波新書┃1999「大躍進の餓死者1500-4000万人、文革死者1000万人、紅五類と黒五類、進学は出身60%政治表現20%成績5%、忠の字踊り、唐山地震死者24万人、領海法で尖閣諸島と南沙諸島を法制化、民主党結成指導者を10以上の実刑に」    中国大陸をゆく:近代化の素顔┃天児慧・加藤千洋┃岩波新書┃1990「重男軽女、白鰭豚=ヨウスコウカワイルカの危機、中学校の経営するバー」
     ⇒ 天児慧(あまこ・さとし)1947〜。中国政治、社会学、アジア現代史。 
2◯▽  中国激流┃興梠一郎┃岩波新書┃2005「市場シェア:マイクロソフト95%・テトラパック95%・コダック50%・ミシュラン70%・ノキア70%、スーパーの8割は外資、汚職官僚の総司令官貴州省党書記劉方仁、役得の多い部門"油水部門"、地方の党書記は皇帝、国有企業:生産額3割・投資額6割・銀行融資の7割・納税額4割・私営企業は5%、孫大午事件、国退民進が国退洋進、企業がメディアや市民を訴えると7割勝利・米国では9%、ロシアとラテンアメリカの国有企業の私有化で儲けた富裕層への恨み、2003年末不良債権は40%(中国発表は18%)・当時の日本は7%、外資導入がGDPの4割以上、外資企業:工業生産の31%・2350万人・輸出シェア54.8%・輸入シェア56.2%、貿易依存度は70%、クルーグマンの全要素生産性、ジニ係数は0.45を突破、中国に政治家はなし・官僚のみ、北京の陳情村"信訪村"、人民代表大会に力がない」
3◯   現代中国:グローバル化のなかで┃興梠一郎┃岩波新書┃20002「59歳現象:定年前の駆け込み汚職、都市と農村の格差は市場経済化以前から、ニューヨークの福青幇・香港の14K・マカオの和東安・台湾の竹聯幇・四海幇、暴力団組長にして警察官の梁笑溟、森林面積一人当たり世界平均の20%・国土の17%、一人当たり水資源・中2300m3・日3400m3・世界平均は9000m3、海外留学帰りの海亀派、中国の理想人口は7-10億・限界は15億」
     ⇒ 興梠一郎(こうろぎ・いちろう)1959〜。現代中国論。 
1◯▽  中国現代ことば事情┃丹藤佳紀┃岩波新書┃2000「従業員7人以下が個人企業・8人以上が私営企業・資本論の搾取に必要な労働者数の記述より、紅印戸口と藍印戸口・都市永住権、1997年の黄河断流・河水が黄海に届かない日が226日、車掌にゴミを渡すと窓の外に投げ捨てた、地方政府の財源不足・三乱の強行・手数料と罰金と拠出、83年・容疑者を市中引き回し・競技場で公開銃殺、59-60年の大飢饉・82年の人口調査で人口が2000万人減少、ベストセラー作家・原稿を郵送しない・校正刷りを出版社以外に出さない・書店の予約注文は仮の書名でとる・30万部売れたら海賊版が出てもやむなし、偽の卒業証書・假文憑、天安門事件・天安門広場そのものでは死者は出なかった、上海を地盤とする民族資本家の栄毅仁・紅色資本家、1995年・大学で法律を学んだ裁判官は全体の5%、天南海北と新西蘭、98年ソウル大学卒業生就職率26.7%、TDK現象・FOEFLとdanceとkiss、クレジットカードの宣伝コピー・用明天的銭,圓今天的夢、99年中央省庁のキャリアウーマンが厚底サンダルに茶髪」
     ⇒ 丹藤佳紀(たんどう・よしのり)1940〜。読売新聞、北京特派員。 
2◯   中南海:知られざる中国の中枢┃稲垣清┃岩波新書┃2015「私は皇帝ではないと中南海入りを嫌がった毛沢東 党関係の建物には看板がなく、政府機関は看板を掲げている 文革の前半は毛沢東と劉少奇ケ小平の対立、後半は四人組と周恩来ケ小平の奪権闘争 開明的指導者胡耀邦 全人口の20人に一人が共産党員 政令不出中南海 政令は中南海を出ず 潜規則、明文規定以上に実生活を支配するルール」
     ⇒ 稲垣清(いながき・きよし)1947〜。在香港中国研究者。 
2#△  中国の黒社会┃石田収┃講談社現代新書┃2002「全世界で200万人、米国の中国系組織・香港系の新義安・和合桃・14K・聯字頭・大陸系の大圏幇・台湾系の竹聯幇・四海幇、漢の元帝の収入は国家収入の1/3、宋代の世襲制の乞食・杭州一帯の7代目総元締め金老大、人さらいの手口:車・病院に運ぶふりして人力車で・美女が近寄り助けを呼ぶ・家に押し入る・ニセ警官、売春婦の数89年10.2万人、91-95年の売られた人の数は88759人・児童は9%、93-94年の誘拐事件33143件保護されたのは7482人、96年殺人27356件、日本への集団密航摘発・97年1360人・00年103人、中国へ郵便為替で6万円ずつ送金、米国の鉄道建設と中国人労働者・1851-75年50万人がアメリカに、サンフランシスコチャイナタウン・市長や市議会もある、政府関係者の腐敗・給与では暮らせない・世論の監視が弱い・司法が独立していない」
     ⇒ 石田収(いしだ・おさむ)1947〜。現代中国論。 
1△   中国が世界に知られたくない不都合な真実┃坂東忠信┃青春出版社┃2010「日本は国際化でなく中国化 日本の善悪は思いやりの有無、中国では生きる努力の有無 国家という言葉は日本産。中国発祥ではない 北京語を話すときは一オクターブ上げる。声の基本音階を高めにして話す 北京語自体に人を活発化させる作用がある 学校内では地元の言葉で話すことを禁じられている 満州語を話せる満州人はほとんどいない 反暴力安全による暴動 台湾初の共通語は日本語 中国では沖縄は中国の領土だと教えている 沖縄独立党かりゆしクラブ。三星天洋旗 普天間基地周辺の民家は 小沢一郎の下に下宿していた李克強。胡錦涛と同じ青年団派 青年団派vs.太子党 日本人男性と中国人女性の結婚の半数は離婚する 役に立ってこそ友人 密入国は違法であるけど犯罪じゃない 富士康の連鎖自殺。最初の自殺者への高額の見舞金。以後見舞金目当てに」
     ⇒ 坂東忠信(ばんどう・ただのぶ)北京語通訳捜査官、司法通訳、機動隊、作家、防犯講師。     対論!日本と中国の領土問題┃横山宏章・王雲海┃集英社新書┃2013「2010年の漁船船長は英雄として迎えられておらず悲惨な状態に置かれた 中国は尖閣諸島について1951年に周恩来が声明を出した。アメリカが尖閣諸島付近の海底調査をするときにも声明を出した。 南シナ海でも中国のスタンスはすべて共同開発 人民解放軍は中華人民共和国の国軍ではなくて中国共産党の党軍である。 中国人は尖閣諸島が日本の実効支配のもとにあることを知らなかった 中華思想というものが果たしてあるのか。王 日本では反米的な政治家はみな賄賂や政治献金で失脚する。 日中友好を進めた中国の政治家は最後に日本にしっぺ返しを食らう。 民主主義の行き過ぎをどうやって食い止めるか。王 ヨーロッパでは世論と闘うのが政治家の使命 反日デモの裏に韓米欧の企業 金持ちの財産を国有化した薄煕来」
2△   反日と反中┃横山宏章┃集英社新書┃2005「中国国歌のときに中国サポーターは起立しない人も、中国にはODA感謝の碑が建っているところがある、靖国神社問題でなくA級戦犯合祀問題、日本共産党も尖閣諸島は日本領と明言、文献主義では中国側有利に、価値観による同盟:自由と民主の国のアメリカ・日本が台湾を見捨てるのか、日中の石油共同備蓄基地建設・ドイツフランスのエネルギー共同管理」
     ⇒ 横山宏章(よこやま・ひろあき)1944〜。中国政治外交史、法学、81年中国共産党批判で中国から追い出される。 
2#◯  中国を追われたウイグル人:亡命者が語る政治弾圧┃水谷尚子┃文春新書┃2007「東トルキスタン独立運動 世界ウイグル会議の現主席、ラビア・カーディル 中国十大富豪 信教の自由や母語を使用する権利が尊重されていない 人民解放軍が東トルキスタンに来たとき、五年後に帰るという約束だった。 カザフに20万人のウイグル人、中央アジアで150万人 江沢民のヨーロッパ歴訪時、魏京生グループと世界ウイグル青年会議が行く先々を追いかけてデモ 1997年イリ事件 関係者の相次ぐ交通事故死 ウイグル人の悪性腫瘍発生率は漢人より35%も高い グアンタナモはアメリカ合衆国の法が適用されない「誰の土地でもない場所」だから、軍事裁判の結果には控訴する権利がない。 トフティ・テュニヤズ ▽今は? 97年のイリ事件について多く記事を書いたのは朝日新聞の清水勝彦記者、イリ事件の勃発まもなくウイグルの民族問題について質の高い論考を掲載したのは岩波書店の世界、トフティ事件の詳細を報道したのは共同通信の西倉一喜記者、ウイグル人亡命者の村を最初に報道したのはNHKの秦正純」
2★#  「反日」解剖:歪んだ中国の「愛国」┃水谷尚子┃文藝春秋┃2005「西安寸劇事件の真相、その場で文句を言う中国人学生はいなかった、北京の日本大使館の電話はすべて盗聴されている・代表にかけると大使館員より先に中国人職員が出る、文芸の夕べは格調ある演芸会で面子をつぶされたものの腹いせのデマか、敵後武工隊、GDPの50%を海外に依存、日本人留学生強盗傷害事件、愛国言説を垂れ流す中国の新聞工作者の対日知識の欠如、沖縄は日本領ではない説は割とポピュラー、靖国狛犬ペンキ男、八路軍で戦った旧満州日本人技術者たち、中国共産党の医療に従事した佐藤猛夫、南京大虐殺記念館は政府より民間寄付が多い、反日教育というより愛党教育、イケメン八路軍が皇軍エロオヤジをぶった斬る"抗日系列地雷戦"、日本軍から逃げ延びるゲーム"南京大虐殺"は流通禁止に、愛国映画:地雷戦・永遠に途切れることのないラジオ電波、"抗日ー血戦上海灘"、50-70年代対日感情は悪くなく映画で反日ということはない、NHKの大地の子は中国では放送禁止、03年薬物密輸で拘束された日本人13人・みなホームレスや無職者、歴史に興味のない一般中国人・だからこそ単純な作られた歴史が定着する危険、常任理事国入り反対のデモ隊で常任理事国5ヵ国が言える人は5人に1人だった、デモの破壊活動に愛国団体の主要メンバーはいない、中国は付加価値の低い世界の組み立て工場、著者にも公安から違法デモに参加しないでのメールが、中国で日本語を教える教師の質が低い・優れた日本語教師を」
     ⇒ 水谷尚子(みずたに・なおこ)1966〜。近現代史日中関係史。 
2#△  中国人犯罪グループ:下見・実行・換金┃森田靖郎┃中公新書ラクレ┃2004「犯罪統計の理解に問題が多い、魏の父は工場経営の資産家・王の父も土木事業の会社を経営、密航船から漁船に積み替える"瀬取り"、村おこしとしての出稼ぎ密航、蛇頭を復活させた就学生加来、アメリカ移民帰化局の蛇頭を取り締まる"オペレーション・ドラゴン"、誤爆事件の前の五年間ユーゴへの密航者が100倍に・ベオグラードはEUへの密航中継地点、中国人留学生の1割以上がいた酒田短期大学・約200人は首都圏で生活、福清市・出稼ぎ密航強盗団の村、企業も公安に届け出ると拳銃4丁所持可、SARSは目から感染する・マスクより医療用のゴーグル、裏経済:日4%・米10%・中20%、マネーロンダリング・黒洗銭、日中強盗団の日中の分業化・犯罪は来日中国人の窃盗グループに下請け、窃盗グループの狙い・農家は一家で作業に出ている・無職の資産家は土地や株を売った現金を持つ、盗難車の行き先の一位は英国、警察官の一人当たり住民数:日541英395米385独315仏293伊276、日本の賃金100米65中6」
2▽   カネと自由と中国人┃森田靖郎┃PHP新書┃2001「歌舞伎町中国租界の上海流氓と福建幇の戦い、天安門事件は金持ち優先社会への不満の爆発?、石原:大災害時の不法入国外国人の騒乱に自衛隊要請、東京都99年凶悪犯978人・外国人は109人、中国語新聞と国際電話会社の住み分け:留学生新聞は0061・中文導報は001・連合週報は0041、天安門事件で共産党の保守派と改革派が体制維持で一致、中国出国する女性にとって日本人男性は飛機票、92年女児100に対し男子118の出産率、中国に売買春を処罰する刑法上の罰則がない・条例で罰則、中南海での法輪功の座り込み:首脳陣の夫人に訴えるため、法輪功は仏教系、中国のプロバイダは4社・すべて政府系独占企業、太子党:権力者の子女、団派:共産主義青年団の出身者、ニューヨーク移民帰化局・密航者に労働許可・雇用を義務づけ違反には罰則」
     ⇒ 森田靖郎(もりた・やすろう)1945〜。中国関連のノンフィクション作家。     巨龍の苦闘:中国、GDP世界一位の幻想┃津上俊哉┃角川新書┃2015「権力の集中 実質GDP成長率は5%を割り込んでいる 簡政放権 依法治国 三権分立の匂いがする改革案 政策不出中南海 党中央が決めた政策は中南海の門を出られない 己の欲せざる所を人に施す勿れ。 中共の中興の祖 中国が抗日戦争の苦難の末に勝ち取った常任理事国のステータス 日本企業にとって最も訴訟リスクの高いマーケットは断然にアメリカ、中国ではない」
3#   中国台頭の終焉┃津上俊哉┃日経プレミアシリーズ┃2013「ルイスの転換点。日本は1960-65 2009年地方財政収入の46%が土地の払い下げ 国進民退 2010年の出生率は1.18 日銀の主張。2000-2010年の実質GDP成長率は先進国最低。一人当たりでは他国と変わらない。労働人口一人当たりには先進国最高の延び率 日本は1995年に労働人口が減り始めた。中国は2011年 日中の経済成長の時差は40年、少子高齢化の時差は15年 iphone一台179ドルの内の日本製部品代は61ドル中国の組立コストは6.5ドル アメリカの国民貯蓄率はすでに日本より高い 大多数の中国人は尖閣列島の日本の実効支配を知らず、日本の国有化を聞いて中国が再び侵略を受けたと怒りを爆発させた 鈴を付けた者が鈴を外せ 解鈴hai需系鈴人」
     ⇒ 津上俊哉(つがみ・としや)1957〜。現代中国研究家、通産省。 
2#   膨張中国:新ナショナリズムと歪んだ成長┃読売新聞中国取材団┃中公新書┃2006「読売新聞の連載より、抗日戦争記念館の王新華:2000以上の博物館や記念館で日中の歴史に関するのは100前後、CCTVの各チャンネルの視聴率下位2番組には警告・低迷が続くと打ち切り、北京の金融資産の8割を11%の人が所有、上海と貴州の平均所得差は12倍以上、中国富豪の6割は不動産・世界全体では1割以下、都市部の失業率4.2%・一時帰休者を加えた実質失業率は10%以上、頭だけ大きく手足のやせ細った乳幼児の死亡・偽粉ミルクが原因、ソウルの料理店の60%は中国産キムチを使用、2001年マニラ郊外・救急車が覚醒剤を運び町長の公用車が護衛、北朝鮮は地下資源の宝庫・鉄鉱石30-40億トン・石炭は230億トン・モリブデンやタングステンも豊富」
     ⇒ 読売新聞中国取材団 
3△   日中関係:戦後から新時代へ┃毛里和子┃岩波新書┃2006「1965年の中国の立場:他国の賠償で自国を建設する気はない・巨額の賠償は平和に有害・責任のない次の世代に負担を与え不合理、80年代初め人口20万の深セン・今は800万、80年代の中国の対外戦略は主要敵ソ連に対抗、ネットでは毛沢東周恩来の1955年3月指示が奇談怪論の揶揄、ネットの王小東思想・ウルトラ民族主義、金観濤の理性的民族主義、当局の愛国主義、中国ナショナリズムの相対化してみる視点の弱さ、世界規模の公・近隣諸国との共・個人や集団の私という契機が見られない、日中間では和解は入口でなく出口、靖国問題:他国にとやかく言われてやめるのは腹立たしい、対日政策の大原則・一部の軍国主義者と被害を受けた国民と分ける二分法・そのシンボルとしてのA級戦犯・譲ると大衆の情緒的民族主義を煽ってしまい政権の正当性を損なう、ネットで人気のラディカルな民族主義、ネットの書き込みは非エリートの若者、大衆と世論の登場、日本の国連常任理事国入り四ヵ国提案を支持したアジアの国はブータン、モルディヴ、アフガニスタンだけ、日本が誇るべき戦後の民主主義・人権・平和主義、中国が文化的に対外膨張したことはあっても軍事力を使うことは少なかった?、p220誤植・yorono5⇒yoron05」
     ⇒ 毛里和子(もうり・かずこ)現代中国論。 
3★△? 日本の刑罰は重いか軽いか┃王雲海┃集英社新書┃2008「体感治安と実治安との差・虚数、民事裁判は有罪推定・50%を超えると有罪、刑事裁判は無罪推定・120%証明できないと無罪、5つの刑罰:生命刑・身体刑・自由刑・労役刑・財産刑、受刑者の法的地位、米国の刑事事件の90%は司法取引・裁判にならない、残りの裁判の半分が陪審裁判、中国で永久機関を発明したとしてお金を集めた男は死刑に、米国のお粗末な刑事司法手続きを前提に見ると日本の99%の有罪率は異常に見える、中国では公務員1ヶ月分の給料以上を盗まないと窃盗罪にならない・不問・行政処分・叱責・示談、日本は無理してでも既成の罪名や迷惑行為に当て嵌める・刑法典を広く解釈する、2004年度殺人検挙率・日本は94.5%・米国62.6%・中国は自称91.4%、米国は撒き餌式・中国はキャンペーン式・日本は漁網式、日本は法律上は無罪推定罪刑法定・社会上は有罪推定罪刑不法定・刑罰そのものより重い社会制裁、中国人には小さな違法行為で警察に通報するという考えはない、日本:重い犯罪への刑罰が軽く軽い犯罪への刑罰が重い、米国:知能犯や軽犯罪の刑罰が重く道徳犯罪や重罪への刑罰が軽い、殺人償命:人を殺したら命をもって償え、日本の死刑と正統性競争 ⇒意味不明で理解し難い、中国では死刑執行を指揮するのはその死刑を宣告した裁判官、法の基本原理は人権=個体権利・ときに民主主義と対立する、刑事司法・刑罰・犯罪者を主役とする修復的司法は中世の復讐社会へ引き戻す ⇒事実誤認・修復的司法の主役は被害者」
2△   「権力社会」中国と「文化社会」日本┃王雲海┃集英社新書┃2006「精神や文化から社会を見るウェーバーの文化精神論、社会特質論、ウィットフォーゲル:中国は国家権力の単一中心社会、官本位理論・官が金のようなもの、バラージュ:中国は官僚制の天下か無政府かしかない、民衆の自信過剰と自信喪失の両極面、毛沢東の政治中国・ケ小平の経済中国・江沢民/胡錦濤の法治中国、中国の金持ち第一世代は受刑者が多い、中国人:大きなテーマで理論化、日本人:小さなテーマで実証、欧米企業の現地任せが中国人心理に合う、日本の愛国教育は中国以上で巧妙・中国人より確実に持っている、中国の友達はいざというとき何かしてくれる人、日本のいじめは集団対個人、ホームレスを悪いものと見る日本人・単に敬遠する中国人、中華思想は周囲を征服しようとするものではない・周囲の国から面子もらうもの、中国人の日本への不思議・広島長崎の原爆に東京大空襲の米国を恨まず中国を恨むのか・戦争賠償も放棄したのに現職総理の靖国参拝しない程度もしてくれない、日中関係を政治的情緒的から法律的規範的なものへ」
     ⇒ 王雲海(おう・うんかい)1960〜。中国。法学。  
1# ?? 「反日」とは何か:中国人活動家は語る┃熊谷伸一郎┃中公新書ラクレ┃2006「馮錦華・廬雲飛・呉祖康、石原都知事公式サイトのコンテスト小論文の第三位入賞作・虫か人民狂話国と強盗思想としての中華思想、尖閣諸島の固有種センカクモグラ、中国政府は愛国者同盟メンバーにパスポートを発給しない、中国の戦争被害者への支援活動・国内の自然災害被災者への支援活動も、中国政府は応援しない、沖縄は中国領だった?、台湾を独立させようとするなら沖縄の独立を促す、台湾は中国領への対抗としての発言、沖縄の人の思いを尊重すべき、日本の右翼に反応して活動を開始、省庁のサイトのハッキングにマスコミはその内容を無視し技術論を展開、中国人=反日・日本人=右翼という誤解を解く、原爆はすぐ作れる・日本人はヒステリーを起こすぞという小沢発言という威嚇発言?、日本政府に心から反省してもらいたい?、アジアへの侵略が誤りと認識しておらず正そうともしない?、日本の経済力・軍事的実力は世界第二位?」
     ⇒ 熊谷伸一郎(くまがい・しんいちろう)1976〜。『自然と人間』『中帰連』編集長、中国人戦争被害者の裁判支援活動。 
3#   中国のインターネット史:ワールドワイドウェブからの独立┃山谷剛史┃星海社新書┃2015「▽字が紙の端まであり読みにくい 国内の検閲システムが金盾 海外をブロックするのが防火長城 山さい機、ノンブランド 孫正義のタイムマシン経営 車両を落として解体し、穴を掘って埋める 上に政策あれば、下に対策あり。 穿越ものは2014年より映像化禁止 万万没想到、報告老板、十万個冷笑話 各国のネット主権を尊重しなければならない。」
     ⇒ 山谷剛史(やまや・たけし)1976〜。アジアITライター。     習近平の中国┃宮本雄二┃新潮新書┃2015「彼れを知り、己れを知れば、百戦して殆うからず。孫子 共産党の隠したがり体質が陰謀論を生む アメリカ人は外国に対して不正行為を犯すことがある。しかしアメリカ人は、自己の発意でそれを矯正する。これは多年の歴史が証明している。イギリス大使 個別うん醸、中国式根回し 末端の腐敗 中国では禁止されていないことはやってもいいと解釈される 国際会議ではルールをいかに操ることができるかで勝負は決まる。 礼は庶民に下らず、刑は大夫に上らず。礼記 トラもハエも叩く トラ:徐才厚、周永康、令計画、薄熙来 11年に都市部人口が農村部人口を超えた 社会主義と共産党の指導へのこだわり 人民解放軍が共産党の軍隊であることを明確化 外に出る軍隊へと変化」
     ⇒ 宮本雄二(みやもと・ゆうじ)1946〜。アジア研究、駐中国大使。     中国 静かなる革命┃呉軍華┃日本経済新聞出版社┃2008「2022年までに民主主義的な政治体制に移行する、既得権益層らとって民主化は既得権益の固定化に資する?、2007の長者番付1位・不動産業の資産を受け継いだ25歳の女性楊恵妍・175億ドル、経済界の利益を代表する政党に、02-04年に労働分配率が急低下50%⇒44%に、長者番付20位・16人が不動産関係・権力と資本の結託、2012年と2022年に注目、国内の大衆の力により専制的な政治システムを追放するのはほぼ不可能、伝統文化の和・スウェーデンモデル・シンガポールモデル・和諧社会主義、ユ可平の増量民主Incremental Democracy」
     ⇒ 呉軍華(ウ・ジュンファ)エコノミスト。     中国の権力システム:ポスト江沢民のパワーゲーム┃矢吹晋┃平凡社新書┃2000「宴会・贈り物・同行を拒絶する朱鎔基、都市市民の一票は農民の8倍、大衆団体の幹部を共産党が指名」
     ⇒ 矢吹晋(やぶき・すすむ)1938〜。中国経済論、現代中国論。  
2    華僑:ネットワークする経済民族┃游仲勲┃講談社現代新書┃1990「アキノ大統領・チャチャイ首相・リー・クアンユー首相は中国系、シンガポール:東洋のイスラエル・国民的統合イデオロギーとしての儒教」
     ⇒ 游仲勲(ゆう・ちゅうくん)1932〜。台湾。中国・東南アジア経済論、華僑経済論、人間国際移動論。  

●● 現代中国文化 ●● 
1◎#  新・中国若者マーケット:ターゲットは80后(パーリンホウ)┃松浦良高┃弘文堂┃2008「70年代と80年代のギャップが最も大きい、中国のYouTube土豆網、ネットユーザーの半分は24歳以下・30歳以下で68.6%、世界で最もアクセスの多い徐静雷のブログ、2007年一人当たりGDPは2500ドル・日本34000ドル、理想の女性は1独立・2自信・3優雅・4聡明、腐女子はそれほど悪い意味ではない、よく行くサイトの一つ心界、信念がない、田原インタビュー、座右の銘、Time is never time at all、葫芦娃、90后は天上天下唯我独尊、代表的有名人・劉翔・姚明・韓寒、中国最大のポータルサイト新浪でニュース、MSN・QQ・SKYPE、インターネット上にはすべてがある、映画でエンドロールを見る人はいない」
     ⇒ 松浦良高(まつうら・よしたか)中国における生活者とメディア研究、博報堂。 
1◯   新しい中国人:ネットで団結する若者たち┃山谷剛史┃ソフトバンク新書┃2008「世界一よくわかる中国IT事情入門書、日本人は職人気質・中国人は商売人気質、ハイテク製品は月収数ヶ月分が当たり前、電脳街のSDメモリーカードの8割は偽物、ネットカフェの利用・身分証明書番号かパスポート番号の登録・実際は多くない・1時間2元、グーグルhttp://g.cn、百度=mp3検索、読書サービス、メールよりインスタントメッセンジャー=チャット、QQがシェア8割、ピンインより五筆で入力、都市圏・e都市という地図サイト、中国で最も日本べったりな都市・上海、"最も手早く日本を謝らせる方法は俺らが韓国を消滅させることだ"、インターネット利用者の10人に3人が日本嫌い・1人が日本好き、日本叩きはネタ不足のため根拠が少ない、中国ではフィギュアはオタクではない、動画検索最多の日本人は武藤蘭(朝河蘭)、反日でもの不買運動に任天堂・セガ・SCEなし、人気携帯電話メーカー10位シャープ・ただし事業展開なし、ウィキペディア中国語版は中国からアクセスできない、人肉検索、無界閲覧」
     ⇒ 山谷剛史(やまや・たけし)1976〜。ITライター、中国のIT事情。 
2▽#  中国低層訪談録:インタビューどん底の世界┃廖亦武┃劉燕子┃集広舎┃2008「黒龍?・服を脱いだら黒いから、中国のことだぜ。一陣の風のように過ぎていくだけさ。、鳩を飛ばす・女を売ってすぐに逃げ戻らせる、文革前は公衆便所が堕胎病院、死化粧師・頭が半分ない女の子を姿を復元、1983年厳打キャンペーン期間の裁判はすべて有罪、ネズミの牛を埋め込んで肺癌を偽装して出獄、屈原は法輪功を修行した、成都の三一書店、韓国人が書いた英語を学んではいけない、朱鎔基:百の棺桶を用意する・99は汚職役人に一つは自分に、発禁になるも7つ以上の海賊版が出回る、中国低層訪談録・中国冤案録・著者のメールからの翻訳」
     ⇒ 廖亦武(リャオ・イウ)1958〜。詩人。 
2#   ネット大国中国:言論をめぐる攻防┃遠藤誉┃岩波新書┃2011「08憲章の起草者劉暁波へのノーベル平和賞 法の範囲内でフィルタリングなしの検索結果を提供できない場合、グーグル中国を閉鎖し、中国から撤退する可能性がある。Google 天安門事件で単身戦車の前に立ちはだかった若者通称 Tank Man サイバー攻撃を指示した李長春と周永康 谷歌の代わりの谷姐 社会主義制度の擁護を前提とした言論の自由 人民民主専制=中国共産党専制 孫志剛事件。広州市のファッションデザイナー 釘子戸立ち退き抵抗事件 山西省闇レンガ工場の児童奴隷 アモイPX事件 おう安県の橋の上で腕立て伏せ 目隠し鬼ごっこ事件 ?玉嬌 70ま事件 四川全裸郷政府 広西煙草局長香艶日記 江蘇東海父子焼身自殺 河南茶杯門 2009年の網民の39%は中卒高卒 金盾行程と防火長城 ネットの政府のサクラ、五毛党 維権 与情 翻? 被自殺 被代表 被河蟹 草泥馬 心神不寧 無処逃出┃恭小兵 世界一のアクセス数を持つ韓寒のブログ 金羊問政 劉暁波は海外の民主化勢力から原稿料を受け取っていた 把我?的,money,投入我??涌的股海 我々の金を逆巻く株の海に投げ入れよ」
2★△# 中国動漫新人類:日本のアニメと漫画が中国を動かす┃遠藤誉┃日経BP社┃2008「2001年中3の比較アンケート:、日本⇒中:関心23+36%食文化25%歴史24%・⇒韓:食文化31%歴史14%、中国⇒日:関心44+41%アニメ46%科学技術26%・⇒韓:関心46+37%・歌/歌手42%ファッション28%、韓国⇒日:関心60+25%アニメ43%科学技術28%、哈日哈韓は軽蔑語・哈日かと聞くと不機嫌になる、海賊版が日本アニメを広めた、アニメ市場の儲けはキャラクターグッズ=衍生、著作権意識の強さ知名度を下げたアメリカのコンテンツ産業、DVDのDIY・その場で複製、政府がコスプレイベントを主催、中国のコスプレイベントは寸劇、鉄腕アトムの放映権売却・一回限り放映で10万円、生きたまま少女の眼をくり抜く猟奇事件、日本アニメの加工の80%は中国、防火長城Great Firewall of China、日本の動漫は台湾経由、80后・改革解放以後に物心ついた世代、アメリカのアニメには人権主義民主主義の思想性があり危険、中国はいずれ民主化・マルクスレーニン主義もそう言っている、中国の一般的な若者は日本の動漫を見て育っている、対日感情そのものは日本動漫の影響を受けていない、愛国主義教育に抗日戦争が強調されるのは95年以降、江沢民の実父は漢奸・日本傀儡政権の宣伝部長だったかも、美貌の宋美齢の英語とアメリカ経験がアメリカ軍を引き出した、反日暴動の発端はサンフランシスコ史維会、中国政府の人権侵害に抗議運動を展開する人々が慰安婦問題を主導・中国政府に関係なし、アイリス・チャンは2004年に不審なピストル自殺、日本のサイトから日本の気にくわないものを挙げてこれが日本だと紹介する憤青、KUSO文化、戦後の日本人の帰国にマーシャル特使の仲介・洗脳して赤化するのを恐れた、毛沢東は朝鮮戦争に反対・アメリカの介入を予言、中国人の群集心理・誰かが叫びだすと自分も同様に叫ばないとまずい・より激しく行動した方が安全だという保身・大地のトラウマ、英米の罪を日本ほど強調しないのは共産党が参加していないから、老華僑は阿片戦争以来の民族の屈辱といい抗日戦争と言わない、中国の為政者は感情的反日をおとなしく黙らせるかに苦悩している」
     ⇒ 遠藤誉(えんどう・ほまれ)1941〜。長春生まれ、53年帰国、(女性)。 
2★△  中国の不思議な資本主義┃東一眞┃中公新書ラクレ┃2007「ウェーバー:職業をそれ自体が絶対的な目的であるかのようにとらえる心的態度=プロテスタンティズムの倫理、ヘデラ型資本主義:人的ネットワークを利用した不正な利益追求が横行する資本主義、親しい中国人同士は口約束だけで資金を融通し裏切りがない、政府の建設プロジェクト:日本は談合という横の不正・中国は贈収賄という縦の不正、中国人は日本人や欧米人の80倍クラクションを使う、鉄鉱石価格は新日鉄と鉱石生産企業の交渉で決まる・最大手の中国企業に交渉力なし、役人ポストの売買・検察長まで、国家予算の2割が汚職役人のギャンブルで浪費、組織的で巨大なチケットの横流し、小さな権力を換金する権力換金システム、ネットワーク内での資源の優先配分、富裕層はほとんどが土地成金、日本の社会資本・共同体の相互監視の目・世間、中国に独禁法なし、盗聴されているとハウリングする・政府の悪口を言うと回線が切れる、三権分立なし、ネオアメリカ型資本主義へ、ライン型:集団主義的・高い社会規範・日本とドイツ、ネオアメリカ型:個人主義的・高い社会規範・アメリカとイギリス、イタリア型:集団主義的・低い社会規範・イタリア、拝金型:個人主義的・低い社会規範・中国、縁故資本主義:ネットワークを通じた権力への接近と利益の獲得と配分、ブラジルもヘデラ型か、アクセルロッド:全面裏切り戦略は常に集団安定・全員が裏切りの集団には他の戦略が入れない・複数のしっぺ返しが集団で侵入するのが唯一可能」
     ⇒ 東一眞(ひがし・かずまさ)1961〜。読売新聞、経営政策科学。 
_   ■人生をいかに生きるか(上)┃林語堂┃阪本勝┃講談社学術文庫┃1979┃1937
3★◎  中国=文化と思想┃林語堂┃講談社学術文庫┃1999┃1935「スポーツの普及しなかった中華文明、肉の柔らかな新豊鶏・雛鳥を身動きできなくして育てる・纏足から発案、李四光の中国における戦禍の周期的循環・800年で一周・短命で強力な王朝による統一・4-500年の平和・内戦から南北朝・異民族の侵入で幕引き・今は南北朝時代、党錮の禍から無関心に対する崇拝が始まる、老獪の哲学・老子道徳経、中国人に欠ける美徳:高貴・野心・改革・公共精神・冒険心・英雄の気概、中国人の美徳:無限の忍耐力・辛苦を問わぬ勤勉・義務感・分別ある常識・快活・ユーモア・寛容・穏やかな性格、ユーモリスト:中国の荘子,ペルシャのオマル・ハイヤーム,ギリシアのアリストファネース、中国人にとって成功や進歩のための前進は無意味、西洋人は進取と創造の能力に優れ中国人は享受の能力に優れる、典型的な中国式判断:甲は正確であるが乙も間違っていない、仏教の直接影響下に生まれた理学、原始中国ではファミリーネームは女性の姓を名乗るのが一般的、唐代の王妃の23人は再婚し四人は3度結婚した、中国人は砂・日本人は花崗岩・次の世界大戦があれば砂は吹き飛ぶだけだが花崗岩は打ち砕かれるだろう、中国の階級は二つだけ:特権の官僚階級・税を納め法に従うただの人、人々は法廷で争うことを避け95%は長者たちにより解決された」
     ⇒ 林語堂(りん・ごどう)1895〜1976。中国。作家、古代中国音韻学、言語学、比較文学。 
2★ゑ  厚黒学┃李宗吾┃尾鷲卓彦┃徳間文庫┃2002┃1937「英雄豪傑はただ面の皮が厚く心が腹黒いだけ、腹黒い曹操と厚かましい劉備の対決、孫権は厚さと黒さを少しずつもつ、寡婦や孤児を欺く腹黒さと巾幗の辱めをものともせぬ面の皮の厚さを持つ司馬懿・厚黒を兼ね持つ、"天下は司馬氏に帰す"、厚さはあっても黒くなかった韓信、黒さはあっても厚くなかった范増、厚さと黒さを兼ね備えた劉邦、やがら切断法:矢の刺さった負傷者に矢の柄を切り取り後は内科だといって治療費を請求した外科医、鍋補修法:穴の空いた鍋・客の隙を見て割れ目を広げて修理代を大きくしてから補修した鋳掛け屋、岳飛が殺されたのは矢を抜こうとしたから、儒教経典を換骨奪胎した厚黒経、いにしえをもって弟子となす・古代の著者は学識が浅いから先生のつもりで添削せよ、心理力学、交わることのないベクトル・目的が異なる人の関係、合体ベクトル・利害が一致してともに進む人の関係、円形・お互いの領域を守って秩序を保つ人の関係、楕円形・権利と義務が等しい、厚黒史観:二十四史の英雄豪傑の成功の秘訣は面の皮が厚く心が腹黒いこと、英語の教育=educationは引き出すの意、孔明はなぜ管仲楽毅に比したか・小国同士の同盟で大国に抵抗する戦略が共通だから、ウィルソンの軍師・ホース大佐、打倒日帝のための弱小民族連盟を提唱」
     ⇒ 李宗吾(り・そうご)1879〜1942。教師。 
2★◎  日・韓・中 三国の比較文化論:その同質性と異質性について┃王少鋒┃明石書店┃2000「文化についてのドイツの学問とアメリカの学問の影響、韓国人にとって宗教は現世を豊かに楽しむためのもの・各宗教をまぜこぜにして気にしない、ご老人が乗っていますの車を見て速度を落としたバス、公務員の孝行休暇、仏教用語:世界・実際・平等・相対・絶対、役職や住所は大きいものから小さいものへ書く日韓中、以心伝心より説得を重視する中国人、黄河流域の馬の文化・揚子江流域の船の文化、中国人はものまねが不得意で好ましくないと考える、中国の論文に指摘や結論の裏付けとなる資料がほとんどない・日本では引用文と注が少ないことを指摘され中国では引用が多いことや独自の論点が少ないと指摘された、日本の住・韓国の衣・中国の食、日本も江戸時代まで立て膝で座った、中国の赤指向・韓国の赤オレンジ緑青・日本は中間色、日本の生鮮食品・韓国の発酵食品・中国の熱加工食品、日本の木の文化・韓国の石の文化、生活の痕跡を消す日本人の美意識・韓国中国になし、韓国の葬式・故人が天寿を全うしたら笑いはしゃいで問題なし、韓国語に美化語なし、敬語のない中国語の上下意識の弱さ・個人と平等、日本ではじめて女性記者であると意識・女性記者として差別されたという人は日韓中で日本が一番多い、集団主義の日本・宗族主義の韓国・個人主義の中国、中国で"個性のある人"は最高の褒め言葉・日本では変人の意味、中国の格言"私の神様は私"」
     ⇒ 王少鋒(おう・しょうほう)1963〜。社会学。 
3#★? 日本見聞録[第3版]┃李国棟┃白帝社┃2002┃1991「日本文化の特徴:生活中心主義・共同体主義・関数主義、ロゴス反対力とロゴス思考力、日本人と桜・城を枕に討ち死にする武士団、中国人と梅・残り香を尊ぶ・死んでも変わらぬ節義を感じる、内ばけ:中国人>日本人>アメリカ人、日本の庭園は狭くて美しくないと感じる中国人、中国庭園の広さに不満な日本人、中国の大きな美・日本の小さな美、日本の文学作品は感覚を没入ざせて創作・中国の文学作品は抱負を表明しながら創作、日本人と中国人の詩的感覚は同じ、漢詩はの余韻への追体験でなく人物状態への吟味・結句で完成・余韻の俳句との違い、さびの余韻・華美の本音、倭人は越人と雑居・紀元前後に朝鮮半島に移民・任那という中継地・その後日本に渡来・門松や橙の習慣は長江流域より、卑弥呼・読みはびみか・意味は太陽の真純な女の子、祇園祭:仏教16%中国文化28%日本文化56%、日中の教育の違い:理念・手段・維持方法・問題、勝敗の明確化、師道尊厳・権力はないが権威はある・先生を殴れば必ず退学、いじめはあってもすぐ訴えられる・すぐ相手は退学になる、文盲は私利私欲にくらみ理解力記憶力が悪い、中国人は民主・自由、人権が知らない、中国には個人主義がない・勝手に気ままにやるという自在のみがある、中国人は社会主義市場経済に矛盾を感じない、今の中国は500年前の明王朝と同じ、日本文化の本質:縮景と和、魯迅:希望は娼婦・絶望ですらない、中国政府が民主主義を取ったら三国志の時代に、制服には生徒一人一人を平等な目で見る効果がある」
     ⇒ 李国棟(リ・コクトウ)1958〜。中国。比較文学。 
2★△  貝と羊の中国人┃加藤徹┃新潮新書┃2006「民の字源は針で目をつぶされた奴隷、紀元前10世紀の北九州の稲作・殷周革命で民族の玉突き移動、殷の貝の文化・周の羊の文化、故郷の月が一番丸い、北宋から南宋への転換期に南方に移住・疫病を恐れて生ものを食べなくなった、銃殺の弾丸の請求書が遺族に、死刑囚はさんざん迷惑をかけたのだから臓器を利用して罪を償うのは同然、功徳の区別・日本には区別がない、ユダヤ人は3000年前のダビデ王の時代500万人・現代は1500万人、フランス人は百年戦争と黒死病で人口半減、ドイツ人は三十年戦争で2/3に、北米先住民は数十分の一に、タスマニア先住民は絶滅、アリストテレスの時代のギリシャは200万人、卑弥呼の時代の日本列島は300万人、春秋時代の中国は450万人、ピラミッド建造の頃BC26世紀のエジプトは500万人、奈良の大仏の頃の日本は600万人、中国の戦国時代は2000万人、戸籍人口6000万・実人口1億が限界ラインでここに近づくと社会不安が起こる・人口増減サイクルが王朝の寿命を決定 ⇒因果関係が逆だろう・限界ラインを長期維持しているときもある、馬寅初・錯批一人,誤増三億、漢民族の南北の遺伝差は日韓の差より大きい、藩部:内モンゴル・モンゴル・ウイグル・チベット、冊封国:朝鮮・琉球・ベトナム・タイ・ビルマ、普通の国名:地域名+理念、日本:地域名のみ、中国:理念のみ、中華民国政府の抗議を無視し1930年まで支那共和国を使用した日本、元・明・清の地名でなく理念名称、日本書紀の神武天皇即位はBC660年、現代中国社会の理解のため補助線として昭和初期の日本社会を使う」
     ⇒ 加藤徹(かとう・とおる)1963〜。京劇。 
1▽◯  「小皇帝」世代の中国┃青樹明子┃新潮新書┃2005「北京大学のBBSの反日呼びかけは共産党青年団が削除、デモの費用をスポンサーに韓国企業、小原正太郎:梁少南文房具屋のなりすまし暴言、70年代生まれと80年代以降で価値観が大きく違う、マルコ・ポーロ:世界一美しい橋盧溝橋、政府は抗日を唱えていながら陰では日本に頭を下げているという認識、トヨタ・ナイキ・マクドナルドのCM放送中止事件、月光族:月給を使い尽くす人々、中国人客一人が外国旅行で使う費用平均987ドルは世界一、海亀派:海外からの帰国者、中国の文房具屋で売られているデスノート、試験用の2B鉛筆・偽物が出回る・偽物は濃さが足らず0点に、下がる大学生の初任給・500元に、大都市出身者と農村出身者はすべてが違う、年間25万人の自殺・若者の死因のトップは自殺・鬱病患者は2600万以上、精華大学で二人の教師が過労死、2003年0-4歳の男児は女児の1.21倍、転職せず一ヵ所にとどまるのは能力がないから・仕事を覚えた転職する、チャットのQQナンバー」
1◯▽  日中ビジネス摩擦┃青樹明子┃新潮社┃2003「東芝と日航事件。豚の餌も温める、人を信用しない習慣、スーパーに保安がいて荷物を預ける、法を犯す罪悪感が極端に薄い、言葉はきつくなっても手を出して相手の身体に触れてはいけない、マスコミにお金を渡す紅包、中国マスコミは庶民は逆らえない権力、検討=自己批判、卒業証書・免許書・領収書も偽装販売、ニセモノメーカーは商標登録していないものをねらい打ち、7月7日は蘆溝橋事件の日、日本は世論が割れると負け、文革で下放された日本留学生」
     ⇒ 青樹明子(あおき・あきこ)ノンフィクション作家、広東衛星ラジオ放送キャスター、北京放送。 
3▽△  現代中国の産業┃丸川知雄┃中公新書┃2007「ノートパソコンの6割以上は中国製、携帯やテレビの4割は中国製、南方節税ルートによる輸入・香港経由で密輸・税関で一度没収・競売で落札して持ち込む、1992年の輸入VTRの70%・カラーテレビの20%は密輸、中国産業の特徴は垂直分裂、製品差別化の日本・価格競争力の中国、中間財生産には規模の経済性がある、中国のテレビのICは日本製、家庭用エアコンのコンプレッサーも日系メーカーが強い、中国メーカーは基幹部品を外部に依存、同質化と薄利多売の競争、ビデオCDプレイヤーは日本ビクターが1992年発売、PHSとVCDは日本で生まれ中国でヒット、PHSは基地局間は固定電話の回線を利用、日本メーカーは中国メーカーの黒子に、2002年の中国製携帯の7割は台湾と韓国製、日本企業は求める機能を作り出すために製品を作る・中国企業は選んだプラットフォームから何を作れるか考える、漢字入力ソフトで始まったLenovo聯想、ノンブランドPCを兼容機・2003年市場の40%、2005年のパソコン・デスクトップ型が85%、自動車産業の閉じられた垂直分裂、市バスは市政府や地方政府の交通局が傘下のバスメーカーからバスを買う、他社の力を利用して取りかかりやすい産業から参入・基幹部品を複数の他社から調達する、藤本隆宏の産業分類:インテグラル型とモジュラー型」
     ⇒ 丸川知雄(まるかわ・ともお)1964〜。中国経済。 
2◯#  現代中国の禁書:民主、性、反日┃鈴木孝昌┃講談社+α新書┃2005「愛国者同同盟の廬雲飛、馬立誠・日本はすでに中国に21回も謝罪している、日本はもう中国に謝罪しなくていい・原題は謝罪を越えて・文藝春秋に抗議、陳桂棣と呉春桃・中国農民調査、SARSを告発した蒋彦永、衛慧の上海ベイビー、木子美の遺情書、男は獣のようになって女に有無を言わさぬ気迫を見せる時が最も美しい、毛沢東再評価の李鋭、討伐中宣部の焦国標、共産党の基本原則・世論の上層部との一致、ガンジー:監獄は旅館・家のベッドを監獄に持ち込んだだけ、香港市民の反日感情は中国本土を上回る・英国植民地なので反日教育は存在しない、憎悪を増幅させる中国の報道規制」
     ⇒ 鈴木孝昌(すずき・たかよし)1962〜。中日新聞中国総局長。 
2★   中国社会はどこへ行くか:中国人社会学者の発言┃園田茂人,編┃岩波書店┃2008「西部貧困地域の学費を無料化、子どもが中学高校に通うと農村世帯収入の半分が教育費に、江沢民の悪口を言っても胡錦濤と温家宝は批判にさらされない・良いイメージを持たれている、都市のホテルやレストランでは農村出稼ぎが70-80%・建設業と製造業では半分、アジア系企業の労働条件が過酷というステレオタイプ・欧米企業を高く評価する傾向、地方政府の許可なしの18階建てビル、女性が家に戻れば福祉が充実するという観念は中国にはない、中国の世代差・生まれが1984年の前後で大きな価値観の差、共産党員に儒教が必要、社会学の継続と進歩・経済学者の均衡・法学者の公正、資源配分に参与するエージェント:政府・市場・社会、ジニ係数最大国ブラジル・階層意識では中流が多い、中国では下流が多い、2006年農村の所得の伸びは7.4%、報道ステーションは平均視聴率14%・1500万人が見る、日本人の中国人への見方と中国都市民の農村への見方と類似、オリンピックスタジアムの工事は転落死が10人以上、農民工を嫌う都市の貧困層、マスメディアを信用しない60%」
2#◯  不平等国家中国:自己否定した社会主義のゆくえ┃園田茂人┃中公新書┃2008「マルクス主義・生産手段の国有化・階級対立は存在しない、農民と都市の格差・中国人はそれほど深刻に捉えていない、国有企業は国家が人事に介入する、ジェームス・マン:中間層が民主主義を求めるというのはアメリカ人の幻想、経路依存性path dependence、新中国成立後3年間は市場経済、2005年のジニ係数:ブラジル59.3中国44.7アメリカ40.8イギリス36.0インド32.5韓国31.6ドイツ28.3日本24.9デンマーク24.7、是正すべき不平等の順位:、中国:収入/教育/職業/性差/年齢/民族/宗教/出身、香港:収入/年齢/職業/教育/性差/民族/宗教/出身、日本:性差/教育/職業/収入/年齢/民族/出身/宗教、韓国:教育/職業/収入/性差/年齢/出身/民族/宗教、シンガポール:教育/収入/職業/年齢/性差/民族/宗教/出身、台湾:収入/職業/教育/性差/年齢/民族/宗教/出身、ベトナム:教育/職業/性差/収入/年齢/出身//、日本では低学歴だと教育への期待が低いが中国では逆、都市の出稼ぎ者は都市住民以上に生活に満足している、農村では政府でなく村に責任があると考えている、夫婦で妻の方が収入が多い:日本は3%・中国は26.6%、毛沢東:天の半分を女性が支える、全職mama、女性の方が待遇がよい香港、政府認可で待たされたらコネを使う・シンガーポールは手紙を書く、この8年間で国家機関の管理職が急激に豊かになった・共産党政権の中核の富裕化が進行、過去へ進化する社会主義:学歴主義と科挙・エリートと士大夫・エリートに人民の利益を代表するように人民も期待」
2◯△  中国人の心理と行動┃園田茂人┃HNKブックス┃2001「面子・関係・人情、做人情・送人情、自画自賛の中国人・自己反省の日本人、批判してはいけない、紅眼病、自尊心をくすぐる・褒め殺し、俺についてこい経営はダメ、自己主張の強さ・自己責任の弱さ、主張し始めたら止まらない、自我主義、個人的能力に強い関心、自己主張により維持する中国・感謝とお礼で維持する日本人、子どもも自己評価が高く協調性を重視しない、ノイローゼ:日本人は相手の期待に添えないとき・中国人は相手が自分を理解してくれないとき、原因は自分でなく他者にある、人間関係の利用、ホテルのウエイトレスに礼物、商売は関係ないものの歩み寄りから、腹の中で何を考えているかわからない、血統主義の強さ、地縁自治の低さ、日本の場の共有、共産主義が血縁からコネへ、何でも自分の子ども以外が悪い・親のいうことを聞くように求める、本家の概念なし、日本は直系家族・中国は共同体家族、南に行くほど国家威信よりお金、10年単位では中間層は民主化運動の力にならない」
     ⇒ 園田茂人(そのだ・しげと)1961〜。比較社会学、現代中国研究。 
1▽◯  日中はなぜわかり合えないのか┃莫邦富┃平凡社新書┃2005「ブロードバンド:寛帯網、解放軍の連隊長以上の60%は修士課程卒・中隊以上は90%大卒、新浪網の支持率29.1%、検索エンジンの捜狐、インターネットをよく利用する胡錦濤や李肇星、ハイアール:製品の質の悪さをサービスで補っている、中国消費者に対する日本企業の不誠実な対応・雇用主のまま接している・文化と消費者の尊重意識が中途半端、中国語の使えない携帯電話を中国に投入した日本企業、トヨタの覇道は横暴の意味、日系企業にはキャリアアップの機会が少ない、03年一人当たりGDPが1087ドル、1000ドルラインをうまく超えた韓国とマレーシア・失敗したブラジルとアルゼンチン、アメリカに留学したものは親米に・日本に留学したものは反日に、03年中国人観光客:オーストラリア17万人・日本9万」
2◯   中国全省を読む地図┃莫邦富┃新潮文庫┃2001「喬家大院を見ずには山西省を観光したとは言えない、戦前大連市の人口の2割が日本人、台湾移民人気度 1.オーストラリア 2.ニュージーランド 3.中国本土、客家の土楼という円形建築物、2000.6.18英国ドーバー港でトラックから58人の密航者の死体、人民公社の理想像を実現した河南省南街村、南水北調:三峡ダムから480キロの水路、97年に直轄市に昇格した重慶、国民の95%が台湾への武力解決を支持、李鵬総指揮の平遠街の麻薬掃討作戦・装甲車と3万人の武装警官を投入」
     ⇒ 莫邦富(Mo Bangfu)1953〜。中国。 
2▽◯  中国ビジネス 光と闇┃信太謙三┃平凡社新書┃2003「01年上海の一人当たりGDP4500ドル、サントリーの中国スタッフの中心人物・陳元強=東山元輔、海賊版取り締まり要請に衛星写真を見せたアメリカ側の政治力、大陸にとって台湾は第4の貿易相手・第二の輸入先、台湾の第二の輸出先は大陸、上海の台湾人は50万・全人口の2%、オーナー企業の多い台湾の決断の早さ、ニセモノメーカーと合弁会社を作ったホンダ、中国ビジネスではカネは最後に渡す・お互いを疑ってかかるのが前提・インターネット取引に向かない、01年の中国の億万長者100人で所得税を払ったのは4人」    北京特派員┃信太謙三┃平凡社新書┃1999「西域の空気を運ぶパイプラインの記事・天然ガスの誤訳、人民日報の詩の隠れた李鵬批判・下から斜め上に読むと李鵬辞めろ、北京の在外公館や外国報道機関の事務所の局番は6532ですべて盗聴している、女性を使って脅し協力者を獲得・ソ連の方法を踏襲、中国で一番大切な学問は関係学」
2▽   中国人とつきあう方法┃信太謙三┃時事通信社┃1995「中国では席次が重要、女性は待ち合わせにわざと遅れる・隠れて相手が待っているのを見る、ビルに偉い人の名前を付ける・公安・税務局・工商局の嫌がらせを受けずにすむ、税務署員や公安の食事はただ、中国人との商売では契約調印の最後まで譲歩部分を残しておく・相手の面子を作るため・金額の5%程度、批判も直接指摘しない・良いところを認めた上で間接的に悪いところを指摘、上海人の体格風貌が日本人に近い、まじめで率直な東北人・プライド高き北京人・都会っ子の上海人・豊かな島の台湾人・商売上手な広東人、香港ではお金がないのは馬鹿と同じ、美人の産地:蘇州・成都・大連、おしんのモデルは八百半和田一夫会長の母親」
     ⇒ 信太謙三(しだ・けんぞう)1948〜。時事通信社、北京特派員、妻が中国人。 
1▽#  中国人と気分よくつきあう方法┃花澤聖子┃講談社+α新書┃2002「多量を値段交渉のコツ・まず単品で交渉して買値を決める・これだけ買うから負けて、貨比三家・三軒の店を比べてから買う、自分と気の合う店を見つけて行きつけにする、副は省いて呼ぶ、お礼を2度するのはとても恥ずかしい・もっと欲しいとねだっているように感じられるから、子どものしつけで"ごめんなさい"は教えない、道に倒れている人は助けてはいけない・病院費用を払わされる・犯人と思われる危険・疑わしきは罰すのが中国の法律・無実を証明しなければならない、謝罪文は書いてはいけない・証拠としてさらに要求される、商品はその場で箱を開いて点検、骨折り料を要求するタクシー、中国人の常識:悪いことをしなければお金は儲からない、交渉相手の地位を確認する、人と人の関係を作り利用すること、相手のテリトリーの仕事をすることは相手の批判を意味する、上司は部下に気を使わないと部下は働かない、北京は乾燥がひどく肌が荒れ鼻血が出やすい、初めて会った人とペラペラ喋るのは印象がよくない、日本人であると明言して話しかける方が喜ばれる」
     ⇒ 花澤聖子(はなざわ・せいこ)1954〜。中国語、外交官夫人。 
2☆   写真録 さらば中国┃八木澤高明┃ミリオン出版┃2008「上訴村・直訴村、肖家店村・癌村、河南省のエイズ村、娼婦は1000万人以上」
     ⇒ 八木澤高明(やぎさわ・たかあき)1972〜。カメラマン。 
1☆ゑ  中国嫁日記(一)┃井上純一┃エンターブレイン┃2011「なれそめ話あり この漫画は、夫から私への最高のサプライズでした。インターネットでも非常にアクセス数が多いとの事で嬉しく思います。 ???本?是他送?我的最大的?喜,听?在网上的点?率也是非常高,?真是太?心了。」
     ⇒ 井上純一(いのうえ・じゅんいち)イラストレーター。 
2#   国際保健政策からみた中国:九大アジア叢書┃大谷順子┃九州大学出版会┃2007「2003年3月の結核菌感染者は5.5億人・発病者は450万人、SARS流行時の援助・オーストラリアやアメリカや西欧は自国に利益還元させるように手柄の取り合い競争・ニュージーランドと日本は良心的、女性の自殺率が男性より高いのは世界で中国のみ・農村で出稼ぎの夫を待つ妻・農薬があり自殺成功率が高い、2004年の交通事故死亡者数は約11万人、北京市はバイクの使用を禁止、保健医療教育分野の公的資金配分は5.5%・OECD平均は28.2%」
     ⇒ 大谷順子(おおたに・じゅんこ)国際保健、人口学、社会開発学。 
3#   中国人の面子2┃江河海┃佐藤嘉江子┃はまの出版┃2001「老人に三国志演義・子どもに水滸伝・男に西遊記・女に紅楼夢を読ませるべからず、面子は相手が苦しいときに送るのが効果的、法律問題が発生したらまず人脈で穏便に処理できるか模索する、相手の立場に相応しい扱いをする、面子にこだわる人は勝ち気で皆が自分に従うべきと考える、自分が地位に相応しい扱いを受けることを重視、対立を解消するには双方が尊敬する人物が仲裁・その人物の面子を立ててお互いがひいて解決、面子≒影響力、以前に手を貸した人物にものを頼めば力になってくれる、前に世話になった友達だと紹介するだけでも面子が立つ、面子≒特権、面子≒威光・大物の威光を利用してことを進める、とにかく言い負かさないと面子が立たない、中国人の舌戦は論を戦うのではなく面子をかけた争い、面子を大きくするにはもったいぶること、面子≒地位・長い会議・指導者が次々と挨拶する、中国人の人間関係はグループでなく一対一」
2#▽  中国人の面子┃江河海┃佐藤嘉江子┃はまの出版┃2000「有料公衆トイレ管理員・北京のリストラ労働者で応募したのは数人・やることになったのはよそ者、政界の長老を職名でなく名前で呼ぶ、つぶされた面子は必ず取り返す、地方指導者が中央であしらわれる、夫婦の間だけなら面子もない、子どもを工読学校に行かせないこと、相手の面子を利用して人を泥沼に引きずり込む、知識分子の過剰な面子、新任教師の質問や相談に誰も協力しない、権力者以外の面子はあってもいいことはない、軍隊では殴り合いの喧嘩はご法度、面子にこだわる人の過ちははっきり言葉で言う必要はない・暗示で十分、人を使ううまさは部下の面子に対する考え方を理解して対処すること、対等でないと面子がない・友達とは対等であるべき、顔を広く見せる・面子の誇示、面子:執着・こだわる・争う・ない・立派・失する、頭を下げさせるとは相手の面子を失わせること、面子を失ってよいのは:一人の前はいいが二人の前はだめ・家族の前はいいが友人の前はだめ・友人の前はいいが見知らぬ人の前はだめ・少数の前はよいが多数の前はだめ・同性の前はいいが異性の前はだめ、面子にこだわる人=死んでも守る・飾る人=負けず嫌い・囚われる人=傷が付かないように隠す」
     ⇒ 江河海(ジャン・ホー・ハイ Jiang He Hai)1955〜。出版社編集主任、執筆、連続ドラマの脚本、軍人。 
3▽△  中国人、会って話せばただの人┃田島英一┃PHP新書┃2006「白いルーズソックスは膝から上を相対的に細く見せる・膨張色の白とだぶだぶのデザインの錯覚、中国に地方公務員なし・末端まですべて国家公務員、内中国=農耕中国・外中国A=藩部中国・外中国B=海洋中国、88=バイバイ、3166=さようなら、GG=お兄さん、PLMM=可愛い女の子、TMD=ちくしょう、中国の200以上の愛国教育施設・抗日戦争関連は6つ、小学校社会教科書の全113ページの内の日中戦争は6ページ、中学校の中国歴史の全128ページの内20ページ、ウエストファリア体制よる冊封体制の否定、中国女性は夫を敵とも呼ぶ、1993年銀河号事件:中国貨物船を米軍が強制臨検・化学兵器を発見できず・港に積み忘れていた、中国五大宗教:道教・仏教・イスラム教・カトリック・プロテスタント、民間信仰は迷信・法輪功は邪教・儒教は儒家思想という哲学、広東語:始皇帝の派遣した秦軍が中原の言葉を持ち込みピジン化し広東語の祖先に、水牛を写真撮影すると撮影料10元要求した農婦、共産党統治下では反乱・封建時代なら義起、河南省南街村の村民は3000人・村の外からの労働力は1万人・奴隷が支えた古代アテネの市民の民主主義との類似、四川と秋田・ともに日照量が低く肌の色が白い、昆明のホテル・噴水の周りを歩く30人の若い女性・回転寿司ならぬ回転売春婦」
2▽   上海:大陸精神と海洋精神の融合炉┃田島英一┃PHP新書┃2004「上海市街が陸地化するのは五代十国頃、春秋越は100万余・斉が500万、北京方言と福建ではドイツ語と英語の差に匹敵、西田龍雄:タイ系の商語とチベットビルマ系の羌蔵語の影響下に形成された周語、138m15000tの宝船、茶と米国の成立・ボストン茶会事件、官僚人民比:前漢794隋365唐392元2613明2299清911現代28、上海は外国人が作った・中国人から奪ったのではない=札幌はアイヌから奪った都市でない」
3▽◯  「中国人」という生き方:ことばにみる日中文化比較┃田島英一┃集英社新書┃2001「オウム真理教の移住と住民の論争と日中の歴史問題の類似、中国語ヤフーで日本鬼子で検索してみよ・反日感情が民衆と指導部とどちらか先かわかる、呉越の言葉は膠着語だったとも、東アジアの漢文・中世ヨーロッパのラテン語、中国では夫をマネージメントする意識のない妻は失格・落合夫人は標準、百見不如一幹、中国の番組は男女一組で司会する、バイアグラ=偉哥、中国人のバランス第一、日本の政治家が説明しないのは国民世論を信じていないため・国民が地元利益優先で政策や公約を気にしないのは政治家不信のため・相互不信の民主主義、中国北方で血を流して殴り合う女性を何度も目撃、プライバシーに踏み込む中国人、ドイツ:飲み物コップに目盛り・正確に入れるため・列車運行も正確、本人の代わりに謝る南京の謝罪会社、対不起でなく我不是故意的を教えとけ、公正な道理のため徹底して争う、表がアディダス・裏がプーマのリバーシブルジャンパー、社会で異なる不寛容・西洋人の洟かみ・日本の公共交通での酔っぱらい、人間中心主義で自力本願・キリスト教は神の恩寵で・中国人は修行と薬で不死身になろうとする、謙遜には"まだ上がいます・ハイチャーユエンナ"、勝手に横断歩道を書く・高速道路の壁を壊して自宅直通インターチェンジを造る、日本人は一人なら蛇10人なら龍・中国人は一人なら龍だが10人だと蛇、孫文:砂のように団結力のない中国人民」
     ⇒ 田島英一(たじま・えいいち)1962〜。中国地域研究、中国語文法、チベット語、言語学、中国語文法。 
2△   交渉術 日本人vs中国人┃孔健┃講談社+α文庫┃2001┃1998「中国人は騎馬民族? ⇒蒙古族が聞いたら笑うよきっと、急便は中国語で急な便意、日本式指圧=ソープ、相手の妻を褒めると下心があると見られる、副◯◯では副を省略して呼ぶ、化学兵器を作ろうとした被立王教の呉楊明、有言無実の日本人が多い・契約ではない口約束は守らない、共存共栄は禁句、2千億円以上の汚職事件の周北方は死刑執行猶予二年、94-95年朱鎔基暗殺未遂事件が9件」
     ⇒ 孔健(こう・けん・孔祥林)1958〜。チャイニーズドラゴン新聞、中国画報社。 
2ゑ   中国語はおもしろい┃新井一ニ三┃講談社現代新書┃2004「北京語と広東語はドイツ語とイタリア語の差以上、小津安二郎の笠智衆は何を喋っているかわからない、マウス=滑鼠・アットマーク=老鼠号・モデム=猫、京都を見た中国人・唐代遺風、二胡や楊琴はここ数十年に今の形になった」
     ⇒ 新井一二三(あらい・ひふみ)1963〜。雑誌記者、台湾誌コラムニスト。 
2△   日中2000年の不理解:異なる文化「基層」を探る┃王敏┃朝日新書┃2006「九尾狐は遣唐使の吉備真備の帰国船に便乗して来日、礼記:狐は仁なり、裸祭りの盛んな文明国日本、項羽人気は判官贔屓ではない ⇒日本でも項羽の方が人気があると思うが?、韓国人の恨は歴史により生み出された ⇒上下関係の厳しさによるものです、思想を衣服のように着替える文化」
2#   中国人の愛国心:日本人とは違う5つの思考回路┃王敏┃PHP新書┃2005「どんなに醜い母でも愛さなければならない、どんなことをしても親の面倒を見る高校生・日43.1%・米67.9%・中84.0%、愛国無罪:1930年代の七君子事件より・国を愛する反政府運動を有罪にするな、2004年の反韓国デモ、愛国賊:暴動など過激な愛国運動する人、中国人の歴史的観点・日本人の国際的観点、インド人の歴史好きは中国人もうんざりさせた、千年以上前から中国を意識した日本と百年前に意識し始めた中国、尊敬する職業:1.教師・2.医者、民族より文化・清は中華で元は侵略者、中国人の中国文化のイメージ:1.四大発明・2.孔子・3.歴史・4.万里の長城・5.文字・6.京劇・7.唐詩・8.宋詞、入院の母のお見舞いでの最初に挨拶するのは:日本人は同室の患者さんに・中国人は母親に、メディアに載ればそれは政府の意見と思う中国人、日中関係のデータ:在中日本企業28000・雇用されている中国人100万・訪中日本人330万・訪日中国人65万・日本人留学生2万・中国人留学生8万・就学生3万・在日中国人60万・在中日本人6万」
2#   ほんとうは日本に憧れる中国人┃王敏┃PHP新書┃2005「北京市民の体重は90年代から7.6kg、女性誌は欧米誌より日本誌が人気、任遵亮のサイト、著名人所得ランク1.姚明 2.章子怡 3.趙薇 4.王菲 5.鞏俐 6.張芸謀 7.周迅 8.黎明 9.孫楠 10.李連傑、中国一の富豪は資産1000億円、中学生の興味:アメリカはスポーツ・中国は修士号、自衛隊イラク派遣反対は若い人ほど反対が少ない、歴史問題は年齢が高いほど重視、日本は体験文化・中国は表現文化」
3#   〈意〉の文化と〈情〉の文化:中国における日本研究┃王敏,編著┃中公叢書┃2004「北京大学で婚前交渉で退学となり自殺したカップル、村上春樹は200万部売れた・ノルウェイの森は72万部、万葉集には中国では失われた漢詩漢文がある、中国の教育・意志を育成し鍛える、美学3説:美は客体にあり・美は主体にあり・美は主体と客体の統一にある、中国人は美は主体にあり、日本人・自分の悲しみを相手に聞かせるとその人を辛くさせるので礼儀を欠く、朝貢関係は植民地と宗主国ではない・象徴的な帰属関係・中国が損をする関係、文化は伝播するもの・中国の文化恩人意識は不当・西洋人は恩人か」
2    100人@日中新時代┃21世紀日中メディア研究会┃中公新書ラクレ┃2002「弁当の原材料費は半分以下が目安、劉燕子、500万部の天怒、サンダカン八番娼館」    花が語る中国の心┃王敏┃中公新書┃1998「レシピもある。花も食べる」
     ⇒ 王敏(ワン・ミン)1954〜。日本研究、日中比較研究、宮沢賢治研究。 
3▽   中国法:「依法治国」の公法と私法┃小口彦太┃集英社新書┃2020「はじめに  序 章 私法か公法か、法律認識のギャップがもたらした事態  ―尖閣諸島国有化問題  【私法編】  第一章 “中国では法はあって無きが如し”か  第二章 悪魔の証明を強いられた日本企業  ―三菱自動車株式会社損害賠償事件  第三章 対日損害賠償請求における法と政治  ―「商船三井」船舶差押事件とその後  第四章 教室の学生の誰一人として賛成しなかった民事判決     ―広東省五月花レストラン人身傷害賠償請求事件  【公法編】  第五章 二つの憲法     ―沈涯夫・牟春霖誹謗事件  第六章 拷問による自白の強要     ―殺されたはずの妻が舞い戻ってきた?祥林事件と、憐れ刑場の露と消えた劉涌事件  第七章 中国の[法院]は裁判機関か     ―莫兆軍職務懈怠罪事件  第八章 表の法と裏の法     ―南?鋒不法所得罪事件  おわりに  進んだ中国契約法  中国民法の先進性  中国憲法:党の指導を護持するために市民の自由を切り込むことを保障するもの  法院に独立性が欠けた行政機関  民事訴訟法も公法  裏の法の存在  日本は裁判官の独立、中国は法院組織の独立  約定の重要性  証明妨害として挙証責任の転換  三菱自動車、証拠のガラスを日本に持ち帰ったため、証明を求められた  五月花レストラン人身傷害賠償請求事件  拷問による冤罪事件  疑わしきは軽きに従う  判決の確定力の欠如  1949-1979年まで中国に法典なし、国民党の六法全書を廃棄  内部規定としての裏の法  香港に三権分立なし、行政権が主導  ケ小平こそ現在の中国法の総設計師」
     ⇒ 小口彦太(こぐち・ひこた)1947〜。法学、中国法。 
2#   日本は中国でどう教えられているのか┃西村克仁┃平凡社新書┃2007「2006年10月から半年間北京で中学高校の歴史授業に参加、授業中に水筒やペットボトルは置いて可、中高生は上下のジャージで学校生活、日本では日本史が必修ではない、古代史の歴史観・多民族がいかにして中華民族として統合されてきたか、日清戦争以来の日本の侵略を政府により周到に計画されたものと捉えている、中国教科書の軍事作戦の詳しさ・日本では教育現場に軍事を持ち込むのはタブー、2006年秋に日本製食品と化粧品で中国基準を超える有害物質が検出」
     ⇒ 西村克仁(にしむら・かつひと)1969〜。高等学校社会科教諭、東洋史。 
1#◯  中国抗日映画・ドラマの世界┃劉文兵┃祥伝社新書┃2013「近年の抗日ドラマの行き過ぎた表現のなかにこそ、政治的プロパガンダの作用では解釈できない、庶民の本音の部分が見え隠れしてる 抗日ゲリラを馬賊として侮辱 小玩意の監督孫瑜 風雲児女の主題歌が国家に イタリア人スパイ、ヴェスパー。中国に協力し逃亡後、フィリピンで処刑される 日本人スタッフ小野沢亘による北京映画撮影所のモチーフ彫像 趙一蔓。抗日ゲリラの女傑 平然と日々の仕事をするかのように人を殺しているこの将校は、プロの軍人だ。姜文 観客動員数18億の『地下道戦』 川島芳子は清朝の王族 永遠の友人または永遠の敵はおらず、実在するのは永遠の利益の争いのみ。英国首相ディズレーリ Neither friends nor trivals are everlasting, but only profits. 没有永恒的朋友,也没有永恒的?人,只有永恒的利益。」
1#   中国10億人の日本映画熱愛史┃劉文兵┃集英社新書┃2006「君よ憤怒の川を渉れの高倉健、中国全土が泣いた金日成の花売り娘、燃えろ!アタックの必殺技、ひぐま落とし:晴空霹靂、ジャンプサーブ:旋転日月、ハリケーンアタック:幻影旋風、UFOサーブ:流星[走旱]月、パールドリーム:流星火球、ミラクルアタック:幻影游動、バーミューダ・スクランブル:游動援護、スクリューサーブ:螺旋飛球、ハンマーアタック:飛燕展翅、フライングレシーブ:魚躍接球」
     ⇒ 劉文兵(りゅう・ぶんぺい)1967〜。中国。表象文化論、映画芸術論。 
2◯   変わる中国変わるメディア┃渡辺浩平┃講談社現代新書┃2008「2005年からの変化、毛沢東:調査なくして発言権なし、ダンボール肉まん事件・歩合制記者、商業紙・裏を取らずに掲載、焦国標:中央宣伝部を討伐せよ、梁啓超:喉と舌・耳と目、07年末ブログ人口4700万人、学生会選挙に交際費が必要、フォーカスメディア・LCD・エレベーター前のディスプレイ広告、江南春:広告は強制的に見せなければならない、呉蓉のセクシーお天気お姉さん、PK:PlayerKill・末位淘汰制、超女決勝戦の視聴者は四億人、大長今:視聴率14%・1.8億人、超女の類似番組夢想中国、紅衣教主・黄薪、孔慶翔・アメリカン・アイドル、三大烈女:木子美・芙蓉姐姐・紅衣教主、パロディー:悪?、チベット族の蒲巴甲、法輪功は香港マカオでは活動可能、劉心武と紅楼夢、于丹・論語心得・論語力、歴史超男易中天・国学超女于丹、孔子学校は200校、四川のケンタッキーは寄付が少なくて営業不能に」
2▽   中国ビジネスと情報のわな┃渡辺浩平┃文春新書┃2003「東芝と日航事件。記者会見に紅包と食事提供、中国は米国的訴訟社会に、抗日キャンペーンは日本のスポーツ紙を参考にした、大都市では人民日報は読まれない・部数200万部、第4の権力マスメディア、歴史問題のため日系企業は実弾=現金が使えない、メディアの世界で日本は悪、罵街のすすめ」
     ⇒ 渡辺浩平(わたなべ・こうへい)1958〜。広報広告論、中国メディア論。 
2◯   知っていそうで知らない台湾┃杉江弘充┃平凡社新書┃2001「犬が去って豚が来た、台湾人から新台湾人へ、9割が台湾人、中国の激しい批判を強調と理解する、日本精神の残り、2200万の台湾に年700万海外渡航者」
     ⇒ 杉江弘充(すぎえ・ひろみつ)1947〜。産経新聞特派員。 
3#   ハイアールの企業文化:中国トップ家電メーカーの経営戦略┃遅双明,編著┃多田敏広┃近代文芸社┃2004┃2003「張瑞敏:良い魚は手が届かない・悪い魚は食べられない・活気のないショック状態の魚だけ食べられる、80/20の原則・管理者は80%の責任を引き受けなければならない、13年間で18の企業を合併、農村用冷蔵庫:低電圧対応、トフラー:大量生産から個性化された製品へ、ハイアールの新製品発表数の多さとスピードは国内最高、大企業をつぶすには40年の管理経験のあるマネージャーを派遣すればよい、ハイアールの核心的価値観は"創新"、OEC:全面的・各人毎日・管理、インテルの理事長ガルフ:中国人は冨に対して持って生まれた創造力があるが組織的運営に情熱と関心が欠けている、張瑞敏:中国人の最大の欠点は真剣さに欠け物事をやっても所定の位置に達しないこと、ハイアール従業員の規律の高さ・通勤バスも一分の遅刻も許されない・使った物は元に戻す・かつて作業場で大小便の禁止の管理が必要だった、SST:賠償請求・報酬請求・ブレーカーが落ちる、3つのゼロ:欠陥ゼロ・サービスの距離ゼロ・運営資本のゼロ、使用可能な製品は合格ではなく欠陥があれば廃品、誠:言葉を実現すること、発明者の名前を工具につける、サツマイモ・果物・ハマグリまで洗える洗濯機、ソニーの盛田はイギリス女王賞を授与された」
     ⇒ 遅双明(CHI Shuangming) 
1#   北京大学 超エリートたちの日本論┃工藤俊一┃講談社+α新書┃2003「全国統一試験では女子学生が6−8割と男子より強い、倭にはやわらかで美しいという意味がある?、日本への留学生がお金に困り過ぎる、死とともに罪もなくなるか罪は永遠に消えないものか、暗記教育による教科書の影響力、日本の恥の文化・中国の生の文化、中国人の献血恐怖症、献血者には3日間の休養、中国人は自分より優れている人を見ると手段を講じて足をひっぱり自分のレベルに下げさせる」
     ⇒ 工藤俊一(くどう・としいち)1922〜。中国語の翻訳、北京大学日本語教師、取材執筆活動。 
2▽   中国見聞一五〇年┃藤井省三┃生活人新書┃2003「中国を訪れた日本人の話を小説風に描く、生物学の原則に従い台湾を統治・慣習を重んじること、後藤の阿片漸禁政策・台湾309万人中16.9万が阿片中毒、19世紀末の台湾の識字率は10%、19世紀後半に満州に3000万人の漢族が移住、借古諷今、満州国夜の支配者甘粕正彦・アナーキスト夫妻を殺害、1938年満州国・日本人50万・朝鮮人105万・満州人3670万の内の満州族は242万、開明的独裁者・蒋経国」
     ⇒ 藤井省三(ふじい・しょうぞう)1952〜。現代中国文学。 
1▽   われ日本海の橋とならん┃加藤嘉一┃ダイヤモンド社┃2011「国家主席とも会見 俺の親父は李剛だ。我?是李?。 高校二年でTOEIC900点前半 朝六時から外で大声で英語の専門書を音読する北京大学生 時代が第三の目を求めていた 外国人の報道系のコメンテーター 弁証法式コメント:ブラス面→マイナス面→解決策 ジャスミン茶が飲みたいのつぶやきが削除された 中国三億人の暇人 中国の個人主義とは無関心 弱者と女性の面子を守ること 面子が貨幣のように流通する・面子経済学 徴兵制の代わりに老人介護施設へのインターンシップ」
2◯   中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか┃加藤嘉一┃ディスカヴァー携書┃2011「原題:中国,我誤解ni了ma?、日本人と中国人は公と私の振る舞いが逆転している、信号が変わるのを待つと30分くらい何もできない、▽なぜ?、謝ってすむなら警察はいらない、日本の若者の方が自立して生きていく力が比較的高い、北京市民はみんな信号を無視する、出る杭は打たれる、いじめ経験・空気を読めない、著者身長185cm68kg、計画は変更に追いつかない、中国では政治家と官僚は同義語、ブログの記事は平均アクセス数50万」
     ⇒ (かとう・よしかず)1984〜。コラムニスト、コメンテーター。 
2#   現代中国悪女列伝┃福島香織┃文春新書┃2013「日本三大悪女は北条政子、阿野廉子、日野富子 妻は結婚しても婚家の一族の正式な一員になれない、という中華的価値観 婚家において永遠の部外者、永遠の敵。それが中国における妻の立場 ▽そんな妄想書かれても……読者へのサービスかな 実の父にも暴力をふるった薄煕来 人生はゲームよ。谷開来 強権暴力が真理である 紅道と黒道 風俗と建設業市場をマフィアを使って独占し、メディアを利用してそれを都市再開発として報道させる 死して屍拾うもの無し。 温家宝には不倫の噂もなし ▽彭麗媛は全く悪女ではなく賢夫人にしか読めないが…… 公共情婦 7.23高速鉄道事故。追突した方が先行列車だった ▽鳳姐も別に悪女じゃないし…… 藍蘋 王光美 葉群 101はまだ家にいるのよ。 日本人には不正なことをやればお天道様に恥ずかしいという感覚がある ▽間違い。お天道様でなく世間。他人の目を強く意識する相互監視社会であることと、逃げ場がない社会であるため」
2#   中国のマスゴミ:ジャーナリズムの挫折と目覚め┃福島香織┃扶桑社新書┃2011「angel girl報道。百度百科で このニュースは広く流れ、世界の多くのメディアに報道されたが、今もってオフィシャルサイトもブログもない。 段ボール肉まん事件は捏造記事 ポジティブな報道が欲しいなら会議室でなくホテルの宴会場で軽食とコーヒーを用意しサンプル商品や車代を用意すること 人民日報は公称250万部 ▽少ないな産経なみじゃん 国家主席は馬鹿だと書くと国家機密漏洩罪で逮捕される 新聞記者証 中国最大の新聞は参考消息。325万部 エイズ村は売血のため 毎回、特ダネがあるわけではないが、毎週ここを読めば、中国がわかる。 不是?一期都有独家??,但是?一周都可以在?里??中国。 すべての人が大人物になれるわけではないが、すべての人がここを読めば、中国がわかる。 不是?个人都成?大人物,可是?一个人都可以在?里??中国。」
     ⇒ 福島香織(ふくしま・かおり)1967〜。中国関連分野のジャーナリスト、産経新聞。     私と中国とフェミニズム┃秋山洋子┃インパクト出版会┃2004「遺伝子が日本人に近いブリヤート族、女は月ではありません人の光を借りて存在することはできません私たちは自分の道を歩かなければならないのです、中国庶民の伝統的服装は男女問わずズボンと上着の組合せ・ロシアではズボン姿ではない、女性兵士が男性兵士を援護して過半数の犠牲者を出した西路軍女性先鋒団兵士」
     ⇒ 秋山洋子(あきやま・ようこ)1942〜。中国文学、女性学。     なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか┃有本香┃祥伝社新書┃2009「満州国で日本の役人は法律に厳しいので法匪と呼ばれた、火薬は漢の時代の発明、中国人のジョーク下手・芝居めいた冗談に・自嘲型ジョークは有り得ない、個人消費はGDPの4割・米日独印は6割、中国式分業・徹底して細分化しそこだけやらせる・人海作戦、海外中国人の仕送はGDPの1%以上、鶏や豚を目の前で殺すのが信用の表示、プラマプトラ川をせき止めて自国へ引き込む計画、カウボーイの国アメリカには死刑で・武士道の国日本には自殺で演出」
     ⇒ 有本香(ありもと・かおり)フリーライター。     中国人のまっかなホント┃J.C.ヤン┃小林千枝子┃マクミランランゲージハウス┃1999┃1998「孔子は農民が一番偉いと説いた? ハルピン:糞尿は冬までため凍ってからチェーンソーで切り分ける、感情を描写する言葉が豊かではない」
     ⇒ J.C.ヤン()英。     これが「文革」の日常だった(文革笑科集)┃余川江,編┃徳間書店┃1989
     ⇒ 余川江()19〜。。     中国人の正体:彼等は何故、その場限りの嘘をつくのか┃金谷俊秀・よしのあこ・池田智子┃学研新書┃2008「中国小ネタ集、お礼は言うものではない・手土産はよいものを、中国人が謝罪しないのでなく日本人がし過ぎる、パンダの毛並みは硬くてごわごわ、中国人は日本人がゴミ箱にゴミを捨てることに感動する、北京上海では携帯普及率はほぼ100%、ガソリンスタンドで携帯使用禁止、没問題は"なんとかなるかも""できるだけやってみる"、近衛兵が紅を進め緑を止まれにしようと主張、小学生で流行るネット婚・インターネットで結婚式し家庭を作り子どもを産む、レストランでは頼んでいない料理が追加されることも、人前で中国人を叱責してはいけない、自分が大好き・自分を好きにならない人を誰が好きになるのか、公衆トイレで足をつつく・同性愛の誘い、クレームをつけるということ、仕事より食事に行くことが重要、腐敗幹部の賄賂に音を上げた企業が女と契約して派遣する」
     ⇒ 金谷俊秀(かなや・としひで)チャイナ・ウォッチャー。 
1◯▽  私の紅衛兵時代┃陳凱歌┃苅間文俊┃講談社現代新書┃1990「文革という無法時代、雲南への下放、中国軍のベトナム戦争参加」
     ⇒ 陳凱歌(ちん・がいか chen kaige)1952〜。中国。映画監督。 
1☆   中国年画の世界┃樋田直人・松田高治┃淡交社┃1996
     ⇒ 樋田直人(ひだ・なおと)1926〜。建築家、中国年画研究、蔵書票研究。  
2▽ ? 日本人・中国人・韓国人┃金文学┃白帝社┃2003「韓国人は特定の人以外姓名のフルネームで呼ぶ? ⇒嘘いうな喧嘩になるぞ・普通は下の名前にシ(さん)でしょうが、日韓は表現が適切で言いたいことを完璧に表現できる? ⇒使う人個人の問題です、日本語と韓国語では誰が好きか特定が必要? ⇒省略する方が普通です、日本の女の子は発育が早熟、美脚の中国人、日本の着物はボディラインを強調している? ⇒わかるかよ!、韓国母親の"うちの子はNo.1"、中韓の一番好き、日本化のフランス語・タタミーゼ、畳・オンドル・椅子、日韓は奇数文化、靴を玄関向きに直す日本人の奇異、日本は島国なので四方からの侵略を受け入れるしかない? ほとんど意味不明、ヌンチ(直感)を論理や分析より重視する韓国人、西洋文明との接触:日本は医師・中国は天文台・韓国は通訳官、北京舞台後軍部山西部署・軍人になりすまして石炭販売、韓国人の情・日本人の理・中国人の義、中韓は解いて力を出し・日本は締めて力を出す、日本は聞くのを好む耳の文化・中韓は話すのを好む口の文化、君が代はもともと古今和歌集の恋人を歌うもの」
2  ??? 「反日」という甘えを断て:再び、韓国民に告ぐ!┃金文学┃祥伝社┃2002「アメリカ人の方が集団主義的? ⇒それは定義の問題です、日本文化はすべて韓国から=韓国文化はすべて中国から、「愛国心」や「国家」不在の戦後日本は長く暗い不幸のトンネル? ⇒なんだそりゃ・日本が史上もっとも幸福になった時代なのに評価が無茶苦茶、歴史教科書の本来の目的は愛国心と国威発揚? ⇒それこそが中韓の間違った思考でしょ、中国・北朝鮮で体罰は禁止・著者も経験なし、韓国は軍隊で暴力的権威主義を身につけて暴力に不感症に、苛めで仲間はずれにする:ワンダ、韓国の苛めは日本よりひどい・私も日本人より韓国人から悪質な攻撃を受けた ⇒日本を褒めて韓国を貶したんだから当たり前、日本は靖国があるが韓国は戦争犠牲者をなおざりにしている ⇒靖国は兵士のための施設で戦争犠牲の大半とは関係がない、日本人には同族に対して非人道的虐待をしたケースは記録にもない・自国民を虐待することはんい ⇒山のように記録がある・ばかばかしくて話にならない、韓国文化:女性の巫女的古文化と男性の儒教的文化の二重構造、02年韓国連合ニュース:外国人労働者の55.1%が賃金を滞納された経験・30%が暴行を受けた経験あり、韓国が糾弾する政策は臨戦期のもの」
3◯   韓国民に告ぐ!┃金文学・金明学┃祥伝社黄金文庫┃2002┃1999「金芝河:恨は韓民族だけのもの ⇒ポーランド人やユダヤ人にもありそうだが、自分の属するところは世界との回答率:世界平均7%・ブラジル・イタリア・アメリカは15%・日本1.5%・韓国は0%、自分は他人と違い特別だという意識が強い、猜疑心の強さ、金聖鐘の推理小説、日本:お客様は神様・韓国ではただの他人(ナム)、日本人の裏表・知り合いに丁重で他人に冷たいという二重性がない、韓国人の負けず嫌い、シンパラムの溢れ出るときの瞬発力、読書量1年に3.75冊・アメリカは9.17冊、入試だけの重視・読書しない習慣に、慶州の仏国寺の青雲橋、日本人の平均身長が韓国人より高い?、98年3月1日3・1節の日韓戦での敗北」
3△   中国人民に告ぐ!┃金文学┃祥伝社┃2000「94年中国青年の40%は1冊も家に本がない、20世紀初・中国の田舎で子どもをさらい障害者にして見世物に、新聞と雑誌は西洋生まれ、中国の野次馬はなぜ多いか、中国の紙幣の肖像に文学者がない、朱元璋語録『大誥』、1917年・1000万部売れた『厚黒学』・面の皮が厚く腹黒くなければならない、中国の群体主義:みんなが正しくみんな思考で問題を考えみんなを絶対基準とする、林語堂:面子を捨てないと民主国家になれない、作人:芝居をすること・役割を作ってなりきる、中国人の親密な小集団の団結:人情を分かち合うことによる、96年の窃盗集団・1077回も窃盗したが被害届は1回だけ、裁判所が起こした殺人事件、夫婦間にプライバシーがあってはならない、中国人の中庸思考:個性的な主張を制圧・流行から離れることも抑制」
2△ ?? 裸の三国志:日・中・韓三国比較文化論┃金文学┃東方出版┃1998「日本人は男でも化粧を欠かさない? ⇒嘘、日本人は一人一人必ず手帳を持っている? ⇒嘘、日本人:一人が話し残りは頷きながら聞いている、韓国人:みんなが大声で騒ぐ、中国人:半数が話し半数がきょろきょろしている、日本と中国は陰口禁止だが韓国では許されている、日本人は男女とも顔が似ている? ⇒知らないものは似ているように見えるだけ・日本人は韓国人の顔がみんな似て見える、中国では女が男を殴るもの・男が女を殴るドラマが社会問題に、女性:日本はサービスがよく文句もない・韓国はサービスがいいが文句が多い・中国はサービスも悪く文句も多い、表が怖い韓国女性・裏が怖い日本女性・裏も表も怖い中国女性、日本人の国家意識"日本人に生まれてよかった"、戦時中日本兵士は死ぬとき家族の名前を叫ばなかった? ⇒嘘、劉邦は人柄のいい人物だった? ⇒策士だった、李朝中期の女流詩人黄真伊、ノストラダムス"今日世界が消滅しててもリンゴの木を植えたい" ⇒ルターの言葉だそうですけど?、中国の企業家の25%は女性」
     ⇒ 金文学(きん・ぶんがく)1962〜。作家、比較文学者、朝鮮族3世。  
2#   ノーと言える中国┃張藏藏,他┃莫邦冨┃新潮文庫┃1999┃1996「テキサスとニューメキシコをメキシコ人民に返せ、ダライ・ラマはモンゴル語・冊封を受けた宗教指導者の意味・他にも精神的指導者がいる、台湾独立派は35%以下だろう、日本は何かにつけて借款を凍結すると中国を脅しつける、94年末・カンター通商代表の対中国報復リストを公布・二時間後中国側呉儀もアメリカに報復リストを発表・そこに投資の項目・GMの中国との合弁狙いの急所をつく、呉儀:泥棒と話し合っているようなものと言われて強盗と話し合っているようなものと言い返す」
     ⇒ 張藏藏(チャン・ツァンツァン)1964〜。作家、詩人。     チャイニーズポップスのすべて┃林穂紅,編┃音楽之友社┃1997
     ⇒ 林穂紅(りん・すいこう)編集、中国ロックの訳詞。  
3   ■中国茶の世界┃周達生┃保育社カラーブックス┃1994
2    民族動物学ノート┃周達生┃福武書店┃1990「カワウソ、ウ、タカ、ブタオザル、小鳥、虫、カエル、コオロギ、猿回し、蛇使い。漢代の鵜飼、算命先生とマヒワ、ラストエンペラーのキリギリス」
3    中国民族誌:雲南からゴビへ┃周達生┃NHKブックス┃1980「共産中国の視点から描かれている。豫州は象がいたから」
2    中国食物誌┃周達生┃創元社┃1976「ももんじ屋のニホンザル肉、中国の7味・酸辣麻香苦甜塩、虎はハクビシン」
     ⇒ 周達生(しゅう・たっせい)1931〜。民族学、物質文化論、動物学、動物生態学。  
2    上海1930年┃尾崎秀樹┃岩波新書┃1989「兄・尾崎秀実、モスキートー・ペーパー蚊新聞、魯迅」
     ⇒ 尾崎秀樹(おざき・ほつき)1928〜。文芸評論家。  
2    竜の赤い糸でんわ┃東京美術+人民中国雑誌社[共同編集]┃1993

●● 旅行記・滞在記 ●● 
2◯   中国のいまがわかる本┃上村幸治┃岩波ジュニア新書┃2006「政府は問題にするがデモでは意外と少ない靖国問題、政府公認の反日団体・民間保釣連合会・日本企業とトラブルを起こした企業が寄付金、医師を目指した孫文と魯迅・革命と文学へ、魯迅:日本人ほど結論を好む民族はない・結論を得ないと気が済まない、2005年9月3日の胡錦濤の演説・日本軍国主義が中国を滅亡させようとした・それを中国人民が徹底粉砕した、歴史を恣意的に書き換える社会主義国家の現象、一分に9つの民営企業が倒産・3年以上生きのびるのは10%、直接選挙をするには文化素質=民度が不十分、日本の安保理常任理事国入りに反対する運動は反国家分裂法の採択の直後」
1〆◯  中国裏路地物語:市場経済の光と影┃上村幸治┃岩波新書┃1999「時の流れの違う世界、庶民を中心としたインタビュー集。泥飯椀、外流許可証、紅色娘子軍、孫悦」
     ⇒ 上村幸治(かみむら・こうじ)1958〜。現代中国論、毎日新聞の記者。香港、北京の特派員を経験。 
2▽   中国式:中国ビジネスの裏とオモテ┃斉藤篤┃日本実業出版┃2002「新卒のみ、輸血に注意、日本人は日本側の基準で、住宅の内装は自分で、都市部3億は別の国、役人一人一人が政府、相場を知り心に決めて言わない、業務は直訳、合成抗菌剤を持参、机の配置:共同作業型・授業型・試験型、公私の宴会の違い、日本料理で接待せよ」
     ⇒ 斉藤篤(さいとう・あつし)1950〜。三洋電機。  
0☆   福島武写真集:中国悠悠┃福島武┃里文出版┃1998「シルクロード、雲南、黄山など。塩の川」
     ⇒ 福島武(ふくしま・たけし)1928〜。フォトジャーナリスト。  
1☆   カラー版写真紀行:三国志の風景┃小松健一┃岩波新書┃1995「井波律子の三国志演義成立について付録」
     ⇒ 小松健一(こまつ・けんいち)1953〜。フリーのフォトジャーナリスト。文学の原風景。  
2▽   謝謝!チャイニーズ:中国・華南、真夏のトラベリング・バス┃星野博美┃情報センター出版局┃1996「南中国の旅。悪いニュースは流れない、値引き交渉は限界値の半分から、PHS二哥大」
     ⇒ 星野博美(ほしの・ひろみ)1966〜。作家、写真家。  
1☆   中華人民生活百貨遊覧┃島尾伸三・潮田登久子┃新潮社┃1984
     ⇒ 島尾伸三(しまお・しんぞう)1948〜。写真家、中国・香港の庶民生活のレポート。  
1▽   おいしい中国屋台┃浜井幸子┃情報センター出版局┃1995「地方別食べ物比べ、屋台の紹介。タイに外国人料金なし、偽学生証発祥の地・陽朔」
     ⇒ 浜井幸子(はまい・さちこ)1966〜。東洋史学。 
1▽   河殤┃蘇暁康・王魯湘,編┃辻康吾・橋本南都子┃弘文堂┃1988「文化哲学的に黄河を取り上げる、アジア=古代セム語"太陽の昇るところ"、万里の長城は年間降雨量380mの降水線と重なる・農業と非農業の境界線、4大発明は国家の統一に関係する、1160年ヴェニス市民は政府の株を持った、日清戦争は敗因・腐敗商人による砲弾に詰まった泥」
     ⇒ 蘇曉康(スー・シャオカン)1949〜。ルポタージュ作家。 
2#   習近平と中国の終焉┃角川SSC新書┃富坂聰┃2012「勢力均衡型の記念人事 民主化の旗手汪洋 太子党と共青団も派閥を形成しているわけではない。中国国内では重要視されない対立軸 王立軍のアメリカ大使館駆け込み 薄煕来の劇場型打黒 警匪一家 王立軍の摘発した地下マネーは8400億に 江沢民の上海派 トップの選択。誰も反対しない人物を選ぶ 誰も反対しない。私も賛成だ。 各方面等能力接受。我也賛成。 打黒唱紅 薄煕来の重慶モデルの成功 命懸けで血路を切り開け 殺出一条血路」
1▽ゑ ■中国語 大人の会話集┃富坂聡┃ナツメ社┃1995「日本人男性が中国人女性を口説くための会話集」
     ⇒ 富坂聡(とみさか・さとし)1964〜。中国に関するインサイドレポート、フリーのジャーナリスト、中華圏のレポート。  
1☆   中国の小さな古鎮めぐり┃写真・清水安雄┃産業編集センター,編┃産業編集センター┃2006「孔明の子孫が住む諸葛八卦村・八卦の形の山に囲まれた村、村全体を太極図の形に作り直した太極星象村」
     ⇒ 清水安雄(しみず・やすお)  
2    中国見たもの聞いたこと┃西野広祥┃新潮社┃1990
     ⇒ 西野広祥(にしの・ひろよし)1935〜。中国文学。  
2    中国火車旅行┃宮脇俊三┃角川書店┃1988「5月〜9月までサマータイム、撮影禁止の橋、ループ線の魅力」
     ⇒ 宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)ライター、編集者、鉄道ファン。  
1    中国を行く┃吉江惠造┃東洋出版┃2000「唐突一方的で話し合いなし、船便=海路は航空便の半額、駅郵便局のみが船便を扱う」
     ⇒ 吉江惠造(よしえ・けいぞう)1936〜。教員、日本語教師、オニヤンマを飛ばす会会長。  
1    中国ひとり旅:そこを何とか泊めて下さい┃武田亨┃連合出版┃1993┃1987「83年の中国旅行記。麻雀に猫と鼠、酒泉と霍去病」
     ⇒ 武田亨(たけだ・とおる)1951〜。浄土真宗寿美庵庵主、高校教員。  
4    中国茶と茶館の旅┃平野久美子・布目潮風┃新潮社┃1996「中国茶の種類と中国台湾日本の茶館紹介。神農本草経は後漢初期」
     ⇒ 平野久美子(ひらの・くみこ)1973〜。フリーのエディター、ライター。華人社会の多様な文化。  
2    「中国」の練習┃中村達雄┃NHK出版┃2002「香港に対する上海の敵愾心、洗顔:タオルを湿らせ顔を動かして拭く」
     ⇒ 中村達雄(なかむら・たつお)1954〜。文筆業。  
1    北京で七年暮らしてみれば┃石川郁┃トラベルジャーナル┃1996
     ⇒ 石川郁(いしかわ・いく)フリーライター、翻訳、コーディネスト。  
2    中国旅行がしたくなる本┃和田正信┃連合出版┃1995「  ▽中国人は負けず嫌い。強情だねえ」
     ⇒ 和田正信()19〜。。  
2# ? 出身地でわかる中国人┃宮崎正弘┃PHP新書┃2006「面子と形式にこだわる東京人・人情味厚く涙もろい江戸っ子、親孝行度の高い北京人・薄い上海人、近世以降の支配者に純粋な北京人はいない、江沢民・日本語を専攻・酔っ払うと日本語で炭坑節を歌う・父親が親日家で特務機関に協力、宇宙人を捕まえたら:北京人は背後関係を調べる・上海人は見世物にする・広東人は食べられるか調べる、順徳市は世界で最も豊かな地区の一つ、チワン族とベトナム語は酷似・79年の戦争で中国軍の通信が傍受、中国GDPの8%が盗版産業、台湾財界の総理・辜振甫の甥がチャード・クー、黒澤明の七人の侍と舞台設定は満州と酷似、1946年2000-3000の日本人が虐殺された通化事件、四川語は北京語とは似ても似つかない? ⇒今の四川はほぼ北京語といって問題はず、美人の産地:西安・武漢・成都・重慶・ハルピン、05年青島日本人700韓国人60000-70000、町自体が世界文化遺産のような曲阜、チップを受け取らないタクシー運転手・道を間違えて代金を受け取らない運転手も、日本語とハンガリー語・朝鮮語とトルコ語が似る、ベトナム難民はほとんどが華僑・襲った海賊も中国人、一人っ子同士の結婚の離婚率は51%」
     ⇒ 宮崎正弘(みやざき・まさひろ)1946〜。国際政治・経済の評論、チャイナ・ウォッチャー。  
2    中国人の思想構造┃邱永漢┃中公文庫┃2000┃1997
     ⇒ 邱永漢(きゅう・えいかん)1924〜。台湾。作家、経済評論家、経営コンサルタント  

●● 中国思想史:総合・儒教 ●● 
3#   孫?兵法:もうひとつの『孫子』┃孫?┃金谷治┃ちくま学芸文庫┃2008「味方の斉城と高唐の二大夫を破り、敢えて弱く見せて敵を破る ▽かなり不自然 錐行とは敵の堅陣に穴をあける 雁行とは敵の側面を襲撃 選卒力士とは敵将を捕虜にするため けいどすうはつとは持久戦のため つむじ風の陣は__を回らすため 衆卒とは功績を分けあって勝利を確保するため 君主が将軍をあやつると勝てない 斉孫子兵法は後漢末までに亡失」    死と運命┃金谷治┃法蔵館┃1986「道家と神僊家は別系統、孔子の天は有為的人格神、性悪論は荀子の主説ではない、荀子の性は無色の生地、荀子の物の助長は欲望肯定論」
3   ■荘子第一冊:内篇┃金谷治訳注┃岩波文庫┃1971「原文、書き下し、訳文。万物斉同と因循主義。大きな鳥と魚、役に立たない木、孔子と顔回」
3    荘子第二冊:外篇┃金谷治訳注┃岩波文庫┃1975
3    荘子第三冊:外篇・雑篇┃金谷治訳注┃岩波文庫┃1982「恵子と荘子」
3    荘子第四冊:雑,編┃金谷治訳注┃岩波文庫┃1983「盗跖、恵施」
2★◯〆■老子:無知無欲のすすめ┃金谷治┃講談社学術文庫┃1997┃1988「逆説と相対性の思想。不争の徳、老子は紀元前300年頃の人」
4◯〆 ■易の話┃金谷治┃講談社現代新書┃1972「易の構成、歴史、実践、思想。楚の霊公とちゅの文公、四人の宰相を見た易者」
1◯  ■孟子┃金谷治┃岩波新書┃1966「豪華な旅、君は換えてよい、魏⇒斉⇒鄒」    淮南子の思想:老荘的世界┃金谷治┃講談社学術文庫┃1992┃1959「老子より荘子、積力衆智・万人の参加を求める、劉向の"淮南枕中鴻宝苑秘の書"、鴻宝万畢術の秘術:桐木成雲・銅甕雷鳴・青[虫夫]還銭、植物:桃・桑、朮草:山薊・山谷に生えてにがい、伏ュ:寿命を延ばす・老末の下三丈一尺・千年を経た松の根、丹沙:水銀・甘い、曾青:青銅の精・青い石、老荘という言葉は淮南子より・それまでは黄老、文帝と墨子、聖人は人を驚かすが真人は何もしない、万物の根源としての道・老子、雑多な存在に一貫する理法としての道:荘子、前140成立、すべての思想を包摂する道、法家理論は道家思想を利用、老子と荘子は無関係、曹参は老子、張良は荘子、真人・聖人・通人・至人」     
     ⇒ 金谷治(かなや・おさむ)1920〜2006。中国哲学、中国思想。 
3#   古代中国の宇宙論┃浅野裕一┃岩波書店┃2006「もともと帝とは殷王朝の祖先の霊を指す、班固の道家論・漢書の芸文志:栄枯盛衰の歴史変遷を省察し清虚と卑弱という根本を守れる・君主の統治技術、気の原義は蒸気の立ち上る象形、鄒衍:管楽器を用いた呪術・吹律・体内の気息に力を込めて楽器で外界に出して寒冷な気候を温暖に変えた、打楽器や弦楽器による呪術も、恆先の恆・太一生水の太一・老子の道、長沙馬王堆漢墓の黄帝書:経法・十六経・称・道原、十六経は斉で著作か、道原:恒无の初は太虚を、自然観の3つの類型:人間の模写としての人格神と人類の特別扱い・宇宙を機械論的に捉える自然哲学・観念的宇宙の支配者と文明批判」
3△   古代中国の文明観:儒家・墨家・道家の論争┃浅野裕一┃岩波新書┃2005「范蠡と老子の思想的共通性、竹簡の太一生水・恆先、すべての兵器は西欧文明によるもの・対立する文明なし、環境思想:階層的な儒家・節約の墨家・自給自足の道家」
3#▽  諸子百家〈再発見〉:掘り起こされる古代中国思想┃浅野裕一・湯浅邦弘,編┃岩波書店┃2004「諸子百家の学派名は前漢末の七略より・当時からあったのは儒・墨・兵の3つのみ・道家も前漢初期、円転を主体とした様式が書かれた上博楚簡、簡牘はほとんどが竹簡・竹簡が被写素材の中心、上博楚簡:幅0.6cm厚さ0.1-0.14cm・他の竹簡も幅1cm以内厚さは約0.1cm・ペラペラな感じ、殺青:新しい竹の油脂を火であぶって乾燥させる、竹簡は編綴が前提で木簡は単独で使う、上博楚簡:最長は57.2cm最短23.8cm・三ヵ所で結ぶのが普通で2ヵ所の物も、鄭玄:易詩書礼楽春秋二尺四寸56cm・孝経はその半分・論語は八寸・ただし出土資料には統一性なし、韋編三絶:韋は緯の通用字でなめし革でなく横糸、性自命出:人間としての道はその感情に始原があり感情は性から生じる、法の意義を高く評価する儒家の出土資料"徳治"、晏子春秋も出土、老子は反儒家思想か・戦国中期以前には儒家と道家の対立なし、太一生水:究極の根源太一・それを世界に行き渡らせる媒介者としての水、筮竹マニュアル:夏王朝は連山・殷王朝は帰蔵・周王朝は周易」
3#   古代中国の言語哲学┃浅野裕一┃岩波書店┃2003「ケ析:両可の説・無窮の詞で子産に抵抗した、恵施の愛民の理念による理想主義・我こそは民の父母との自負・中国最古のガイア説・氾愛万物天地一体の理念、公孫龍:反戦と兼愛を説く政治思想家でもある、墨家の弁論:正解した側が勝利するもの・決着がつかないと弁論ではない、墨子の凸面鏡・凹面鏡・ピンホールカメラ、公孫龍の堅白論はプラトンのイデア説に酷似、荀子は唯名論者、唯名論と概念実在論の抗争という図式ではない」
3◯   諸子百家┃浅野裕一┃講談社学術文庫┃2004┃2000「道家の登場は前漢初期、戦国期は儒家・墨家・兵家、法家・名家もなし、竹簡の出土で擬古派の学説は壮大な屁理屈の山と化した、申不害:実定法・成文法による統治・形名参同術による臣下の督責・計画を提出させその成功を契約させる・契約を査定して賞罰、楊と墨が思想界を二分、楊朱:万人利己主義による平和、墨子439-385に活動、墨の3派・相里氏・相夫氏・ケ陵氏、恵施の政治と思想活動の連動、公孫龍の兼愛と反戦活動、鄒衍の五徳終始説と大地理説、韓非子・申不害+法と賞罰による威嚇」
3▽△  儒教:ルサンチマンの宗教┃浅野裕一┃平凡社新書┃1999「中国最大のペテン師」
2★△  孔子神話:宗教としての儒教の形成┃浅野裕一┃岩波書店┃1997「孔子は生涯を通じてまともな官職には就かなかった・偽りの履歴、孔子の冉有のやっかみ、冉有が遅く帰宅・政務だからと答えると、、政務だなどと言うがそれは嘘で、お前がしていたのは、どうせただの事務仕事に決まっている。本当に重大な政務があったのなら、いくら朝廷がわしを登用しないからと言っても、必ず一言ぐらいわしにも相談があるはずだからな。、陽虎など三人・反逆者ばかりが孔子の起用を考えた、孔子の三代の礼制への学説・観念的な空想の産物、論語[言巽]考・聖母マリアの如く処女懐妊の神話捏造、緯書は顔回や孟子も神秘化、経書の孔子の予言・劉氏の挙兵・東井に5惑星が集まる、平帝の元始三年郡国に学・県道邑侯国に校・郷に庠・聚に序が設立・庠と序に孝経師、前479年中国最大のペテン師がこの世を去った。その男は、自ら王者となり、わが手で新王朝を樹立せんとする誇大妄想に取り憑かれたあげく、夢破れて挫折する、王莽は孔子がやろうとしてできなかったことを見事に成し遂げた・漢の逆臣にして孔子の忠臣、キリスト教のルサンチマンに匹敵する成功を収める」    孫子を読む┃浅野裕一┃講談社現代新書┃1993「太平洋戦争を孫子で分析。スターウォーズ計画は見事な謀攻」    黄老道の成立と展開┃浅野裕一┃創文社┃1992「計然を通じて中原の古代天道思想を継承した范蠡・老子へ、経法・十六経・称・道原など黄帝書の思想的祖形が范蠡、劉邦の直轄地は全土の1/3弱、五惑星の運行から軍事を占う五星占、金星が東天にあれば徳、金星を左あるいは正面とするのは軍事行動の吉、右や背は凶、金星が西天にあれば刑・徳と反対に、土星が自国分野の天空に滞在したのち東西に去ると国家は凶・土地に災い・戦争も不可、天体や雲気から占う天文気象雑占、弓形の青い雲は城を攻めて勝つ、赤い雲が日月の暈に入って真っ赤に染まると大勝利し領土にする、彗星が出現し尾が短いと飢饉・長いと兵乱・尾のある所には利益、焚書坑儒:方士と区別できない儒家がたくさんいた、孟子の学派の神秘主義と方士」
4△   墨子┃浅野裕一┃講談社学術文庫┃1998┃1989「墨は宗教団体的。過剰評価。能力主義、兼愛、非攻、節約、音楽と運命の否定など。兼愛=自他を等しく愛す、上帝の威信回復、鬼神信仰は方便、機能主義、墨弁論理学、土着豪族は戦国から。工匠・刑徒でなく士、利己的な弟子、後漢の墨者・纏子」
     ⇒ 浅野裕一(あさの・ゆういち)1946〜。中国哲学。 
3◯   儒教思想┃宇野精一┃講談社学術文庫┃1984┃1947「儒教という言葉は晋書より、孔子−曾子−子思−孟子、今文:漢代の現代文字・漢の博士により伝えられた隷書のテキスト、古文:秦統一以前の古代文字の意味・篆書のテキスト、宋代・孟子の学説を受け仏道の影響の性理の学・人間の本性を宇宙に原理に基づけて哲学的に窮める、五経は漢の武帝のとき・四書は南宋の朱子より、孝経は子思の作、老子:善く戦うものは怒らず、五行説は書経の洪範より、元命苞:夏は白帝の子・殷は黒帝の子・周は蒼帝の子、河図:堯は赤精・舜は黄精・禹は白精・湯は黒精・文王は蒼精、老子の根本思想無極、張横渠:宇宙の本体は太虚、程明道:乾元の一気、王陽明:花は見なければ存在しない・唯心論、孟子の性は一人一人の人間を対象とした倫理・荀子は人間集団とした社会政治、仁は自己の完成、聖は完成された人格により徳化が他に及ぶ、荀子:君主は人民の意志によって定められる、追儺や?の祭を肯定的に捉える孔子、秦の愚民政策としての知識人の弾圧、孟子の思想は民本主義、江戸時代の藩政・地域や人口の大きさが儒教に適合」
     ⇒ 宇野精一(うの・せいいち)1910〜。中国哲学、儒家思想。 
3◯   中国の古代哲学:孟子・老子・荘子・韓非子┃小島祐馬・宇野哲人┃講談社学術文庫┃2003「孔子の仁と礼、孝経の孝は宇宙の原理から演繹された道理・論語の経験性との対比、(夫孝.天之經也.地之義也.民之行也.天地之經而民是則之)、孝とは親につかえ君につかえ世に出て名を残すこと、(夫孝.始於事親.中於事君.終於立身)、孟子の孝による世界共同体・孝経により哲学化・国家の基本原理に、中国は孟子思想による共同社会・西洋はアリストテレス思想の利益社会、為政者は庶民のために存在するに過ぎない、官は本来は奴隷の意味、学は為政者の学校・庠と序と校は庶民の教育機関、太一:宇宙の基本原理・礼は太一より・太一⇒天地⇒陰陽⇒四時⇒鬼神、老子の子李宗は魏の将軍・段干に封ぜられた、道はあざな・名前はない、仁義を主張した孟子、吐故納新:古きを吐き新しきを吸い込む、熊経鳥申:熊のように首を振り鳥の身体を延ばす、韓非子は儒と道のどちらも取り入れる」    中国哲学┃宇野哲人┃講談社学術文庫┃1992┃1926「思想別の分類」
3◯   中庸┃宇野哲人┃講談社学術文庫┃1983┃1918「喜怒哀樂之未發謂之中、喜怒哀楽の情は外物の刺激に応じて起こる・まだ起こらない精神状態は一方へ偏りがないので中と呼ぶ、未発の中は万人にあるが凡愚の人は過ぎたり及ばなかったりする・中節の和を失っているという。、孔子の人の分類:上智・中人・下愚、上智:修養教育の必要がない、中人:学んで知る、下愚:苦しんで知る、中庸の著者は子思ではない・孟子より新しい」
3◯   大学┃宇野哲人┃講談社学術文庫┃1983┃1916「二宮金次郎が持つ本が大学、8歳になったら王侯から平民まで小学に入学する・15歳で大学に、終身をもって本とする、其本亂而末治者否矣、自分の身を修めずに天下を治めようというのはできないこと、朱子の格物致知、知識が足りないから知恵を得ることができない、修身在正其心、身を修めるには心を正す・喜怒哀楽が認識を誤らせる、秦誓の理想の大臣:誠実で真面目・特に技能はない・寛容で度量大きく・他人の長所を心から喜ぶ・口で称えるだけでなく起用する人、大学:己を修めて人を治める、王陽明の格物致知、自らの真心を正すことで知恵を得る、著者の格物致知、物=六芸に通じることで知恵を得る、情に支配されて正を失うことなかれ、格物致知・知的教育、誠意・意的教育、正心・情的教育、忠恕・己を推して人に及ぼすこと」
3◯  ■中国思想┃宇野哲人┃講談社学術文庫┃1980┃1914「思想家別の解説。楊朱、名家など結構マイナーな人も網羅」
_   ■清国文明記┃宇野哲人┃講談社学術文庫┃2006┃1908「元宵節は漢代の太乙神の祭りより、」
     ⇒ 宇野哲人(うの・てつと)1875〜1974。中国哲学、西洋哲学の方法を取り入れ漢字の再構成を試みる。 
3#ゑ  漢文法基礎:本当にわかる漢文入門┃加地伸行・二畳庵主人┃講談社学術文庫┃2010「奈良時代の音博士 国破れて山河あり城春にして草木深し The nation is shattered. Only the landscape remains. Spring in the city? Yes, unpruned trees and overgrown weeds. 漢文の訓読では現在形で読むのがふつう 再読文字とは副詞の承応・副詞+助動詞 未:いまだ…ず:まだ…でない 当:まさに…べし:なすべきである 宜:よろしく…べし:するのがよろしいからそうせよ 将/且:まさに…せんとす:これから…しようとする 須:すべからく…べし:ぜひとも…せよ 猶:なほ…ごとし:ちょうど…のようである 盍:なんぞ…ざる:どうして…しないのか 字を書き書を読まず 字を書かないし本も読まないの意味にもなる ▽ならない・ずで両否定は無理 諸=之於 若…然=好像…一様 嘆はなげき・嗟は詠ずる感じ 焉:意気高揚した断定 矣:キッと言い切る 也:すらりと言いとどめる 耳:軽い"のみ" 爾:というそれよという"のみ" 已:これで終わりという"のみ" 而已:強い"のみ" 則:…すればすなわち・けれども 乃:そこで・そうしてはじめて・かへって・さて 輒: 便: 迺:乃 蓋…矣:断定表現を謙遜して推量風にしている 即:すでに尽きた 已:もう終わった 猶:やはり・ですら 尚: 仍:同じことを重ねる感じのよる 縦:たとえ…しても 譬:たとえてみるならば 庶幾:なにとぞ 苟:もし 敢不:あえて…するだろうか 不敢:けっして…しない 拠城:城に立てこもる 遂:かくて 荀子は性悪の根源を偽に置いている ▽逆じゃなかったっけ?それじゃ孟子のような…… 忠:まごころ・君主に対するもののみではない 正:まさしく 方:いままさに 我与彼素不相知。He's a perfect stranger to me.我、彼ともとよりあい知らず。 宜乎:まったくそのとおり 夫:それ・えー 夫以:それおもえらく・考えてみますと 何則:なんとなれば 豈:難倒 罷:疲れてやめる 従容:ゆったりのったり 論語や孟子は弟子が先生の会話を書き留めたもののため省略が多い 四六駢儷体」
3#   孝経 全訳注┃加地伸行┃講談社学術文庫┃2007「身を立て名を揚ぐ・まず孝道・自然に名を揚げる、諌言の重要さの理論的根拠としての孝経、天子の孝・親から国内国外へ、天地之性・性は生・生み出したもの、体系的な骨格を持つ孝経、荀子に始まる撰述、孝の二つ・身体的感情中心の愛・精神性が中心の敬、祖先祭祀に敬を尽くせば鬼神が感応して現われる、孝・祖先祭祀を通じて生命の連続を意識自覚、祖先祭祀により精神の解脱・子孫一族の存在により身体の解脱・死の不安と恐怖を乗り越える、最終章に沈黙の意味づけ、欧米人は死一般について思考・中国人は誰でも実感できる共通を選び具体的に思考する・具体例の極致で一般例とする、喪服・麻生地そのまま・加工しないもの・帯でなく縄・麻の鞋、曾子は孝経より後、裁判・検事は結果主義・弁護士は動機主義、官・試験合格官僚、吏・地方土着の世襲」    この思想家のどこを読むのか┃加地伸行,他┃洋泉社新書┃2001「福沢諭吉、内村鑑三、柳田国男、西田幾多郎、小林秀雄、三島由紀夫、吉田茂、丸山真男。立国の要は痩せ我慢の一義にあり、丸山真男は漢文を知らない」    現代中国学┃加地伸行┃中公新書┃1997
2▽   沈黙の宗教儒教┃加地伸行┃筑摩書房┃1994「儒教のもつ宗教性について。日本の仏教は儒教との混合」
3▽   儒教とは何か┃加地伸行┃中公新書┃1990
3#〆  易の世界┃加地伸行,編┃中公文庫┃1994┃1986「巻末に開巻法の易占いつき、易に海への言及なし・海を知らない内陸部生まれ、占筮は高度な学問・足利学校のみ信頼、綱吉の生類憐れみの令・仏教的慈悲心でなく儒教的仁政、ドハレズ:易は64節で構成される辞書・もともとは政治家のメモ、ユング:64卦は古代中国民族の心理的経験の貯蔵庫・元型的状況の象徴、漢代の天人相関は天中心・宋代の天人合一は人中心、霊能者は過去を当てて現在の問題に答える・易者は未来を当てることで現在の問題に答える、なぜ表紙は投壺なんだろ……」
3▽   論語を読む┃加地伸行┃講談社現代新書┃1984「中国を知る三冊なら:論語・唐詩選・十八史略、論語の論は二声で読む、皇帝が共同体潰しの武器を得るための科挙、漢代8割は核家族、鳥の言葉がわかる公冶長・原儒出身か、加藤常賢:原儒が低い地位だった頃に人々に追従する態度が仁、未能事人,焉能事鬼と未知生,焉知死、生きている人にお仕えできなくて霊魂にお仕えできようか」    中国人の論理学:諸子百家から毛沢東まで┃加地伸行┃中公新書┃1977「意味論の論理学、公孫竜の名実論、色は主観的第2性質、概念語の連続、老子と仁を曲げる」
     ⇒ 加地伸行(かじ・のぶゆき)1936〜。中国哲学史。 
3▽   風水と身体:中国古代のエコロジー┃加納喜光┃大修館書店┃2001「新漢魏晋・関中平原に森林あり、中国の森林被覆率:西周53%・現在12%、プラトンはアッティカの森の荒廃を嘆き孟子は牛山が丸裸なのを嘆く、中国の温度変化・三国時代直前まで今より2℃高い・唐は1℃高い・宋から清まで1〜2℃低い、風景は身体の中で再現される・12経水が12経脈に、風水は堪輿と呼ばれた・漢書芸文志に堪輿金匱という書、自然回帰の老荘思想は環境問題から発生、漢の貢禹・銅鉄採掘と災害の関係を指摘、治病の治と治水の治は同じ意味・洪水を治めることと病を治すことのアナロジー、殷代:季節の循環を4つの方向の風でとらえる、手術して胃腸や五臓を洗浄した兪[足付]、扁鵲のレントゲン神話、解剖図ではなく内景図と呼ぶ、後漢に成立した神農本草経、薬王扁鵲・医聖張仲景・神医華陀、麻沸散は大麻を素材とする麻酔薬、骨の治療に使う麻酔薬・唐の整骨散と元の草烏散、二世紀・宮廷でイラン風ファッションが流行・ビルマ経由で幻人が来る、パルティア人の安世高の仏典翻訳・ジーヴァカの外科手術の記録、麻を感覚喪失の意味に使うのは金の時代より」
4▽   中国医学の誕生┃加納喜光┃東京大学出版会┃1987「秦医とメス、扁鵲−307?没、扁鵲弟子集団の遍歴、赤壁と天然痘、後漢より医師の派遣、鉄の呪力、素問の液体病理説、華陀イラン人説、幻術より学ぶ、黎軒の幻人集落、疾の風一元論、通閉解結、経絡と水利工学、二十八宿とシンボル   榎一雄によると、前漢時代、張掖郡の[馬麗][革干]県には黎軒(アレキサンドリア)出身の幻人の集落があり、数百人は下らなかったと推定され、後漢にも存続したという。  インドのジーヴァカ、遍歴医、開頭手術も  扁鵲、医師はシャーマンではなく工、技術者と宣言、墨子に近い思想  後漢の疫病、流行地域の薬の配布、医師を派遣することも  華陀、イラン人説、医王フワダーより  ▽一世紀は北極星に対応する星なし  心の座として脳が注目されるのは後漢以降、緯書や道教より  3つの医の伝統:民間の巫医、外科の宮廷秦医、鍼の遍歴斉医  「黎軒・條支の幻人(一)」     ●東   角 竜角 天門    竜頸 朝廷    竜胸 行宮    竜腹 馬厩・車駕・旗    竜心 皇帝    竜尾 後宮    竜尾 後宮・知・簸箕   ●北    蛇身 量斗・天斧・旗・柄杓   牛 蛇  牛頭   亀蛇  織布女工    亀身 祠廟    亀  屋頂・墳墓・廃墟    亀  鉛錘    亀  直立壁・図書館   ●西    虎尾 白虎・草鞋・倉庫    虎身 狗・小虎・犠牲・小山    虎  雉・小虎・胃腑   昴 虎  鶏・小虎・旄頭    虎  白虎・猟具・鳥兎網   虎頭髭 猿・斧   虎前肢 白麟・猿   ●南   井 鳥首 ?・井渠・水衡・泉井    鳥目 羊・天目   鳥頭嘴  ?・厨師   鳥頭心 馬・衣服    鳥胃 鹿・珍宝鳥    鳥翼 蚊・文工団    鳥尾 小鳥・蚓・車駕  」
     ⇒ 加納喜光(かのう・よしみつ)1940〜。中国哲学、中国古代の思想、文学。 
3◯  ■荀子┃内山俊彦┃講談社学術文庫┃1999┃1976「礼=離=タブー、孟子の一治一乱論、国家の本質は人民の抑圧?、焚書と文字統一の由来、賈誼と韓嬰、歴史の始まり」
     ⇒ 内山俊彦(うちやま・としひこ)1933〜。中国哲学。文学博士。 
2◯   中国古代の学術と政治:秦漢的方士与儒生┃顧頡剛┃小倉芳彦┃大修館書店┃1978┃1935「仙人は燕より、孟子は孔墨の調和者、十三経は宋に完成、博士の弟子百人、一年で試験、穀梁は前漢中期、劉[音欠]と王莽の偽作、高祖の両親・執嘉と含始、新五徳終始説、尚書緯考霊曜に地動説?、泰山の頂上で封の礼・梁父山で禅の礼、武帝は計5回封禅、武帝の封禅は民衆が希求した、南極老人星・見えると平安・見えないと兵乱・木星が赤いと国は盛ん・赤黄色で豊作・青白から赤灰色で憂事・狼星が色を変えると盗賊が増え・附耳星が揺れ動くと讒臣が君側に・木星が土星を犯すと内乱・火星が土星を犯すと戦に敗れる、成帝の時代に太学の弟子は3000人に、公羊や穀梁伝は前漢中期以降の作品、王莽:明堂・辟雍・雲台を起こす・学者のための一万人の宿舎・市を作り倉を満たす、周公の故事にならい身代わりを願う・反乱に際しても大誥を作る、史記の高祖の蛇斬のエピソードは劉[音欠]が挿入した、古代の人は歴史とは繰り返すものと考えていた、尹敏は李通の模倣、光武帝は河図会昌符を読んで泰山封禅を決意、2月22日に封・25日に禅、左伝は8-9割は真の資料で1-2割は劉[音欠]が改作増加」
     ⇒ 顧頡剛(こ・けつごう)1893〜。中国哲学史。疑古派。 
4◯   朱子学と陽明学┃島田虔次┃岩波新書┃1967「朱子学:陽は儒・陰に仏、人間は気の凝集によって生まれ散じて死ぬ、朱子学=客観唯心論・程伊川から朱子・性即理、陽明学=主観唯心論・陸象山と程明道・心即理、唯心論=観念論、張横挙の気の哲学・唯物論」
     ⇒ 島田虔次(しまだ・けんじ)1917〜2000。中国思想。 
3#   中国哲学史:諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで┃中島隆博┃中公新書┃2022「哲学はヨーロッパの地域的な思想ですね  哲学は普遍的な学である  (哲学は)学の方法にも決定的な制約はない  ▽基本的には反省/問い直しと議論だと思う  中国哲学:中国語の経験を通じて、批判的に普遍に開かれていく哲学的な実践  コゼレックの概念史  馮友蘭  胡適:中国の四度のルネッサンス:唐の古文と禅宗、宋の朱子学、13世紀の戯曲と小説、清の反宋明理学  人が人になることを考え抜いた哲学者孔子  礼:感情に由来、感情を様式化  ヘテロトピア:別の場所、異邦性  仁:人によくすることによって、人間的になること  体系化:思考を整理、ダイナミズムや繊細さを損なうことも  老子の生成論:王権の基礎付けのためのもの  『牟子理惑論』「感夢求法説話」後漢明帝  焚書坑儒のため前漢初期は黄老思想が優勢  朱子学:身体的、物質的な気と、天の理を共有する性。この2つであらゆるものは説明できる  格物致知:大学にあったとされる概念。誠意が実現していることを保証するには、外の物の理を知り尽くせばよい  王船山:君子こそ巨悪をなす  王陽明の立場は弱い独我論  アリストテレス由来の魂の3種:生魂/成長する植物、覚魂/知覚する動物、霊魂/推論する人間  載震の考証学  デューイの理解したダーウィニズム:原因と目的の強固な結合から、具体的で偶然的な変化と推移を考えることを可能にした  胡適、孔子をキリストと同じ改革するメシアと定義、老子をユダヤ教に比定  文化大革命は儒家的、内面を変えようとした  胡適と鈴木大拙は大変親しい関係」
     ⇒ 中島隆博(なかじま・たかひろ)1964〜。中国哲学、世界哲学。     漢とは何か┃岡田和一郎、永田拓治┃東方書店┃東方選書┃2022「高祖の72のほくろ、五行思想より、一年を五で割った数  劉邦の斬蛇剣から日本の草薙剣へ  天武天皇は自らを高祖になぞらえる  杜篤、光武帝の洛陽への遷都に反対  王隆、光武帝の官僚、『小学漢官篇』  後漢こそが、孫呉の原型として理想とする「漢」  漢魏禅譲と魏晋禅譲の叙述の違い」
     ⇒ 岡田和一郎(おかだ・やすいちろう)19〜。。 
3#   秦漢儒教の研究┃斎木哲郎┃汲古書院┃2004「胡適:儒は殷の遺民・殷の宗教思想と儒の関係・老子も、尚書の堯典は秦儒により改修、始皇帝の儒者への期待・博士官を立てて儒者を採用・儀式で斉魯の儒に諮問・儒の聖人に比肩し自らを儒家的な聖人君主を目指した・各地の碑文でも儒家的聖人君主として記録、荘子の天運篇に六経の名称、漢代の"孝"思想・漢は孝を以て天下を治む、孝廉察挙では孝経の読誦、光武帝の予言書:河図会昌符・河図堤劉篇・河図、後漢の皇位の継承に儒教の教養:第四子の明帝は春秋と尚書・第五子の章帝は詩や春秋、韓嬰の韓詩外伝は荀子の引用が多い・塩鉄論では孟子の引用が多い、経典を作った楊雄:易⇒太玄・論語⇒法言・史篇⇒訓纂・箴⇒州箴・聖人になることを学問の課題とした、太玄経は天地人の3つの組み合わせから81首を得る・四重」
     ⇒ 斎木哲郎(さいき・てつろう)1953〜。中国哲学。 
3#   齊地の思想文化の展開と古代中國の形成┃谷中信一┃汲古叢書┃2008「斉の現実主義、功利主義 逸周書と六韜の重複部分29 淮南子の重複部分:孫ビン兵法14、孫子13、六韜8、尉繚子6 管子と老子の関係、どちらが先とは言えない 晏子春秋墨家説 晏子を主人公とする短編小説集 晏子の思想:愛民、節倹、礼、合理、尊賢 中国はいかにして中国になったのか」
     ⇒ 谷中信一(やなか・しんいち)1948〜。東洋哲学。 
3#   儒教成立史の研究┃板野長八┃岩波書店┃1995「王正已:孝経は孟子の門人の手による、韓非子忠孝篇は韓非の著作ではなく、韓非は商鞅の法術と老荘の無為・因の理論を総合した、董仲舒の雨乞いの呪術・劉向の錬金術、劉歆の秀への改名は予言書に関係なし、父の劉向も更生から改名、劉歆は図讖を信じていなかった、儒教=孔子教の国教化は光武帝の図讖宣布により成立、讖は成帝・哀帝以降に登場・劉向父子も讖の言葉なし、2種の讖:律歴と易による理法としての讖と図讖による讖、王莽の利用した天官歴包元太平経、洪範五行伝、高祖は巫を京師の集め祭るべき神を定めた・巫も統率者として巫の最高権威となった・県に公社を設けて信仰を君主に向かわしめた、明帝の礼楽は図讖に裏付け、後漢初期は図讖を国教とする体制、春秋演孔図:孔子の母が黒帝に感じて孔子を生んだ、高祖の受命:五星が東井に集まる、道士の西門君恵は讖言により劉歆が決起・これは天文讖記であって図讖ではない、劉秀についての図讖は王莽末年に広まる、王莽に対立した紅陽侯王立・南陽で劉氏と結ぶ・王丹は後に光武帝の挙兵に従い戦死、春秋讖・詩讖・春秋元命包・河図会昌符・河図赤伏符・酪書甄曜度・孔丘秘経・天官歴包元太平経・河図合古篇・河図提劉子・孝経鉤命決・春秋演孔図」
     ⇒ 板野長八(いたの・ちょうはち)中国思想史。 
2◯   論衡のはなし┃若松信爾┃明治書院┃2001「竹一枚が簡・木一枚が札、政治に失敗があると天が災を出して忠告・さらに異を下す・さらに天命を取り上げて滅ぼす、孔子の言論に一定性なし・遍歴しても用いられないのは当然、人の死は火が消えるようなもの、人間が狂うのは妖怪のため・妖怪も人間同様に死ぬ」
     ⇒ 若松信爾(わかまつ・しんじ)1963〜。中国学。     論衡の研究┃佐藤匡玄┃創文社┃1981「論衡は論理的配列でなく執筆時期の時間配列、尚古思想批判・章帝の徳を称える、光武帝・明帝・章帝を五帝三皇以上、昆陽の戦い・光武帝は五千人で王莽三万を破った」
     ⇒ 佐藤匡玄(さとう・きょうげん)1902〜。中国思想史。     儒教の歴史┃小島毅┃山川出版社┃宗教の世界史┃2017「経書の篇名は二文字、緯書は三文字 中国のルソー、黄宗羲 緯書は日本の陰陽道にも影響 河図洛書、河図は易の八卦、洛書は尚書の洪範と結びつけられる 河図稽命徴 洛書霊準聴 河図は龍馬の背に、洛書は神亀の背に描かれる 陽を示す白点、陰を示す黒点」
2◯#  朱子学と陽明学┃小島毅┃ちくま学芸文庫┃2013┃2004「時代背景と問題意識に焦点をあててなぜ彼らはそう考えたのかを明らかにする。思想文化史的に解説 朱子学は性即理、陽明学は心即理 内村鑑三は西郷隆盛を陽明学者とした 性理学と心学 先憂後楽の精神。天下の憂いに先立ちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ。 水戸の後楽園の由来 修己治人。自分自身を聖人に近づけて民衆の上に立つ 五行にもとづく命名法で朱熹、韓国に残る習慣 印刷出版技術をうまく利用した朱熹 性格も名前も正反対の王陽明、朱熹の正しい後継者を自認 朱子学は成り上がりの見栄として、陽明学は放蕩息子の道楽として始まった 高杉晋作はキリスト教を陽明学と理解した 理性とはものの本性のこと 人間の性は宇宙の理の現れだが、気に覆われているため気づかない。格物によって理を体得しなければならない。朱熹の性即理 現場主義の強い陽明学、八条目の階梯性を否定 陽明学の格物。外にある理を窮めるのではなく、心の内なる人欲を正していくこと 『教育勅語』のモデルは明太祖の『六諭』 理は形而上、気は形而下の存在 朱子学とは儒教の神学 漢代訓詁学の大成者鄭玄 仏教は儒教の道具を盗んだ。祖先祭祀 王安石も蘇軾も個人的には仏教を信仰 儒教は世を治め、仏教は心を治め、道教は身を治める 中国史上稀に見る名君と評される聖祖康煕帝 木版印刷無くして朱子学無し 陽明学者安岡正篤 著者はネトウヨに叩かれたことがあるらしい」
3◎   東アジアの儒教と礼┃小島毅┃山川出版社┃世界史リブレット┃2004「漢書で王莽は先王の礼制を復活させた功労者として扱われている 今文は漢を永遠とみなしたが古文は滅ぶ王朝とみなした 班固は古文派 孝経の経文を唱えるだけで現世利益がえられると信じられていた 陽明学:道行く人はみな聖人だ 王守仁:堯舜は一万の重さの黄金、孔子は九千の重さ、凡人は一両。だが、純粋な金という点ではたがに遜色はない。 高杉晋作:プロテスタントの教義は陽明学だ 横井小楠:堯舜の政治がアメリカで実現している 教育勅語は儒教倫理」
     ⇒ 小島毅(こじま・つよし)1962〜。中国思想史。 
2◯   入門 中国思想史┃井ノ口哲也┃勁草書房┃2012「夏王朝から始まる思想史のテキスト 白鳥庫吉と顧頡剛の夏の否定 仁とは困難なことを優先し利益を後回しにすること 仁とは自分が立場を得たいなら他者をそうさせて、自分が目的を達成したいなら先に他者をそうさせること。 儒とは孔子のことではなかった 老荘は淮南子より 老子は楚の人 古文派の特徴:師の説の継承の伝統を軽視し章句=注釈を守らない・複数のテキストをマスターする 重修緯書集成 後漢時代は製紙技術製鉄技術紡織機械造船技術土木建設技術が高水準に達し天文学数学医学薬学農学地理学が基本体系を確立した時期 王守仁は朱熹の正しい後継者として自己の正統性を主張した ショーペンハウアー:意志を滅却しなければ人生は苦痛に満ち幸福になれない」
     ⇒ 井ノ口哲也(いのぐち・てつや)1971〜。中国哲学。 
3◯   御進講録┃狩野直喜┃みすず書房┃2005┃1932「大正十三年、昭和二年、四年、七年の天皇陛下への講義より 堯は名を放勲 儒家は一国も天下も大きな家族と考え君臣は父子の関係 儒教の徳治主義。帝王がその徳で民を善に導く 立派な治平の世。漢光武の建武、明帝の永平、唐太宗の貞観、宋仁宋の慶暦、明孝宗の弘治、清聖祖の康煕、高宗の乾隆 支那にも知られた山井鼎 左伝、戦争の正義を漢字で書き分ける。侵と征など 十七条憲法に儒教経典の文句が多数あり 日出処天子。致書日没処天子。無恙。」>
     ⇒ 狩野直喜(かの・なおき)1868〜1947。支那哲学史、文学史。 
3#   空海の文字とことば┃岸田知子┃吉川弘文館┃歴史文化ライブラリー┃2015「▽空海というより書と文字の歴史、空海の話は半分もない 中国で五筆和尚と呼ばれる、篆書、隷書、楷書、行書、草書のすべてに巧みであったため 王羲之と顔真卿の書法を学ぶ 梵字の読み方からサンスクリット語法までを四ヶ月で習得 五十音図とのかかわり 子音と母音を他の字の組み合わせで表記する反切、〜の反、〜の切というため、反切というように 悉曇学、サンスクリットの音韻学 言葉で表現できないものを曼荼羅で表現する 空海が作ったとされる日本最古の漢字辞書『篆隷書萬象名義』 宣教師から易を学び二進法を生み出したライプニッツ 三筆:嵯峨天皇、空海、橘逸勢。空海と橘逸勢は遣唐使として大陸の書風を学ぶ 宮中を中国風にした嵯峨天皇 斑紋の竹に兎の毛で筆を作る、後漢三国 茶を飲んだ空海 『性霊集』『十住心論』『秘蔵宝鑰』『三教指帰』『文鏡秘府論』 綜芸種智院 石上宅嗣の芸亭 吉備真備の二教院 ▽目の見えない人は見えないことはわからないし、狂人には狂っていることはわからないし、生きている人は生きることはわからない 景戎の『日本霊異記』800年頃の成立」
     ⇒ 岸田知子(きしだ・ともこ)1947〜2015。中国哲学。     王陽明小伝┃岡田武彦┃明徳出版社┃1995「蒙昧な蒙古族 漢民族は娼婦の下、乞食の上に位するものとみなされた。 王導の子孫 夢で郭景純が王導の奸悪を語る 初めの名前は雲 継母の布団の中にフクロウを隠す 万物には必ず表と裏、精と粗があり、一草一木にはみな至極の理がある。程伊川 世間では落第するのを恥と思っているが、私はそのために心が動揺するのを恥とする。王陽明 二十年前に鉄柱宮で会った道士に再会 学問は立志より大切なものはない。 陸学を朱子学と同等の位置まで高めようとした 日本の了庵和尚桂悟と会う 山中の賊を破るのはた易いが、心中の賊を破るのは難しい。 王門の顔回、徐曰仁は31歳で死去 致良知説 善もなく、悪もないのが心の本体、善があり、悪があるのが意の発動、善を知り、悪を知るのが良知、善をなし、悪を去るのが格物。」
     ⇒ 岡田武彦(おかだ・たけひこ)1908〜2004。支那哲学。     呂氏春秋┃町田三郎┃講談社学術文庫┃2005┃1987「一部を抜粋翻訳。時令の思想・一年を12ヵ月に分けて天文気候から人間の日常生活のあり方を規定する、天下が一人の天下に非ず・万人の天下、天下非一人之天下也,天下之天下也、流水は腐らず、臨大利而不易其義,可謂廉矣」
     ⇒ 町田三郎(まちだ・さぶろう)1932〜。中国哲学。     東西文化とその哲学┃梁漱溟┃長谷部茂┃農山漁村文化協会┃2000「西洋の精神は科学と自由・サイエンスとデモクラシー、中国では科学もデモクラシーも生まれようがなかった、幸福を求める西洋人・自足を望む中国人・解脱を望むインド人、人の動きは知識でなく感情と欲望が動かしている、生活の3つの根本態度・西洋⇒中国⇒インド、陽明学者安岡正篤」
     ⇒ 梁漱溟(Liang Shuming)1894〜1987。現代新儒家学派。     中国刑法史研究┃西田太一郎┃岩波書店┃1974「政を為すに徳を以てすれば、たとえば北辰その所に居りて修星これに共うがごとし。 これを道くに政を以てし、これを斉しくするに刑を以てすれば、民免れて恥なし。 道之以政、齊之以刑、民免而無恥。 If people are led with the law and corrected with punishments, they will not be ashamed to evade punishments. ??? ???? ??? ???? ????? ??? ?? ????? ?? ?????? ???. 法家は結果を儒家は動機を重んじた 死刑は冬の三ヶ月間に行う」
     ⇒ 西田太一郎(にしだ・たいちろう)1910〜82。中国哲学。     中国の文化心理構造┃李沢厚┃平凡社┃1989┃1987「孔子の再評価など」
     ⇒ 李沢厚()1930〜。中国。中国哲学、思想史、美学。     孔子・老子・釈迦「三聖会談」┃諸橋轍次┃講談社学術文庫┃1982「老子、苦戦す」
     ⇒ 諸橋轍次(もろはし・てつじ)1883〜1982。中国思想。文学博士。 
3◯   荘子=超俗の境へ┃蜂屋邦夫┃講談社選書メチエ┃2002「天から見て不仁・人間から見て至仁、万世に及ぶ恩徳を施しても天下の人は知らない聖人、至大は囲む可からず、恵子の歴物十事、小同異と大同異・上位概念と下位概念、恵子あっての荘子・論理学の恵子と認識論の荘子、相手がなければ自分というものはなく自分もなければ心のざわめきも起こらない・孤高の隠者のこと ⇒これは認識論の自我の問題と思う、恵子:人民の命を大切にしたいから高官になった、且=まあ・軽い仮定、庖丁は牛を自然の筋目に従って切るのでその牛刀はいつも研いだばかりのよう・並みの料理人は一月で刀を駄目にし腕がよいと一年、生死は気の集散に過ぎず集まっては散り散っては集まりそれが無限に繰り返される、心身の解脱を説く」    孔子:中国の知的源流┃蜂屋邦夫┃講談社現代新書┃1997「弟子の比較が面白い。身体髪膚これを父母に受く」
3◯   老荘を読む┃蜂屋邦夫┃講談社現代新書┃1987「鯤は台風の具象化、八千年を春とし八千年を秋とする大椿、老子の出身地:困窮している・病にかかっている・仁をねじ曲げている、唐の挙兵に現れた老子・白衣の老人、老子の解釈:天地自然に関心をよせた哲学的解釈・生命の維持に留意した身体論的解釈・即物的性的解釈も、荘子:妻子あり・弟子も・先生も・遊説もした、トルストイは老子を理想化して"イワンのばか"を書いた、老子は韓非学派のテキストか、心に真宰=主体なし、道枢と環中、人之生,氣之聚也。聚則為生,散則為死、生死は気の運動、天地を棺とし日月を副葬し星を宝石とし万物を葬礼の品とする、真人之息以踵,衆人之息以喉、真人はかかとで息をし凡人は喉で息をする」    中国的思考┃蜂屋邦夫┃講談社学術文庫┃2001┃1985「先秦から南北朝まで。哲学=おのれが何ものか問う、荀子は先秦思想の集大成者、言尽意論、禅と荘子、荘子の郭象注」
     ⇒ 蜂屋邦夫(はちや・くにお)1938〜。中国思想史。     中国の時空論:甲骨文字から相対性理論まで┃劉文英┃堀池信夫・菅本大二・井川善次┃東方書店┃1992┃1980「宇=空間、宙=時間、一年を春と秋のみだったから春秋、方以智の六合五破の宇、宋玉の大言賦」
     ⇒ 劉文英(リウ・ウェンイン)1939〜。中国。中国古代哲学、人類の原始的思惟。     干潟幻想:中世中国の反園林都市┃大室幹雄┃三省堂┃1992「建築と儀礼にみる中国史。南北舌戦。北魏孝文帝の偏執的漢マニア、北魏の牧畜原理、四夷館、銅像天子占い、自由で抵抗する女たち、食糧自給できぬ関中」    劇場都市:古代中国の世界像┃大室幹雄┃ちくま学芸文庫┃1994┃1981「大同と小康幻想の都市」
3#   囲碁の民話学┃大室幹雄┃岩波現代文庫学術123┃2004┃1977「班固の奕旨・囲碁のエッセイ・六博より囲碁は高級、唐の童子科、漢の法:孝廉に挙げられた後に経書の試験・拝されて郎となる、老賢者・老子とマーリン、ユングの元型、碁盤が17道から19道へ・南朝の梁武帝の頃か」
3△   滑稽:古代中国の異人たち┃大室幹雄┃岩波現代文庫┃2001┃1975「エリアーデ、ジンメル、バタイユなどを使って分析。孟子を孟軻の自叙伝と読む・自叙文学の創始者、胡地の中山、趙の胡服騎射の15年以上前に秦では騎射を採用、けばけばしい異相を好む趙武霊王・貝細工の華美な帯と華麗な鳥の羽根を冠に挿す、江都王建の近親相姦・サディズム・獣姦・黒呪術・謀反、中国皇帝208人の平均寿命は38歳、孔子の学団は演劇一座・礼の練習では芝居小屋に見物人もいたはず・歌舞劇、山形浩生:戦国遊説家は経営コンサルタント」
     ⇒ 大室幹雄(おおむろ・みきお)1937〜。歴史人類学。  
6    栗原圭介博士頌寿記念:東洋学論集┃栗原圭介博士頌寿記念事業会,編┃汲古書房┃1995「古代中国思想を中心とした論文集。呂氏春秋に荀子の弟子が参加、パースの記号論   【2】パースの記号論          第一次性  第二次性  第三次性   表意体の三分法 性質記号  個物記号  法則記号   対象の三分法  類似記号  指標記号  象徴記号   解釈項の三分法 名辞記号  命題記号   論証      記号のクラス   1.名辞・類似・性質記号 「赤い」という情態   2.名辞・類似・個別   「与えられている単一の図形」   3.名辞・指標・個物   「思わずでる叫び声」   4.命題・指標・個物   「風見鶏」   5.名辞・類似・法則   「一般的図形」   6.名辞・指標・法則   「指示代名詞」   7.命題・指標・法則   「町の呼び売りの声」   8.名辞・象徴・法則   「普通名詞」   9.命題・象徴・法則   「通常の命題」   10.論証・象徴・法則   「三段論法など」  」
     ⇒ 栗原圭介(くりはら・けいすけ)1913〜。東洋哲学。     新訂 漢文法要説┃西田太一郎┃朋友書店┃2002    漢文の語法:角川小辞典23┃西田太一郎┃角川書店┃1980「文法要素ごとに多数の例文を列挙した例文集。口語訳と語釈」
     ⇒ 西田太一郎(にしだ・たいちろう)1910〜82。中国社会思想史。  
5◯   漢魏思想史研究┃堀池信夫┃明治書院┃1988「思想家を時代順に解説。春秋学はオカルト、漢代の宇宙的思惟から魏晋の内的思弁へ、孝工記と劉[音欠]、太玄=易+律暦+三進法、和帝期曹氏の塩鉄独占、論衡率性はレンズ、石韋ひとつばは利尿剤、王充の宿命論、王符と主体性、潜夫論述赦の殺し屋、魏晋に名家復活、」
     ⇒ 堀池信夫(ほりいけ・のぶお)1947〜。中国哲学・思想、中国古典学。  
3    中国古代寓話集┃後藤基巳編訳┃平凡社┃東洋文庫┃1968
     ⇒ 後藤基巳(ごとう・もとみ)1915〜。支那哲学。 
1◯   論語力┃于丹┃孔健,監訳┃講談社┃2008┃2006「タゴール:もしあなたが太陽を逃して泣いていたら星も逃がしてしまうだろう、人間関係のトラブルは公正と正直で対処、礼儀=他人に対する尊重、友を選ぶ・生き方を一つ選ぶこと、弟子の志を問う・志が順にスケールダウン」
     ⇒ 于丹(ユー・ダン)中国古典文学、映像テレビ学、テレビ理論思想。 
3★▽  老荘と仏教┃森三樹三郎┃講談社学術文庫┃2003┃1986「長谷川如是閑の老子解釈、老子は孔子の教えへのアンチテーゼ、老子の小国寡民は現存の村落共同体・ユートピアではない、老子は無政府ではなく高度な政府を要求している・すべて心得た上で何もしない、老子は意志による禁欲主義ではない・意志を働かせるのは禁物・知足安分、老子は無を一とも呼ぶ・ゼロがなかったから一、荘子:生けるときは生に安んじ死せるときは死に安んずる、万物斉同の境地への到達困難・禅宗や浄土教が解決に、禅宗:自然になるため無数の不自然が必要、浄土教:ただそれへの思慕の念を強めるのみ、老子は無為自然の立場から不老不死に反対、色=現象、漸悟:言語文字による論理的理解、頓悟:体験的直観、道教は道についての教えという意味の普通名詞、道教が宗教として確立するのは六朝末期・それまで神仙説または黄老説、師弟関係:河上丈人⇒安期生⇒毛翕公⇒楽瑕公⇒楽巨公⇒蓋公⇒曹参、前漢の黄老説は処世術、聖母マリアも頭痛に効く神様として祭られた、政治的人間は宗教に冷淡・漢代知識人の宗教的無関心、永嘉の大乱以後・漢が下らぬ男の意味に・痴漢・狂漢・酔漢はその時代の俗語、インド人の輪廻転生:せっかく死んだのにまた苦しい人生を繰り返さなければならない、中国人は反対に一度死んでもまた生きられるという喜びと受け取った、殷王朝に天の崇拝なし、道徳と禍福の対応の問題に解決を与える仏教の三世報応説・中国知識人が最も心奪われたもの・仏教の中心義と理解、明以後の中国仏教:知識人には禅・大衆には念仏、知識人の儒教的汎神論的世界観・内在的世界観、民衆の道教的多神教的世界観・超越論的世界観、無は有を否定する無ではなく有無の差別を否定・一切の相対差別を否定しつくす絶対無差別、老子:万物の始めに無、荘子:無というより無極・無限、清末の章炳麟:依自不依他、無為と自然は老荘が始めて用いた語」
2△   「名」と「恥」の文化┃森三樹三郎┃講談社現代新書┃1971「恥の本場は中国、ベネディクトとウェーバー、史記:同は談、荀子:祭祀は愚民を教化するための芝居、日本と中国の違いは恥の表側の名の思想、日本の封建武士の名誉感・中国では二千年前に失われ面子に、司馬師の名前を避けて京師が京都に、荘子:名は実の賓、肘鉄砲をくらわした女を逮捕することで得られる顔、恭順を主徳するという家産制の時代、名誉は自己主張の徳・恭順は自己否定の徳、官吏としての名誉感がふくれあがり面子に・名誉でなく名声、ウェーバー:死者崇拝は来世中心・祖先崇拝は現世中心、千載の後に名を残す・神と来世のない儒教の救い・名教、日中の恥の文化が今後の世界の方向・世界は中国風の名と恥の文化へ」
2◯  ■梁の武帝:仏教王朝の悲劇┃森三樹三郎┃平楽寺書店┃サーラ叢書〈第5〉┃1956「晋の左思の三都賦は写実的で山水風物が如実に描かれていたためヒットした、自然美の発見 仏教信者の宋明帝、拝んでは殺し殺しては拝む 宋の前廃帝:叔父の母を大臣に輪姦させる 宋の後廃帝:一日のうち人を殺さねば飯が旨くない 武帝は宗室大臣には寛容も庶民には無関心 初期:沈約、はん雲 中期:周捨、徐勉 後期:朱い、何敬容 朱い:もし自分が卑下すれば相手は軽蔑する。だから高飛車に出ざるを得ない 儒学館、玄学館、史学館、文学館 晩年も毎朝午前二時起床 老荘の哲学に対抗するための中庸の儒家哲学 仏教の空は否定の否定としての絶対無 老荘の無は相対無 沈約の文章の秘密、音楽的なリズムにある 羊かんに対して朕も若い時には卿に負けない腕前があったつもりだ 道教が先祖代々の宗教となる 道教徒の陶弘景を山中宰相に 道教が救いとする境地は仏教にとっては最大の迷い 在位中に三回もしくは四回の捨身 創業の君主にして亡国の君主 仏教の根本的立場が社会的無関心のうえに位置づけられているのではないか 梁の武帝は最もよき人生を生きぬいたと言えるのではないか」
     ⇒ 森三樹三郎(もり・みきさぶろう)1909〜86。中国哲学史。 
4#  ■易のはなし┃高田淳┃岩波新書┃1988「ニーダム、ライプニッツ、カプラ、ユング、王船山、天人の合用:変化の中に身をおきつつ思念をこらす、書は言を尽くさず・言は意を尽くさず・規範たりえないテキスト・完璧な表現を求めない言説、周易の周は王朝ではない、理=組織の原理・秩序付け・パターン、ユング:時間系列の隠れた性質が易の卦に表現される、ニーダム:王船山の易論は動的平衡の原理、陰陽の他に理数なく乾坤の他に太極なく健順の他に徳業なし、太極即両儀・両儀即四象・四象即八卦、六十四卦が天地の変化・万物の変相をすべて網羅、君子の易:乾坤両卦の自己運動として六十二卦の変が生じる・その雑変の象と卦辞爻辞を読む、新漢字文化圏の活力・経済と文化・手段と価値が相補的でなく相乗的・目的論理学的思考でなく形態論理学的思考」
     ⇒ 高田淳(たかだ・あつし)1925〜。ソウル。中国思想。     易と人生哲学:致知選書┃安岡正篤┃竹井出版┃1988┃1979「大安は一日静かに休むのがよいの意味・何をしてもいいではない、四柱推命学=命理学、三菱化成・易の化し成すより、中国人・シンボライズを愛する民族性・象徴主義者、武藤山治の奥さん・寝巻きに贅沢する、論語の五十易を学べばの易は易経でなく亦、呂氏春秋の人間観察法・八観:出世したら何を尊重するか・出世したら誰を起用するか・お金を何に使うか・言葉と行動の差・到達した場での行動・上達した後の変化・困ったときの行動の統一性・貧しいときの我慢、人間検査法・六験:喜ばせたときの節義・楽しませたときの癖・起こらせて我慢・恐れさせて独自性・悲しませて人間性・苦しませて志」    「人間」としての生き方┃安岡正篤、安岡正泰┃PHP文庫┃2008「早年、中年、晩年で構成 聖人や賢者の生き方の事例集 国家は動植物や人類と等しく自然的産物 ▽疑問? 万世一系の真義、法にはずれた天皇の意志などある筈がなく ▽古事記の天皇には極悪非道なのがいくらでもいるようだが? p324-328から厳光の話、厳先生祠堂記の翻訳もあり、厳光を易を使って解説」
     ⇒ 安岡正篤(やすおか・まさひろ)1898〜1983。東洋政治哲学、人物学。  
2  ? 易経の謎┃今泉久雄┃光文社カッパブックス┃1988「易を宇宙のコード・ブックに見立てて先端科学の発見に重ね合わせる、易は64卦からなりDNAの遺伝暗号は全部で64・遺伝暗号は3つの塩基の組み合わせ・八卦は3本のコウからなる、老子:物事はすべて相対的、(故有無相生,難易相成,長短相形,高下相傾,音聲相和,前後相隨)、君子は何も起こらないときに易の卦を玩味しことが起こって初めて占う、荀子:易を体得したものは占わない、(善為易者不占)、ダーウィンの進化論は否定されている?、易の基本単位は3、遺伝暗号の易学的解読評」
     ⇒ 今泉久雄(いまいずみ・ひさお)1914〜85。東京電力。  
2  ?? 尖閣諸島・魚釣島問題をどう見るか┃村田忠禧┃日本僑報社┃2004「  ▽論理の飛躍がひどくついていけない、中国側の主張をただ代弁してるだけか?  尖閣諸島はアメリカのわな?」
     ⇒ 村田忠禧(むらた・ただよし)1946〜。中国哲学、中国文学。  

●● 中国思想史:道教・緯書・神秘思想 ●● 
3◎   道教思想10講┃神塚淑子┃岩波新書┃2020「講義を始める前に  第1講 道教の始まりと展開  第2講 「道」の思想 通奏低音としての『老子』  第3講 生命観 気、こころ、からだ  第4講 宇宙論 目に見える世界を超えて  第5講 神格と救済思想 自己救済から他者救済へ  第6講 修養論 内丹への道  第7講 倫理と社会思想 政治哲学としての道教  第8講 道教と仏教 三教並存社会のなかで  第9講 道教と文学・芸術  第10講 道教と日本文化  道教が中国固有の宗教を指す用法、五世紀半より  上に老子、次に神仙、下は張陵  墨子の鬼神信仰、儒教の倫理思想、陰陽五行思想、讖緯思想、黄老道  葛洪の師は鄭隠、鄭隠の師は葛玄、葛玄の師は左慈  存思の法:体内神をありありと思い描く瞑想法  唐の李淵、李氏が天下を得ることを老君が予言したという道士の言葉を利用して唐王朝を創立  唐の重玄学、兼忘重玄  仏教教説を取り入れた『海空智蔵経』  明代:南の正一教、北の全真教  道⇒気⇒天地⇒万物  道のはたらきを助ける徳  人の生死は気の集散により起こる  純粋な気を保ち柔軟さを持ち続ければ嬰児のような生命力を維持できる  行気:深く呼吸をして気を全身に巡らせる  導引:深呼吸しながらの柔軟体操  真人は踵で息をする  『素問』の精神:神、魄、魂、意、志  仙境の1つ、洞天、洞窟の中の別天地  死者の霊魂は泰山に集まる  『老子変化経』  河図:黄河から出現した竜馬の背  洛書:落水から出現した神亀の背  『坐忘論』信敬⇒断縁⇒収心⇒簡事⇒真観⇒泰定⇒得道  ▽禅化した道教  坐忘と止観の違い:慧を抑え定を完全に保持、  止観:定と慧を等しく仏性を見る  『悟真篇』は『周易参同契』と並ぶ内丹の根本経典  内丹の修練は人体形成を逆行する過程  内観存思の法:気が体内をめぐるさまを思い浮かべる  日月在心泥丸の道:日月の気を取り込み体内を巡らせる  奔二景の道:日月の神々を思い描いて体内に導き入れその神々と日月のもとに昇る  天が行為の善悪を点数化して禍福を下す  仏教伝来は武帝の張騫の交易ルート開拓より  仏は外来の神仙の1つ  老子化胡説に対応して三聖派遣説:摩訶迦葉⇒老子、光浄童子⇒孔子、月明儒童⇒顔淵  『山海経』『神異経』『十洲記』  『三教指帰』に『抱朴子』の引用、唐の道教の影響なし  医学と道教の密接な関係」
     ⇒ 神塚淑子(かみつか・よしこ)1953〜。中国思想史。     道教の歴史┃横手裕┃山川出版社┃宗教の世界史┃2015「禹符 永平三年の陶瓶の解注器 禹歩、後ろ足を前足の前に出さない歩行法 禹の治水伝説にもとづく霊宝五符 後漢の画像石に仏が西王母ととも描かれる 草木成仏説の湛然 朱元璋が、天に師があろうか?ときらって真人とした 道教界を二分する正一教と全真教 韓国朝鮮では道教自体の起源を韓国朝鮮とする考え方も根強い、神仙説の発祥を朝鮮半島とみる 博士弟子景廬、大月氏の使者伊存より『浮屠経』を口授される、元寿元年=紀元前2年」    中国道教の展開┃横手裕┃山川出版社┃世界史リブレット┃2008「吐故納新・天の気は清らか・地の気は濁っている・天の気のみを摂取、化色五倉の術・五蔵の神のいることをイメージする瞑想法、禹歩・後ろ足を前足の前に出さない・旅行前にこのステップを踏むと鬼神の加護が得られる・病気治療や鬼神を招く方法としても、日書に禹符・前漢に呪術のお札、李淵をたびたび助言した白衣の老人・道士王遠知の演出・老子に結びつく」
     ⇒ 横手裕(よこて・ゆたか)1964〜。中国思想史、道教。     中国のカーニバル:古代中国舞踏の歴史┃明神洋┃ぶんりき文庫┃2000「始皇帝は水銀中毒の慢性病、水銀は適量なら新陳代謝を促す、大地の四方×北斗七星=二十八宿、列子:周穆王時代の人造人間、韓非子:晋の平公・鶴の舞う音楽"清徴"・嵐を呼ぶ音楽"清角"」
     ⇒ 明神洋(みょうじん・ひろし)1956〜。東洋哲学、中国文学、現代中国語。 
2◯   リーダーの易経:時の変化の道理を学ぶ┃竹村亞希子┃PHP研究所┃2005「時と兆しを洞察する方法を説く、春夏秋冬の変化・時の変化の原理原則、人生で遭遇する64種の状況を示す・それぞれの6段階の変化過程を記す・起承転結の物語、時の三要素:時/タイミング・処/周囲の環境・位/自分の位置、時処位に適切な判断と行動・時中、潜龍:大きな志を描く・起用しない・焦らない、見龍:自分を見出した人に学ぶ・よく見る、君子:恐れるが如く反省・継続・独創、躍龍:機を見る、飛龍:他者に学ぶ、亢龍:引き際の美学を心得る」
     ⇒ 竹村亞希子(たけむら・あきこ)易経研究家。 
2ゑ   儒教・仏教・道教:東アジアの思想空間┃菊地章太┃講談社学術文庫┃2022┃2008「東アジアの思想空間はシンクレティズムの花園  孔子の正直者、父親は子のしたことを隠し、子どもは父親のしたことを隠す。羊泥棒の父を告発した子に対して  始皇帝の法治→高祖文帝の黄老思想→武帝の儒教  至親容隠:漢代から受け継がれ唐代に法典に明文化  インドの仏教の戒律の1つ:木の上で大小便をしない  エティエンヌ・ラモット神父、インド仏教研究  菩薩思想のいくつかはゾロアスター教より  中国では天人に翼がなくなる  中国では二千年前も前の後漢のものとされる金属製の人形が残っている古くは桐の木で作られ桐人と呼ばれた  インド仏教で動物は有情、植物は非情  大般涅槃経:極悪人でも、生あるものはすべてブッダになる素質がある。  マイトレヤ・ヴャーカラナ:弥勒への約束  王充『論衡』一茎九穂の稲、聖王の出現を祝う祥瑞  道教と老子、李氏による反乱の歴史。西暦21年の李焉、22年の李通、41年李広、147李堅、154李伯、最後が唐の李淵  ▽章につっこみが入れてある」
     ⇒ 菊地章太(きくち・のりたか)1959〜。比較宗教史。     漢王朝の祭祀と儀礼の研究┃目黒杏子┃京都大学学術出版会┃2023「法制と礼制の確立、晋礼と泰始律令による、西晋時代  秦代、礼と法の区別意識はない  八通鬼道  天帝、太帝の居所は崑崙  武帝の太一神信仰  これらによれば、天空にあって不動の北極星を中心とする紫微宮にいます上帝が、北斗を用いて時間 及び宇宙の循環運動を支配する、という観念がうかがえる。この権能は、先に挙げた郊祀歌第七章が、天地・四時・日月星辰・陰陽五行の循環運動の支配者として歌い上げ  上帝と同一化した、宇宙の主宰者として想定されているのである。 元四六年(前田)、武帝が郊祀への舞楽の導入を検討した際、「天地」と「太一后」が対応して表現されているのは、太一が「天」と互換性を持ち得ることを示す。「上帝=天=太一」という観念がこれ以降定着し、  石川三佐男氏によれば、馬王堆帛画や『楚辞』東皇太一篇にみえる太一は、死者の魂を天に導くとともに、陰と陽の両性を包括する天上界の最高神であり、前漢武帝期頃に太一が北極神であるとの議論が起こり、以降、緯書等においてそうした考え方が広まっていったという。  そのような太一と、また別の世界観に由来する五帝や「八風」の観念とが組み合わさった泰時の構造は、多元的な思惟を包摂してつくりあげられた郊祀の内実を示す。それが前漢末以降に儒学説によって再定義される際、多様で多元的な来源が覆い隠されて、儒学の経書に基づいた説明に一本化されることを、筆者は「一元化」と表現した。  『後漢書』祭祀志上によれば、後漢の南郊郊祀で用いられた音楽は、「青陽」「朱明」「西皓」「玄冥」の四歌楽と、「雲翹」「育命」の二舞楽である。四歌楽は、前漢の郊祀歌全十九章中に「鄒子楽」としてみえることから、前漢より継承された音楽である。また二舞楽のうち「雲翹」は、『漢書』礼楽志に、哀帝期の状況として、諸族の樂人の、兼ねて雲招もて南郊を祠るの用に給するもの六十七人。(諸族樂人、兼雲招、給祠南郊用六十七人) とあり、顔師古が「招」と「翹」を同音とするのにしたがえば、少なくとも成帝建始元年以降改廃を繰り返し前漢の長安南北郊の郊祀に用いられていた舞楽である。 これらの音楽が、儀礼中のどの場面ないし順序で演奏されたのかは定かではないが、  武帝の創設した天の祀場である甘泉泰時が、上帝太一の壇を中心として八方に「鬼道」を延ばし、それによって「世界」を表現していたこととの共通性を看取できるためである。封禅の「封」壇に第二部 武帝の封禅と巡幸みられる八方の形象は、甘泉泰時と同じように、祀場を「世界」に見立てる発想を根底にもつと考えても飛躍ではないだろう。  さらにいえば、八方を示す設備が方形壇を囲繞する状況、博局(六博のボード)や鏡の背面4 られるいわゆる「博局紋」に近似する。方形の「大地」中央に置き、その周囲に 「四極」や「四維」を配する図柄をもつ博局は戦国時代以来存在し、主に前漢後期に普及したとみられる「博局紋鏡(=方格規矩鏡)」や、尹湾漢墓より出土した、干支の書き込まれた博局紋と問とがセットとなった「博局」は、その系譜上にあって漢代人の世界観に根ざすものであることが、近年明ら  六博は漢代の様々な社会階層の人々に広く愛好」
     ⇒ 目黒杏子(めぐろ・きょうこ)19〜。中国秦漢時代史。 
3#   泰山:中国人の信仰┃シャヴァンヌ┃菊地章太┃勉誠出版┃2001┃1910「封のまつりは2ヵ所で、泰山のふもとのの封祀壇・上が平らな円形、泰山の頂上の登封壇・直径5丈高さ9尺、天をたたえる封のまつり、地をたたえる禅のまつり、八角形の降禅壇・上が平らな方形、封と禅が終わると皇帝は朝観壇で文武百官を応接、無字碑:無文字のまま二千年経ち続けた石柱・高さ4.85m・武帝が運ばせた、日観峰・漢代は介丘、前漢末の開山図・泰山在左亢夫在右亢夫知生泰山知死」
     ⇒ エドゥアール・シャヴァンヌ(Edouard Chavannes)1865〜1918。中国史。 
4#   易:中国古典選┃本田済┃朝日選書┃1997┃1966「現代語訳が読みにくくて不便。象数易:卦の象と数を重んじる・漢易、義理易:王弼などの倫理的な解釈、易の原初的な意味をすなおに受けとめた朱子」
3◯〆  易学:成立と展開┃本田済┃平楽寺書店┃1960「漢書:八卦は包犠・卦辞は文王・十翼は孔子が書いた、古代人は共通の職業の者はギルドを作り共通の標識を持っていた・トテム・職能神、中国の法官の冠・カイチ、卜筮者は蜥蜴・易は蜥蜴、易の辞:棚からぼた餅・花より団子・老いが至るまでに歓楽を尽くせ・やもめ世帯に花が咲く・三人旅はまとまらぬ、原初左伝は東周425-402頃に成立、左伝の占い記事・占いを後から原初左伝に挿入した、朱子:易とはただ陰陽の二字、易:太極⇒両儀⇒四象⇒八卦、太一の原義は北極星の神、易の擬経・楊雄の太玄・易の不規則をより宇宙の構造に合致したものに、鄭玄:真理は経の中で完結、朱子:真理は万物に・経は真理をつかむ手段、鄭玄:易は変易・不易・簡易」
     ⇒ 本田済(ほんだ・わたる)1920〜。支那哲学。 
3▽   不老不死の身体:道教と「胎」の思想┃加藤千恵┃大修館書店┃2002「大自然につながるへその緒をたぐり寄せること、三浦国雄:儒教の関係性・仏教の空無化・道教の生命、霊枢の経水篇に死体解剖の記録、管子や胎産書の懐胎十月の比較、玉ツ経の主命原:人の吉凶は結胎受気の日によって定まる・すべて天上から列宿の精を得る、詩経・節南山之什・小弁"天之生我我辰安在"、内景図の人体と宇宙・不死の仙薬・蓬莱や崑崙・それが体内にも備わる、道基吐納経・30日やせ衰え40日目から好転する、抱朴子の胎息:鼻や口で呼吸するのでなく母親の胞胎のなかにあるが如く呼吸せよ・呼吸を静かにする、男子は子から左行すること30・女は子から右行すること20・巳に至って夫婦となり懐妊して胎気を受ける、黄書の合気三五七九男女交接の道・色欲のみ」
     ⇒ 加藤千恵(かとう・ちえ)1967〜。。 
3▽   岩波講座 東洋思想〈14〉中国宗教思想2┃長尾雅人、福永光司┃岩波書店┃1990「中国の対の思想 矛盾の総合統一を普通のことと理解した中国人 生活が弁証法に 理気二元論とは、この宇宙の間に存在する森羅万象、一切万物のあり方を、宇宙の法則・原理たる理と物質物体を形成する元素たる気との二元によって把握しようとする学説である。 中国思想の救い難い政治への従属性 易における、変易を主題としながら制度と人倫を不易とする理論的破綻 仏教は現実世界の状況を解き明かす理論として受容された。東晋以降の三世因果応報説 形より上なる者、これを道と謂い、形より下なる者、これを器と謂う。易 荘子の気一元論 空を越える妙有を説く思想 後漢に主流なのは気一元論 気の作用としての神 伏羲と女カは菩薩の化身 道教仏教ともに孔子は吾が師の弟子とみなした 劉秀が白水真人とよばれ、曹操がしばしば真人と称せられた 禅では罪悪は本質的に空、道教も善悪の否定 易、老子、荘子の三玄」
     ⇒ 池田秀三(いけだ・しゅうぞう)1948〜。。 
2★△  日本の道教遺跡を歩く:陰陽道・修験道のルーツもここにあった┃福永光司、千田稔┃朝日選書┃2003「七世紀日本の道教寺院 斉明天皇が道観を建てたことは明らか 吉野を神仙境と考えていた 伊勢神宮と道教の密接な関わり 藤原京の真南の八角形の天武持統天皇陵。被葬者が確定 急急如律令 呪いの人形 延暦四年六年の天神の祭り、桓玄の天壇の祭り、祭文の共通性 小野妹子=蘇因高 陰陽道も道教のうち 禹歩は反ぱい 修験道は日本版道教 護摩をたいたり滝行の前の九字を切る作法、抱朴子の山に入るときの呪文とほぼ同じ 北斗は生死を司る神 無量寿経と張ろの関係、一行宗のモデルは五斗米道 鬼道+儒教+仏教+道教の四層構造 唐の道教の日本への影響 墨子や韓非子も道教の経典に組み込まれる 三洞四輔 陸遜の上疎文、光武帝は道教を広めた。儒教もまた道教 儒者として有名な董仲舒、巫祝 儒教は天地人、道教は天地水 日本の神道、易からとられた、神道の本家は中国 陰陽道は道教の神学教理の支流 渡来したのは朝鮮の人だが伝えたのは中国の思想」
3#   岩波講座 東洋思想〈13〉中国宗教思想 1┃長尾雅人、福永光司┃岩波書店┃1990「性理は唐代仏教学の宗教哲学用語 宇宙の最高神は北極星、星の神学、太陽神より強いのが中国の特徴 宇佐八幡は諸葛孔明の八陣図までさかのぼる 本地垂跡。儒童菩薩が中国で孔子となり、摩訶迦葉が老子に 老子がインドに行って仏となった 人未だ生まれざるときは、元気の中に在り。既に死すれば、復た元気に帰る。論衡 道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。老子 太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。周易 中国思想の特徴。静止したものを流動するものよりも優位に置くこと 東洋の遊びの哲学。遊戯三昧と一所不住 三世紀には儒教も仏教も道教と呼ばれていた 瓦石も成仏できる、8世紀中国 道教の聖典、雲笈七籤、道教の実践者として墨子が登場 名剣宝刀を示す霊宝 中国文明が矛盾し対立する異質的なものの同時存在に極めて寛容 無神論を主張した荀子、人間の力で天を制御して役立てよとも 王充も無神論 魂魄 ▽こころといのち 封禅は神と人との一対一の交わりの中でなされる厳粛な祈りの儀式 仏ははじめは不老不死の仙人として理解された 一元4560年一紀1520年の循環周期。楽緯『叶図徴』 一元の七倍31920年、64倍291840年周期を説く易緯『乾鑿度』 天地は291840で再び太素の始源に戻ることを説く礼緯『斗威儀』 司命神信仰は緯書のなかで北極星や北斗星へ発展 生成の始元。太易⇒太初⇒太始⇒太素⇒太極 讖緯の学問は内学と呼ばれた 七緯六経」
4#   道教思想史研究┃福永光司┃岩波書店┃1987「陶弘景の古今刀剣録、道教と鏡、春秋の天王と元を老子の道で解釈した董仲舒、阮籍の大人先生歌、墨家思想と道教神学、漢魏に儒を道教と呼ぶ例あり、光武帝の洛陽の天の祭祀は道教の大元宮の祖型   曹丕の飛景、孫権の流星、楚越の太阿・純鈞=その文を観るに列星の如し、歩光の剣=華藻繁縟飾るに文犀彫るに翠緑波に随いて鴻を截り水は刃を漸さず、徐氏の匕首   夏の禹王の子の啓の宝剣に二十八宿の文が刻されていた   道教の教理は墨子の思想を源流とする、太平経が墨子の思想を継承、墨子五行記、   封=築土作壇   荘子の中核たる真人   道教は元来、儒墨の先王の道の教え、   墨家思想と道教神学   道教とは、中国古来の巫術すなわちシャーマニズム的呪術信仰[鬼道]を基盤とし、その上部に儒家の神道と祭祀の儀礼・思想、老荘道家の「玄」と「真」の形而上学、さらには仏教の業報輪廻と解脱、ないしは衆生済度の教理・儀礼などを重層的・複合的に取り入れ、隋唐・五代の時代において宗教教団としての組織と儀礼と神学とを一応完成するに至った“道の不滅”と一体となることを究極の理想とする中国民族[漢民族]の土着的・伝統的な宗教である。  」
3◯   荘子:古代中国の実存主義┃福永光司┃中公新書┃1964「現代にも通用する思想。福永版荘子」
     ⇒ 福永光司(ふくなが・みつじ)1918〜2001。中国古代中世哲学史。 
3◯   老子入門┃楠山春樹┃講談社学術文庫┃2002┃1984「礼記の曾子問篇に老子が孔子の師として登場、道⇒天⇒地⇒人の序列、見えない微・聞こえない希・捉えられない夷、老子の無は"有ることが無い"、和光同塵:知恵や才能を包んで隠し世俗に溶け込み皆と苦楽を共にする、老子の柔弱謙下の政治は孟子の仁政とほぼ同じ・孟子の影響か、天網恢々は本来は天が裁くので人の裁判が不要であることをいう、死刑への反対も、天の道:余っているものを削り足りないものを補う・聖人のあり方、大器晩成:完成する器はまことの大器ではない・永遠に完成しないからこそ大器、竜門の石窟は494年着工で700年頃まで造営が続いた」
     ⇒ 楠山春樹(くすやま・はるき)1922〜。中国思想史。 
3◯   緯書と中国の神秘思想┃安居香山┃平河出版社┃1988「七経緯、儒教の教典を神秘的に見直したもの、五星連珠、燕斉の神仙思想と海、董仲舒の天人感応神学体系、宗教神学、現存緯書一覧表」   ■煎茶道:文化とその歴史┃安居香山┃高文堂新書┃1980「煎茶道と抹茶道 茶道の動き、左右の手が交互に動く、陰陽思想、右手は陰で左手は陽 浄土宗の高祖善導大師 スンニュン:こげめし湯 〜道に共通する静座 椅子での茶道、立礼 栄西禅師が中国から茶の種を持ち帰る 煎茶道の始祖は売茶翁高遊外1675-1763、茶は仙薬、登仙への道 栄西の臨済禅は調停からは拒絶されるも鎌倉幕府の協力を得る 道常無為,而無不為。 道は常に無為にして為さざるなし。 坐る文化としての日本の伝統文化 剣道の守破離 音楽の序破急 黄檗山万福寺 著者は幡随院に住持」
4#   緯書:中国古典新書┃安居香山┃明徳出版社┃1969「予言書。道家的な儒教思想、漢代の神秘思想、道家の母体か? 河図洛書、孔丘秘経など。年末から年始に盛大なかまど神の祭り、讖は予言書、緯は経の解釈書、緯書に王莽の時代のものがない、道教経典に緯書の引用、天の陰陽・人の仁義・地の剛柔、劉氏が天命を受け帝位につくと瑞気が軫宿に・五星が井宿に、父母に孝行だと2000点・天に記録されて褒美あり」    緯書の基礎的研究┃安居香山・中村璋八┃国書刊行会┃1976「孔丘秘経、図讖と仏教、資料の問題点。王莽の符命政治は自身より、王莽は女性的、帝王の異相は緯書より」
     ⇒ 安居香山(やすい・こうざん)1921〜89。支那哲学。 
3#   修訂 中国の呪法┃沢田瑞穂┃平河出版社┃1984「▽中国超能力史  漢代に専門視鬼・巫の一種  邪鬼の制圧の道具は符と剣と水  鬼神を使役する高獲・光武帝の友人  禁気の術をする劉憑・隊商の護衛も  発熱悪寒戦慄するマラリアを瘧と呼ぶ  泣く子も黙る魔除けの絵になった勇士:劉胡・楊大眼・麻秋・檀道済・桓康  声を長く引く口技・長嘯・魏晋から唐の名士に流行  口をすぼめ両唇を合わせまるめた隙間から呼気を押し出す・オー・ホー  霊魂を招き導く巫祝の呪法・風雲を呼ぶことも  周漢時代の嘯は霊魂・役鬼・精霊・鳥獣・風雲・雷雨など異類異物を招集する呪法  武帝の離宮甘泉宮に至る車道に木人を埋める・武帝を呪詛  木を刻んで人の形にし土中に埋める・枷を加え両手を縛り心臓に釘を打つことも  女を裸にして姦淫する玉女喜神術  陰門陣の秘法:陰部まるだしの女たちを陣頭に立てて敵の火砲を沈黙させる  後漢の龍伯高の青[食迅]方=青精飯を服す  青精飯は漢代からの道家の秘方  南燭草木の葉を突き砕いて煎じた汁で米を炊ぎ乾かす・紺青色の乾  -  『老子中経』符、剣、かめ水の三宝により鬼の姿を見る  前漢に巫覡術士、視鬼、見鬼とも  男が覡、女が巫  巫蠱、木偶人を地中に埋めて人を呪詛する  胡人の巫  辟鬼、劾鬼、召鬼、使鬼、役鬼  『抱朴子』『神仙伝』  精怪の正体は野獣、畜類、魚鳥、樹木。蛇、狐、猿、亀が多い  符水を飲む:霊符を描いた紙/絹地を焼いて灰とし、水に投じてかき回した後に飲む  魅病:邪怪に魅入られて精神異常  禁術は越方、南方の術、生き物を呪縛、器物を自在に動かす、念力も  漢代は北方系の胡巫、南方系の越巫  迷信と武芸を並列して禁止した明代  劉憑:数百人の賊を禁気の術で壊滅、大風を起こし念力をかける  老嫗、禹歩をして気をなす  入山道士の毒蛇制圧法≒蛇の飼育係の調教法  瘧を払う桃の木の剣  隠淪:変身、透明、透過の術  死者の霊魂を招く。トリックや催眠暗示、幻灯などを使う  元代の妖術殺人:少年少女を誘拐して殺害、心臓や肝臓を採って干し固めて粉末に、包んで五色の糸で頭髪と括り併せて人形に、符水をもって呪して邪法用の呪具に  超能力は一対一、呪詛は在天の神霊を経由するもの  漢代の木偶人、桐の木を使う  鼓舞=シャーマン踊り  呪詛には相手の姓名生年月日呪詛の文句が必要  平城京跡から木刻のヒトガタ、蠱道が日本古代にも  左官と大工、家を建てたときに不満だと魘魅の術で住む人を呪う  蠱毒:西南異民族の術  蜀に始まる金蚕の毒  隋の猫鬼、独孤陀の左道  小児の夜泣きと猫の泣く声はそっくり  宙返りを繰り返して呪詛する巫、張生  未来を映し出す鏡  北宋の名将狄青、銭を百枚投げてすべて表  桃の木がよく悪鬼を殺す  第一輯 見鬼  第二輯 呪詛  第三輯 蠱毒  第四輯 雑卜  第五輯 厭勝」
     ⇒ 沢田瑞穂(さわだ・みずほ)1912〜。中国文学。 
3#   風水探源:中国風水の歴史と実際┃何暁マ┃三浦國雄,監訳┃宮崎順子┃人文書院┃1995┃1990「風水という言葉は郭璞の葬書より、磁石の司南は春秋戦国時代の発明、最古の風水書・堪輿金匱の六壬術、漢代の六壬盤、論衡に図宅術・禁忌・厭勝・魔除け」
     ⇒ 何暁マ 
3#   風水講義┃三浦国雄┃文春新書┃2006「"地理人子須知"を通じて風水説の仕組みを知る、藪内清:占星術から天文学が生まれたのではない・天文学のレベルが高くないと占星術は生まれようがない、風水は科学でも哲学でも宗教でもなく術・占術、学術のレベル道・技・術、家に不幸が続くとき改葬してよい、崑崙河源説・張騫により提唱、須弥山・スメール山・仏教・世界の中心の聖山・その南の大陸が我々に住むところ、明代の開封は地下5m、北宋の帝都はさらに7m地下、風水では周辺より少しでも高いところは山とみなし低いところは水とみなす、山の連なりをクランの生命連鎖に見立てる、管輅の予言"玄武蔵頭,蒼龍無足,白虎銜尸,朱雀悲哭"、墓地の背後の山は低すぎ・丘陵の一方は長さが足りず・もう一方は勢いがなく・前方の池沢は水が涸れている、風水の明堂:すべてのパワーがそこへ収斂しそこから四方へ拡散していく場・元は儒教のイメージ、陰陽道の2種:陰陽寮という官僚組織と民間伝播した占術・呪術・技術」
3▽   不老不死という欲望:中国人の夢と実践┃三浦國雄┃人文書院┃2000「存思:イメージトレーニング・内観、太極拳:突くときに息を吐く・引くときに息を吸う、房中術:sexを養生や長生術に転用する、六朝の道教徒・二十歳に過度儀・師の前で性交する、思凡:天上人の下界ホームシック、錬金術=黄白術、素問:心臓/神・肺/魄・肝臓/魂・脾臓/意・腎臓/志、天から受ける魂・地から受ける魄、道教では魄はお尻の穴から出ていく、儒教の悟り:楽天知命・天人合一・脱然貫通、老荘:喪我・坐忘・心斎・虚室生白・槁木死灰、道教:白日昇天、太極拳:無極太極から陰陽が生じ万物が生じる天地創造の舞い、漢末の終末論:陽九百六の会、天人相関説=身体時令、同類感応・異類感応・物類感応・その他」
4◯   風水:中国人のトポス┃三浦国雄┃平凡社ライブラリー┃1995
     ⇒ 三浦国雄(みうら・くにお)1941〜。中国・朝鮮思想史。 
3◯   不老不死:仙人の誕生と神仙術┃大形徹┃講談社現代新書┃1992「類感呪術、仙人は若い、葛洪、陶弘景、久服、アマルガム、水銀と酸化水銀、玉、霊芝、松と毛、鬼と桃、導引図、五禽戯、老子=彭祖」
     ⇒ 大形徹(おおがた・とおる)1954〜。中国哲学。神仙思想、仙薬。 
2◯   道教┃アンリ・マスペロ┃川勝義雄┃平凡社┃東洋文庫┃1978「善行と悪行が記録され報われる、罰は道路修理と公共宿泊所へ食糧提供、エレホン無何有郷、許昌寺、黄巾も仏教を拝んだ、仏教とは不死を得るための新しい方法、光武帝の二人の道教徒の顧問」
     ⇒ アンリ・マスペロ(Henri Maspero)1883〜1945。仏。支那学。     中国占星術の世界┃橋本敬造┃東方選書┃1993「兵術占としての五星占、五行相生説と五行相克説」
     ⇒ 橋本敬造(はしもと・けいぞう)1941〜。科学史科学論、中国科学史。     儒教の知恵:矛盾の中に生きる┃串田久治┃中公新書┃2003「儒教は国家優先ではない、中国の家族主義、七去は三不去により骨抜きに、儒教は性善説と家族優先、孔融は禰衡の死により変化」    中国古代の「謡」と「予言」┃串田久治┃創文社┃1999「歌がそしる相手は誰か再検証。謡は知識人が作る、淮南王をそしる歌、武安侯田ふん、霍光は戻太子の恨みをはらす、王莽の簒奪は王太后の画策、扶蘇は人を信じて士を奮わす」
     ⇒ 串田久治(くしだ・ひさはる)1950〜。中国哲学、中国古代社会思想史。     もしも老子に出会ったら┃山田史生┃光文社新書┃2009「▽こんな少女おらん 天地には仁愛などない 西郷隆盛:命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業を成し得られぬなり 言葉そのものが考えにのぼることはない▽間違い/音読の空読み問題を考えてみよ "ある"という表現は"ない"に依存して理解される 大器晩成ではなく大器兎成・大器はできあがったりしないもの」
     ⇒ 山田史生(やまだ・ふみお)1959〜。中国哲学。     漢字を語る┃水上静夫┃大修館書店┃1999「現代中国人はすべて西方からきた、甲骨文字の踊り字」
     ⇒ 水上静夫(みずかみ・しずお)1922〜。中国の古代信仰、中国哲学。     毒薬は口に苦し:中国文人と不老不死┃川原秀城┃大修館書店┃2001「陶弘景は上清派道教の第九代宗師、冶金と練丹、唐太宗は中毒死、家庭に老子を一冊、道挙、玄宗と李白、練丹詩人李白」
     ⇒ 川原秀城(かわはら・ひでき)1950〜。中国哲学史。     風俗通義┃中村璋八・清水浩子┃明徳出版社┃中国古典新書続編┃2002「畫孰最難?孰最易?曰:「犬馬最難,鬼魅最易。」 何を描くのが最も難しく、何を描くのが最もやさしいか。「犬や馬を描くのが最も難しく、妖怪を描くのが最もやさしい。」 文帝の治世は宣帝ほどではない」
     ⇒ 中村璋八(なかむら・しょうはち)1951〜。緯書。     緯学研究論叢:安居香山博士追悼┃中村璋八,編┃平河出版社┃1993「魏相の象数易災異説、緯書の仙薬、緯書と道教の関係の深さ、古代相対性原理、曹彰は陰陽と緯書に博学?」
     ⇒ 中村璋八(なかむら・しょうはち)1926〜。緯書、陰陽五行、漢文学。     初期の道教┃大淵忍爾┃創文社┃1991「太平道と五斗米道の成立、三元説、老子胡化説、葛洪と抱朴子。張角はねずみ講、王莽以降最高神は皇天上帝、祭酒=長老、老子想爾注と五千字本道徳経は張魯が作者、抱朴子と論衡と潜夫論」
     ⇒ 大淵忍爾(おおふち・にんじ)1912〜。東洋史。 
3◎#  道教とはなにか┃坂出祥伸┃中公叢書┃2005「陶弘景の真霊位業図の第七階図に始皇帝も、西漢の羽人:耳が大きく眉が突き出て披髪・羽根を持つ人、娼婦から仙女になった張珍奴・北宋末、尸解仙・論衡が初出、馬王堆の房中書:十問・合陰陽・天下至道談、婦人を御する術に長じた甘始・東郭延年・封君達・後漢の人、古代のセックスは公的な意味が大きい、呪言とともに禹歩、歩綱躡紀・北斗の九星の動き・ぴょんぴょん跳ぶ・鳥の動き、馬王堆や雲夢・古代の巫が禹歩を行った、禹歩を三度・病気は治れの呪言、漢簡・四縦五横・九字切りの呪術、太上老君の呼称は北魏寇謙之より、唐の医療官制に呪禁師、呪禁の五法:存思・禹歩・営目/片目をつぶる・掌訣/親指を隠して握る・手印/二手十指の形の印契、魏伯陽より少し前の人・狐丘の著:出金礦図録・五金粉図訣・河車経・玄珠経、象数易:納甲法・十二消息卦、馬明生⇒陰長生……左慈⇒葛玄⇒鄭隠⇒葛洪、丹砂と金液重視の葛洪・魏伯陽と異なる流派、李白は道士・参同契の要約詩も、参同契を授けられた白居易、杜甫にも丹砂の詩、山の神霊の力・名山は修行の場で仙薬も豊富・名山で丹薬を煉る・太乙と玄女と老子の神座を設けて祭り五香を焚き香煙が絶えないようにする、血と気は異名同類、脈診:浮⇔沈・数⇔遅・弦⇔緊、三国時代の病気治療の教団:清水之道・帛家道・干君道、干吉の太平清領書から太平経へ、張陵・病気治療に房中術、王義之の王家は五斗米道、唐玄宗は道士皇帝、岡倉天心は道教の熱心な崇拝者、仏教系の気功集団法輪功、気功の創始者・劉貴珍、伝統気功の四功法:易筋経・六字訣・八段錦・五禽戯」
3◎   「気」と道教・方術の世界┃坂出祥伸┃角川選書┃1996「生命活動の根源が気、気は感応する・遠距離で瞬間に反応する、気韻生動:対象と見る側が一体となった境地・見る側と対象の気が感応することが大事、道教:気の運動に身を委ねて救済を求める宗教、西欧人は中国は儒教でなく道教の国と思っている、望気術:左伝655年より・兵法になり軍事占に・戦国時代末からマニュアル図あり・天文気象雑占や占雲気書に図、晋書天文志中の気の観察法・雲や霧に似る・上に見えると100里内近く水平で木々の隙から見えると2000里、医心方は丹薬の服用に強く反対、馬王堆の合陰陽の五欲の徴兆:女の顔が火照ったら口づけ・乳頭が堅くなり鼻が汗ばんだらゆっくり抱く・女の舌が軽やかでなめらかになったら身体をすりあわせる・股が湿ってきたら始める・喉が渇き唾を飲み込むようになったらゆっくりと女の体を揺する、張衡の同声歌に図を枕元に並べるとある・房中図の絵」
3# ? 中国古代の占法:技術と呪術の周辺┃坂出祥伸┃研文出版┃1991「相人術=天の気を受けたとき命が定まる、儒学と術数、占風術:軍事の勝敗と穀物の豊凶、風見鶏、星が風を生む、天文気象雑占、占雲気書、日旁の気、嘯で方術」
     ⇒ 坂出祥伸(さかで・よしのぶ)1934〜。中国哲学史。  
3  ? 道教┃P.R.ハーツ┃鈴木博┃青土社┃1994┃1993「訳者による訂正多数あり」
     ⇒ P.R.ハーツ(Paula R.Hartz)ノンフィクション作家、教科書編修、教師。     老荘思想の心理学┃叢小榕┃新潮新書┃2013「語りうる道は永遠不変の道ではない。名づけうる名は永遠不変の名ではない。 意味を見いだすことができれば、人はいかなる苦しみにも耐えうる。」
     ⇒ 叢小榕(そう・しょうよう)1954〜。作家、中国。     道教百話┃窪徳忠┃講談社学術文庫┃1989┃1982     道教の神々┃窪徳忠┃講談社学術文庫┃1996┃1986
4    道教の神々┃窪徳忠┃平河出版社┃1986「王重陽の活死人の墓、韓擒虎=閻魔、劉猛=劉リ、ほう涓も門神」
     ⇒ 窪徳忠(くぼ・のりただ)1913〜。東洋史学。文学博士。  
5    道教の神々と教典┃砂山稔・尾崎正治・菊池章太,編┃雄山閣出版┃1999「呉越春秋・越絶書:霊宝五符」
     ⇒ 砂山稔(すなやま・みのる)1947〜。中国思想史、中国文学。  

●● 東洋医学:漢方と気功について ●● 
3★☆? 癒す力をさぐる 東の医学と西の医学:図説・中国文化百華009┃遠藤次郎,中村輝子,マリア・サキム┃農文協┃2006「西域医学との導入で発達した中国医学、東西医学の対立と融合を明らかにする、三大伝統医学:ギリシャ医学とアラブ医学・インド医学と仏教医学・中国医学、多成分の混合状態で用いる方が単一成分より作用が強く副作用が少ない ⇒100%有り得ない・作用が強ければ副作用も強い、仏教医学の四大説:地大⇒水大⇒火大⇒風大、アユルヴェーダの医学理論・トリドーシャ説、ギリシャ医学の四体液説:血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁、糖膏剤・アラブ医学の薬・蜂蜜など練り込んで粘り気がある、医食同源は1970年代の日本製の言葉、薬膳は1980年代の中国で生まれた言葉、中国医学の中心理論は"精"、伝統医学としてのホメオパシー療法 ⇒これは疑似医学、ヒポクラテス:病気は自然が癒してくれる、Nature is the best physician of diseases、紀元前のアレキサンドリアの人体解剖の多さ、日本ではじめて人体解剖したのは山脇東洋 ⇒正確には部落の人であろう、紀元後16年の王莽の解剖・1045年の欧希範の解剖、解剖後すると図が正しくなるがしばらくすると記述が元に戻る、華陀は西域の人・イラン人説とイラン人に学んだ説、唐以降に仏教医学により吐方が導入、世界最初の国定薬局方・和剤局方、一人一人の調合から置き薬へ、傷寒論の治療原則・発汗剤や吐剤や下剤で病邪を外に排除する、中国医学では生薬の地下部を多く使いアラブ医学では地上部が多い、医師が薬局を持つことを禁止した神聖ローマ帝国フレデリック二世1194-1250、アラブ医学の一派・ウイグル医学が最も優れている、蒸留して作る剤形・アラク・透明の液体、7回の蒸留で作った蒸露剤、テリアカ・鎮静剤に近いとみるアムステルダム薬局方・解毒剤から鎮静剤へ、日本の温泉療法・ウイグルの砂浴療法、色即是空・色は物質、中国人と日本人の体質と気質の違い・薬用量が日本の3〜10倍、安産樹、象形薬理的病理論・生薬の形や色から薬効を理解」
     ⇒ 遠藤次郎(えんどう・じろう)1943〜。薬剤師、はり師、きゅう師。 
2◯〆  漢方の診察室┃下田哲也┃平凡社新書┃2003「企図振戦と嫉妬妄想に抑肝散・酸棗仁湯で睡眠薬が減った、西洋医学同様に漢方医学も不完全な発展途上の医学、日本漢方の方証相対・方と証が合致すると治療効果が高い・理論より経験、中医学の弁証論治・理論重視、証=治療的仮説、恒常性(ホメオスターシス)の医学、陰陽バランス:体温調節など、五行論敵バランス:臓器間の相互関係、虚則補之実則瀉之:足りなければ補い余分なら排除する、異病同治:異なった病気でも証が共通なら同じ治療でよい、同病異治:同じ病気でも症状によって治療法を変える、因時・因地・因人制宜:季節と生活環境と個人差で治療法が違う、上工治未病、黄帝内経:現代人は昔と違ってストレスが多く病気になりやすい、葛根湯:体を温め発汗させて邪気を取り除く・フール・プルーフ性、後漢末の金匱要略の八味丸、漢方にも副作用はある・自然だから良いというものではない、暝眩:一時的な不快さ・好転反応・中医ではほとんど知られない」
     ⇒ 下田哲也(しもだ・てつや)1955〜。内科・精神科・漢方全般の開業医、精神保健指定医。 
3▽   気の自然像┃山田慶兒┃岩波書店┃2002「運気論を再構成・気の自然哲学、パターン配列と重ね合わせ規則で現象ありのままの複雑さに接近、気の概念を捨てて気の理論を甦らせる、自然と人間を一体と見なす思想も負の成果を生み出す可能性を持つ、章炳麟:正と負の成果は相互に依存し正の成果があって負の成果がないことはあり得ない、沈括・降雨の日を予測して適中させる・五運六気による気象予測、傷寒論の六経弁証・六経は三陰三陽の六経脈、陰陽原理の八綱:寒-熱・虚-実・表-裏・陰-陽、手首の手太陰脈で脈を診る・頭頸手足の脈診法も・これは動脈・経脈は血管、脈は本来血管を示す概念、つぼを結んだ線としての経脈・経血脈と経穴脈、中国医学の概念は基本的なものもなお分析し明確化し再構成できるしそれが必要、宋代の癌は乳ガン、腫瘍の二種:浅くて広い癰・深くて悪性の疽、素問:宣明五気篇・心は神=感情・肺は魄=無意識・肝は魂=思考・脾は意=意識・腎は志=意志のはたらきを蔵す」
4◎  ■中国医学はいかにつくられたか┃山田慶兒┃岩波新書┃1999「中医の理論。石のメス、殷代のアル中やマラリヤ。イスラム世界にはユナーニ医学  『左伝』医和の病因論:陰-陽、風-雨、晦-明の三軸の三次元座標  『霊枢』の解剖学知見、王孫慶、西暦16年  前漢墓の太一占盤、『太素』  ▽六博に似る  『神農本草経』五味:酸塩甘苦辛、四気:寒熱暖涼で分類」    中国医学の起源┃山田慶兒┃岩波書店┃1999「倉公は前漢初・扁鵲は中期、経脈は血管、論衡では散剤と丸剤、後漢末に湯液派、元始5に本草書成立、採薬者の共同体と神祠、呪術療法、王莽2の八風台、九宮占風派、王孫慶の解剖と黄帝内経、三焦は一つ」
3#   本草と夢と錬金術と:物質的想像力の現象学┃山田慶兒┃朝日新聞社┃1997「製紙技術は極東へ800年・極西へ1500年かかった、天暦元年1328年の官暦の発行部数は312万3185部、現存最古の木版印刷物は韓国の陀羅尼経・8世紀前半長安で作られた、松烟墨は後漢の発明、爆薬の最古の記述・850年頃の錬金術書・真元妙道要略、宝船の排水量は3100t、本草は前漢末に成立した薬物学・神農本草経、周に占夢の官・漢書芸文志・黄帝長柳占夢十一巻・甘徳長柳占夢二十巻、素問巻24方盛衰論篇・五臓の気が虚・厥でみだりに夢を見る、霊枢巻7淫邪発夢篇、晋の楽広の因想説で夢の原理が明らかに・占夢が廃る、葛洪の神仙伝・陰長生は後漢新野の人・和帝の皇后陰氏はその曾孫・南陽の馬明生に道術を学ぶこと20年・太清金液神丹を授けられた・長生陰真人」
3▽   夜鳴く鳥:医学・呪術・伝説┃山田慶兒┃岩波書店┃1990「五十二病方の呪術療法、淳于意は医学教育の革新者、扁鵲と華陀伝説の変遷。口の悪い人は呪術療法に、気・言葉・唾、黄帝学派の五分派、灸は戦国中期より、鍼は戦国末期より、臓器が感情に対応、秦医学派に扁鵲殺さる、扁鵲は遍歴医、扁鵲は腫瘍切開の名人、八角形の炉、遍歴医と方士、人面鳥身神医像、華陀は脈診の名手」
3★   混沌の海へ:中国的思考の構造┃山田慶児┃朝日選書┃1982「幾何とは量を問う疑問詞、儒教はあらゆる思想を飲み込んで生長した・儒家こそ雑家、道家の自愛・墨家の兼愛・儒家の別愛=仁、儒教が仏教を吸収したのが宋学・宋明理学、左伝の子どもの命名法:信/名前をもって生まれてくる・義/徳にちなむ・象/容貌が似たものにちなむ・仮/誕生日にちなむ・類/父親にちなむ、中国の代数学的天文学・ギリシアの幾何学的天文学、世界で始めて合理的な十進法の位取りと表記法を発明した中国、中国人に欠如した演繹思考と幾何学的精神、ニーダム:中国の人間主義は奴隷にこがせるガレー船をつくらず、中国人の思考パターンは科学的というより技術的、ジョスイット:中国人は幾何学の問題を演繹によってでなく帰納によって解く、プトレマイオス・船が帆先から見えることで地球が丸いと知る・あらかじめ地球の概念があってこその発見、技術態的発想法・技術モデルをとして考える中国的思考、章炳麟の対象に迫る方法・普遍的なことに目をくれずひたすら特殊なものを追求すること・そうすれば普遍的なものを発見できる」
     ⇒ 山田慶兒(やまだ・けいじ)1932〜。中国医学史、科学史。 
2◯   至虚への道:太極拳経解釈┃楊進┃二玄社┃2009「歴史は300年、太極拳と呼ばれるようになって140年、1852年に河南の舞陽県で太極拳経が発見される、 自分は力を用いないで、楽な姿勢で、相手の力を利用する 重心の移動、自分で積極的に動くことを止める ゆっくり動き、力を使わない武術 太極とは、なにもないところから生じて動き出し、もしくは要素が発生するきっかけを与えるもの 前に出した脚を降ろしてはいけない 速度、範囲、力のすべて相手を上回ることがないようにする 相手の力を柔で対応し、余った相手の力で相手がバランスを崩す 弱きが強きを挫くことの根本は争わないこと 相手の剛の度合いに合った柔で対応する 足の裏の感覚から姿勢の正否を学ぶ 速い動きには無意識に反応し、緩やかな動きには意識的に反応する 自分の無意識の動きを自覚できるようにする 無意識の反射運動を自覚し制御することを身につけるプログラム 電車で安定するには重心を常に揺らしておく 常に相手と接触している状態が鉄則 捨己従人」
     ⇒ 楊進(よう・すすむ)1947〜。太極拳。 
2◯   鍼灸の世界┃呉澤森┃集英社新書┃2000「不妊や逆子の治療も。  ▽問題点については触れられていないので注意」
     ⇒ 呉澤森(ご・たくしん)中国。1946〜。中医師。鍼灸、推拿。 
4◯   中国医学思想史┃石田秀実┃東京大学出版会┃1992「子産の気の循環モデル、-300に陰陽五行成立、頭と天は丸く足と地は方形、正邪と虚邪、-2の伝染病専門病院、虚実・陰陽・寒熱・表裏の八綱弁証、傷寒論の表裏六経説、弁証論治、同病異治・異病同治  子産の身体の気をよい状態に置く方法:自然のリズムに合致、動かすことと休ませることの双方を重んじる、塞がり滞ることがないようにする  気象医学的思考  難:問いただす」    こころとからだ:中国古代における身体の思想┃石田秀実┃中国書店┃1995「中国の心身論、論衡の医術、書評4つ。五行と五常の気、三尸の起源、ここの悪の象徴が三尸、神霧をすい唾液を飲む、踵息、孟子の浩然の気」
     ⇒ 石田秀実(いしだ・ひでみ)1950〜。文学研究、法律経済学。 
3◯  ■東洋医学┃大塚恭男┃岩波新書┃1996「処方に名称、ギリシア本草、脈証12種、桂枝はおやつ?、サソリとトリカブトで毒が消える」
     ⇒ 大塚恭男(おおつか・やすお)1930〜。東洋医学研究、漢方医。医学博士。 
3#   漢方: 中国医学の精華┃石原明┃吉川弘文館┃読みなおす日本史┃2014「中公新書の再版 漢方の薬物療法のみ 黄河文明圏の黄帝内経 揚子江文明圏の神農本草経 しかし医学思想がこのように変化してきたので、ついに医学の目的は「未病を治す」ことを至上とし、すでに疾病を発したものを対象とする実地医療の技術を卑しみ、「医は小技」とさげすむ結果をまねき、迷信的な医療の巫系医学が盛んであった。 著者はアルコール性の肝硬変で55歳で死去」
3◯  ■漢方:中国医学の精華┃石原明┃中公新書┃1963「葛根湯医は名医、屠蘇は華陀より、伊尹の湯液、象形薬能論、黄河=針、揚子江=本草、江南=湯液、水銀入り銅人、王清仁の解剖図、ガンに効く神農丸、孫子のかけひき」
     ⇒ 石原明(いしはら・あきら)1924〜79。東洋医学史、医史学、漢方医。 
2#  ■くらしに生かす漢方の本┃木下繁太朗┃知的生きかた文庫┃1990「四気と五味と栄養価。古代日本人は牛乳を飲んだ、お茶で目を洗う、狭心症の発作には小指の爪根元を噛む、断食:メスを使わない内的手術」
     ⇒ 木下繁太朗(きのした・しげたろう)1925〜。医師、漢方医療の大衆化運動。     古代漢方医学入門:人体の自然な仕組み┃渡部迪男┃たにぐち書店┃2013「陰陽とは。陰は昼間、疲労原因、人間の活動。陽は夜間、疲労解消、健全性維持 張仲景の傷寒論だけを医学の根拠とする古方派 背が陽で腹が陰 膵臓が陰、腎臓が陽 夫道者能却老而全形。身年雖壽、能生子也。 宇宙自然の法則をよく心得ている者は、よく老化現象を克服して、身体を保全することができるので、暦の上の年令では百歳になっても身体はなお衰えず、従って子を作ることが出来るのであります。 疲れは飲食では回復しない。睡眠によってのみ回復する」
     ⇒ 渡部迪男(わたなべ・みちお)内科医、漢方診療。     中国名医列伝┃吉田荘人┃中公新書┃1992
     ⇒ 吉田荘人(よしだ・そうじん)1932〜。外科学、中国医学史。     気で読む中国思想┃池上正治┃講談社現代新書┃1995「気とは何かについての歴史変遷。白虎通の気の討論、元素・アトム・エーテル」
3# ?■気で観る人体:経絡とツボのネットワーク┃池上正治┃講談社現代新書┃1992「経絡ごとの気の流れの解説。6%の皮膚呼吸?」
3◎ ?■気の不思議:その源流をさかのぼる┃池上正治┃講談社現代新書┃1991「過剰評価気味。キルリアン写真、スプーン型磁石・司南、孔明は風水師、孫思ばく千金要方、貝原益軒、後漢霊帝の子孫丹波康頼、気≒プラーナ、経絡≒チャクラ」
     ⇒ 池上正治(いけがみ・しょうじ)1946〜。中国語翻訳、東洋医学。 
2▽   天山山脈薬草紀行┃難波恒雄・池上正治┃平凡社┃2001「ウイグル医学の4つの元素:火気水土、ユナニ医学=ギリシア医学、ホータンの134歳の男性の結婚、糞の形状:ビー玉のようなころころした羊糞・小さな俵のような馬糞・ぐしゃりと地面にはりついた牛糞、雪蓮花:深山にのみ咲く・この世ならぬ香気、一日三回笑えば薬はいらない、ラクダは砂漠の舟・ヤクは高原の舟、ゴビの植物の代表は麻黄、キジルのわき水・水源の水の音は妙なる音楽のよう、甘露・アムリタ、日本人と甘草の関係・菓子の原料・醤油の製造に使用、海抜-154mのアイジン湖、トルファン地区の8割は海面下、トルファンの砂浴療法、トルファンのブドウ、火焔山=クバロクタ・直射日光の場所は70℃・高さ500m、天山山脈東部最高峰の聖山ポゴタ5445m、ウルムチの天池・西王母が湯浴みした小天池」
_   ■薬になる植物┃難波恒雄・久保道徳┃保育者カラーブックス┃1971
     ⇒ 難波恒雄(なんば・つねお)1931〜。生薬学、薬用植物。 
3#◯ ■中国医学の歴史┃傅維康,編┃川井正久,他訳┃東洋学術出版社┃1997┃1994「ダーウィンも読んだ本草綱目、原始時代の女性死亡率は男性より5割高い・妊娠時に死亡、死体の2/3は子ども、後漢に編集された神農本草経、」
     ⇒ 傅維康(ふ・いこう)1930〜。中国医学史。 
3☆#  漢方の歴史:中国・日本の伝統医学┃小曽戸洋┃大修館書店┃1999「周礼の医師:食医・疾医・瘍医・獣医、漢書藝文志:病気になって医者にかからないのは中程度の医者にかかったのと同じ、馬王堆の夫人・身長154cm・生前は70kg・50歳前後で死亡、十一脈灸経・今の中医より心包経が少ない・五臓六腑に三焦を足した段階、導引図の帛画、黒漆塗りの経脈を示す木製人形、神農本草経:上薬:霊芝/人参/地黄・中薬:当帰/芍薬/麻黄/葛根・下薬:大黄/附子/杏仁/桃仁、薬物の配合は君・臣・佐使・1-2-5か1-3-9に配合する、七情の7パターン:単行・相須/互いに協力・相使/一方的に協力・相反/互いに有効性を消す・相悪/一方的に有効性を消す・相殺/互いに毒性を消す・相畏/一方的に毒を消す、呂氏春秋の萬菫不殺・サソリとトリカブト・毒性が打ち消し合う、五行説の細部は牽強付会・どんな詭弁も可能な構造、張仲景の琴・古猿と万年、張仲景は開腹手術もした・赤い餅のようなものを腹に入れて治療・皇帝の消渇/糖尿病を八味丸で全治、日本の五月五日の薬猟り・薬草を採取する・行楽化し男女の野遊びに、朝鮮の医書・医方類聚・1443年、秀吉の武将・活字印刷機を戦利品として持ち帰る、中国の医師は科挙落第者・日本の医師は幕府の医官や藩医で地位が高い」
     ⇒ 小曽戸洋(こそと・ひろし)1950〜。生化学、医学博士。   ? 男のための漢方┃幸井俊高┃文春新書┃2005「科学に対する理解のなさが目立つ。対症療法と根治療法、副作用と治療ミスの区別が不適切。砂糖は身体を冷やす・急速に吸収され過ぎる、副交感神経の活動をうながしリンパ球を増やす・交感神経の緊張が病気を引き起こす、ストレスによる緊張状態でステロイドホルモンが分泌され免疫力が低下、シュタイナーの人智学:人体は肉体とエーテル体とアストラル体と自我、鼻のつまりを通す生薬:鬱金・香附子など、湿熱の体質・湿邪や痰飲が体内で停滞して熱をともなう、副作用ではなく処方ミス」
     ⇒ 幸井俊高(こうい・としたか)1960〜。中医師。  

●● 中国科学技術史 ●● 
6    東洋の科学と技術:藪内清先生頌寿記念論文集┃同朋社┃1982「天然痘予防接種は宋初の道家より、白水侯方、太医署は医学校、薬の調合は見られてはいけない、古代の刺繍」
3〆▽ ■科学史からみた中国文明┃藪内清┃NHKブックス┃1982「考古データあり。馬王堆医簡、武威医簡、二十八宿の起源」
5    歴史はいつ始まったか:年代学入門┃藪内清┃中公新書┃1980「太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦、紀元と元号、日本書紀の謎、周王の即位年、エジプト王朝の年代。詩経十月之交は平王三十六年日食、AD=AnnoDomini」
5#〆 ■世界の名著:中国の科学┃藪内清,編┃中央公論社┃1975「藪内氏の中国科学史、九章算術、漢書律暦史、晋書天文志、黄帝内経素問(抄)の訳。蓋天・渾天・宣夜説、蚩尤期=オーロラ、」
5◯   中国文明の形成┃藪内清┃岩波書店┃1974「後漢までの科学史。天文学に詳しい。殷代の黍酒、詩経の星、十二次、溶鉱炉爆発事件、墨子のピンホールカメラ、洛陽書店立ち読み王充、天に意志なし、髪が沐・体が浴・足が洗・手が盥、卜は天に筮は地に問う、後漢は諸子百家が盛ん、王莽人体解剖と銅像、張衡とヘロン、南陽と鉄工業」
4〆◯ ■中国の数学┃藪内清┃岩波新書┃1974「天文と経済官僚のための数学。八陣図や魔法陣など」
3〆◯ ■中国の科学文明┃藪内清┃岩波新書┃1970「数学が発達していたらしい」
5    中国の天文暦法┃藪内清┃平凡社┃1969「天文学者多数、イスラムとの比較、計算法など」
4◯  ■中国古代の科学┃藪内清┃角川新書┃1964「南北人口比表、晋代のアルミニューム、前6世紀のガラス、墨子の“矢は的にあたらず”、日の吉凶を示す十二直、暦注を読まぬなら暦はいらぬ、竄=座薬使用、水運渾天儀」
5    天工開物の研究┃藪内清,編┃恒星出版┃1953「原文と翻訳+解説」
     ⇒ 藪内清(やぶうち・きよし)1906〜。宇宙物理学、天文学、中国科学史、中国科学技術史。     ニーダム・コレクション┃ジョゼフ・ニーダム┃牛山輝代,編訳┃ちくま学芸文庫┃2009┃1970「化石を世界で初めて発見確認したのは朱熹、アルケミーは練金術より・lienkimshokからalkimmへ、洗冤録に解剖図、商人が権力を持ったヨーロッパ、紀元前30年までに跳ね槌装置を動かす水車が普及、中国の鉱石は燐の含有率が高く融点が約200度低い・鋳造技術の発展に、世界の文明で唯一古代の言語が継続している中国、河車は金属鉛、禹余糧は赤鉄鉱の褐色の球状塊、西洋と中国で共通した星座の形:大熊座・オリオン座・馭者座・南冠座・南十字座」    中国の科学と文明:1巻序篇┃ニーダム┃思索社┃1974「西洋科学との交流と関係。西洋がいかに中国の発明について知らないか。秦論は孫権に経緯を、脳手術で視力回復:良性腫瘍、謎のローマ兵、古書一覧」    中国の科学と文明:2巻思想史上┃ニーダム┃思索社┃1974「司馬遷と王粛は道家、儒は物理研究を否定、荀子とアリストテレス、孔子子孫は後漢より、道家と科学、老子は河南の貴族、老子の共産主義解釈、蠱=毒虫、建平4年西王母信仰、女子の月光浴、墨子丹法、五行変化墨子、墨子枕内五行紀要、法家は極右、道家は極左、五行=5つの力、連山、帰蔵」    中国の科学と文明:3巻思想史下┃ニーダム┃思索社┃1975「易、占星術、王充、人相、手相、占夢、仏教思想、晋以降の思想史、東西の比較」    中国の科学と文明:4巻数学┃ニーダム┃思索社┃1975「そろばんは後漢徐岳、籌策=算木:直径1/10寸長さ六寸271本で六角の束:陳平は名手、桑弘羊は暗算の名手、王戎の象牙の算木、墨家の幾何学」    中国の科学と文明:5巻天の科学┃ニーダム┃思索社┃1976「蓋天説・渾天説・宣夜説、日時計とTLV鏡と六博、渾天儀の発達、晋の水時計、天文記録と気象記録、王充の迷信打破」    中国の科学と文明:6巻地の科学┃ニーダム┃思索社┃1976「地理学、地図学、地質学、地震学、鉱物学。諸葛亮の図譜、150人のローマ兵、唐代の等高線図、漢代の油のためのアザラシ狩り、梁冀の石綿服」    中国の科学と文明:7巻物理学┃ニーダム┃思索社┃1977「光学、音響学、電磁気。原始論とアルファベット、油を芯で燃す、始皇帝墓のアザラシ油ランプ、北魏にガラスが国内生産、論衡の点火レンズ、武帝と影絵、威斗は一尺三寸スプーン型のガラスをちりばめた青銅製、象棋は周武帝より、二十八宿が歩、王は日と月、大砲と戦車は彗星」    中国の科学と文明:8巻機械工学上┃ニーダム┃思索社┃1978「奴隷反乱なし、工具:直線を見る綱、下げ振り=縄、水準器=準、物差し=尺、コンパス=規、直角定規=矩、はかり=権衡、さおばかり=秤、新のノギス、王莽の開閉式天蓋、後漢末折り畳み椅子、奴隷が荷物運びしない、墨子とフイゴ、漢初に回転臼、唐高宗と板バネ、頸帯式馬具は蜀より」
5    中国の科学と文明:9巻機械工学下┃ニーダム┃思索社┃1978「はねつるべ、時計の歴史、パラシュート。龍骨車は戦国より、新より水車で穀物を搗く、王鎮悪の外輪船、侯景の乱と凧と伝書鳩、葛洪の竹とんぼ、熱気球は中国より」    中国の科学と文明:10巻土木工学┃ニーダム┃思索社┃1979「道路、駅伝、都市建築、橋、水利潅漑。雲台=天文台、漢代のセントラルヒーティング、11年の洪水が新崩壊へ、孫叔敖のダム、長安の運輸の悪さ」    中国の科学と文明:11巻航海技術┃ニーダム┃思索社┃1981「羌との戦いの渡河戦+88、越王の水軍-472、呉の徐承の水軍-486、アフリカ地図、鄭和、扶桑はアメリカ?、アメリカに周期的アジアの影響、淮南王伝の徐福、航海と望斗、後漢に船尾舵、孟嘗の真珠保護」
     ⇒ ニーダム(Joseph Needham,李約瑟、丹耀、十宿道人)1900〜95。中国科学、国際科学、生化学、発生学。 
3#   中国古代農業技術史研究:東洋史研究叢刊┃米田賢次郎┃同朋舎出版┃1991「五月に雨があれば親と会っても挨拶抜きで失礼にあたらない・五月及澤父子不相借、華北乾地農法・降雨の大豊作では平年の4倍にも、飢饉を乗り切るには小さい単位の相互扶助より大きな単位で相互扶助が効果的、中国の血縁社会・独立的小家族を中に含んだ大家族制・族と家の二重構成、一頃は一夫・一戸の労働力を消費する面積、日当は柴の十束・柴1足三銭・月では500銭程度、貨幣は富裕階級に流通も小農民には浸透せず、荘園商業は荘園単位で窓口一本化、二年三毛作が面積は少ないが普及、兵制と邑制の完全一致の建前、南陽の主要農業は水稲、水田開発には水利網の完成が不可欠・大地主か官にのみ可能、投資しても陸田より多く利益、後漢江淮の大土地所有者に高次の農業生産性を見いだす、後漢の南陽・冬に稲・夏に麦・米麦二毛作、江淮は鎌で刈るが北土は手で抜かねばならぬ、漢・六朝の水稲作技術・一般に直播連作・先進地域では水陸の年二毛作も、後漢から魏晋南北朝・華北乾地農法の前漢から江南水田農法の隋唐への移行期、稲は本来高温多湿地の作物も水量が確保されれば中国本土のどこでも栽培可能、狐奴・河北省順義・長城に近い地で水田を開いた張堪、荘園は農業技術改革のセンター、建武16年・建初元年・牛の疾病の国家問題・牛耕の普遍化、牛の飼育には共有地か未開墾地が必要・荘園主の所有に、後漢は経済的充実の時代、水田の収穫量は畑作の3倍、大洪水の地域での火耕水[耒辱]・田植でなく直播き、後漢では一部で既に田植えが行われた、西洋の農法・三圃農法やノーホーク式農法も年一回以下の播種、肥料:かいこの糞・乾糞、漢代の木簡に混合肥料の記述」
     ⇒ 米田賢次郎(よねだ・けんじろう)1919〜。東洋史。 
3☆   中国農業史┃フランチェスカ・ブレイ┃古川久雄┃京都大学学術出版会┃2007┃1984「中国では収量が播種量の20-30倍・中世ヨーロッパでは3-4倍、気温が高い漢と唐で水稲の範囲が拡大、気温低下で揚子江下流で冬麦を導入した宋代、甘い香りの花ショウブの開花を合図に農作業の時を計る、マルサスを逆転させたボスラップ:農業発展は人口増加の結果、播種ドリルを導入した前漢の趙過、人糞尿肥料の使用・殷商時代より、ミレット:粟・稗など小粒穀物の総称、トウモロコシの最古の記録は1511年・潁州志、ピーナッツは16世紀初に福建より、綿栽培は13世紀後期に揚子江地方に到達、漢代・関中で冬小麦栽培、四民月令・小麦粉のウドンや団子が急速に普及」
     ⇒ フランチェスカ・ブレイ(Francesca Bray)中国農業史。     人口の中国史:先史時代から19世紀まで┃上田信┃岩波新書┃2020「貧困層の放置を見解としたマルサス  趙、謝『中国人口史』  始皇帝の一君万民の体制  夏の人口は270万人程度  商の前期400-450万人、後期780万人  周540万人  春秋時代1400万人  戦国時代3030万人  始皇帝の死の直前、2000-3000万人  ▽始皇帝の統治の時代に人口が数百万人減少  武帝の政策のため人口は半減したと考えられていた  85年妊娠した女性に一人一斗の穀物、胎養穀、夫の人頭税免除  唐639年、304万戸1235万人  780年両税法  元の人口は6000万人に減少  溺女:女子を水につけて間引く  人口急増:貨幣経済の地域社会への浸透  東アジア・ステージ:周〜後漢、後漢後期〜唐、安史の乱〜  東ユーラシア・ステージ:元〜  グローバル・ステージ:1842年南京条約〜  序章 人口史に何を聴くのか  第1章 人口史の始まり 先史時代から紀元後二世紀まで  第2章 人口のうねり 二世紀から一四世紀前半まで  第3章 人口統計の転換 一四世紀後半から一八世紀まで  第4章 人口急増の始まり 一八世紀  第5章 人口爆発はなぜ起きたのか 歴史人口学的な視点から  第6章 人口と叛乱 一九世紀  終章 現代中国人口史のための序章」    トラが語る中国史┃上田信┃山川出版社┃2002「河北は2世紀まで2℃高い、春秋戦国時代の華北に象、瘧は三日熱マラリア、瘴は熱帯熱マラリア」
2◎   森と緑の中国史┃上田信┃岩波書店┃1999「随筆。歌と結婚、落葉樹のアベマキ、ナラカシワ、チョウセンヤマナラシ、武漢:タブノキ、アラカシ、漢広は開拓村の歌、森を守る虞人、森林は8%、史念海:戦国末に黄河が濁る、北⇒東⇒西⇒南と木が生える、楓⇒フウ   黄河流域:落葉樹のアベマキ、ナラカシワ、チョウセンヤマナラシ、武漢:タブノキ、アラカシ、漢広は開拓村の歌、森を守る虞人、森林は8%、史念海:戦国末に黄河が濁る、北⇒東⇒西⇒南と木が生える、楓⇒フウ、杉⇒コウヨウザン、柏⇒コノテガシワ(ヒノキ)、桜⇒ユスラウメ、椋⇒チシャノキ、椿⇒チャンチン」
     ⇒ 上田信(うえだ・まこと)1957〜。中国社会史、アジア社会論、中国森林史、中国社会史。  
4☆ ? 図説・中国の科学と文明┃ロバート・K・G・テンプル┃河出書房新社┃1992「ジョセフ・ニーダムのコンパクト本」
     ⇒ ロバート・K・G・テンプル(Robert K.G.Temple)1945〜。東洋学、サンスクリット語、科学記者、映画・TV番組制作、フリープロデューサー。シリウス文明など「と」系ジャーナリスト。     中国古代農業博物誌考┃胡道静┃渡辺武┃農文協┃1990「大豆は中国原産、粱>粟、菜瓜シロウリ、甜瓜マクワウリ、冬瓜トウガン、瓜は大根と漬物に、沈括と淤田法、小惑星沈括、工学専門書周礼孝工記、四大農学者:徐光啓・范勝之・賈思□・王禎、実験科学者徐光啓   大豆は中国原産、粱>粟、菜瓜シロウリ、甜瓜マクワウリ、冬瓜トウガン、瓜は大根と漬物に、沈括と淤田法、小惑星沈括、工学専門書周礼孝工記、四大農学者:徐光啓・范勝之・賈思□・王禎、実験科学者徐光啓、」
     ⇒ 胡道静(こ・どうせい)農業科学、博物誌。 
3#   中国古代化学:新しい技術やものの発明がいかに時代をつくったのか┃趙匡華┃廣川健、尾関徹┃丸善出版┃2017┃1996「黄銅=真鍮、錬金術 東漢の和帝の青磁器、殷から続く原始青磁から真の青磁へ 東漢、混じり気がない透明なガラス作成、鉛丹や黄丹を用いる 魏伯陽はれん丹術に陰陽の釣り合いの原則が不可欠と考えた」
     ⇒ 趙匡華(Zhao Kuang Hua)19〜。。 
3#   四川の考古と民俗┃クリスチャン・ダニエルス(唐立)、渡部武,編┃慶友社┃1999「擲剣=手裏剣、巴族は擲剣の腕で首領を決める、雲南の牛耕は後漢初中期より、四川南部の懸棺葬・崖に棺、跳舞=アクロバット、羽根追い、舞風車=連続後方宙返り、稗の特徴:水害干害に強い・荒れて雑草が多くても収穫できる・粟に劣らない・酒を醸造できる」
     ⇒ クリスチャン・ダニエルス(唐立・Christian Daniels)1953〜。フィージー。中国の技術史。     中国農書が語る2100年:中国古代農書評介┃石声漢┃渡部武┃思索社┃1984「歴代の農書の紹介。日本の研究書のリストも」
     ⇒ 石声漢(せき・せいかん)1907〜72。古農学、植物生理学、生物学、音韻学。 
3#   感染症の中国史:公衆衛生と東アジア┃飯島渉┃中公新書┃2009「ペストは雲南の地方的な病気  ペストの致死率、中国人70-90%、日本人50%、イギリス人2%  ハワイの原住民はヨーロッパ人の伝染病で30万から6万まで減った  ▽感染病の近代史  台湾のペスト対策  コレラはベンガル地方の感染症  『後漢書』に雲南のマラリア、瘴気、瘴疫  日本住血吸虫病、根絶は90年代、メカニズムの発見が日本人、そのため日本人が持ち込んだとしばしば誤解  1867-1946 桂田富士郎。日本住血吸虫病の寄生虫を発見  馬王堆からも日本住血吸虫病の卵、水毒、水蠱、蠱毒、蠱ちょう  第1章 ペストの衝撃(ペストのグローバル化―雲南・香港から世界へ  感染症の政治化―列強の思惑と国際ペスト会議)  第2章 近代中国と帝国日本モデル(公衆衛生の日本モデル―植民地台湾と租借地関東州  中華民国と「公衆衛生」)  第3章 コレラ・マラリア・日本住血吸虫病(コレラ―一九世紀の感染症  台湾のマラリア―開発原病)  終章 中国社会と感染症」
     ⇒ 飯島渉(いいじま・わたる)1960〜。。     絵で見る:中国の伝統民居┃荊其敏┃白林┃学芸出版社┃1992
     ⇒ 荊其敏(ジン・チミン)1934〜。建築学。  
3    物候学:大自然語の手引き┃竺可驗ォ円青社┃1988「粟を播く・2月上旬ポプラの葉が出て花芽がつく時・3月上旬桃の花が咲く・4月上旬棗の木に葉がつき桑の花が散る、物候学・phenology・生物の気候変化による周期現象」
     ⇒ 竺可驕i)現代物候学。  
4☆   中国手工業誌┃R.P.ホムメル┃国分直一┃法政大学出版局┃1992┃1937「鍛冶屋タン・ティエン・チェの伝説、なめし革の技術なし」
     ⇒ R.P.ホムメル(Rudolf P.Hommel)1885〜1950。独。化学、アメリカ史、古器物。  
4    中国科学技術史(上)┃杜石然他,編┃川原秀城他┃東京大学出版会┃1997┃1982
     ⇒ 杜石然(と・せきぜん)  
6    中国農業史研究:増補版┃天野元之助┃御茶の水書房┃1962「作物、栽培技術、農具の発達。呉越楚ではうるち、コムギと粉食技術は張騫物、新代の洛陽に粉食なし」
     ⇒ 天野元之助(あまの・もとのすけ)1901〜。中国古農書、中国農業史。  
4    中国の数学通史┃李迪┃大竹茂雄・陸人瑞┃森北出版┃2002┃1982「計算例が豊富。王莽の律嘉量」
     ⇒ 李迪(り・てき)1927〜。数学。  

●● 中国軍事史 ●● 
2◯   諸子百家:儒家・墨家・道家・法家・兵家┃湯浅邦弘┃中公新書┃2009「君子は国政に参与できる地位や身分のある人のこと、知彼知己百站不殆、彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」
3#▽  よみがえる中国の兵法┃湯浅邦弘┃大修館書店┃2003「孫子:art of war、銀雀山出土の孫子により12番目の火攻篇と13番目の用間篇の順序が逆と判明、神:能く敵に因り変化して勝ちを取る者、之を神と謂う、竹簡本:守は則ち余り有り攻は則ち足らず・守備は攻撃より有利、呉子:士卒の力量わ個々に把握して選抜・魏の武卒に、魏の武卒:三種の鎧と十二石の弩を持って百里の行程を走破する試の合格者・労役や税の減免、尉繚子:魏の恵王に仕える・始皇帝ではない・商鞅の変法と富国強兵における類似、司馬法の国容と軍容、占雲気書:雲気の形状・様態・規模・位置・時間・色彩・高度・変化を見る呪術的兵法、孫子:善く兵を用いる者は其の鋭気を避けて其の惰気を撃つ、里耶竹簡」
3#▽  中国古代軍事思想史の研究┃湯浅邦弘┃研文出版┃1999「呉起・武卒という専門の精鋭兵を編成・孫子の民衆一律徴用との違い、隋から唐の府兵制・半徴兵制度、晋の重耳の歩兵部隊"三行"の創設、春秋時代の兵書"軍志"、孫子は将軍の過剰な廉潔さと慈愛を戒める、孫ピン兵法の攻城戦重視・孫子との違い、呉子の武卒は辺境土地開発や免税措置と一体化したもの、戦国後期の編成・歩兵1000戦車1騎兵10の比率、尉繚子の賞罰・六韜に同じ、司馬法における軍容と国容の区別、三略:礼を尊び禄を重くする・爵財礼義の重視・孫子や尉繚子の文武威愛の文と愛を重視、三略は君主だけでなく家臣にも徳と威を求める・平時の文と愛の原理を軍事に適用・孟子や荀子の系列、徳の尊重:孟子・荀子・三略、軍法の平時の適用:商鞅・孫子・尉繚子、平時と戦時を峻別:司馬法、三略は君主を読者対象とした政治論・漢代の中国的文武観の成立と儒教の国教化の密接に関係、秦律:耕作地の雨量に留意・春2月の材木伐採の禁止・動植物の狩猟採取の解禁期・牛や羊の最低出生率の明示、工人を賞罰でノルマ達成を促す、呂氏春秋・寝兵説:恵施や公孫龍など名家、救守論:墨子など」
     ⇒ 湯浅邦弘(ゆあさ・くにひろ)1957〜。中国哲学。 
2#   高松塚とキトラ:古墳壁画の謎┃来村多加史┃講談社┃2008「高松塚は高句麗でなく唐の影響 高松塚とキトラには同一の墓泥棒が侵入 高松塚とキトラの両古墳の壁画を手がけた画家は同一人物 高松塚とキトラの四神図は同一の原画が用いられた 聖徳太子は黄文画師、山背画師、簀秦画師、河内画師、楢画師を定めて税を免除、五つの画師集団 画師、黄文連本実 キトラ古墳の天文図、68の星座、350の星 星宿はもともと二十七宿、月の公転が27.3日だから、後に一宿追加 翼宿と張宿を間違って逆に配列、黄道もずれている 前漢後期の壁画天文図、西安交通大学付属小学校壁画墓の天文図 狩人が網をもってウサギを追う畢宿、猫頭の鷹の觜宿、上半身だけの男を二人が輿に乗せて運ぶ鬼宿、両角を突き出す青龍の角宿、ひざまづく男が星座を持つ箕宿、脚を踏ん張った男が柄杓形の星座を持つ斗宿、農夫が牛をひく牛宿、織女が織機形の星座の中に座る女宿、亀の頭と四肢を象る五角形星座の中に蛇が泳ぐ虚宿、二頭の獣とわかる壁宿、奎宿 鶴は千年、亀は万年は抱朴子より キトラの十二支像、服を着ている 後漢の時代に武道の精神が芽生えた ピクニックに誘う人々か?」
3◯#  万里の長城攻防三千年史┃来村多加史┃講談社現代新書┃2003「斉の長城は堤防より、楚の方城、秦の長城は森林草原の境界線だった、漢代は烽は木枠に赤い布の旗、唐の烽燧は時速44km・漢で26km・伝馬は7km、三石弩と六石弩、長城は通信による迎撃システム、昭陵六駿、界壕、交易は固定された住み分けと境界の一点に商品が集中して成立」
     ⇒ 来村多加史(きたむら・たかし)1958〜。中国考古学、中国軍事史。  
2☆  ■武器と防具┃篠田耕一┃新紀元社┃1992
2☆  ■三国志軍事ガイド┃篠田耕一┃新紀元社┃1993
2☆   戦略戦術兵器事典1中国古代編┃学研┃歴史群像グラフィックシリーズ┃1994
     ⇒ 学研  

●● 建築学 ●●     中国江南の都市とくらし:水のまちの環境形成┃高村雅彦┃山川出版社┃2000「空間構造、住宅構成、文化拠点、保存」
     ⇒ 高村雅彦(たかむら・まさひこ)1964〜。アジア都市建築史。工学博士。 
3☆  ■中華中毒┃村松伸┃ちくま学芸文庫┃2003┃1998「紫禁城マニアとベルサイユ淫、ソウル景福宮は儒教より風水が優先」
     ⇒ 村松伸(むらまつ・しん)1954〜。建築学。  

●● 中国文化史:音楽 ●●     楽戸:中国・伝統音楽文化の担い手┃項陽┃好並隆司┃解放出版社┃2007「犯罪者の妻子が楽戸に、楽戸の民間の仕事:誕生日・満一歳の祝い・立春・上元節・天中節・迎神賽社・婚葬嫁娶、辺境の守備隊長は鼓吹楽人を所持、仏教徒の音楽・梵音」
     ⇒ 項陽(こう・よう)1956〜。中国音楽史、中国伝統音楽文化。  
5##  中国音楽史┃呉サ・劉東昇┃古新居百合子・南谷郁子┃シンフォニア┃1994「大夏は禹の治水の歌、和=合いの手、美しく情熱的な曲の終わりの乱、鄭音は旋律が美しく細やか、衛音は非常にテンポが速い、斉音は躍動的な旋律、広陵散に殺気、鄭声が流行、声曲折と呼ぶ記譜法   大夏は禹の治水の歌、   号子・[大/力]歌と呼ばれる労働歌   山歌・風俗歌と呼ばれる民謡。歌と和で演唱、歌は歌うこと、和は合いの手。管仲の帰還。   曲の終わりに乱。美しく情熱的な音楽   鄭音は旋律が美しく細やか   衛音は非常にテンポが速い   斉音は躍動的な旋律   伴奏なし徒歌   楚の民謡に、下里、巴人、陽春、白雪、渉江、采菱、陽阿、激楚。下里、巴人は易しく、陽春、白雪は難解。   声曲折と呼ぶ記譜法がある。   ●相和歌:もと楚声。打楽器を打ちながら歌い、他の人が吹奏楽をなす   徒歌=謡と但歌より。但歌は一人が歌い三人が和する。   吟歎曲と諸調曲、有辞有声:辞は歌詞、声は虚詞、楚声のように乱があることも。   ●広陵散には、「憤りで殺気がある」「甚だ不穏である」「臣が君を凌ぐ気がある」   ●東漢初年は、任真卿と虞長清が有名。   広陵散、王昭君、琴操、琴賦も相和歌   桓譚は鄭声を高く評価し、雅楽は今流行の音楽に及ばぬ、以後鄭声が流行   胡笳十八拍、   漢末王氏に鄭の舞   百戯=散楽   東漢の季尤の平楽観賦に、戯車高撞、馳[聘-耳+馬]百馬、烏獲扛鼎、呑刀吐火、陵高履索、飛丸跳剣、魚竜曼延  」
     ⇒ 呉サ()1935〜。古琴の演奏者、中国古代音楽史。 
3◯  ■中国の音楽世界┃孫玄齢┃田畑佐和子┃岩波新書┃1990「中国音楽の歴史。広陵散や崔健も。三分損益法により十二律が生まれた  ドレミソラ:宮商角徴羽:五音  楽曲の種類:散、引、近、慢  墨家は非楽、音楽不要論  礼記:13歳で詩と舞、15歳で射と馬」
     ⇒ 孫玄齢(そん・げんれい)1944〜。中国音楽研究。 
5#   中国音楽再発見:歴史編┃瀧遼一┃第一書房┃1992┃1964「兮は南方的、唐詩は歌わぬ、商売人と楽器、宴会婦人用ハープ?、雅楽・宴楽・俗楽、俗楽は男女混じりテンポ速くトーンも高い、笙曲南亥白華華黍崇丘申儀、史記の民謡、光武帝と陣中倡楽、百戯、角抵戯、永平十年明帝と楽器、童謡に伴奏なし」
     ⇒ 瀧遼一(たき・りょういち)1904〜83。東洋音楽。  

●● 中国文化史:神話・妖怪 ●● 
3#   増補改訂版 中国の神獣・悪鬼たち:山海経の世界┃伊藤清司┃慶應義塾大学古代中国研究会┃東方書店┃東方選書┃2013「増補改訂版の刊行にあたって慶應義塾大学古代中国研究会(文責原宗子)  I文明社会の内と外  「外なる世界」 「苛政は虎よりも猛し」 野生の空間 『山海経』とは何ぞや 「外なる世界」と『山海経』 禽獣との苦闘  II祟りの悪鬼  一人を喰う妖怪たち  人を喰う妖怪群 赤児の声で鳴く妖怪 山の怪・九尾の狐 美姫に化ける九尾の狐 角は妖怪の表象 川に棲む「人膝の怪」 水の怪とカッパ 怪物の空間 妖怪のすみか  二疫病神たち  視S、膏肓に入る 山川は疫鬼のすみか 子供に変身する疫鬼 病の怪・蜚 独脚の疫病神たち  三災禍をまねく怪神たち 洪水・ひでり  水害の怪神 空を飛ぶ怪蛇 猿の姿をした洪水の神 自分の名を呼ぶ妖怪 大地を焦がす旱鬼 鳥や獣の姿をした旱鬼 一首二身のひでりの怪 川を涸らす旱鬼 殷王朝の大ひでり  四災禍をまねく怪神たち 火災・戦禍・蝗害・労役  火の怪・回禄 火の怪・祝融 怪火を銜えて飛ぶ 巨猿の怪神 蝗害の怪 穿山甲の怪 戦乱の修羅場 戦禍の怪 兵主の神 双頭・牛形の怪神 戦乱の怪 山々に棲む戦禍の怪神 画像石上の怪神たち 処罰された神々 追放された凶神たち 労役の怪神 賦役の怪  五悪鬼博物誌(カタログ) 災いをさける方法  怪力乱神を語る 孔子と怪力乱神 山の怪・水の怪 個性ある山川の鬼神たち 鼎の上の怪神像 青銅器上の怪神 「山海図」と『山海経』 物識りと「百物録」 怪神と人間との出会い 秦始皇と湘山の神 始皇帝に怒る泰山の神 妖怪・鬼神撃退法 『白沢図』 神の咎を回避するための祭祀 神は非類をうけず  III恵みの鬼神  一山川の恵み  「外なる世界」の価値 「危険な空間」の魅力 山川の恵み 山川の恵みの中味 山中の霊草  二内科・外科の薬物  疫病よけの特効薬 薬物を佩びる 眼のめまいと魂のめまい 悪夢の呪薬 難聴の薬物 難聴の呪薬 できものの呪薬 疥癬の薬物 湿布と温泉療法 白癬の特効薬 薬物としてのおたまじゃくし 不老長生と白髪染め 虫歯に啄木鳥 良薬としての毒 腫物の特効薬 四六の蝦蟇 ひびわれ・あかぎれに羊の肉 ひげや尾で飛ぶ獣 視力減退の防止薬 村と巫医  三懐妊・避妊の薬物  懐妊の呪物 婦人があこがれた山 鹿と多産 出産の呪い 避妊と堕胎  四家畜用の薬物  牛馬無病の呪物 馬を疾駆させる呪術 馬の調良呪術  五善獣・瑞獣たち 悪鬼(ヒール)から善神(ヒーロー)へ  良薬は口に苦し 魑魅をおびやかす植物 不祥をふせぐ玉 怪物を撃退する怪物 凶をふせぐ天狗 雷神の腹鼓 避雷の呪術 火よけの呪鳥 陳倉山の霊鳥譚 雉に変身した童児 防火の妖鳥 悪鬼から善神へ 火伏せの怪物たち 豊穣をもたらす怪物 瑞祥の怪鳥 妖怪としての四霊 怪物としての古聖人 アバタもエクボ  IV妖怪・鬼神たちの素顔  怪物としての山神 山神の両義性 山神と百物・怪神 『山海経』と村落共同体 善物・悪物を弁別する書 「怪力乱神を語らず」の真意 その後の妖怪・鬼神たち  図版目次と出典  参考文献  あとがき  索引  補論  『山海経』と、その周縁に位置する出土簡帛(森和)  五蔵山経における舞 帝江と鳥の舞(矢島明希子)  ▽山海経の話は半分もない  南陽一帯は怪神の住まいの山々に取り囲まれている  豊山、陽山、太華山  妖怪の分類:身体の過剰、身体の欠如、身体部位の錯誤転倒  狼はモウモウと鳴く  漢代の十二神獣  四凶  『山海経』は『山海図』の説明文として書かれた  『山海図』は鼎に鋳こまれた怪物の集成図録。楊慎  白髪染めや皮膚病におたまじゃくし  対抗呪術的療法  実の成らない花を食べて避妊。感染呪術  四霊  四凶も合成動物によって表象された妖怪的存在ではないか」
3▽#  死者の棲む楽園:古代中国の死生観┃伊藤清司┃角川書店┃1998「魂:陽気・精神・天に帰す、魄:陰神・肉体を作る・地に帰す、挽歌:薤露と蒿里・野辺送りで実際に歌う民謡・前者が王侯貴族・後者は下級役人や庶民・古今注より、蒿里は泰山の南の山、前漢末から後漢初に泰山が冥界と考えられるように、曹丕が民間説話を集めた列異伝、風俗通義・泰山の黄金の箱・玉製の札に寿命、生死を司る司命神は北斗と南斗・魂を回収する北斗・授ける南斗、封禅・秦の始皇帝も漢の武帝も不老不死の獲得が隠れた目的、武帝が玉策を見たのは神が舞い降りる泰山山頂、泰山を中心とした冥府のネットワーク・泰山と華山は本店と支店、175年長安に泰山冥界の信仰の記録、村落共同体への仲間入りする成人戒・山野を渡り歩き・山頂への登坂・籠もり居を続ける、高峻な山岳には気が充ち満ちる・神的エッセンス、始皇帝の宮女・毛女が170年以上華陰の山中に棲む、崑崙山に住む西王母・六朝では容姿端麗な美姫・本来は豹の尾・虎の牙・蓬髪に玉製のかんざし・洞穴に住む異形の神・天災や疫病を主管、死体を焼くことは侮辱であり刑罰、崑崙山・不死になる霊芝草・不老になる神泉、烏のいる太陽・カエルと兎のいる月、泰山南麓の石閭山は方士の間で僊人の村と評判、大型の琴である瑟・管楽器の[竹/于]と笙、角抵戯は漢代に流行、建平四年の西王母信仰騒動、西王母は縦目の人・外来の救済の神・お守り札が不死の呪符、六博も碁も占いの道具、唐の宮廷に亡霊を見る見鬼人という役職・漢代にも亡霊を見分ける巫、欒大の闘棋術・棋が自分で闘う・磁石によるもの、方士の秘術:茅葺きの屋根の上で火を焚き鶏が煮上がっても茅は焦げない、刀や矛に呪いし刃先を腹に立て上から木槌で打っても刃は曲がり腹に刺さらない、釜を真っ赤に焼きその上に長時間立っても平気、沸騰する釜の湯の中に銭を入れ素手で取り出して火傷しない、大勢の人々を座らせたまま立ち上がれないようにする、釜には発泡を促す薬物を入れる、封禅:光武帝は百官ともに・二日後に梁父で后土を祀って封禅を終える・統一の事業の完成を天に報告、武帝は封禅で登僊を祈る、武帝の巫蠱の乱、死者の魂は鳥となって飛んでいく、鳥巫から羽人そして昇仙思想に、仙人には羽根があり自由に飛べる、後漢末の生き埋めの殉葬・五体が不満足であったり流血したりすると殉葬には不適格、黄泉は単に地中の泉、天仙:生きたまま肉体を伴って昇天、地仙:名山大岳に住む、尸解仙:肉体をこの世に遺したまま仙人になる、黄帝にはその佩剣を埋めた衣冠塚がある」
3#   中国の神話・伝説┃伊藤清司┃東方書店┃1996「不老の薬草:東北の地日草・西南の春生草、越王の八本の名剣:掩日・断水・転魂・懸剪・驚鯨・滅魂・却邪・真鋼、束鹿県の斜め井戸・光武帝がひっぱらせたため」
3#   中国の神獣・悪鬼たち:山海経の世界┃伊藤清司┃東方書店┃1986「九尾の狐、刀剣録の伊水の怪物、孔子は怪物に詳しい、陳倉の怪石伝説、三月上巳香草を送る、悪夢の呪薬、多様な神薬、むささびが目薬、化石はマラリアの薬、おたまじゃくしの白髪染め  目次  1 文明社会の内と外  2 祟りの悪鬼(人を喰う妖怪たち  疫病神たち  災禍をまねく怪神たち―洪水・ひでり  災禍をまねく怪神たち―火災・戦禍・蝗害・労役  悪鬼博物誌―災いをさける方法)  3 恵みの鬼神(山川の恵み  内科・外科の薬物  懐妊・避妊の薬物  家畜用の薬物  善獣・瑞獣たち―悪鬼から善神へ)  4 妖怪・鬼神たちの素顔  5 補論」
     ⇒ 伊藤清司(いとう・せいじ)1924〜2007。中国古代史、民族学。 
3☆   乾隆帝:その政治の図像学┃中野美代子┃文春新書┃2007「唐の高宗の廃皇太子忠は女装して刺客に備えた、太宗の皇太子泰の廃立・長孫無忌の陰謀、康煕帝の毒殺説、天皇の一族の男子は仁をつける・後冷泉天皇以降、雍正帝暗殺説・女刺客呂四娘による刺殺、乾隆帝は二十五が好き、カスティリオーネ=郎世寧、乾隆帝は漢族の陳元龍の息子説、線法画:透視遠近法、ダライ・ラマのダライ=大海、上都=ザナドゥー、デリーとカシミール・大都とザナドゥー、帝星:小熊座β星コカブ」
4    西遊記:トリック・ワールド探訪┃中野美代子┃岩波新書┃2000「金角銀角は苗族神話より、三蔵の女難と有字経無字経・有子精無子精、三蔵のからだのものがたり」
3☆  ■中国の妖怪┃中野美代子┃岩波新書┃1983「龍顔=眉骨が高い、竜は古字、鳳凰、玄武、麒麟、ジュゴンやカワイルカ  戦国の王侯が動物園を所有していた  始祖感生説話、劉邦と竜など  二十八星宿や二十四節気は紀元前五世紀以降  龍、ウロボロス、太極図  四獣:蒼龍、白虎、朱雀、玄武  四霊:麒麟、鳳凰、亀、龍  『山海経』の妖怪:最も多いのは動物の合成体、次に人間と動物の合成、過剰による妖怪と欠如による妖怪は少し  幻術も鏡をだますことはできない。鏡に映すと正体が見える  魑魅魍魎:  魑:山神  魅:老いたるもののすだま  魍魎:木石の精、人間に化ける」
     ⇒ 中野美代子(なかの・みよこ)1933〜。中国文学。  

●● 中国考古学 ●● 
2▽◎  古代中国の日常生活:24の仕事と生活でたどる1日┃荘奕傑┃小林朋則┃原書房┃2022┃2020「▽翻訳者が中国史の研究者ではないのが残念。小説のスタイル  原題:24 hours in Ancient China 2020  舞台は新、王莽の紀元17年に設定  ▽劉秀23歳、長安の太学時代の舞台そのもの!  回復に数百年を要することになる  ▽実際は後漢がすでに超えていた  夜半23-1、鶏鳴1-3、平旦3-5、日出5-7、食時7-9、隅中9-1、日中11-13、日?13-15、?時15-17、日入17-19、黄昏19-21、人定21-23  妊娠と出産  墓泥棒  一里415m、一担32kg、一尺23cm  前漢所有の馬は30-40万頭  体高5.9尺以上の馬は国外持ち出し禁止  『相馬経』  石臼の広まり、小麦が粥から麺や餅に  博局鏡:模様の要素がTLVに似るためTLV鏡とも。王莽の政治プロパガンダのために広めた  銅鏡の作り方  造船  儒教の授業  射策:くじ引きで問題を選んで答える  王莽の師は陳参  桑と絹織物  『漢書』食貨志、男性労働者は月平均30日労働、女性織り子は月平均45日労働  ▽意味がわかりません  墓大工と彫刻師  製塩所  祭官、竈の神の祀り方  烽火台  穀物貯蔵庫、穀物は天井からつるした板の上で保存  伝書史  新興の農地  労役の刑徒  レンガ職人  料理人  女官、神道/通行路の一種  史官  ダンサー  兵士」
     ⇒ 荘奕傑(そう・えきけつ)中国と東南アジアの水利システム、農業史、考古学。 
2#   鏡が語る古代史┃岡村秀典┃岩波新書┃2017「カールグレン。言語学、古代中国語。スウェーデン 鏡、儒教経典では鑑 災いが起こったら大きな鏡を高くかかげて不祥をしりぞける 古代中国では鏡を鏡衣に包んで化粧箱に収納するのが通例 ▽p16明帝の話 長方形の大銅鏡、115cm×58cm、前漢初期の斉王墓 鏡に詩の銘文 王莽の鏡の自画自賛銘文 ▽明帝、章帝の話も 80年代末に工房を開いた[准]派の石氏 呉派の杜氏 自ら名工と称した[准]派の杜氏、80年代に四神を中心とする瑞獣からエキゾチックな奇獣へ 光武英樹が…… ▽後漢の研究者?」
     ⇒ 岡村秀典(おかむら・ひでのり)1957〜。中国考古学。 
3#   後漢魏晋南北朝都城境域研究┃塩沢裕仁┃雄山閣┃2013「洛陽八関 都市とは、人口の凝集する城壁に囲まれた聚落とその周辺領域をも含んだ都市地域という、ラテン語のcivitasに通ずる社会学上の一概念に基づいて使用する。 漢代での城外における自然聚落の展開 城内の二十四都亭、城外の十二都亭=門亭 張衡の洛陽認識。東京賦。伊川盆地を除く六関の内部が洛陽、東西60km、南北30kn 後漢中期以降、伊川盆地も洛陽盆地と認識 伊川盆地の広成苑と上林苑は皇帝の狩猟の地だが、飢饉時には貧民のための公田に 洛陽盆地は洛陽以外に県が八県、さらに郷や聚、亭、城も多数 税役徴収権が認められないのが聚 八関内空間は非常に密度の高い空間 馬市や南市など大城外に設置 洛陽城の面積は建康の二倍以上、人口は百万といわれる 城外の商業区や居住区も確認 ▽洛陽、許昌、ぎょう、建康、鮮卑の平城の考古学」
3#   千年帝都 洛陽:その遺跡と人文・自然環境┃塩沢裕仁┃雄山閣┃2010「現在の洛陽は人口600万人、市街地は140万人 洛陽は緑地も比較的に多く、河川には川原石が転がっており、水質も良好で地下水も豊富である。 ▽第一章は後漢魏晋南北朝都城境域研究からの再録 洛陽盆地は3600km3 明堂は霊台の東80m、へきようは明堂の東150m 光武帝陵と霊帝陵は見解が分かれている。著者は現在の黄河に近いものは北魏孝文帝のときの祭壇と見る 劉家井大墓こそ光武帝陵、水経注に符号するから、現在は桓帝陵と見なされている」
     ⇒ 塩沢裕仁(しおざわ・ひろひと)1960〜。人間環境学を基調とした中国の歴史地理、考古学。 
3#   曹操墓の真相┃唐際根┃渡邉義浩┃谷口建速┃河南省文物考古研究所┃2011「魯潜墓誌に曹操の墓の位置の記録 保全優先も盗掘に耐えかねての発掘に 後漢後期に流行していた故事:七女復仇・七人の女性の父の仇討ち物語 杜牧:銅雀春深くして二喬を鎖さん 殷王武丁の妻・女将軍婦好一万の兵を率いる 王安石:銅雀台の西に八九の丘あり 曹操:酒に対へば当に歌ふべし人生幾何ぞ 訳者は夏侯惇墓説も紹介 漢魏洛陽故城南郊礼制建築遺跡 過去を読む/イアン・ホッダー」
     ⇒ 唐際根(とう・さいこん)1964〜。    ■洛陽発「中原歴史文物」案内┃堀内正範┃新評論┃1998「重複が多い。司馬氏は曹氏の風水脈を断つ、銅雀台あと、光武帝原陵、鉄槍寺王太師画像記、劉秀が濡れた衣をかけた龍袍柏」
     ⇒ 堀内正範(ほりうち・まさのり)1938〜。研究保護学、洛陽外国語学院日本学。 
3☆   中国古代車馬の考古学的研究┃趙海洲┃岡村秀典┃科学出版社東京┃2014┃2011「▽車の部品の分類と解説 馬の八尺以上は以て龍と為す。周礼 鐙は馬術の巧みな騎馬民族が発明したものではなく、乗馬の下手な農耕民族の漢人が乗馬時の足掛けとして三世紀後半に発明した。樋口隆康 車の図版多数p83- 単轅から双轅へ変化。後漢中期では双轅が主流」
     ⇒ 趙海洲(ちょう・かいしゅう)1974〜。考古学。     中国考古の重要発見:中国文化史ライブラリー┃黄石林・朱乃誠・高木智見┃日本エディタースクール出版部┃2003┃1991「現存する最古のフランネル・馬王堆の絨圏錦、目盛り付き漢尺・23.2cm、唐代の服は現代の洋服に近い・洋服は唐代に起源する」
     ⇒ 黄石林(ホアン・シイリン)1922〜。中国。考古学。 
3☆   魏晋南北朝壁画墓の世界┃蘇哲┃白帝社┃2007「光武帝の原陵から神道と石造物が制度化、沮渠蒙遜ら河西廬水胡は西王母を信仰、平壌南の安岳三号墓は高句麗古墳ではない、西晋・千里馬・八百里牛、北魏・若い男性が2本のおさげを結ぶ、重装騎兵は安息=パルティア起源・後漢末伝来か ⇒後漢建国期の突騎=鉄騎と思われる、鎧馬の産地である幽州と冀州、袁紹は300・曹操は10しかなかった馬鎧」
     ⇒ 蘇哲(ソ・テツ)1954〜。中国魏晋南北朝考古学。 
3#   三星堆・中国古代文明の謎:史実としての『山海経』┃徐朝龍┃大修館書店┃1998「三星堆の青銅製遺物により表現された精神世界は山海経の記述に非常に近い、三星堆遺跡の城壁・東西2100m南北2000m・古代の大都市、紀元前2740-850年、蒙文通:荊楚地方の人が蜀で採取した神話伝説をまとめたものが山海経、崑崙とは岷山山脈、穆天子伝:西王母之邦まで1000km前後、西王母之邦=三星堆蜀国、遺跡から三星堆の支配者は女性と推定、三星堆:女王・稲作・青銅・玉器・黄金・扶桑=若木信仰・燭龍神話・崑崙神話・養蚕と漁業」
     ⇒ 徐朝龍(じょ・ちょうりゅう)1955〜。中国考古学、南アジア考古学、古代史、比較文化。     中国古代の神がみ┃林巳奈夫┃吉川弘文館┃2002「戦国まで帝=天、銭樹は日用品:後漢の金銭崇拝にのり四川で流行  目次  1 日の神  2 〓、社、主  3 青龍、白虎、朱鳥  4 先史鬼神  5 饕餮=帝  6 殷周の鬼神、天  7 殷周羽化鬼神  8 神樹」   ■龍の話:図像から解く謎┃林巳奈夫┃中公新書┃1992「とにかく龍の絵がいっぱい。竜巻や虹との関係」
3☆  ■石に刻まれた世界:画像石が語る古代中国の生活と思想┃林巳奈夫┃東方選書┃1992「漢代の風俗がわかる」
3☆☆ ■中国古代の生活史┃林巳奈夫┃吉川弘文館┃1992「後漢ごろまでの文物や壁画による、絵で見る生活」
3☆   漢代の神神┃林巳奈夫┃臨川書店┃1988「春秋命歴序、春秋元命苞、東王公・西王母・天皇大帝・蒼頡、春秋感精符、漢代の皇帝の象徴的図像・蓮の花、蓮の花は光り輝く・月のように明るいとも、春秋緯文耀鉤、石氏星経、天神の中で一番貴い神が太一・最高位の帝・天極星・こぐま座β?、月が箕の星座に宿ると風が起こる、開元占経・白虎が太白を象徴」
3#☆  漢代の文物┃林巳奈夫┃京都大学人文科学研究所┃1976「儒者は四角く首を取り巻くえりの服を着る、[足宛]下という厚底靴、天子の妾・生理の女性は丹で顔面に点をつける・妾は順繰りでつとめるので、絹に紋様をつける・染色で紋様をつけることはなし、皮の衣服は賤しい仕事をする人のための実用の服、六博:組に分かれコマを進め近接してお互いに迫る・梟になって倍勝ち・梟は相手の梟を殺せる、足で鼓を踏み調子を取る舞、瑟を弾くには琴の爪のようなものを使う、枇杷:西域より・馬上で演奏・バチは使わず、箜篌・師延の創作・淫靡な楽器・ハープ形式、笛のリードを簧・笙や[竹/于]で使う、文書を入れる袋は発信者の身分で違う・天子は青・詔書は緑・臣下は黒、旅行者の通行証・符とケイ・一定の関所限定のものと長距離旅行者用」
     ⇒ 林巳奈夫(はやし・みなお)1925〜。中国古代の考古学。     中国漢代画像石の研究┃信立祥┃同成社┃1996「画像石からみる後漢の思想」
     ⇒ 信立祥(しん・りっしょう)1947〜。北京。考古学。 
3☆☆  古代中国の画象石┃土居淑子┃同朋社┃1986「画像の分類、題材の変遷、死者の世界、四季の表現。西王母は後漢の絶対神にて不死の世界を司る神、画像の故事に子路、孟賁、二桃三士、三皇五帝、孔子老子会見図、周の成王など聖賢、孝子、節婦、列女、始皇帝の昇鼎図、秋胡妻、荊軻、九尾の狐、三足の烏、飛翔する東方父、扶桑樹、泰山の地下に幽明界、六博は不死追求の図で西王母信仰、西王母はアナーヒター」
     ⇒ 土居淑子(どい・としこ) 
3☆  ■楽浪:漢文化の残像┃駒井和愛┃中公新書┃1972「正式の鋳印・急造の現地製の鑿印、奴の王使は都に来なかった、漢代のうちわは貴婦人の服飾具・風を起こすものではない、澤というポマード、王仁は楽浪の王氏」
     ⇒ 駒井和愛(こまい・かずちか)1905〜。中国考古学。   ?? 中国皇帝歴代誌┃アン・パールダン┃月森佐知┃稲畑耕一郎,監修┃創元社┃2000「考古学からみた始皇帝から溥儀まで。儒教と道教は相補うもの」
     ⇒ アン・パールダン(Ann Paludan)英。中国史研究家、明の陵墓、BBC放送、外務省、大蔵省。     文字の文化史┃藤枝晃┃岩波書店┃同時代ライブラリー┃1991┃1971「子役人の破磔、巻物は調べ物には不便、印と印刷の違い」
     ⇒ 藤枝晃(ふじえだ・あきら)1911〜。トルファン写本、敦煌写本。     古代中国の考古学┃岡崎敬┃春成秀爾┃第一書房┃Academic series new Asia (41)┃2009「魏側は倭に象牙、犀角、たいまい、珠玉が大量にあると考えた。 建武十九年に長安の宮室が修復 弩には1,3,4,5,6,7,8石のものがあった。居延漢簡 蔡倫の技術革新は紙だけでなく剣や器械や弩も 張是で張氏の意味 広陵王爾が劉荊に与えられたのは漢委奴國王印の与えられた翌年 三角縁神獣鏡は日本の使いの鏡の要求に対して魏側で特別に製作したのではないか」    稲作の考古学┃岡崎敬┃第一書房┃Academic series new Asia (39)┃2002「国営工場。尚方、考工、将作大匠 尚方:青銅器、鏡 考工:兵器、弓弩 将作大匠:宗廟、宮室の土木工事 絹織物工場は襄邑と臨? 漆器工場が成都と広漢に 『管子』は前漢昭帝の頃 杜詩がふいごを作って農器を鋳造。衛さつが来陽で鉄工場。任延が農具を鋳作 河北の作物の中心はアワ コムギは後漢から盛んに 四川は稲魚を食う 公孫述が馬援に与えようとしたのは木綿 てん王之印 ▽画像検索 銅鼓のマジカルな神通力 鉄製の釜や鍋が民間にゆきわたるのは漢のつぎの時代 民は稲魚をくい、凶年の憂えなし」
     ⇒ 岡崎敬(おかざき・たかし)1923〜90。考古学、東洋史学。 
4    中国古代文明┃コリンヌ・ドゥベーヌ=フランクフォール┃工藤元男,監修┃創元社┃1999「四川の性愛の図はなんとも不気味」
     ⇒ コリンヌ・ドゥベーヌ=フランクフォール(Corinne Debaine-Francfort)考古学者、中国学者。 
3☆   中国古代のスポーツ┃楊泓・載文葆監修┃邵文良編著┃ベースボールマガジン社・中国人民体育出版社┃1985「高句麗のあぶみ、ゴルフもあった、婦人も子供も蹴鞠好き」
3☆  ■よみがえる漢王朝:2000年の時をこえて┃大阪市立美術館・読売新聞大阪本社,編┃読売新聞社┃1999「漢代の文物の写真集。漢代のアイロン」    馬王堆漢墓のすべて┃何介鈞・張維明編著┃田村正敬・福宿孝夫┃中国書店┃1992「六博のルール、絹の羽毛技術・起絨、陳留は藍を植えて染色、黄学と刑法、土星は一年に一宿進むので填星   両人が向かいあう。一人は白棋、もう一人は黒棋。虎と龍のことも。棋局(盤)の12道に分けて配置。骸子をころがし、その数字だけ棋を動かす。盤の中央に方框(四角の枠)は水と呼ぶ。後漢の頃は水に魚を置く。「棋の遊びは至る所で、即ちこれを竪て、名づけて驍棋となし、即ち水に入って魚を食い、また牽魚とみ名づけ、一魚を牽くごとに二籌を獲て、一魚を翻せば二魚を獲る。   籌碼を多く得た者の勝ち。馬王堆のものには魚はないが直食棋を使用した。   陳留は藍を植えて染色。  」
2  ?■古代中国┃アンソニー・ブリアリー┃ジョヴァンニ・カセッリ監修┃ニュートンプレス┃1997┃1990

●● 中国文化史:美術 ●● 
3★◯  中国絵画入門┃宇佐美文理┃岩波新書┃2014「気と形を主題とした中国絵画史 西洋の絵画とどう違うのか つまり、絵画にとって重要なことは、形を写し取ることではなく、形を超えたもの、人物画では気韻あるいは人物の精神性であると考えたのである。 ▽気=アフォーダンスの一種 世界にはもともと形があるわけではない。人間がそれを形としてとらえるから、はじめて形が存在する。 絵画は河図洛書から始まったとされる 西王母、右に三足烏、左に九尾狐 形而上の存在を道といい、形而下の存在を器という。易 もともと逸品は企画外の品の意味 中国において風景とは風と光 詩画一如 素晴らしい絵を描けるから詩も作れるに違いない 観者は絵を見ることによって、自分の心の中を見ている 沈周は、贋作者が作品をもっ自分の所にてやってきて、「あなたのサインを入れてくれないか」と頼むのに対し、喜んで応えたと言われている。 米ふつ。書画を借りると模本を作って、模本を返して真筆を自分のものにした 影を描くと中国風でなくなる。影を表すと気が消失する」
     ⇒ 宇佐美文理(うさみ・ぶんり)1959〜。中国哲学史。 
3☆☆  漢代画象の研究┃長広敏雄┃中央公論美術出版┃1965「水経注:光武帝の姉湖陽公主の夫は胡珍、後漢における鉄生産の向上・石材利用と煉瓦利用の広範化、斉桓公・衛姫・蘇武・藺相如・晋霊公・荊軻、隠=クイズ好きの醜女鍾離春・斉王の妃に、漢宣帝の未央宮麒麟閣11功臣:霍光・張安世・韓増・趙充国・魏相・丙吉・杜延年・劉徳・梁丘賀・蕭望之・蘇武、相馬者東門京の銅馬法・馬援の馬式、相人の術・容貌と立ち振る舞いから未来を判断、占相術の専門家:官の相工・民間の相者、漢代は写実性の高い肖像画が流行る、相人相馬の骨法、画像石制作に画師が参加、古代剣法の型:剣を持つ反対の手は剣の刃にあて五指を開き手のひらを相手に見せる、広川王の壁画・剣士成慶・短衣・大袴・7尺5寸の長剣、沂南人物画象、剣法の型:左手は袖の中で肩より高く・右袖は剣に巻き付ける・右足を強く曲げて前に躍りかかる」
     ⇒ 長広敏雄(ながひろ・としお)19〜。。 
3☆  ■中国美術史┃マイケル・サリバン┃新藤武弘┃新潮選書┃1973┃1969「六博:相手の兵隊を捕らえL字の部分へと追い込み中央を占拠する・中原制覇の枢軸の象徴」
3☆   中国山水画の誕生┃マイケル・サリヴァン┃中野美代子・杉野目康子┃青土社┃2005┃1962「雨乞いの規則を決めた董仲舒、西京賦:皇帝の狩りの後の演出:馬上槍試合・踊り・球投げ・曲芸・呑剣術・火吹き術、南京賦の動物、長剣を帯びた成慶の肖像画、画家は役所の黄門の統制下、丹青の芸=色彩画、王景に治水のため絵入りの山海経・史記の河渠書・禹貢を与える、漢武故事の剣闘試合、孫権の妻の趙夫人の地図・帛に刺繍で、山海経は絵入り、南陽の墓の人頭の龍、琴の伯牙・仙島での修行・師は成連、猿回しの図、二世紀四川の仏教図案、羊子山の鵜飼い、畑に食物を届ける孟子の公孫丑の一節の似た図、稲刈りの踊り・古代の儀式・霊星=天田星に捧げる、神=超自然なもの、王羲之の書には神気が欠ける、班固:雲は山が吐き出すもの、気=インスピレーション・真理の息、風=人を感化する根源、骨=構成、一角の山羊・罪を犯したものを識別する・有罪者のみ角で突く、羿の神話・扶桑の神話・カラスの神話」
     ⇒ マイケル・サリヴァン(Michael Sullivan)1916〜。英。東洋美術史、中国美術史、中国語、建築学。 
3☆   すぐわかる東洋の美術:絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術┃竹内順一監修┃東京美術┃2000「顧ト之の絵、文帝の帝王図、徽宗の桃鳩図、ブッダは形に出来ず測ることもできない」
     ⇒ 竹内順一(たけうち・じゅんいち)美術。 
2☆   中華図像遊覧┃杉原たく哉┃大修館書店┃2000「伏羲と神農はイザナギとイザナミ?、聖賢図は漢字からの連想、射騎・戟騎・鉤騎の連携戦法、漢初の匈奴はモンゴロイド、後漢後期よりコーカソイドが増加、老子化胡説、宋青春の剣霊、古今刀剣録、奎宿は文章と文運に」
     ⇒ 杉原たく哉(すぎはら・たくや)1954〜。中国古代美術史。 
3◎   地下からの贈り物:新出土資料が語るいにしえの中国┃中国出土資料学会┃東方書店┃2014「簡は30字程度、牘は100字程度書ける 甲骨を用いた卜占は、亀甲や獣骨の裏面を加熱することで表面に生じるひび割れを観察し、そこから吉凶を読み解く形で行われる。 周代の姓、氏族のシンボル、男性名には表示されない、女性名にのみつく 氏は姓から枝分かれ、封邑名、官職名、字からつく 孔子の氏は孔、姓は子 穀物は蒸す調理法が主流 最古の貨幣は空首布と尖首刀 『両漢儒教の新研究』汲古書院 『四時月令詔條』『導引図』『引書』 ▽中文googleや簡牘検索で本文探す 我と吾。吾は話し手、我は自分が所属する側や第三者と対立する話し手 兵馬俑の剣の表面にさび防止のクロム加工 戦国時代の長江流域は賦と詩が並行して流通 馬王堆の六博セット。漆塗りのゲーム盤、象牙製の箸長いもの12と短いもの30、黒駒6、白駒6、小さな駒30、18面体サイコロ、小刀二種 ゲーム盤には四羽の鳥が描かれる ゲーム盤と箸六本、駒12のセットも 『博局占』 『辺彊出土木簡の研究』朋友書店 『中国出土資料学の展開』東方書店 阜陽漢墓の六壬しょく盤、太乙九官占盤、二十八宿図盤 『張家山漢簡『二年律令』の研究』東洋文庫 『秦漢律令研究』汲古書院 『秦帝国の領土経営』京都大学学術出版会 『中国古代国家と社会システム』汲古書院 先秦時代の儒家と道家の共存 『奏_書:中国古代の裁判記録』刀水書房」    環境から解く古代中国┃原宗子┃大修館書店┃あじあブックス┃2009┃「中国文明は唯一滅びなかった古代文明 ▽象がいるのは暖かいからというより生態を競合する人間が少なかったためと思う。大型の動物は本来寒さに強い 酒池肉林は殷王朝の祭祀 武帝の白渠灌漑は失敗し環境も悪化」
     ⇒ 原宗子(はら・もとこ)1948〜。中国環境史、古代中国史。  
3☆   中国の版画:唐代から清代まで┃小林宏光┃東信堂┃1995
     ⇒ 小林宏光(こぱやし・ひろみつ)1947〜。中国絵画史、版画史。 
_   ■中国の美術┃杉村勇造┃創元選書┃1958「」
     ⇒ 杉村勇造(すぎむら・ゆうぞう)1900〜78。中国美術学、考古学、書誌学、金石学。 
_   ■敦煌の石窟芸術┃瀋けつ茲┃土居淑子┃中公新書┃1980「」
     ⇒ 瀋けつ茲(はん・けつじ)1915〜。北京画院画師。 
2☆   中国古代簡牘のすべて┃横田恭三┃二玄社┃2012「昼間は認識しやすい煙を挙げ、夜は赤々と燃え上がる火を焚いた。 ▽書体についての本 鳳凰山168号墓。墓主は、身長165cm、体重52.5kg、この口内に「遂」と陰刻された玉印が含められてあり、死亡年齢は約55歳の男性であることが判明した。 後漢初期の医書、治赤穀方 占夢書」
     ⇒ 横田恭三(よこた・きょうぞう)1954〜。中国書道史。     文字の発見が歴史をゆるがす┃福田哲之┃二玄社┃2003「出土の背景と文字について」
     ⇒ 福田哲之(ふくだ・てつゆき)1959〜。中国文字学、書法史。     崑崙山への昇仙┃曽布川寛┃中公新書┃1981「帛画の昇仙図の解説」
     ⇒ 曽布川寛(そふかわ・ひろし)1945〜。中国美術史、中国絵画史。  
2    秦始皇帝陵の謎┃岳南┃朱建栄監訳┃講談社現代新書┃1994「謎の予言老人あらわる。中国らしい」
     ⇒ 岳南(がく・なん)1962〜。文筆活動、文学、法律学。  
2☆   図説古代中国5000年の旅┃陳舜臣監修┃田島淳・弓場紀知┃日本放送出版協会┃1986
3☆   世界の大遺跡9:古代中国の遺産┃講談社┃1988

●● 中国文化風俗史:その歴史変遷を知る ●● 
3#   アジアと漢字文化┃宮本徹、大西克也┃放送大学教育振興会┃放送大学教材┃2009「漢字には字形、字音、字義がある 表語文字logogram 表意文字ideogram 表音文字phonogram 日本の漢字の方が表意性が高い 甲骨文字の発見、1899年 楷書は後漢に成立 六書 菊は音読み 声符の同じ漢字はほぼ同じ発音だった 文字進化論、漢字は遅れた文字とされた 章[火丙]麟の注音字母、介音を含み37字と少ない 新しく正字と認められた簡体字は500余り 漢字と無関係なイ族の文字とトンパ文字 女真文字や西夏文字 ベトナムはチュノム、ベトナム少数民族のタイー・ヌン文字 チワン族の古壮文字 広東語の口偏の文字は仮借字 韓国:郷札、吏読、口訣 娘の意味は唐まで日本と同じ 銀行、保険、化学、電気、電報は中国で作られた西洋訳語 韓国の漢文副詞、於此彼オッチャッピ、左右間チャウガン キムチは沈菜という朝鮮で造語された漢語から 漢越語とは別に古漢越語、俗漢越語、越化漢越語 2音節の漢字熟語は漢字のことばの認識あり 古漢越語、俗漢越語、越化漢越語は固有語と区別されず 量的な漢語語彙の割合:日本語は5割、ベトナム語は7割 古朝鮮語に有気音と無気音の対立なし、語頭に有気音の語も非常に少ない ベトナム語の系統、クメール語などのオーストロアジア語族、もともと単音節語ではなく声調もなし チュノムは表音文字ではなく、不足するベトナム語を追加したもの」
     ⇒ 大西克也(おおにし・かつや)1962〜。中国語学、文法史、文字学。 
2◎   漢字の社会史:東洋文明を支えた文字の三千年┃阿辻哲次┃PHP新書┃1999「漢字はアイコン、始皇帝・度量衡標準器と標準書体を同時配布、孝経1尺2寸・論語は8寸、檄は2尺・鳥の羽根をつける、名刺・謁・姓名に挨拶と用件を書き添える・長さ25.3cm幅3cm、墨・松の木の煤に膠や漆を加えて団子状に煉り固める、劉盆子に宴会で謁を渡した赤眉の将軍、紙は麻紙、後漢末の左伯・左伯紙、紙は高価な絹の代用品、傭書・本を書き写す仕事、丸文字は0.5mmシャーペンで横書きすると自然になる書体、文字に関する学問が小学、役人採用試験・17歳以上男子・9000字の文章を何も見ずに書き漢字を6種の書体で書き分けさせる、書館という塾もできた、急就篇・人名によく使われる漢字が配置・子どもに文字を教える教科書、唐代の論語の書き写し・12歳の卜天寿・末尾に落書き・早く帰りたい、漢文は省エネ的文章記録法・文章と音声言語の差・書写材料による制約のため字数を少なくする必要があった、東アジア最大のベストセラーは論語、ハングルからでっち上げた神代文字、唐が外交関係を持った国は61、注音字母の制定に参加した魯迅」
     ⇒ 阿辻哲次(あつじ・てつじ)1951〜。中国語学、文字学、漢字の文化史。 
4◯〆 ■詩経雅頌2┃(春秋)┃白川静訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1998
4◯〆 ■詩経雅頌1┃(春秋)┃白川静訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1998「雅=祖祭・饗宴・儀礼の舞楽に用いる歌、部族の若者の倫理教育のため、」
4◯〆〆■詩経国風┃(春秋)┃白川静訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1990「大半は民謡、ラブソング。鳥は祖霊の来臨、」
5◯  ■中国古代の文化┃白川静┃講談社学術文庫┃1979「文=イレズミ、禹=人面魚身、羊神判、鴟夷子皮の呪い」   ■漢字百話┃白川静┃中公新書┃1978「漢字の構造原理の解説」   ■中国の神話┃白川静┃中公文庫┃1980┃1975「殷、羌、苗の三種混合の中国神話」
5★   孔子伝┃白川静┃中公文庫┃1991┃1972「孔子の歴史上の実像を追う。史記孔子世家はずさん、陽虎はライバル、盗跖は柳下恵の弟、孔子は反乱指導者?、墨は儒より、百工の反乱、顔琢聚・段干木・高何・県子石・索廬参は盗賊、荘子は顔儒より、老子は荘子より新しい、孔子は詩を正しく理解」
4◯  ■漢字:生い立ちとその背景┃白川静┃岩波新書┃1970
     ⇒ 白川静(しらかわ・しずか)1910〜。中国古代文学、金文、漢字、万葉集。     『詩経』:歌の原始┃小南一郎┃岩波書店┃書物誕生 あたらしい古典入門┃2012「採詩の官はなかった。漢代の楽府からの類推 孔子が編纂したのではない。すでに三百あった 詩三百は歌われ器楽で演奏され舞われた 天帝に足がある 国風の詩篇は民謡を越えたところに築かれている 桃夭:若々しい桃の樹 咲き誇るその花 このお嬢さんはお嫁入り 嫁ぎ先のお家とはしっくりゆくだろう ?????: ??? ?????? ??? ?? ???. ???? ????! ? ??? ??? ??. 燕燕:ツバメが飛ぶ その翼をヒラヒラさせながら お嬢さんはお嫁入り それを郊外まで見送った 遠く見やってももう見えない 雨のように涙を流した ???? ?? ???? ????. ?? ????? ?? ??? ???, ????? ??? ??? ??? ??? ??.」
2◯   西王母と七夕伝承┃小南一郎┃平凡社┃1991「7月7日の井華水、桃都樹、扶桑樹、宇宙山と世界樹、豊作を願う農地の性行為、立春に勧農の土製の牛が役所前に」
3▽   中国の神話と物語り┃小南一郎┃岩波書店┃1984「秋胡の物語、西京雑記と漢武故事は元は一冊?、禹歩、小説は誦する、物語の語り手古強、升鼎図、南北朝と幽冥世界、蘇生者による語り物法、城陽景王祭祀と主導権を持つ商人、商人と神仙伝説、芸能は宗教儀礼より、墨子五行記、葛氏道霊宝派と陶弘景の上清派、漢武帝内伝の成立過程、武帝は死なず?」
     ⇒ 小南一郎(こみなみ・いちろう)1942〜。中国古代伝承文化史研究、中国古代文化。 
4#   中国古代の祭礼と歌謡┃M・グラネ┃内田智雄┃平凡社┃東洋文庫┃1989┃1919「詩経国風の大半は農民の田園季節祭の恋愛民謡、古代の祭礼。ロロ人、チベット、雲南との比較、礼は庶人に下らず・庶人は祖先の廟を持てない、集会は低地の草深い牧場か鬱蒼たる樹木の下、秋とともに同棲生活に、河のほとりや丘の上での春秋の祭礼、春は婚約・秋は成婚、鄭の春の祭礼・[シ秦]水と[シ育]水の合流点に集まる・蘭を摘む・唱和歌で挑戦し合う・裾を上げて川を渡る・相互に花を贈り合う・雪解けの出水の時、雨乞いの祭礼・龍船での競争・山登り・凧揚げ競争・百草で闘う」
3◯   中国人の宗教┃マルセル・グラネ┃栗原一男┃平凡社┃東洋文庫┃1999「古代農民の生活、儒教・道教・仏教。湯王は髪と爪を切って土に埋めた、土牛を柳の鞭で打ち寒気を追い出す」
     ⇒ M・グラネ(Marcel Granet)仏。1884〜1940。中国史、支那学、社会学。 
3☆# ■画像が語る中国の古代┃渡部武┃平凡社イメージリーディング┃1991「鵜飼漁、カワウソ漁、魚伏籠、陶朱公の養魚経、釜と甑、猿の乾肉はゲテモノ、塩鉄論の料理一覧、六博ルール考   鵜飼漁、カワウソ漁、魚伏籠、陶朱公の養魚経、釜と甑、猿の乾肉はゲテモノ、夏至の井戸浚え、[豆支]は浜名納豆の類、濁酒、ホウトウで食べる、ふゆあおい、からしな、はす、しょうが、斉は冠・衣装・履物の生産地、一膳飯屋、豚肉とにら卵、犬の薄切り肉と馬肉のあつもの、あぶった魚と切った肝、羊の漬け肉と鶏肉のしおから、馬乳酒、羊の胃を煮て干したもの、煮た子羊と肉と豆入りあめ、ひな鳥や雁のあつもの、   六博ルール   箸は竹、博箸をふる博席:台の上に布や皮革をひいた、   梁冀伝注に博経、1梟は5散棊に勝てぬ、相手の梟を殺さないと勝てない、無傷の棊は梟となる、棊を立てて梟とする、両魚を食らっても負ける被翻双魚は恥ずかしい、  」
     ⇒ 渡部武(わたべ・たけし)1943〜。中国文化史。     中国の歴史と故事┃藤堂明保┃徳間文庫┃1989┃1985「三国までの歴史エッセイ、以降の漢詩。日本のバカは仏教より、老子と荘子は米作農民の心」
3◯#  漢字の話(上)┃藤堂明保┃朝日選書┃1986「鶏・鴉・虎・狐・犬・猫・牛:すべて鳴き声の擬声語、獅子は後漢に大月氏から献上・紀元88年、任氏伝の狐の話、甲骨文字の象はしっぽが長い・古代のマンモスやナウマン象のよう、雇:鳥を戸の中に入れておくこと、陳勝:雀や燕には白鳥の志はわからぬ、婁護の五侯鯖・珍品の刺身・鯖はサバでなく刺身のこと、鰓:赤ちゃんの頭蓋骨を上から見た象形文字・頭蓋骨の隙間の泉門の動き、右文説:漢字は右側が大切」
3◯#  漢字の話(下)┃藤堂明保┃朝日選書┃1986「栄華:栄はにぎやかに咲き誇る花・桜など・華は一輪の大きな花・牡丹など、咲くは笑うの異字体、術は村の中の故道、台湾の人・16世紀に入植した福建省の人が大部分、梅ウメ・馬ウマは呉音、洛陽白馬寺の塔の前の石榴と葡萄は天下一品、日本の温州みかんは中国と無関係・名にあやかっただけ、グミの実のふさを折って頭につける・九月九日重陽の節句、牡丹は南北朝より、西域の荒山に咲くケシ、西方渡来第一号のダイコン・秦漢以前、雲夢沢の芹・味が美味、米:小粒の穀物の総称、米麦以前は黍が五穀の筆頭・粟と並ぶ存在、村はずれに小さな社・土地廟・社公と呼ぶ・収穫・年末・春耕の前・雨乞いのとき村人が社に集まって共同行事・市が立ち収穫祝いや厄払い・地方廻りの田舎芝居も・村里の顔役が金や物を集めてまわるその組織が社会で寄付金が社銭、年末に役人に鬼やらい・四方に犬を磔にし風神を払い土牛を出して寒気を送る、戦前はひらかなよりカタカナを先に学んだ」    中国の歴史と故事┃藤堂明保┃徳間文庫┃1989┃1985「片足に針を持つ大きな鳥の漢代画像石・扁鵲、漢代画像石・孔子が老子を訪ねた図、孟子:天の時・地の利・人の和、洛陽から12万戸を咸陽にに移住・百万都市か、光武帝・政務が"これがわしの唯一の楽しみじゃ"、劉備は劉表急死で動けず、単語家族の方法」   ■漢字の過去と未来┃藤堂明保┃岩波新書┃1982「武は戈を持って足で進む、古代の発音再現、日本への漢字伝来とその変化、漢字制限派の漢字論」
3◯#〆■学研大漢和辞典┃藤堂明保,編┃学習研究社┃1978「発音と字形の変遷に詳しく、意味が品詞分類される」
3◎  ■漢字とその文化圏┃藤堂明保┃光生館┃中国語研究学習双書┃1971「斉姜はうら若い美女の代名詞  周が殷を壊滅させたが言語文字は周は殷人の言語文字体系に埋没した  漢字は殷王朝で神意を記録して残すためのもの  忠:対人関係に誠意を尽くす  義:物事に筋目を立てる  漢代の儒学から忠義の概念が変化  七支刀、銘文の印象は倭王に献上ではなく賜与  李朝の成祖  ▽世宗  朝鮮漢字音は11世紀河北の漢語、北宋  吏読、吐  韓国の1300の常用漢字  日韓の共通基本語彙:あ/na、な/ne、血/pi、水/mul、雲/gulum、黒/gem  日本での模造した銅鏡、誤字や十二支の順番間違い、漢字の意味を知らず模様と見なしていた  初期の帰化人、朝鮮人と中国人を区別せず  平安の「新撰姓氏録」左右京と機内1182氏のうち帰化人が30%  ひらがな:万葉がなの漢字を草書ふうにくずして曲線化したもの  日本語の数量詞、すべて漢語をまねたもの、日本固有のものではない  ▽韓国語も同じか?  『古事記』呉音  『日本書紀』漢音  呉音は仏教語や古くに伝わったもの  mは呉音マ行漢音バ行  nは呉音ナ行漢音ダ行  rは呉音ニネ漢音ジゼ  濁音は呉音濁音漢音清音  唐の頃に清濁の混同が始まる  声調で清音は初音が高く濁音は低い  hは呉音ワ行漢音カ行  唐長安語ではhは軟口蓋摩擦音  インド西部からの移民がクメル人と混血し扶南を建国  インド文化を入れたチャム人が林邑を建国  朱子学と科挙を取り入れた黎王朝  ベトナムでは道教と仏教が民間信仰のうちで合体  北宋の読書音がまとめてベトナムに入った、李朝が中国式官僚機構を導入時に移植された  チュノム、天/上でチョイ  ベトナムのdの音、14世紀にはdの音、gの音もg  treは知、cheは支で別の音  漢語の虚詞:何必、雖然、況乎、仮使、仮如、不得己」
3★◯  漢字と文化┃藤堂明保┃徳間文庫┃1976┃1967「金瓶梅に亀卜・民間習俗として残った亀甲占い、殷と周に言語の大変動なし、現代中国語の文末のma?は否?未?不?だった、孟子の500年聖人出現説、東母と西母・日月信仰の名残・龍は後に匈奴の神に、詩経で禹に9回言及・堯舜は治水に関係なし、堯も舜も普通名詞・堯=丘のように高い人・舜=身体の俊敏な人、堯舜の家臣は各王朝と地方の国々の祖神、伯禹は夏・棄は周・契は殷・伯益は秦と趙・伯夷は斉・キは隗、殷の契の伝説⇒朱蒙⇒因幡の白ウサギ、論語では禹は夏の王ではなかった、禹は大トカゲ、姫姓と姜姓の対婚・周魯と斉紀、魯のトーテム神の鳳凰・タイ族のトーテム神の竜王、陰陽も五行も宇宙の構成要素、12支は前漢の頃に既に民間に存在した習慣、甲乙丙は植物の成長段階、春秋時代の一年は366日・19年に7回潤月、戦国時代は一年365日と四分の一の四分暦、武帝の太初暦・一年364.66日、土圭=日時計の発明、工とは穴を意味する、戦国末臨シが7万戸・邯鄲5万戸・漢初は長安に10万戸移住、戦国策の臨シ:吹[竹/于]・鼓瑟・撃筑・弾琴・門鶏・走犬・六博・蹴鞠、史記貨殖の中山:民俗ケン急・仰機利而食・丈夫相聚游戲・悲歌慷慨・殺人強盗・墓泥棒・作巧姦冶・多美物・為倡優・女子則鼓鳴瑟・舞踏・游媚貴富・入後宮・遍諸侯、扁鵲:鍼と砥石で身体のつぼを刺激・五分のお灸・調和した薬湯・両脇の下を温めて熱治療、素問の真人>至人>聖人>賢人、真人は天地を提挈し陰陽を把握し精気を呼吸し独立して神を守り肌は肉若の如し、素問は秦末漢初の成立、素問は生理学・霊枢は病理学、素問・、心:生の本・神の変・顔に表れ血脈にあり、肺:気の本・魄の居・毛に現れ皮にあり、腎:蔵の本・精の処・神に現れ骨になり、肝:弛緩と緊張・魂の処・爪に現れ筋にあり、胆:決定する、脾胃大腸小腸三焦膀胱:滋養の元、外気・飲食・精神状態の安定したバランスがあれば邪気は生じない、素問の薬の用法は1つのみ五穀のスープと甘酒、本草は後漢以降、王符の潜夫論に人参の記述、史官は神に事実を報告する、太一神の祭りと方術信仰・知識人の讖緯・庶民の巫術、天鳳二年黄竜の墜落死、黄帝上遷と錬金術の丹薬、潜夫論の呪術:土公・飛尸・咎魅・北君・銜聚・當路・直符の七神、顧炎武:後漢こそ士人の自覚が最も高まった時代・東漢の士風の厳しさは中国史上空前絶後」
3#▽  漢字の起源┃藤堂明保┃講談社学術文庫┃2006┃1966「殷:猟場の名前、項羽は2万余で章邯は20万、卜:大亀の甲羅が割れる音、羌がチベット人に・夷がタイ人に、タイ語:修飾語が後ろ・冠詞のような接頭辞・語頭の複子音、楚や越はタイ族の国、孟子:南蛮[鳥夬]舌の人、太古漢語にklak,glak・タイ語に漢タイ祖語の名残、詩経の玄鳥=燕、庶民とは殷の氏神の毫社で宣誓した陽虎、楚の接頭辞:於、越の接頭辞:句、文字:文は象形文字と指事文字・字は形声文字と会意文字、工には貫通するの意味、士は男性の陽根の象形、北京語のパパママは西洋と関係なし・ディエは西北方アジア騎馬民族の言葉、詩経に牽牛・2世紀の民謡にも、昏・[民/日]から李世民が民を氏に変えさせた、殷に麦なし・麦は周が西方より持ち込む」
3◯   漢字の知恵┃藤堂明保┃徳間文庫┃1989┃1965「指事文字は象態字、流の右側は子を逆さまにして水の流れるさまの川をつけたもの、奈良朝までの日本語は母音が8つ・イエオが2つずつ、370年代に漢人王仁と韓人阿直岐、漢語の形容詞化・非道い、漢語の動詞化・力む、英語の動詞化・サボる、遠慮:遠い先の心配、迷惑:迷うこと、稽古:古い時代を静かに思い出すこと、留守:遠征軍の後の城を守ること、大丈夫:一人前の男のこと、書をひもとく:巻物をひもを解くから、油断・気配・物騒は当て字」
     ⇒ 藤堂明保(とうどう・あきやす)1915〜85。中国語学、中国文学、清朝経学史、中国古代語語彙。 
3▽   雨かんむり漢字読本┃円満字二郎┃草思社┃2018「泰山封禅、雨宿りした木に五大夫の官職を授ける  雪ぐ、すすぐ、雪辱  雹と霰あられ  霙みぞれ、本来は雪の結晶のことか?  賈島の漢詩、剣客  霽せい、雨が終わる、晴れ  霓げい、副虹のこと  舞[雨/う]、雨乞いの踊りをする台、地元の人の行楽地  雨乞い、鉦や太鼓を打ち鳴らし、子どもたちが舞い踊る」
     ⇒ 円満字二郎(えんまんじ・じろう)1967〜。漢字研究。     橋と異人:境界の中国中世史┃相田洋┃研文出版-研文選書┃2009「義:外から来て固有でないもの・仁や考と対立する、春秋左氏の最古の宿屋・逆旅・戦国時代には飯盛り女も、寝具持参で自炊が原則・ベッドを借りて寝る場所・相部屋が一般的、土間に馬・ベッドや炉端、茶:前漢は蜀まで・三国で呉まで、橋や駅舎の整備の出来不出来が地方官の能力の指標に、後漢末158年道橋銭を課した成都の劉氏、橋で行われる死刑、長安の渭橋の下の陰生という乞食、少年には無頼のニュアンスが含まれる、唐後半才子佳人に対抗して侠女、漢代の冥婚」
4★◎  異人と市:境界の古代中国史┃相田洋┃研文出版┃1997「沈黙交易を鬼市、仙人と市、古代の山は森林多し、山人⇒仙人、市に牢獄、死刑見物は祭り、処刑は秋以降、市と社に木の標識、屋根なし、燕の湿地の祭り、斉の社の祭り、宋の桑林の祭り、楚の雲夢の祭り、歌垣の投果、女からは木の実、禹も歌垣で女と出会う、春と秋の定期祭礼、社は氏族を越える統合祭祀、吟遊詩人もいた、偶語=漫才は禁止、ついなと石合戦、論衡に凹レンズと、妊婦と胎児は不吉」
     ⇒ 相田洋(そうだ・ひろし)1941〜。張家口生まれ。中国民衆文化。 
3▽   中国古代の民俗と文化┃桐本東太┃刀水書房┃2004「酒池肉林は歌垣の情景、詩経で魚は女性の隠語、異界と我々の世界を行き来する媒介者としての犬:芻狗、伊藤清司:古代の童謡は巫歌の性格を帯びている、グラネ:詩経国風の大半は季節祭の男女の恋愛歌、袂を分かつ:ソデの投棄は関係性の断絶を示す儀礼的所作」
     ⇒ 桐本東太(きりもと・とうた)1957〜。中国古代史、中国民俗学。     干支の漢字学┃水上静夫┃大修館書店┃1998「論文。序数は順序を表すため必ずしも数詞は必要ない、ヴェリコフスキー ⇒それはちょっと……、十二支や十干は循環序数詞、十二支の動物は論衡が初出・武帝の時代にバビロニアから来たか、前漢の終わり・河図は八卦・洛書は洪範の初一曰五行〜威六極までの65字、世界初の唯物論者王充」    中国古代史の謎┃水上静夫┃時事通信社┃1994「幅10m高さ100mの野狐峡、斛律金は詩人、漢民族は大融合民、最古の女将軍・婦好、太公望の娘・周羌、周公は句僂、繹史、羌から逃げる殷、三苗も羌、西戎の[金昆][金吾]、金属生産と森林伐採、タマリスク、楊はポプラ」
5    花は紅・柳は緑:植物と中国文化一┃水上静夫┃八坂書房┃1983「字形と漢詩からみる古代の植物。楊柳・酸果・梅・桃・李・杏・石榴・山椒・牡丹・海棠・蓮・虞美人草。蓮は強精剤」
5#   中国古代の植物学の研究┃水上静夫┃角川書店┃1977「詩経、爾雅、説文より。桃は周族がもたらした、桃と妊娠、」
     ⇒ 水上静夫(みずかみ・しずお)1922〜。中国哲学、中国植物学、漢字。 
5ゑ#  中国食物史の研究┃篠田統┃八坂書房┃1978「土鍋で油は使えぬ、鮓=魚の漬物、君子厨房を遠ざけよ?、醸造は女性、簡単な宴会は保存食による冷食、生肉も、晏子は蒸し玄粟、飲食店は城や関に多数、新疆で稲米、魏徴の白葡萄酒、韓彦直のみかんの本、シロップ拓漿、張騫と胡麻油」
4ゑ◯ ■中国食物史┃篠田統┃柴田書店┃1976「粟=殻付き・米=殻なし穀物、戦国主食はあわ・きび、奮発してむぎ、祝い事にもちあわ・いね、侯景の包囲とビタミンB1欠乏症、食時代区分は宋−元、モンゴルは昔から茶にバター、秦良玉は女酋長・男妾多数・漢人をさらって奴隷に」
4ゑ   米の文化史┃篠田統┃社会思想社┃1970┃1961「稲の渡来、飯・粥・餅・雑煮・鮓・酒の歴史、米食の問題点、小豆雑煮と文化交流。ヤポニカ+インディカは不稔性、稲は貴重でお祭りの酒用、古代中国はインディカ、ビタミンA不足の眼球乾燥症、オアシスに稲、光秀粽を葉ごと食べる、日暮れが一日の終わり、飴でトンボを捕る、p204難解、批判と返答つき」
     ⇒ 篠田統(しのだ・おさむ)1899〜。栄養学、比較生理学、酵素学、家事科学、動物生理生態学、衛生昆虫学、医動物学、家政学、家庭科教育、地理、民俗、農業。 
2☆   天翔るシンボルたち 幻想動物の文化誌:図説中国文化百華002┃張競┃農山漁村文化協会┃2002「辟邪:麒麟+虎、劉邦が龍の子は貶めるため説」  ?? 美女とは何か:日中美人の文化史┃張競┃晶文社┃2001「美人の基準が文化を越えて共通というのは錯覚 ⇒間違い、欧米人が美しいと思われている ⇒どこで統計とったの?、体型の美しさに根拠はない ⇒ある・既に証明済み、近代まで細長い目がきれいとされた、紅楼夢で太っていると悪口・太っているのが欠点と認識 ⇒楊貴妃は太った豚呼ばわりされたけど?、数少ない幸運の美人:卓文君と司馬相如・緑珠と石崇、白すぎると醜いは成立しない ⇒ほとんど意味不明」
2#  ■中華料理の文化史┃張競┃ちくま新書┃1997「古代は粗食。ご飯は手づかみ&スプーン。油も使わないし、刺身もある」    恋の中国文明史┃張競┃筑摩書房┃1997「文学作品から探る中国人の恋愛観の変遷」
     ⇒ 張競(ちょう・きょう)1953〜。日中比較文化史、比較文学、比較文化。 
2◯   中国皇帝伝┃稲畑耕一郎┃中公文庫┃2013「▽始皇帝、劉邦、武帝、曹操、楊堅、李世民、武則天、玄宗、徴宗、クビライ、万暦帝、乾隆帝、宣統帝 度量衡の統一は租税に 文字の統一は法律に 車軌の統一は軍事の移動に 始皇帝と劉邦の裏に呂氏の影 出土した呂后の玉璽、皇帝と同じ 楊堅の本名は普六茹那羅延、鮮卑語で姓は楊、名は金剛力士の意味でそこから楊堅に 李世民は本名ではない、後から選んだもの 行書を得意とする能書家 武則天と高宗は泰山に封禅 封禅。始皇帝、武帝、光武帝、武則天、唐玄宗、宋真宗 武挙を始めた武則天 玄宗と姚崇、宋m 楊太真、グラマーで歌、踊り、音楽、聡明。目だけで何を考えているか読みとった 方ろうの乱、永楽帝を名乗る、マニ教の菜食主義者 胡同フートンはモンゴル語より チベット仏教サキャ派の聖者パスパ、パスパ文字を作る 万暦帝と張居正、全国土地測量 NHKラジオ歴史再発見のテキストより」
3☆   神と人の交響楽 中国仮面の世界:図説中国文化百華006┃稲畑耕一郎┃農山漁村文化協会┃2003「傘状の物を打ち振って舞う舞踊・周礼鼓人の祓舞、南北朝時代鉄面をつけるのは普通だった、張衡の東京賦・追儺・巫も参加・年の暮れに悪鬼悪疫を追い払う・黄金の四目の面をつける・方相氏が鉞を巫が箒を持つ・赤い帽子に黒い服の子どもが弓矢を持って射る・松明を打ち振って悪鬼を追う、追儺の三種、国の儺:都の9つの門で犬羊鶏を犠牲にし陰を気を追う、天子の儺:天子が仲秋に陽気を追い払い秋の気を引き入れる、大儺:天子から庶民まで・役人が四方の門で犠牲・土牛を作って寒気を送り出す、劉邦の祀り・秦の皇帝も祀った・祟りを封じ込める」
     ⇒ 稲畑耕一郎(いなはた・こういちろう)1948〜。中国古典学、中国古代学。 
2☆   君当に酔人を恕すべし 中国の酒文化:図説中国文化百華017┃蔡毅┃農山漁村文化協会┃2006「蓮の葉を杯にする碧筒杯、象鼻杯として日本各地で行われている、漢代の風習・重陽の節句・高い山に登りはじかみを携えて菊花酒を飲む、大[酉甫]:始皇帝以降・皇太子冊立・皇女の結婚・瑞祥出現など・宴会の許可・、サヨナラダケガ人生ダは晩唐の詩人于武陵の詩:人生足別離」
     ⇒ 蔡毅(さい・き)1953〜。。  
2#   96人の人物で知る中国の歴史┃ヴィクター・H・メア┃大間知知子┃原書房┃2017┃2013「原題:Chinese Lives  ▽三国志までで24人、以降のマイナーな人物伝がよい、漢字に現代中国語のフリガナがついている、一人2、3ページ 殷の女将軍婦好 班氏は匈奴出身の家系 王充は文語でなく口語で書類を書くことを提言した 蔡?が論衡を再発見 p111 玄宗(在位846-859)が作った…… ▽誰だ?玄宗は在位712-756なんだが、宣宗のミスか? 女校書せっとう 沈括:石油の語を作る、コンパスが北がずれていること、貝の化石、活字印刷の記録、UFOなど 宋の女流詩人、李清照 宮廷画家の馬遠 戯曲と演劇の作家、関漢卿 パスパ文字の作者、パスパ1235-80 本草綱目の李時珍 ヌルハチは三国志の愛読者 張献忠の碑文:殺殺殺殺殺殺殺、人口500万を50万に 蒲松齢の『壁』はシェークスピアの『リア王』に驚くほどよく似ている 雍正帝に康煕帝殺害の疑い 乾隆帝の寵臣ヘシェン 秋きん、ブルジョワ革命家のレッテルを貼られて、遺体が掘り返されて無銘墓に移される 孫文はアメリカ市民権あり、香港で洗礼を受ける 魯迅、100以上のペンネームや偽名を使う、1980年まで台湾では出版禁止 毛沢東は北京大学図書館で司書補に、始皇帝と比較される」
     ⇒ ヴィクター・H・メア(Victor H.Mair)中国語・中国文学。 
3    中国出版文化史:書物世界と知の風景┃井上進┃名古屋大学出版会┃2002「班家の大蔵書、後漢に書店なし・書店は唐末より、ひろく読書する通人・通儒、杜預:本を貸すバカ返すバカ」
     ⇒ 井上進(いのうえ・すすむ)1955〜。文学。    ■長安の春┃石田幹之助┃講談社学術文庫┃1979┃1941「太平広記と全唐詩にみる唐代の文化。イランの影響大、醍醐=牛乳、消麺虫、海西布と火浣布、凹凸画、元宵観燈にイランの影響、龍皮扇=煽風器」
3◯   増訂・長安の春┃石田幹之助┃榎一雄解説┃平凡社┃東洋文庫┃1967「上記+α。元宵観燈は梁より?、石虎の燈籠、酒は食後に、酒宴では順番に酒をつぎ飲み干さないと次に進めない」
     ⇒ 石田幹之助(いしだ・みきのすけ)1891〜1974。民俗学、東洋文庫主事。 
3#   酒中趣┃青木正児┃筑摩叢書┃1984「范蠡の養魚経、宿酔に烏梅の蜜漬け=梅の実の薫製」
3▽〆  中華名物考┃青木正児┃平凡社┃東洋文庫┃1988┃1958「洛陽の牡丹、揚州の芍薬、福建の蘭、柘漿は宿酔を解く、ふじばかま蘭の茎葉を握り、ういきょう茴香の実をかんで天子と面会する、嘯くとは、山草の代表はわらび蕨と薇、柳に鶯   洛陽の牡丹、揚州の芍薬、福建の蘭、菊も洛陽、柘漿(砂糖黍の搾り汁)は宿酔を解く、すっぽん鼈や子羊を焼いて柘漿に浸して食べる、生きのよい大亀と肥えた鶏を楚酪で和える、甘蔗汁は調味料、ゆず橙の皮をあえものに、調味料の代表芍薬、らっきょう薤、魚の刺身に   椒=山椒とはじかみ薑は辛み香料の代表、乾肉にはにっけい桂とはじかみの粉末を振りかける、みょうが荷、   豚を蒸して肉味噌、犬の肉には胆臓入りの苦い味噌、なます膾にはみょうが   なますは春は葱、秋は芥、豚は春は韭、秋は蓼、脂には葱   獣肉には木蘭   涼州と葡萄酒   納豆は後漢より   葵は羮の汁をとろとろにする   茘枝は福建広東四川のみ   ふじばかま蘭は衣類や書物に入れて白魚を避ける   蜜礼=甘酒に蜂蜜と蘭   あひる鴨の吸い物に、葱・橘皮・木蘭・生薑   羊の腸詰めには葱白・薑・こしょう   蘭の茎葉を握り、ういきょう茴香の実をかんで天子と面会する   リは三叉錐   山草の代表、わらび蕨と薇(野生の豆類の葉)   一扇  」    琴棊書画┃青木正児┃平凡社┃東洋文庫┃1990┃1957「文人の生活・趣味の食品・回憶録の随筆。諸葛亮は画家、苦狗=犬の肝臓の味噌あえ、顔真卿の年譜、内藤湖南と幸田露伴」
3◯   酒の肴・抱樽酒話┃青木正児┃岩波文庫┃1989┃1950「塩は酒の肴、酒には乾肉、焼き肉、梅と桃、荊州の酢魚、青州の蟹胥(塩辛)、熊掌と鶏跖、酒に蛋白質、伝統の黄酒、蘇東坡は下戸」
4◯  ■華国風味┃青木正児┃岩波文庫┃1984┃1949「粉食の歴史。餌=だんご、飯は手づかみ、前漢末からスプーン」    江南春┃青木正児┃平凡社┃東洋文庫┃1972┃1941「中国を旅しての随筆、版画、童謡。秀吉の恐怖、春聯は五代より、桃符は戦国末より、爆竹は魏晋より、燈籠は道+仏」
     ⇒ 青木正児(あおき・まさる,君雅,迷陽道人)1887〜1964。中国文学、中国演劇、書画、民俗、名物学、随筆。  
_◯  ■漢字の知恵┃遠藤哲夫┃講談社現代新書┃1988
     ⇒ 遠藤哲夫(えんどう・てつお)1926〜。高校教諭、教育学、中国哲学。  
2▽   知るほどに深くなる 漢字のツボ┃円満字二郎┃青春出版社┃2017「対象タイシヤウ、大正タイシヨウ、対照タイセウ、すべて異なる発音だった 重箱読みや湯桶読み、音読みの部分が意味として理解できるから訓読みのような意識だった 部首でない音符の部分の読みは昔の中国の発音を反映、今の日本語とずれることも多い 常用漢字:法令、公用文書、新聞 憧憬しょうけい 8世紀に地名は縁起のいい漢字2文字で書き表すように朝廷から命令が出た 龍は篆書、竜は金文 部首の呼び方はいろいろ、正式名称はない 生の読みは14種以上 爪と瓜、己と巳、おおざとは邑、こざとは阜 同の字点、々 踊り字 谷、や、訓読み 1970年代に在日朝鮮人が漢字の韓国音読みを求めて裁判 一澤帆布の鞄[布包]」
     ⇒ 円満字二郎(えんまんじ・じろう)1967〜。漢字文化、漢和辞典編修。 
3☆   中国雲南・岩絵の謎┃彭飛編著┃祥伝社┃1995
     ⇒ 彭飛(ポン・フェイ)1958〜。日本文学、日本語、文字学。  
3#   中国服装史┃華梅┃施潔民┃白帝社┃2003「古代から現代までの服装の変遷」
     ⇒ 華梅(か・ばい)1951〜。美術史。      中国質屋業史┃浅田泰三┃東方書店┃1997「明・清から現代の質屋まで。質屋は南朝初期仏教寺院より」
     ⇒ 浅田泰三(あさだ・たいぞう)1923〜。外務省。  
4#   古代中国の性生活:先史から明代まで┃R・H・ファン・フーリック┃松平いを子┃せりか書房┃1988「性の分離は13世紀より、女徳=女の魅力、魄=生命力、魂=精神力、女史=性の書記、身体接触と結婚、景帝の親戚は変態、張衡の祝婚歌、阮籍の同性愛、煬帝の専用車、銅鏡の屏風、裸体画、緬鈴、娼家も納税、夏姫の小説株林野史、留保性交はインドより   13世紀まで性の分離は厳しくない、女徳=女の魅力、魄=生命力、魂=精神力、女史=帝王の性の書記、奔=庶民の結婚、身体接触と結婚、景帝の親戚は変態、倡家、娼楼、青楼、性は戦争、張衡の祝婚歌、阮籍の同性愛、宋の山陰公主、煬帝のセックス専用車、銅鏡の屏風、裸体画、緬鈴、娼家も納税、罪人とその縁者と捕虜が娼婦へ、霍去病神女を拒絶す、夏姫の小説株林野史、留保性交はインドより」
     ⇒ R・H・ファン・フーリック(R.H.van Gulik)1910〜67。オランダ。人類学、東洋学、駐日大使、ミステリー作家。  
4☆  ■中国五千年女性装飾史┃王#+高春明┃京都書院┃1993
     ⇒ 王#(ワン・シュン) 
1〇   中国語時代劇がさらに楽しくなる!皇帝と皇后から見る中国の歴史┃菊池昌彦、関眞興┃辰巳出版┃2021「▽中華ドラマの紹介本  p120-121に光武帝  四大民間伝説:牛郎織女、白蛇伝、孟姜女、梁山伯と祝英台  ▽服装の解説  宋代の花嫁衣装は緑色  なま物を食べなくなったのは元代以降  もともと囲碁は占星術の一種」
     ⇒ 菊池昌彦(きくち・まさひこ)フリーライター。 
1☆   中国五千年:性の文化史┃邱海濤┃納村公子┃集英社┃2000「日本の性は笑いに、中国は職人技術、毛沢東の息子の死と彭徳懐、主腰児(ブラ)あり袴児(パンティ)は明末より、臭鼠、男妓院控鶴監、打洞、喝壺、月経検査制度、軍人婚姻破壊罪」
     ⇒ 邱海濤(きゅう・かいとう)1955〜。新聞社支局長。  
2☆   中国文化のルーツ(上)┃郭伯南・他┃東京美術┃1990「草書は速記、いっぱいでこぼれる尖底瓶、王莽は桃の木の煮汁をまく、質=高額契約書の長い札、剤=短い札、下手書に手形、封泥には指紋も、宋代の孔明の紙幣、陳平の人形劇、あやつり人形は殉葬俑から、後漢のあやつり人形、毎年十月射御角力の試合、力士蒙万贏、呉の女相撲、賈似道の促織経」
2☆   中国文化のルーツ(下)┃郭伯南・他┃東京美術┃1990「漢代の蜀・三国の呉に茶、各国宮廷には冷蔵室、氷酪=アイスクリーム、呉の闘鴨、豆腐はチーズの代用、漢代の煎餅・豆乳、餃子の先祖・漢代の[食昆]飩、孔明の火井製塩視察、殷の耳かき、曹操の妻楊枝、韋叡の孫の手、開閉傘は五代より、枕は木か石、下駄は南国、紅花の臙脂」
     ⇒ 郭伯南(かく・はくなん)雑誌社人民中国のライター。  
5#   古代中国の地方文化:華南・華東┃W・エバーハルト┃白鳥芳郎監訳┃六興出版┃1987┃1968「少数民族と風俗と民間伝承からみる文化。3月3日鄭の舞、南方の毒鳥鴆、山廟へ参詣で恋愛や情事、清明の春祭りで恋愛、純潔を示す守宮、魚の像を屋根に、殷の象墓」
     ⇒ W・エバーハルト(Wolfram Eberhard)民俗学、民族学。  
3#   中国武術史大觀┃笠尾恭二┃福昌堂┃1994「拳法と角力、少林寺、倭寇、太極拳、現代。車こくに刃、[テヘン+卒]頭髪をつかんでひき倒す、斉の拳法、南宮長万は相手の首へ空手チョップ、魏シュウは拳法の技演じた、提弥明はつま先で犬のあごを蹴り殺す、軽呂の剣はトルコ式短剣、昆吾の剣はキルギス製短剣、胡亥と武帝の角力観戦、孔子は弓術の名手、剣術は書と並ぶ基本科目、剣は漢代まで、少林寺が王世充の甥を生け捕り、倭寇の胡蝶陣、鉄布衫は剛健術」
     ⇒ 笠尾恭二(かさお・きょうじ)1939〜。中国武術研究家、人間行動科学、中国武術家、空手家。  
4#   中国飲食文化┃王仁湘┃鈴木博┃青土社┃2001「食事の歴史、季節の食事、料理人と食経、茶道、酒文化、食器と芸術、食の作法、食の思想、食の効用。漢代の豆腐作り図、羌煮と貊炙、酒の籌例、君子は厨房を遠ざくは血を遠ざけるの意味   羌煮:鹿の頭を煮てきれいに洗い、皮と肉を指の大きさに切り、切り刻んだ豚肉で濃いスープをつくり、ひとつまみの葱の白根と適量の生姜、橘皮、花椒、塩、す、みそで味をととのえ、ここに鹿の頭を浸して食べる。   貊炙:豚や羊の丸焼き。まだ乳を飲んでいる太った豚を殺し毛をむしり、腹の下に小さな穴を空けて内臓を取り出し、茅をつめ、柏の木などの棒を刺して、とろ火でゆっくりと焼く。焼きながら子豚を回す。焼くとき糟を漉した清酒を繰り返し塗りつけ、新鮮な猪油と清潔な胡麻油を上塗りする。p68   孟他と葡萄酒。   昔から酒屋あり  後漢辛延年の隴西行p188   蜀のお茶   更始帝の韓夫人、文机を叩き壊す   酒の籌例p298    箸でスープの具、飯はスプーンで、   甄宇と羊   大ほ?は奇数日数  」
     ⇒ 王仁湘(ワン・レンシアン)1950〜。考古学、先史考古学、飲食考古学。 
4#   中国芸能史┃傅起鳳・傅騰龍┃岡田陽一┃三一書房┃1993┃1983「後漢末の馬戯の一座、天才マジシャン左慈、旅する雑技芸人、ホウクンと木偶人形師、李自成の芸人スパイ、師と流浪する芸人と農業との兼業芸人」
     ⇒ 傅起鳳(フー・チイフォン)雑技家、マジシャン、雑技史研究。  
3☆  ■中国茶図鑑┃工藤佳治・兪向紅┃丸山洋平,写真┃文春新書┃2000
     ⇒ 工藤佳治(くどう・よしはる)1948〜。中国国際茶博覧交易会顧問。 
2☆   中国古代史を散歩する┃李家正文┃泰流社┃1989「文帝の皇后は自ら桑作り、長沙抵王の子の劉秀 ⇒間違い、公孫大娘の剣舞・書に通じる・舞いは草書の師匠と悟った張旭、剣器舞・長い裾と長い袖をひるがえして泳ぐように踊る・袖を切って手に持つことも・漢代より長巾の舞いも、右手に三角定規を持つ伏羲・十字型のコンパスを持つ女[女咼]、行書・後漢の劉徳昇が考案、霊帝は身長3尺5寸」
     ⇒ 李家正文(りのいえ・まさふみ)1909〜。随筆家、朝日新聞記者。  
6    中国の巫術┃張紫晨┃伊藤清司・堀田洋子┃学生社┃1995

●● 中国文学:詩 ●● 
3〆〆 ■屈原┃目加田誠┃岩波新書┃1967「屈原の生涯と楚辞。屈原についての民話も」    洛神の賦┃目加田誠┃講談社学術文庫┃1989┃1966「白居易と元[禾真]の友情、水滸伝と八犬伝の違い、揚子の津のあたりが揚子江、李漁の戯曲作法、中国の対偶趣味、聞一多、詩人は民間文学を自分のものに」
3〆  ■新釈詩経┃目加田誠┃岩波新書┃1954
5〆   中国の文芸思想┃目加田誠┃講談社学術文庫┃1991┃1947「風、雅、神、気、儒と侠、陳奐。詩魔、酒癲、花癡、狂女は美しい?、中国文学の政治性と日本の非政治性、詩経は感情を直接うたった歌」
4〆〆 ■詩経┃目加田誠┃講談社学術文庫┃1991┃1943「素朴な民謡としての詩経」
     ⇒ 目加田誠(めかだ・まこと)1904〜94。中国文学、主に古代の詩など。 
3#▽  楽府の歴史的研究┃増田清秀┃創文社┃1975「平楽観で多数の聴衆を集めて音楽公演・闘鶏・競馬・競犬・蹴鞠・角抵戯・呑刀・呑火・魚龍・漫衍、平楽観は近衛兵の練武場にも、未央宮の北にあり・周回十五里、元封三年の角抵戯・畿内三百里から観衆が押し寄せる、後に王莽が破壊、城内の上林苑中にあり、演奏される歌曲:文成[真頁]歌・狄[革是]楽・[石昜]極楽など西戎の音楽、楚の激楚曲・結風曲、淮南の干遮曲、後漢では平楽観は洛陽の上西門外に、前漢の歌・古今注:薤露歌・蒿里曲・平陵東、陌上桑・江南曲・鶏鳴・白頭吟も前漢、宋書楽志の漢鼓吹鐃歌も前漢、後漢李尤の平楽観賦・藝文類聚卷第六十三・練武と百戯ばかりで歌曲なし、易坤霊図・尚書帝命験・春秋元命苞・春秋命歴序・礼斗威儀、易坤鑿度・尚書考霊耀・詩含神霧・河図括地象、但曲・歌詞なしのメロディ・広陵散・大胡笳鳴・小胡笳鳴・[昆鳥]鶏・游弦・流楚窈窕、新声二十八解・二十八節の曲・天子の乗輿の行進に吹奏、相和歌・漢の歌・街陌の謡謳・絲竹の合奏・節をとる者が歌う:江南可采蓮・烏生八九子・白頭吟など民間歌謡、漢代の曲:東光・江南・鶏鳴・烏生・平陵東・陌上桑、太平御覧の古歌曲:陽陵・白露・朝日・魚麗・白水・白雲・江南・陽春・淮南・駕辨・緑水・陽阿・採菱・下里巴人、漢の宮廷では陽阿と採菱を雅楽の始めに演奏、江南は棹歌・水上生活者の労働歌、遊侠の歌曲:遊侠篇・侠客行・博陵王宮侠曲・臨江王節士歌・少年子・少年行・刺少年・邯鄲少年行・長安少年行・羽林郎・軽薄篇・剣客・結客・結客少年場・沐浴子・結襪子・結援子・壮士吟・公子行・敦煌子・扶風豪士歌、白馬篇・聶政刺韓王曲・劉生曲、蔡ヨウの琴操に易水曲と聶政刺韓王曲・漢代の流行・荊軻と聶政、後漢の頃の聶政は父の仇の韓王を狙う孤児・父が剣を作れず殺される・仙人に会って鼓と琴を学ぶ・漆を塗って癩病を装う・琴の中の刀で韓王を刺す、宋以後は史実ベースになり曲名も広陵散に変わる、張華の博陵王宮侠曲に描かれる電光石火の殺陣、南北朝の歌曲上人気第一位の劉孟・東平劉生歌と安東平、陳安を歌う壮士歌・笛で吹くと臆病者も勇士となる・壮士歌は別名を隴上歌・北魏末にも歌われ続ける」
     ⇒ 増田清秀(ますだ・きよひで) 
5◯   中国古代社会史研究┃谷口義介┃朋友書店┃1987「ビン風七月、籍田儀礼、夏小正、杜伯幽鬼。殷王も食事は2回、襃似は男まさり、墨子の明鬼と殷の伝統、句芒神は秦墨の秦への媚態」
     ⇒ 谷口義介()  
4◯   中国の文人┃王瑤┃大修館書店┃1991
     ⇒ 王瑤(おう・よう)1914〜。漢魏六朝文学。  
5    愛のうた:中華愛誦詩選┃竹内実┃中公新書┃1990
1◯   中国生活誌:黄土高原の衣食住┃対談:竹内実・羅漾明┃大修館書店┃1984「山西省朔県の生活。飯と菜の違い、正月にスイカ、家庭料理は油少ない、犬の金釘首輪は対狼用」
     ⇒ 竹内実(たけうち・みのる)1923〜。中国生まれ。中国文学、現代中国。  
3▽   漢詩体系第十五巻:魚玄機・薛濤┃辛島驍┃集英社┃1964「魚玄機は山西と湖北へ、薛濤は梓潼と江陵へ、薛濤は軽口の上手、薛濤箋」
     ⇒ 辛島驍(からしま・たけし)1903〜。支那文学。 
_   ■中国の女詩人たち┃中津濱渉┃朋友書店┃1981「」
     ⇒ 中津濱渉(なかつはま・わたる)1919〜。中国文学。 
_   ■李白┃アーサー・ウェイリー┃小川環樹┃岩波新書┃1973┃1950「原題:The Poetry and Career of Li Po」
     ⇒ アーサー・ウェイリー(Arthur David Waley)1889〜。英国、東洋学。 
_   ■李白:豪放非運の詩仙┃福原龍蔵┃講談社現代新書┃1969
     ⇒ 福原龍蔵(ふくはら・りゅうぞう)1896〜1975。支那文学。 
_   ■大衆詩人白樂天┃片山哲┃岩波新書56「民衆をうたう詩人」
     ⇒ 片山哲(かたやま・てつ)1887〜。弁護士、総理大臣。 
3◯   科挙の話:試験制度と文人官僚┃村上哲見┃講談社学術文庫┃2000┃1980「科挙の由来、歴史、試験場、試験種目、落第の怨念。冒籍:越境受験」
     ⇒ 村上哲見(むらかみ・てつみ)1930〜。大連生まれ。中国文学。 
3◯   漢詩入門┃一海知義┃岩波ジュニア新書┃1998「漢詩は日本語、中国では旧詩、  ▽奥が深すぎる‥‥‥」
     ⇒ 一海知義(いっかい・ともよし)1929〜。中国文学、漢詩。  
_   ■中国文学における孤独感┃斯波六郎┃岩波書店┃1958「若者の自殺には遺書があるが中年以後にはない・人にはわかってもらえぬと思うから、老荘の見独・儒教の慎独、」
     ⇒ 斯波六郎(しば・ろくろう)19〜。。     語源を知れば日本語がわかる┃柚木利博,編┃ふたばらいふ新書┃2001「目からウロコが落ちるは旧約聖書より、旅人の足下を見てふっかける駕籠かき・足もとを見る、おくびとはゲップのこと」
     ⇒ 柚木利博(ゆのき・としひろ)1946〜。中国の詩と詞。  

●● 中国文学:散文 ●●     『史記』と『漢書』:中国文化のバロメーター┃大木康┃岩波書店┃2008「司馬遷:過去の事を述べつつ未来のことを予想する、班固:善を顕し悪を昭らかにし後人を勧戒する、史記と漢書はどのように読まれたか、天道是か非か」
     ⇒ 大木康(おおき・やすし)1959〜。中国文学。 
3#   古書通例:中国文献学入門┃余嘉錫┃古勝隆一,他┃平凡社┃東洋文庫┃2008┃1940「本に著撰者名を付けるようになったのは魏晋以後、自分自身で書名をつけるのは呂氏春秋より・前漢武帝期に確立、鬼谷子は蘇子に含まれていた、新語は陸賈書に含まれていた、六韜は太公に含まれていた、竹簡や帛書はその一篇を書き写して読んだ、宮中の蔵書は詔を受けないと臣下は閲読できず」
     ⇒ 余嘉錫(よ・かしゃく)1884〜1955。文献学。 
2★◯  漢文入門┃小川環樹・西田太一郎┃岩波全書┃1957「文法解説と例文集。漢文と書き下し文。語の結合関係:主語述語・述語補語・修飾語被修飾語・並列・選択・時間的継続・従属・上下同義、漢文は四字句と対句が多い、省文・字体の扁や冠を省略してもとの字の意味に使うこと・導⇒道、者と所・関係代名詞に似る・者は行為の主体・所は行為の対象、文語文の分類:有韻と無韻・有韻:詩賦など・無韻:散文で筆・リズムはあるが脚韻は踏まない駢文、胡:なんぞ・何の代用字・假借」
     ⇒ 小川環樹(おがわ・たまき)1910〜。中国文学、中国語学。 
2◎▽  漂泊のヒーロー:中国武侠小説への道┃岡崎由美┃大修館書店┃2002「漢代説書俑・太鼓とばちを持ち踊り出しそう、文人の誕生祝い宴会に演芸・仏教の法要に名医の話、中国のチャンバラはファンタジー、鉄騎児・朴刀桿棒・神仙霊怪妖術・公案、唐までは刀剣を振り回す文人がいた・文武の区別がはっきりするのは唐以降、衣冠と布衣・文と武の組み合わせ・公案・戦記・神怪・侠義、聶隠娘・聶鋒の娘・空飛ぶ女刺客、撃剣術・剣を揮えば風雷を伴い稲妻が空を裂く、香港武侠映画の爆発やレーザーは唐の時代より、漢代の芝居・東海黄公、唐の開元年間・勅命で大[酉甫]・慶事の際に民草に酒食を賜る宴、武帝の時代にマジシャンから西域からきた、漢の雑技:橦末伎/竿軽業・盤舞/皿舞い、漢代の画像石:額にのせた竿の先・十字架型に横木・演技者がぶら下がったり逆立ちする、常人から離れた異能者の世界、侠客の仮の姿・渡り歩きの薬売り、江湖:長江と洞庭湖・官に対する野の世界、文曲星の包丞・武曲星の狄青、乾隆帝の南巡説話・高天賜、方世玉が登場する万年青、中国の剣・よくしなり片手で扱う・頸動脈を斬るか急所を刺す・フェンシングに近い、太平花:利き手の逆の側に構えバックハンドで水平に弧を描いて刺突を送る、宋代の都市には弓槍相撲などの民間武術団体、臨陣招親・戦って結婚する・女が勝つばかりの楊家将、権力欲の代名詞左冷禅・偽善者の代名詞岳不群」
     ⇒ 岡崎由美(おかざき・ゆみ)1958〜。中国大衆文芸。     金瓶梅:天下第一の奇書┃日下翠┃中公新書┃1996「明の富豪の生活と因果応報の話、支那の小説では人物が性格を持たない、使用人はお使いの上前をはねるのが常識、東昏侯の寵妃の名は潘金蓮、潘金蓮・李瓶児・春梅の三人から一字ずつとって金瓶梅、牛と女房は三日に一度殴れ、欧米や中国より女性の独身生活が楽な日本、欧米では男女ペアでの行動を強制される」
     ⇒ 日下翠(くさか・みどり)1948〜。中国文学。 
3◯   中国人物伝 第I巻:乱世から大帝国へ 春秋戦国―秦・漢┃井波律子┃岩波書店┃2014「p24、伍子胥、夫差は愚かなうえに残酷で、とても呉をおさめられる器ではない。と説得 ▽なぜこれが説得になる?闔閭の言葉、読点の打ち方がおかしい。 二人の美女西施と鄭旦 死ぬときに自分を車裂きの刑にするように遺言した蘇秦 始皇帝が宮殿を咸陽から阿房宮に移したのは、天上世界を含めた全宇宙の支配者になろうとしたことを意味する 阿房宮は紫微宮に相当 長者=任侠的気節の高度の保持者 王莽には二十年前に侍女に生ませた二人の息子がいた、正妻の息子の死後に公表 柔道の人光武帝の理想主義は形を変えながら、着実に次の時代へと受け継がれていった 虎穴に入らずんば、虎子を得ず。」
3#   中国人物伝 第U巻:反逆と反骨の精神 三国時代―南北朝┃井波律子┃岩波書店┃2014「死せる孔明、生ける仲達を走らす p159残んの命? 劉?に似てるけど弱々しいと言われてふさぎ込む桓温 芳しい名声を後世に残すこともできず、悪名を万歳にのこすこともできないのか。桓温 謝道蘊の奮戦 北斉における女性の立場の強さ」
3#   中国人物伝 第V巻:大王朝の興亡 隋・唐―宋・元┃井波律子┃岩波書店┃2014「煬帝は読書好き。文才も 劉黒闥のリーダーとするとう建徳の残党が……これまた李世民によって鎮圧され ▽間違い。李建成だよ 創業は易く守成か難し。 事業を始めるのは簡単だが、維持してゆくのは難しい。魏徴 則天武后は女性を進士に登用しようとした 鶴を子に、鹿を召使いにして愉快に暮らした林逋 王安石、文学者として高い評価、文章家で詩人 陣して後に戦うは兵法の常なり。運用の妙は一心に存す。 陣をしいてから戦うのは兵法の常識だ。それをどう運用するかは心一つにある。岳飛 この人は天が我が家に賜った人だ。おまえは将来、国政はすべて彼にまかせよ。チンギス・ハン 羅貫中と張士誠の関係」
3#   中国人物伝第W巻:変革と激動の時代 明・清・近現代┃井波律子┃岩波書店┃2014「▽明から現代までの文人中心の小伝集 鄭和は身長七尺、約218cm 右手の指が六本あった祝允明、科挙に七回落第 與其為數頃無源之塘水,不若為數呎有源之井水,生意不窮。 水源のない広々としたため池の水であるよりは、水源からこんこんと水の湧き出る小さな井戸水であったほうがいい。王陽明 『牡丹亭』の湯顕祖 地理学の徐霞客 川人尚未盡耶?自我得之,自我滅之,不留毫未貽他人也。 四川の人間はまで絶滅しておらんのか。わしがこれを手に入れたのだから、わかれこれを滅ぼす。一人たりとも他人には渡さんぞ。張献忠 西太后は姓はエホナラ、身長175cm、纏足はしていない 不有行者,無以圖將來;不有死者,無以酬聖主。 行く者がいなければ将来をはかることはできない。死ぬ者がいなければ陛下に報いることができない。譚嗣同 ?望之?虚妄,正与希望相同。 絶望の虚妄なることは、まさに希望と相い同じい。ペテーフィと魯迅 毛沢東、北京大学図書館の司書だったことも、否定と逆用の原理、不と没有」
3◯   中国侠客列伝┃井波律子┃講談社学術文庫┃2017「▽侠の精神から中国史、東晋末まで、後半は小説類、唐代伝奇聶隠娘 p107-117まで光武帝の話 p109 劉秀は宛に大攻勢をかけてきた王莽側の公称百万の大軍を、途中の昆陽で食い止め、わずか一万余りの軍勢で殲滅、王莽に回復不能のダメージを与えた。 114 光武帝はいかにも派手で豪快な兄劉?とは対照的に、地道で控えめな性格だった。しかし、それとはうらはらに、軍事的能力は抜群、王莽の大軍を粉砕した昆陽の戦いが顕著に示すように、戦場では別人のように勇猛果敢となり、絶体絶命の危機を乗り切ってきた。 114 前漢の劉邦には張良、蕭何、陳平をはじめ多士済々の配下があり、彼らと死生をともにする固い「侠の精神」で結ばれていた。これに対し、光武帝とその部下の結びつきには、そうした情緒的な要素は見られない。 115 光武帝自身、無防備に他人とうちとける性格でなかったことも、配下との関係をクールにしたのかもしれない。 清流派知識人には、明らかに侠の精神が見られる」
2◯   奇人と異才の中国史┃井波律子┃岩波新書┃2005「中日新聞と東京新聞の連載より。詩文・書・画・本伝付き小伝集。孫恩と対決した謝道蘊、白楽天:詩を作ると文字を知らない老女に読んで聞かせた、趙翼:国家の不幸は詩家の幸い、馮夢龍:科挙不合格も受験参考書がヒット、賈宝玉のモデル・納蘭性徳、趙翼:人材の輩出で三国にまさる時代なし、林則徐:西洋の新聞・雑誌・書物を収集・翻訳させた、秋瑾:日本刀をひっさげて清朝を演壇で批判」
1◯   故事成句でたどる楽しい中国史┃井波律子┃岩波ジュニア新書┃2004「"酒は百薬の長"は王莽の経済キャンペーンの言葉」
2▽   中国文章家列伝┃井波律子┃岩波新書┃2000
2▽   破壊の女神:中国史の女性たち┃井波律子┃新書館┃1996「中国の女性像の変遷。  ▽エントロピーはそういう意味だっけ?」    酒池肉林┃井波律子┃講談社現代新書┃1993「皇帝や貴族が贅沢する話」
2◯   読切り三国志┃井波律子┃筑摩書房┃1992「正史の三国志を知るのに最適」
     ⇒ 井波律子(いなみ・りつこ)1944〜2020。中国文学。     司馬遷論攷┃新田幸治┃雄山閣出版┃2000「史記の解説書、斉の首都臨シは長安より豊か・桑・麻・布帛や魚塩が豊富」
     ⇒ 新田幸治(にった・こうじ)1933〜。中国文学。 
2◯   史記の人間学┃雑喉潤┃講談社現代新書┃2005「史記のダイジェスト版、ヘロドトスの歴史とプルタルコスに英雄伝を総合したもの、三皇本紀は唐代に追加、放射性炭素の測定では湯の創業は紀元前1600年頃、武勇優れ13000の兵士を率いた婦好・武丁の妃、中国の小説一代の兵仙韓信・徐市は日本の神武天皇に、楚からの亡命者伍子胥と楚から派遣された范蠡」
     ⇒ 雑喉潤(ざこう・じゅん)1929〜。朝日新聞社、中国文学研究家、音楽ジャーナリスト。 
2▽   東洋におけるヒューマニズム┃吉川幸次郎┃講談社学術文庫┃1977「朱子:人間は物質・神は迷信で人間への冒涜、西洋の狭い意味のヒューマニズム・人間を評価し神学を否定する、書経:人間は万物の霊長、死んだ人間が神になったのが鬼・自然神、西洋の野蛮は森に東洋では海に、アリストテレス:詩は普遍を説き歴史は個性を描く」    中国文学入門┃吉川幸次郎┃講談社学術文庫┃1976「小説文学の発生の遅さ、恋愛より友情、西洋:主観・能動、中国:客観・受動、道は人より遠からず人に遠きものは道と為すべからず・道不遠人,遠人非道:中庸」
_   ■続 人間詩話┃吉川幸次郎┃岩波新書┃1961「」
_   ■新唐詩選┃吉川幸次郎・三好達治┃岩波新書┃1965┃1952
_   ■新唐詩選続篇┃吉川幸次郎、桑原武夫┃岩波新書┃1954「」
2◯  ■漢の武帝┃吉川幸次郎┃岩波新書┃1949「武帝の私生活、匈奴との戦い、儒者の登用、西域情報、神仙嗜好、皇太子問題」
     ⇒ 吉川幸次郎(よしかわ・こうじろう)1904〜80。中国文学。唐詩など。 
3#   中国遊侠史┃汪涌豪┃鈴木博┃青土社┃2004┃2001「顧頡剛:古代の学校は弓射を学び武術を習う場所、三国の許チョから侠客が出典、江南の大侠甘鳳池:清初の八大拳勇・内丹と外丹の奥義に通じ・手で錫器を握って溶かす、魯迅:墨子の徒は侠、聞一多:侠は堕落した墨家、墨家は後漢末に宗教として復活・太平経に、遊侠は墨家に由来せず、耿況の字は侠遊、宣帝の時代・太守に背いても豪族大家には背くな、光武帝劉秀はすこぶる任侠、太原では群をなして博?した李世民・旧友と昔話、李白:路上で見た不平に手ずから数人を殺害し逃亡、風塵三侠・杜光庭の伝奇小説、剣侠伝と続剣侠伝、秋瑾の号・鑑湖女侠、五陵は遊侠の集結地・意気に任せて義侠心を発揮し横行してはばかることなし、梁冀の遊び:鷹狩り・走狗・競馬・闘鶏、顔師古:撃剣は剣を遠くから撃ってあてるもので斬ったり刺したりするものではない、六博:長さ6分の竹製白黒それぞれ6本の棋・計12本・盤には12本の道・両端の中間は水・魚を刻したものを二枚置く・賽を投げ棋が行き着くところが驍棋・水に入って魚を食うので牽魚・牽が1条で籌を二本手に入れる・籌を多く手に入れると勝ち、許博昌の太博経」    中国遊仙文化┃汪涌豪,他┃鈴木博┃青土社┃2000┃1997「幽明録の後漢代の桃源郷の話:胡麻飯・山羊の乾肉・蕪菁汁、王莽の仙人願望:漢書の郊祀志・自分は上仙するとの詔・耕耘五徳・子喬が迎えに来る、120人の后妃を置き髭と髪を黒く染めた、武当山:真武大帝でなければ担当するに十分でないから、魏伯陽の周易参同契:金は性が敗朽しないので万物の宝・術士が服食すれば寿命が長久になる、河図紀命符や雲笈七籤」
     ⇒ 汪涌豪(おう・ようごう)1962〜。中国古代文学。     読書雑志:中国の史書と宗教をめぐる十二章┃吉川忠夫┃岩波書店┃2010「列伝のスタイルは司馬遷の創造、天道は是なるや非なるや、四声を発見した沈約、蓋し応変の将略は其の長ずる所には非らざるか、仏教を信仰した劉英、沙門は方術の士であった、玄じょう?の新訳・鳩摩羅什の旧訳、孔子は人の一つの美点を見つけると百の欠点を忘れる、孔子見人一善er忘其百非」    古代中国人の不死幻想┃吉川忠夫┃東方書店┃1995「神仙思想の歴史。功徳絶大な三皇内文。抱朴子の成立317年」
2◯   秦の始皇帝┃吉川忠夫┃講談社学術文庫┃2002┃1986「詩経の終風に黄砂の記述、班固は始皇帝を呂政と呼んだ、秦の半両銭のばらつき:直径3.5cm〜3cm以下・8g〜5g以下も・出土地域は旧秦地域のみ、秦の法律:他人の妻に不義を働いた夫は叩き殺しても無罪、皇帝の不死登仙の祈願のための封禅、三神山を求めた斉の威王と宣王・燕の昭王、荊軻の歌:風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!、始皇帝4回目のテロ事件・前216年武士四人とのお忍びを襲撃される、始皇帝の挟書律の解除は恵帝四年・前191年」
3〆   侯景の乱始末記┃吉川忠夫┃中公新書┃1974「徐陵と後梁も。  ▽文学的な美しい作品。もっと渋いタイトルにして欲しいな」
3◯  ■劉裕:江南の英雄・宋の武帝┃吉川忠夫┃中公文庫┃1989┃1966「農民豪傑の生涯。沈約独語−沈約になぞらえた著者の劉裕論あり」
5    六朝精神史研究┃吉川忠夫┃同朋舎┃1984「後漢の太学、党錮、真人、范氏、范曄、劉知幾、沈約、顔氏、顔師古、道教、孝経。太学は全国から集まった志士が談論を戦わす場、建平四年の西王母信仰、隗囂を王と呼ぶ、劉玄は帝紀に、荀或は漢臣」
     ⇒ 吉川忠夫(よしかわ・ただお)1937〜。東洋史学、中国史。 
2▽△  中国の大盗賊・完全版┃高島俊男┃講談社現代新書┃2004┃1989「劉邦・朱元璋・李自成・洪秀全・毛沢東。中国人の武・軍・兵に対する軽蔑と嫌悪、盗跖・柳下跖、劉邦は50代半ばで死亡、生まれたときの父母の年齢の合計が名前に、賊は梳くが如く兵は剃るが如し」
3ゑ▽? 三国志きらめく群像┃高島俊男┃ちくま文庫┃2000┃1994「皇后顔見せ事件、明帝の年齢の謎。  ▽古代と近代との混同ほか、勘違いも多い」
     ⇒ 高島俊男(たかしま・としお)1937〜。中国文学。 
2#   貞観政要┃呉兢┃守屋洋┃ちくま学芸文庫┃2015「280篇から70篇を訳出 政治問答集 家康、吉宗、明治天皇も読んだ 犯罪を減らすため刑を重くすることに反対した李世民 貞観元年から三年まで蝗と水害が続くも四年は大豊作、戸締まり不要で旅に食料の携帯が不要に 文徳皇后は兄の長孫無忌の宰相就任に最後まで反対 ろ江王の愛妾を後宮に入れていた李世民、親族に返す 李克の人物鑑定法、ふだんの友人、富裕のとき誰に与えたか、高位のとき誰を登用したか、窮地で不正を行わなかったか、貧乏なときむさぼらなかったか 皇子に使える者は勤務を四年以内とする、朋党を防ぐ 曹操を詐術が多いと軽蔑する 斉の文宣帝の名宰相楊遵彦 遠征中は書を読む暇なし、統一後は自分で読む暇はないので侍従に読んでもらっている 起居注の閲覧は拒絶され諦める、国史の閲覧を求め編纂させ閲覧し、玄武門の変があいまいなのを指摘しありのままを書かせる 名君はPR上手 ▽著者はありのままを信頼していない ベトナム討伐について光武帝を例に上げて拒絶 康国の帰服を拒絶 太子に書き与えた『帝範』 李世民もたびたび狩猟に出かけて夜に帰ってきた 劉邦はもし長生きしたら国を滅ぼしていた トップの条件は無私 名君とは自己犠牲」
     ⇒ 呉兢(ご・きょう)670−749。歴史家[唐]。 
2◯   「書経」の帝王学:リーダー学の原点┃守屋洋┃プレジデント社┃1998「昭和平成の年号の出典が書経 禹の姓は[女似]、名は文命、禹は号 天と人民は相通じている みずから指図することを控え、臣下の者に仕事をまかせることです つねに天の声、民の声に耳を傾けること 刑罰を設けるのは刑罰など必要としない世の中を実現するのが目的である 禹は 能力を鼻にかけないので能力を競う者がいない 功績をひけらかさないので功績を競う者もいない 無為の政治の堯舜は儒家の理想 精励のうちに一生を終えた禹は墨家の理想 自分以下の人間ばかりに取り囲まれている王は必ず滅ぶ 頭で理解するのは難しいことではなく実行するのが難しい。これを押し進めたのが陽明学の知行合一 人に教えるということは、半分は自分が学ぶということでもあります。 子貢は殷の紂王を弁護。実際はそれほど酷いことをしたわけではなく、天下の悪を押しつけられた 食事する間も惜しんで働いた周の文王 洗髪中でも食事中でも人の訪問があれば会いに出た周公旦 反幽王の挙兵のリーダーは廃太子の父申后」
1◯   新釈 菜根譚┃守屋洋┃PHP文庫┃1988┃1982「心の中は誰から見てもわかるように明白に・才能は外からうかがい知れないように奥深く秘める、恩恵は初めはわずかで後から増やす・威厳は初めに厳しく後からゆるめる、唐太宗・温顔を以て群臣に接す、小人と事を構えるな・小人に相応しい相手がいる、人の責任を追及するときは過失を指摘するだけでなく過失のなかった部分を評価する、禅の極意:腹が減ったら飯を食い疲れたら眠る」
2◯   中国皇帝列伝:守成篇┃守屋洋┃徳間文庫┃1985┃1981「教えは孔子より成り政は始皇より立ち境は武帝より定まる、苻堅を称える人民の歌、太宗の弟の李玄覇、兄弟仲の良かった玄宗、康煕帝:帝王も細部に親しむべし・白髪の皇帝は万世の美談・朕は天の僕である」
2◯   中国皇帝列伝:創業篇┃守屋洋┃徳間文庫┃1985┃1981「王莽の奴婢売買の禁止と土地所有の制限、武照:627年生・太宗の駿馬師士聡を力ずくで調教すると宣言、拷問法:定百脈・喘不得・突地吼・著即承・失魂胆・実同反・死猪愁・求即死・求破家・鳳凰サイ翅・仙人献花・玉女登梯、趙匡胤と趙普との出会い、南唐には何の罪もないと告白」
     ⇒ 守屋洋(もりや・ひろし)1932〜。著述業、中国文学者。     中国文学講話┃倉石武四郎┃岩波新書┃1968「堯舜禹は天地人の思想を擬人化したもの 伏羲兄妹とイザナギ・イザナミ 論理性に乏しい中国語、対句が発達 ▽論理性に乏しいというのは疑問 詩経は二拍子、楚辞は三拍子 後漢の古詩十九首 ▽左翼史観が強すぎる 虞美人。タイトルはメロディーのひとつで詞の内容とは無関係 宋の天子はひどく開放的で、正月十五夜の、いわゆる元宵の節句などは宮中の門をおおきくあけて、だれでもはいってよいことにし、しかも、天子がお庭にでて黄金の杯でお酒をついてくれたという。 元代に口語文学が成立 三国は、最後は魏によって統一されますが…… ▽西晋なんだが? 紅楼夢の秦可卿は父の賈珍と密通も召使いに目撃されて縊死した 阿Q精神。よわいものが人にまけると、あいてをロクでもないものとかんがえることによって精神的に勝利するという習性」
     ⇒ 倉石武四郎(くらいし・たけしろう)1897〜1975。中国語学、中国文学。 
1ゑ  ■中国の隠者┃富士正晴┃岩波新書┃1973「ちょっぴりひねくれた隠者列伝。論語、顔回、後漢書逸民、竹林七賢、覇気のない陶淵明」
     ⇒ 富士正晴(ふじ・まさはる)1913〜。作家、翻訳。 
3◯  ■三国志縦横談┃丘振声┃村山孚┃新人物往来社┃1990
     ⇒ 丘振声(きゅう・しんせい)1934〜。古典文学。 
2△   真実の三国志┃大澤良貴┃宝島社新書┃2000「データは確実、解釈が新しい。太平道は清流派、徐州虐殺は見せしめと宗教問題、後漢は支持されていない、袁紹の献帝不擁立は失敗ではない、青州兵と歩戦令、官渡の戦いは袁紹の全軍?、三顧の礼は隗より始めよ、劉備の読みが深い、魏公は失策、明帝の疑惑と母の死、弱が強に勝つには奇襲、馬謖起用は意地、仲達に判断ミス、正史の通史なし?井波律子は?」
     ⇒ 大澤良貴(おおさわ・よしたか)1973〜。三国志ライター。  
3◯  ■史伝・諸葛孔明┃章映閣┃村山孚┃徳間書店┃1991
     ⇒ 章映閣(しょう・えいかく)中国。歴史学、博物館館長。 
3▽   「タオ=道」の思想┃林田慎之助┃講談社現代新書┃2002「孫子と老子の違い、仁は父性・慈は母性、老子は300-270頃成立、タオは物理的な自然、大器晩成は完成しない、司馬遷の素王妙論、張魯三男が天師道、三玄=老荘易」
     ⇒ 林田慎之助(はやしだ・しんのすけ)1932〜。中国文学。 
2▽   司馬仲達:覇者の人間学┃松本一男┃PHP研究所┃1988「仲達は曹操に共鳴? 力の哲学、ヘーゲルの弁証法、厳世と孫謙、数学的計算による予測。  ▽曹操を過剰評価、重複が多くまとまり悪い」
     ⇒ 松本一男(まつもと・かずお)1925〜。台湾。中国文学、金融評論家。 
3#   漢文と東アジア:訓読の文化圏┃金文京┃岩波新書┃2010「ベトナム語、図書館は書院thu_vien、博物館は院宝蔵vien_bao_tang ベトナムには日本製漢語が入らなかった 近代以前の共通語、キリスト教文化圏のラテン語と聖書、イスラム教文化圏のアラビア語とコーラン、東アジアの漢文の論語など 呉音⇒漢音⇒唐音 梵語は目的語は動詞の前 梁啓超の和文漢読法 新羅の訓読が日本に影響を与えた可能性 漢文訓読は新羅で始まった可能性が高い 日本の和歌に相当する新羅の郷歌、中国から見て田舎だから 明治にできた新しい文体が東アジアに与えた影響」
3#   水戸黄門「漫遊」考┃金文京┃講談社学術文庫┃2012┃1999「しずまれ、しずまれ。この紋どころが目に入らぬか。ここにおわすお方をどなたと心得る。おそれ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ! 大阪版と東京版があった 実母継母が子供をひっぱる話は『風俗通』の黄覇のエピソード、さらに旧約聖書のソロモン王に 巡狩とは狩りにことよせて諸侯の領地に行き政情を視察すること 後漢和帝即位の年に使者が微服単行して風俗観察と民謡採集 公開裁判は人権無視だが密室裁判を避けられる 名君北条時頼の私行 五代漢高祖劉知遠の私行 瘤や腫れ物は神話学的な王の印 フビライの母はネストリウス派キリスト教信者 芭蕉隠密説 明治天皇の巡幸は88回 印籠を出して身分を明かすのはテレビドラマから 水戸黄門、朴文秀、包拯」
2▽   三国志の世界┃金文京┃講談社┃中国の歴史04┃2005「黄巾の乱は知識人内部の争い、曹操の呉への政略結婚による混乱、呉は国内で漢の建案・国外向け鏡に魏の年号、蜀呉同盟で封地も変更、呉から遼東へは年一回しか船を出せない、陳琳の檄文:袁紹のため予州を檄す・呉の将校部曲に激する文、晋の江統:関中100万の半分は異民族、孟獲も北伐に従軍し御史中丞に、呉軍に編入された山越は15-16万・兵の半数、軍隊に芸人が従軍、名士を中心とする全国規模の知識人の世論の重さ、儒教倫理は民間に普及していないおおらかな結婚、儒教の対立:新注と古注・今文と古文、道家思想+儒家思想=玄学、三玄:周易・老子・荘子、猪八戒の原型は朱子行、蔡倫は書写を適したなめらかな紙を作った、王充:家の門や柱に簡牘を置いて思いつきを書き付けた、卑弥呼の使者は景初2年か3年か」
     ⇒ 金文京(きん・ぶんきょう)1952〜。中国文学、小説、戯曲、講唄文学。  
3    列女伝1┃(漢)劉向┃中島みどり訳注┃平凡社┃東洋文庫┃2001,-16「注の方が長い。元は絵本らしい。堯の娘:娥皇と女英。賢い女編」
3    列女伝2┃(漢)劉向┃中島みどり訳注┃平凡社┃東洋文庫┃2001,-16「劉向の創作が中心。詩経説話。封建倫理による女性の理想像、非人道的で怖い。主に春秋時代の女性に仮託されたもの」
3    列女伝3┃(漢)劉向┃中島みどり訳注┃平凡社┃東洋文庫┃2001,-16「趙飛燕姉妹への風刺。意志ある女性像。狂夫:夫への表現、狂童:恋人へ表現、夏の桀王の奢侈は成帝王皇后一族への風刺、虹は好色淫乱のシンボル、女誡つき、曲従、顔回は改める」
     ⇒ 中島みどり(なかじま・みどり)1939〜2001。中国文学。   ?? これが中国人だ!:日本人が勘違いしている「中国人の思想」┃佐久協┃祥伝社新書┃2008「中国は誕生以来領土分割を認める意識なし・諸子百家の統一思想 ⇒中国の大きさが変遷しているのだが?、韓非子は作家第一号、遵法意識が低いのは法家思想のため ⇒関係なし・法家思想の国が一番遵法意識が高かった、コネ政治の人治主義は春秋戦国時代より中国人のDNAに組み込まれている ⇒中国の政治体制に組み込まれているというべき、武帝の諡から推察される暴君 ⇒武帝は別に暴君の意味ではない、南京虐殺数は中国の誇張表現 ⇒ちゃんと調べた方がよろしい、漢代の太学に入れるのは士大夫階級だけ ⇒嘘・貧困層の人も多数いた、中国では曹操が大人気で日本では劉備が人気 ⇒逆だろ、楊貴妃の纏足は20cmの足 ⇒その時代に纏足はない、明軍の略奪も秀吉軍とかわらない、社会主義:各人が能力に応じて働き労働に応じて分配する、共産主義:各人が能力に応じて働き必要に応じて分配する、共産党員は国家の法に従う義務はなく量刑が異なり告訴も免れる、反日デモを煽った中国政府 ⇒疑問・わざわざ煽る必要がない、共産党以外の政党・中国民主同盟・中国国民党革命委員会」
     ⇒ 佐久協(さく・やすし)1944〜。高校教師、中国文学、国文学。  
3  ?? ■諸葛孔明と卑弥呼┃田中重弘┃光風社出版┃1989「  ▽なんか変。蜀の生産力はそんなに低いか?」
     ⇒ 田中重弘(たなか・しげひろ)1938〜。ヨーロッパ関連の翻訳、著述業。     諸葛孔明の兵法┃高畠穣┃知的生きかた文庫┃1990┃1987「将苑=心書の解説など」
     ⇒ 高畠穣(たかばたけ・じょう)1926〜。中国文学、古代の思想。  
2ゑ   中国史の横にされた美女たち┃日高正巳┃自由国民社┃1970「則天武后、文姜、始皇帝の母、趙姉妹、煬帝、呂太后、武帝、楊貴妃。借腹」
     ⇒ 日高正巳(ひだか・まさみ)1913〜。中国文献翻訳。     五代群雄伝┃松村暎┃中央公論社┃1972「一応、小説らしい。正史を訳して並べたもの」
2◯  ■中国列女伝┃村松暎┃中公新書┃1968「  ▽女性は大変、でも怖さも」
     ⇒ 村松暎(むらまつ・えい)1923〜。中国文学、近世の白話小説。     戦国策┃近藤光男┃講談社学術文庫┃2005┃1987「486章から100章を選択、燭:薪を束ねた松明から油灯に・蘭香を入れて膏を煉る・高価、范雎の遠交近攻、韓の特産:谿子の弩・少府で作る時力や距黍の弩・名剣・棠谿・墨陽・合膊・ケ師・宛馮・竜淵・大阿、将軍という職業は戦国時代に誕生した、白起は料敵合變,出奇無窮の知将、書籍の校訂:竹簡に書いて削って修正・あとで白絹に浄書する・一部の書物ごと目次を定め叙録を巻頭に書いて天子に奏上する」
     ⇒ 近藤光男(こんどう・みつお)1921〜。中国文学。  
2    人物中国志5美姫と妖婦┃村山孚┃徳間文庫┃1985
     ⇒ 村山孚(むらやま・まこと)1920〜。記者、出版社役員、中国研究、経営評論、ジャーナリスト。 
2▽   追跡・則天武后┃今泉恂之介┃新潮選書┃1997「武后の真容像、嫁は家族からも氏で呼ばれる、李承乾の部下は辮髪、武后の農書兆人本業記、農民暴動なし、協議離婚の認可653、養蚕奨励、61歳で性に目覚める、日本は武后、女性のスタイルの多様化、鳥が浮き上がる飛白文字p209」
     ⇒ 今泉恂之介(いまいずみ・じゅんのすけ)1937〜。新聞記者、論説委員。 
3#   楊貴妃:大唐帝国の栄華と暗転┃村山吉廣┃中公新書┃1997「歴史、長恨歌、伝説、絵、後の文学」
     ⇒ 村山吉廣(むらやま・よしひろ)1929〜。中国古典学。 
3◯   妓女と中国文人┃斉藤茂┃東方書店┃2000「斉の遊郭=女閭、道観や街道筋の祠に娼妓、唐代では仙、阮籍の詠懐詩、唐では食事の後に酒、午後に宴を始め日暮れにお開き、夜宴は贅沢、酒は酌んで勧める、蔵鈎:誰が持っているか当てる、射覆:中身を当て、玉燭論語酒籌、古代の説話:説書、白居易は妓女のアイドル   斉の遊郭=女閭、道観や街道筋の祠に娼妓、唐代では仙、阮籍の詠懐詩、唐では食事の後に酒、午後に宴を始め日暮れにお開き、夜宴は贅沢、酒は酌んでから勧める、   蔵鈎:二組に分かれ小さな輪を誰が持っているか当てる、いくつか当てる   射覆:盆をふせて中身を当てる   玉燭論語酒籌   与朋自遠方来不亦楽乎 上客五分   乗肥馬衣軽裘 衣服鮮好処十分   択其善者而従之 大器四十分   死生有命富貴在天 自飲十分   刑罰不中則民無所措手足 [角光]録事五分   己所不欲勿施人 放   古代の説話:説書   白居易は妓女のアイドル  」
     ⇒ 斉藤茂(さいとう・しげる)1950〜。中国文学。 
4◯   中国文学概論┃塩谷温┃講談社学術文庫┃1919┃1983
     ⇒ 塩谷温(しおのや・おん:号・節山)1878〜1962。中国文学者、元曲の研究。 
2◯   はじめてみようよ中国語┃竹内誠┃丸善ライブラリー┃2002「値切る言葉:最低多少銭?、等でなく什麼的、"く・き・に・つ・ふ"になる漢字音は入声」
     ⇒ 竹内誠(たけうち・まこと)1956〜。中国近世白話文学。 
3▽   中国歴史小説研究┃小松謙┃汲古書院┃2001「宋代は雕版印刷の黄金時代、先行する全相平話、三国志平話の冒頭・紫微星の生まれ変わり劉秀が二十八宿の生まれ変わり二十八将を殺した恨みに報いるため転生、厳光の遺跡が河南に、劉秀を生い立ちを語る漢小王、劉秀が王莽の軍に追われて逃亡する伝説が河南一帯に、三鴉路:劉秀をカラスが導いた場所、南頓で王莽に追われたという伝説、劉家太子伝、二十八宿帰天、劉秀伝説は竹取物語と同じ貴種流離譚、江陽県で劉秀の子が殺される・水経注巻33、水神としての劉秀、隋朝十八条好漢・第一の李元覇、竇建徳の娘・竇線娘・花木蘭の妹花又蘭、単雄信は通・王伯当は勇、隋唐もの歴史小説の山西系と山東系の対立・東京夢華録にも単雄信の槊を地面に突き立てる、単雄信の死に様の二系統 ⇒これは既に新旧の唐書に記載されているけども、歴史叙述の小説と英雄個人を語るものの二種」
     ⇒ 小松謙(こまつ・けん)1959〜。中国文学。     中国説話文学とその背景┃志村五郎┃ちくま学芸文庫┃2006「太平広記や夷堅志より、妙齢の女子が超自然的武術を心得るという考え、太平広記の豪侠の少なからぬ女侠、唐の馬・70万頭・玄宗開元13年43万頭、馮道は容貌が形神庸陋、房玄齢の激しい妻・嫉妬して生きる」
     ⇒ 志村五郎(しむら・ごろう)1930〜。数学者。     封神演義の世界:中国の戦う神々┃二階堂善弘┃大修館書店┃1998「神より仙人が偉い、神々の由来、春秋以前は女性の名前は姓があと、作者は誰か?、劉章は神、干将・莫邪・呉鉤」
     ⇒ 二階堂善弘(にかいどう・よしひろ)東洋哲学、中国語コンピュータ処理。 
2☆   〈鬼子〉たちの肖像:中国人が描いた日本人┃武田雅哉┃中公新書┃2005「中国人による日本人の描きっぷり、点石斎画報より、古代の物知りである張華・何でも知っている人の代名詞、"わが高麗を擾乱した" ⇒高麗は中国領という認識なわけだ、黄飛鴻は劉永福について台湾に渡り台湾民主国の黒旗軍に武術指導、洋鬼子の足には関節がない」
2☆   新千年図像晩会┃武田雅哉┃作品社┃2001「辞書の人、毛沢東語録、まるまる赤ちゃん」
2☆ゑ  清朝絵師呉友如の事件帖┃武田雅哉┃作品社┃1998「セチェモ(三脚猫)の語る清末事件簿。海鰌、蒙汗薬=しびれ薬」
3☆   星への筏:黄河幻視行┃武田雅哉┃角川春樹事務所┃1997「黄河源流を探る旅。青と黄に変化する黄河、アムネ・マチンの高さ、星宿海、仏典四十二章経、星宿川、阿Qは阿鬼」
3☆  ■桃源郷の機械学┃武田雅哉┃作品社┃1995「シュールで妖しい中国幻想世界」
     ⇒ 武田雅哉(たけだ・まさや)1958〜。中国文学。近代の中国文学。     龍あらわる:中華怪有篇┃西村康彦┃文芸春秋┃1997「伝奇小説を紹介する随筆」
4◯   天怪地奇の中国┃西村康彦┃新潮社┃1994
     ⇒ 西村康彦(にしむら・やすひこ)1940〜。作家、中国美術史家。     宦官物語:男を失った男たち┃寺尾善男┃河出書房新社┃1989「宦官の由来、悪行、生活、列伝」
     ⇒ 寺尾善男(てらお・よしお)1923〜87。文筆業、翻訳、中国語。 
3◯〆  中国の花物語┃飯倉照平┃集英社新書┃2002「花芸安達流機関誌‘花ばさみ’の連載より。季節と花とまつわる民話など」
     ⇒ 飯倉照平(いいくら・しょうへい)1934〜。中国文学、中国の民話、南方熊楠。 
3◯   日本漢語と中国:漢字文化圏の近代化┃鈴木修次┃中公新書┃1981「権利:もとは権力と利益、義務は完全日本製、科学:福沢諭吉の一科一学、truthの訳語としての真理が科学に絶対性を与えた、命題・演繹・帰納は西周が決めた、天演・物競・淘汰・天択」
     ⇒ 鈴木修次(すずき・しゅうじ)1923〜。漢文学。 
1◯   中国大帝伝┃立間祥介┃学研M文庫┃2001┃1994「始皇帝が成りたがった真人」
     ⇒ 立間祥介(たつま・しょうすけ)1928〜。中国文学。     中国薬草ものがたり┃繆文渭,編┃石川鶴矢子┃東方書店┃1992「薬の民話集、三不留:話をしない・ご馳走しない・泊めない」
     ⇒ 繆文渭(ミャオ・ウェンウェイ)1917〜。民間文学。  

●● 中国語:文法 ●●     漢文の読み方:原典読解の基礎┃宮本徹、松江崇┃放送大学教育振興会┃放送大学教材┃2019「1740105(8/10,8/10,8/10)  ▽解説の後に例文がくるが、最初に例文を挙げて解説する方が読みやすくわかりやすい。例を挙げずに説明がきても理解できない  西田龍雄:商は非シナ・チベット系、周はシナ・チベット系  書き言葉と話し言葉の中間、口頭言語≒儀式などで歌われる言葉  純粋な表意文字はアラビア数字くらい  河野六郎:漢字は表語文字  中国語の音節構造:IMVE/T、Inital, Medial, Vowel, Ending, Tone  p18 繁簡の違い  ▽繁体字と簡体字の違いのことか?  上古音:『詩経』の時代の音韻体系。広くは先秦〜漢魏時期  主述構造と動目構造  主述構造の主語:施事主語、受事主語、存在主語、主題主語  主述構造の述語:動詞、形容詞、名詞、主述  ▽分類して羅列してるだけ?  元の動詞性の強い前置詞、後置語順のときは動詞として訓読する:以  所:動詞句の前に置き名詞性に変更、主に動詞の対象である目的語の意味にする  者:動詞句の後ろに置き名詞性に変更、主に動詞の対象である主語の意味にする:目的語の場合も:提示  接続詞:而、以、則  カールグレン Bernhard Karlgren。中国語古代音、先秦人称代名詞の格屈折説:吾、我、爾、汝  疑問代詞:何/奚、誰/孰、焉、安  姓:永久不変、女性名にみつく  氏:排行、始祖の字、地名、官職名から  戦国以降に姓と氏は混同される  四維:礼儀廉恥  解音:漢文直訳のベトナム語  文選読み:音読した後に重ねて訓読する  後藤点の訓読法  目次  漢文とは何か  漢字と漢字音  漢文の構造とその成分  機能語の体系と用法(一)―前置詞・構造助詞・文末助詞  機能語の体系と用法(二)―接続詞・助動詞・人称代詞  機能語の体系と用法(三)―指示代詞・疑問代詞・副詞  活用・構文・重要表現―品詞の活用・複合的構造・特殊語順・受動表現・数量表現  思想書講読(一)墨子の言語論理学  思想書講読(二)荘子の斉物論と郭象の注  文学書講読(一)  文学書講読(二)  歴史書講読(一)  歴史書講読(二)  漢文の座標」
     ⇒ 松江崇(まつえ・たかし)1971〜。古代中国語。     中国語U('18)北島「銭阿姨」他┃宮本徹┃放送大学教育振興会┃放送大学教材┃2018「1356968,1460021(20/20,19/20,19/20)   ▽問題は本文からのみ出ている  たった一つしかない椅子を勧める  把我?到唯一的椅子上  カーテンをぱっとめくる  一掀??  気持ちを落ち着かせることができる  ?得住气  臨時量詞:一麻袋煤、一卓子菜、一地水  半年ごとに中国に帰る。毎半年回一次中国  自分の責任を他人に押しつけてはいけない。  ni別把自己的責任往別人身上推。  第1単元 林海音“冬陽・童年・駱駝隊”  第2単元 “相声・打電話”  第3単元 北島“銭阿姨”」
4#   中国語T('18)張蕾的留学生活┃宮本徹┃放送大学教育振興会┃放送大学教材┃2018「▽レベル高い。とても初心者向けではない  ▽宮本先生の中国語が濁音回避にこだわり過ぎて気持ち悪い。?をパ、感をカンで読んでる。ネイティブの音と全然違うのは普通の耳があればわかる。打はダア、着もジャになってるのに  声調の1234:55,35,211/2114,51  ▽思ったより2声の起点が高く、3声の起点が低い  軽声の高さの違い:55-2,25-3,211-4,51-1  yu:舌はiで円唇  p33 無気音はあくまでも清音である  ▽事実ではない。清濁の区別がないだけである。無気音の3声、2声、軽声などは濁音化することが多い。特に北方人に顕著  形容詞は対比の意味がないときは程度副詞が必要  ?都参加?些活??  あなたは(全部でどの行事とどの行事)どんな行事に参加するのですか?  数字の2は千の桁から?で読む  yan はィエン  主母音の優先順位:a>o,e>i,u,yu  2元:???  "的"構文:双方が認識している実現した動作行為、動作に焦点を当てて叙述  我平?不大??。  私は普段あまり車を運転しない。  ??道?用?不大容易。  この2問の応用問題はそれほど簡単ではない。  晴空塔スカイツリー  ?:毎正字に使う  2時:?点  收了?一百??,找?十??。  100元いただきましたので、10元をおつりとしてお返しします。  ?个孩子要一个人去那??的地方。  この子は一人であんな遠くに行こうとしている。  ?士??着火堆睡着了。  戦士たちはたき火を囲んで眠りについた。  我那?正在做?,没能接??。  あのときはちょうど食事を作っているところで、電話に出ることができませんでした。  他字写得很工整。  彼の書いた字はとても整っている。  京?我就看?一次。  京劇を私は一度しか見たことがありません。  ?所学校的?模小,一个班就有十个学生。  この学校は規模が小さく、1クラスに10人しか生徒がいない。  漢字の三要素:形、義、音  三声:最後が上がるのは抑えた音が自然に戻るもの  三声変調:3声が3つ続くと223になる  主意:話し言葉では20声調に  4択25問,20問  1460013(25/25,24/25,25/25,19/20,20/20)」
     ⇒ 宮本徹(みやもと・とおる)1970〜。中国語学。 
3◎◯  つながる中国語文法┃林松涛┃ディスカヴァー・トゥエンティワン┃2011「副詞のhen很を使うと比較の意味がない ?很漂亮。 ?漂亮。 使わないと比較のニュアンスがある 象鼻子很長(象は鼻が長い) 英語の補語は主語目的語を補足するが中国語では動詞を補足する 把構文は特定された名詞に使う 受け身はあまり使わない・被害を被ったときのみ 会は脳のはたらきと関係する・できるかできないかのニ択・程度があると能 他很会吃。彼はグルメだ。 他很能吃。彼は大食いだ。 要には予定のニュアンスがある 在はある時点で何をしているか 着は動作の持続に重点 ×他買一台電脳了。◯他買了一台電脳。◯他買電脳了。◯他買了五台電脳了。 数量詞の前に了が必要 動作動詞の決意の了 動詞の虚詞化 時間回数補語の位置:動詞目的語のサンドイッチか動詞反復 我比他大三歳。私は彼より三歳年上だ。 是〜的は名詞文と異なる・時刻場所手段主体など動詞の前に置く部分の強調に使う nizenmelaide? どうやって来たの? nizenmelaile? なんで来たの? 是は文型により意味が異なる 存現文は不特定の自然現象・出現・存在・消失を表す ニ声+ニ声や四声+四声では連続して上がり/下がり続ける」
     ⇒ 林松涛(りん・しょうとう)19〜。中国語講師、哲学。 
3★◎  中国語のエッセンス┃遠藤光暁┃白帝社┃2006「フランスやロシアの中国語研究に詳しい。了に重要な動作動詞とそれ以外の述語の区別、100-300hアマチュアレベル 700-800hセミプロレベル 1000時間以上がプロレベル、以其人之道,还治其人之身。、やられたらやりかえせ。、uはウより奥よりのこもった音色、-nは鼻音が短く切れる・子音の部分のみ鼻音、-ngは鼻音が長く続く・母音から鼻音化、-inはiとnの間にかすかにエが入ることも、-ingはiとngに間にウが入る、2声、3声、軽声は濁音になる、duiの母音はwei、diuの母音はyou、dunの母音はwen、dongの母音はweng、bo,po,mo,foの母音はwo、主語には既知のもの・目的語には未知のもの、存現文では自動詞か他動詞+着、-着は進行形というより状態の持続、受身には被害のニュアンスを帯びる、意群重音/呼気段落アクセント/breath group stress、我给他叫中文。私は彼に代わって中国語を教える・三価動詞と给の場合、動作主として人間/動物の意味特徴を持つ名詞句のみを取る動詞の前が人間/動物でなければ意味上の受け身文/主題文となる、俞士汶・现代汉语语法信息词典详解、二価動詞+着で一価動詞、二価動詞+給で三価動詞、我明天在一家设备舒适的电影院和新来的同学一起看一部最近受欢迎的电影。、私は明日ここちよい造りの映画館で新しく来たクラスメートと一緒に最近最もはやっている映画を見ます。、-着は進行というより静止画のように描く、今天会下雨的。今日は雨が降るはずだ。、ドクラノーフ・動作動詞と非動作動詞の区別・非動作動詞は心理動詞・状態動詞・助動詞・属性動詞、了は動作動詞と状態述語で異なる、你在干什么?の答えになるものが動作動詞、動作動詞・目的語が単独なら了は文末・数量詞で修飾されていれば動詞末、目的語にかかる修飾語が数量詞以外なら文末でも動詞末でも可、動作動詞を不で否定・可能補語・様態補語にすると状態述語相当に・文末の了は変化を表す、動作動詞に才や刚があれば了を付けない、了の相対的過去。他来了,我们再开始吧。北京語はストレスアクセント・1フレーズに一つ強く・他は弱化してさらりと、北京語はストレスアクセント・1フレーズに一つ強く・他は弱化してさらりと」
     ⇒ 遠藤光暁(えんどう・みつあき)。中国語。 
3★#  日本人の中国語:誤用例54例┃来思平+相原茂┃喜多山幸子,編訳┃東方書店┃1993「動詞の後ろの了は動作状態の実現、文末の了は状況変化や新たな事態の発生を話者が認める語気、中国人にとって鶏は鳥の仲間ではない、修飾語順序:限定性定語+数量フレーズ+描写性定語、名詞述語文:人の原籍・数量表現を含むもの・主語の特徴・属性・状況描写、限定性定語+被修飾語+コンマで描写性の語、就:すんなりすぐに、才:ぎくしゃくやっと、二重目的語動詞:告訴・教・給は介詞は使えない・問は向が使える・送は向と給が使える、フレーズを目的語とする決定・拒絶・看見・同意には了がつかない、連動文では後ろの動詞に了をつける、◯会説◯会写×会听×会看、経常的行為動作には過や了はつかない、方式を表す着、都・一起・很があれば反復疑問文を避ける、手渡し・与え・交付には給、動作の向かう方向対象には向、二重目的語動詞:給・借・還・送・告訴・教・問・探・叫、从の後ろは場所時間か方位詞、往〜に方向補語は使わない、来去のときは動作発生順を無視できる、形容詞述語文で很がないと比較対照の意味、動量補語:一般事物の前・人称代名詞の後・借用量詞は後・人名地名人の呼称のときは前後とも可、目的語が用言の場合に主動詞に了がつかない、連動文では目的語を後ろに置くことができない、要求は二重目的語の兼語文にする、希望は主述フレーズか動詞フレーズしか目的語にとらない、祝はの目的語は主述フレーズ・名詞は不可、是〜的は動詞フレーズか主述フレーズのみ、从来没想到とは言えない、時量補語は動詞の後ろ、使の使役は結果としてある状態を生じさせる・感動・佩服・為難に続く、方位詞が不要:固有名詞・地名・国名、方位詞が必要:場所性が弱い一般名詞・単音節の名詞・〜子の名詞、方位詞はあってもなくてもよい:その他の場所を示す言葉・学校・宿舎、集合名詞:詞彙・一套家具・一批物質、動量詞の否定文:一次家也沒回・一次国也不曾出国」
     ⇒ 来思平(lai Siping)1941〜。中国語教育。 
1☆   新感覚!イメージでスッキリわかる中国語文法┃古川裕┃アルク┃2009「▽多品詞語をまとめて理解する本 副詞用法の是、確かに……だ、間違いなく……だ 62 彼は頭に大きなコブができてしまった。 62 北京の様子には大きな変化が起きた。 住の固定不動のイメージは主が作りになっている漢字にも共通 以〜為〜。〜をもって〜となす 113 みんなそのニュースを喜んだ。 113 僕は君のことを本当に誇りに思う。 三声の倒は90度、四声の倒は180度 p131の図 客観⇒指示語、量詞、名詞。動詞、方向補語、来去⇒主観 141 好きなフルーツは何ですか? 147 君のケータイ、番号は何番? 几:コア・イメージはリミットが見える小さい数とその順番を問うこと」
3◯   中国語の文法スーパーマニュアル:中国語の奥底を流れる超重要ルールがわかる┃古川裕┃アルク┃2008「中国語では単語⇒フレーズ⇒文の構成原理が共通 象は鼻が長い 大象鼻子chang2 主述構造・動目構造・動補構造・連述構造・修飾構造・並列構造 很は強く言うときだけ"とても"の意味 話し手がコントロールできない事態を描くとき動作主目的語:下雨など SVOO構文は与えるだけでなく奪うにも使える あなたの血液型は何? ni是shenme血型? 三音節の語は真ん中が軽声化 椅子が把で数えるのは背もたれを持つから 指示詞のあとは量詞がくる 目的:wei了 原因:因wei 孫悟空は彼女の手のひらにジャンプした 孫悟空跳在ta的手上 中国語では原則的に文頭に来る主語名詞は特定のモノであり動詞の後ろで目的語となる名詞は不特定のモノ 春風吹来了一只燕子 春風が吹いてツバメがやって来た ギョーザ6両吃不了 たった5分じゃ吃不完 冬にスイカは吃不到 フカひれ姿煮吃不起 羊肉料理は吃不慣 お昼ご飯2時に行ったら吃不上 お腹が痛くて吃不下 とうととうお腹はぺこぺこでいくら食べても吃不飽 奇々怪々と平々凡々 オランウータン、さっさと起きて、星をみなさい 猩猩,快醒醒,看星星! 名詞重ね型:どのモノも例外なく 動詞重ね型:ちょっとしてみる 形容詞重ね型:状態形容詞 voiceとは誰の声を使ってその文を述べるか 把⇔被 在⇔有 呼/譲⇔為 何かと比べていることがわかっていれば很はいらない」
     ⇒ 古川裕(ふるかわ・ゆたか)中国語学、認知言語学による現代中国語文法の研究と中国語教育への応用。 
3▽   文法のはなし:朱徳熙教授の文法問答┃朱徳熙┃中川正之・木村英樹,編訳┃光生館┃1986┃1983「中国語:文法成文と品詞が一対一対応しない・文と句の構造原理が一致している、英語では句の動詞は不定詞か分詞、臨時的偶有的な関係では的が必要:中国記者と中国的記者、状態形容詞と性質形容詞:単音節形容詞と事物属性の2音節形容詞は性質形容詞・それ以外は状態形容詞、基本文型はSVOとSSV、分詞や不定詞の形がないことが一品詞多機能と句と文の構造原理の一致に、文法機能とは語と語の結合能力、有がつくかで名形詞や名動詞を判定、a買票b住人c票買了d人走了:中国人はabとcdを同じ構造と感じる、六大成分:主語・述語・目的語・連体修飾語・連用修飾語・補語、印欧語では単語・句・節・文は組み立て関係、中国語は単語から句・句から文は実現関係・部分と全体ではない、句の成分であり文の成分はない、文にならない句:吃了飯・打了電話・吃完飯」    文法講義:朱徳熙教授の中国語文法要説┃朱徳熙┃杉村博文・木村英樹┃白帝社┃1995┃1962「形式による品詞分類と解説」
     ⇒ 朱徳熙(Zhe Dexi)1920〜92。古文字研究、言語学、中国語文法。 
3#★  中級中国語:読みとく文法┃三宅登之┃白水社┃2012「品詞は語の分類、文成分は文の中の位置 ▽例外が多すぎて文法より語彙で学ぶべきものが多い ▽品詞は文での役割と理解すべき、中国語や英語には語の種としての品詞はない 場所や時間を表す名詞は副詞として使える、前置詞や動詞が不要、是を使った文は名詞述語文ではない、口語で常用されるが書面語では使わない 名詞の一種の方位詞、上、下、前、後など 場所名詞、物と場所になる名詞、物名詞 二重目的語構文では、二つ目の目的語に数量詞が必要 36 川に石を投げる。 36 学校に油絵を送る。 36 ハエが1匹入ってきた。 動詞補語フレーズの目的語に数量詞 動詞+了+目的語、数量詞が必要 37 桃を一つ食べた。 37 熱々に入れたミルクを一杯飲んだ。 動詞の重ね型の目的語には数量詞がつかない 不の否定文の目的語には数量詞がつかない 量詞:架は三脚に設置された感じ、台は大型の機械 一条狗:大型犬 一只狗:小型犬 一副手套、双も使えるが正式ではない 自動詞の主語が後置されることもある 53 ベッドに子供が一人横になっている。 53 前から人が一人来た。 53 私は七歳のときに父が亡くなった。 53 彼は梨を一かご腐らせてしまった。 53 彼は鳩を一羽放った。 53 彼の鳩が一羽飛んで逃げた。 中国語はウナギ文が作れる 61 庶民の生活レベルは大きく向上した。 形容詞の2分類、性質形容詞と状態形容詞 性質形容詞は分類する、状態形容詞は描写する ▽この本の品詞分類は例外が多すぎて有効ではない。品詞とは用法であると規定すべき 感謝は言葉や行動で感謝を表すという動詞。思うだけではだめ 主語と目的語は同レベルに並んでいない。主語と動目フレーズがペア 82 李先生は去年、漢方生薬で一人の患者さんのために関節炎を治してあげた。 82 この患者さんの関節炎は、李先生が去年漢方生薬で治してあげた。 83 この患者さんは、李先生が去年、漢方生薬で関節炎を治してあげた。 83 この種の漢方生薬は、李先生がそれで去年一人の患者さんのために関節炎を治してあげた。 83 去年、李先生が漢方生薬で一人の患者さんのために関節炎を治してあげた。 ▽p98の説明は支離滅裂。副詞は動目の全体を修飾するだけ。 何かの動作が「丸い」というの意味をなさず、 ▽動作が丸いのは全く問題がない 104 女の子は泣いて目を赤くした。 108 医師たちは必死で治療にあたっており、彼らはきっと彼の命を救うだろう。 中国語の動詞は結果段階まで含意しないことが多い 112 壁にあの絵を掛けるとみっともないから、取り外してください。 ▽すでに掛けてある絵?説明も疑問 119 黒板の字は筆圧が強く書きすぎているので、消せない。 119 黒板の字はまだ写し終わってない人がいるので、消せない。 119 彼は運転できるが、今日は運転できない。 ▽p120 shouhanyuは2語だがhubingは一語として認識されるため 126 張さんは王さんを二度殺そうとしたが、王さんはいずれも死ななかった。 127 彼は三日間瀕死の状態だったが息を吹き返した。 127 彼は自分も一度死にそうになったことがあると言っていた。 構造からの文の分類は句型、機能からの文の分類は句類、構造の特徴からの文の分類は句式 句型:名詞述語文、形容詞述語文、動詞述語文、手述述語文 句類:平叙文、疑問文、命令文、感嘆文、呼びかけ文 句式:連動文、兼語文、存現文、把構文、被構文、是的構文 145 彼女の言うことは何でも信じるのか。 145 彼女が行くところはどこでも笑い声が起きる。 145 やりたいようにやりなさい。 145 誰か私を手伝ってくれればいいんだけど。 145 私はどうもどこかで彼女に一度会ったことがあるようだ。 145 絵を描いたりとかも、歌を歌ったりとかも、彼はどちらも大好きだ。 146 あなたはあそこに行ったことがあるじゃないの。では私たちを道案内してくださいよ。 146 まさか彼女は忘れたんじゃないでしょうね。なんで9時になってもまだ来ないんだろう。 会と能の違い。 会:目に見える能力、外に形に現れるもの ▽体の中から外に出すアフォーダンスがある? 160 斧がよく切れるようになった。 語気助詞の了、目的語が量詞をとると使えない ▽文全体、場面全体の変化を表すため 171 駅を乗り過ごした。 171 時間を寝過ごした。 171 食事をすませた。 171 マンゴーを食べたことがある。 181 私たちは同志を組織して北載河で静養させる。 183 体に涼しい風があたり、とても心地よい。 183 彼の手紙を受け取って安心した。 183 この映画を見て幼年時代の生活を思い出した。 183 彼に失望した。 184 インク瓶が弟にひっくり返された。 184 お椀が彼に割られた。 184 物がすべて雨に濡れてしまった。 184 さっき彼はまた支配人に叱られた。 把構文は処置文、偶然のことには使えない 是〜的構文は取り立て構文、話し手の主観的判断見解評価も 194 私は外語学院で学んだのです。 195 現実生活においては、このような現象は確かに存在するのである。 195 この問題は、我々も注意を払っているのである。 少年:10-15,6歳 青年:15,6-30歳 中年:4,50歳 老年:6,70歳以上」
     ⇒ 三宅登之(みやけ・たかゆき)1965〜。現代中国語文法。 
3#   中国語 わかる文法┃輿水優、島田亜実┃大修館書店┃2009「▽ひたすら分類する本 複合語は6種:主述型、修飾型、補足型/動補型、動賓型、並列型、連動型 並列型複合語はその80%が声調順に並んでいる 連動型:借用 単語は分割できない、連語は分割できる 23 くわしい調査/詳しく調査することは重要だ。 補足連語は補語を訳して動詞を略す方が自然 動作主以外の話題として提示されたものも中国語文法では 主語とする ▽全く同じ文章を何度も反復しているのが不気味 把構文:動詞+在/到/給+到達点、〜成、〜為、〜做、…… 受け身の被は書き言葉で、話し言葉は叫,譲 103 私は姉さんほど踊りが好きでない。 109 xiehao,shuocuo,zhaodao,chiwan,jizhu,tingjian,tingdong 114 みんなご飯を食べ始めた。 115 私たちは山をかけ下りた。 116 君はよい方法を思いつきましたか。 117 宿題が多すぎて、まだし終えることができない。 118 車にこれらの品を積めない。 118 私は君の声が聞き分けられない。 118 この課は、私は暗記できない。 119 この種の植物は有毒だから、食べることはできない。 119 あそこは行ってはならない。危ないから。 120 今日は暑くてかなわない。 128 今日、彼は一日働いた。 修飾語の順序:所有所属⇒指示数量⇒描写⇒限定 138 彼のあの新しい文法書 138 私たちの学校の一棟の新しい学生寮 科学は形容詞にも 164 彼らの家で猫が一匹逃げた。 179 あれこれ、いろいろな欠点がある。 193 このことは誰かが私に話したことかあるような気がする。 195 君は何でも好きな物を食べなさい。 195 何でも安い物を買う。 195 誰でも行きたい人が行く。 195 どこでも景色のよいところに行く。 195 いくらでも君がほしいだけ君にあげます。 195 彼ら二人はたがいに譲ろうとしない。 196 誰でも壊した人は、その人に弁償させる。 198 102,120,1002,1020,1200, 202 一等車、4か5/12 208 彼はドアを二回ノックした。 助動詞と動詞の違い。助動詞は重ね型がなく了着過がつかない 263 あの学生は進んで勉強する。 中国の英語テキストは前置詞を介詞と呼ぶ 就:前に十分条件 才:前に必要条件 294 君が彼を招きさえすれば、彼はすぐ来る。 294 君が彼を招いてこそ、彼はようやく来る。 304 この子はいつも泣いてばかりいる。 313 もう一つ上のサイズのを出してください。 326 彼が話すほど私はわからなくなる。 332 彼はすでにここで中国語を学ぶことにした。一つには彼はここの気候が好きだから、二つには方言も学びたいから。 353 見てうっとりしてしまった。 366 aは前の音でya,wa,na,laに変化 367 中国語を例に取ると、四声が学び難い。 367 食べないとお腹が空くし、食べると口に合わない。 367 彼が来ないなら来ないでかまわない、彼一人欠けて何が心配なのだ。 371 行くものですか。 371 彼女はまだとても小さいですよ。」
     ⇒ 輿水優(こしみず・まさる)1935〜。。 
3★   中国語における「空間動詞」の文法化研究:日本語と英語との関連で┃盧濤┃白帝社┃2000「出現文法emergent grammer/Hopper、文法研究とは文法化研究、フンボルトの文法化四段階:discourse>syntax>morphology>morphophonemics>zero、Hpperの5つの原則:Layering重層>Divergence分岐>Specialization特殊化>Persistence持続>Decategorialization範疇分化、中国語:音韻論/声調言語・形態論/孤立言語・統語論/VOとOVの混在型言語・語用論/主題卓越言語・認知文法/類像性の強い言語、中国語では時間の流れのとおりに表現される、他三点睡覚/他睡了三个小時、他在zhuo子上跳(彼は机の上で跳ねる)他跳在zhuo1子上(彼は机の上に飛び上がった)、他給李四送一本書(彼は李四に本を一冊やる)他送給李四一本書(彼は李四に本を一冊やった)、助動詞は動詞の一類、Heineの文法化:person>object>activity>space>time>quality」
     ⇒ 盧濤(Lu Tao)1960〜。中日言語比較論。 
2★◯# この中国語はなぜ誤りか┃岡部謙治,編著┃光生館┃1990「虚詞の類語比較辞典としても使える良書。二と両、度量衡/どちらも可・ただし米と公〜は両・、一般量詞/両のみ、位数詞/十と百は二・千万億は両・2桁目からは二、整数分数小数序数/二、倍/どちらも可、多は〜あまり・来は〜くらい、這麼那麼+量詞(个)+名詞、這樣+的+名詞、這樣は形容詞性の代詞・名詞機能なし、過去の疑問文が述語/客語/主語/定語/補語は了を使う、ただし状語が疑問になっている場合は了でなく的・使うと反語に、述語が動詞+客語の場合・動詞+客語+的・動詞+的+客語・の2種可、能願動詞は重ねられない、很会・会は程度があるが能はない、要の否定は不想、得の否定は不用、可以の否定は不成と不行、動詞の重ね型は瞬間の動作行為を意味する、中国語の動詞は一般に一つの客語しかとれない、離合動詞は介詞が必要、語気助詞のne・進行の意味がある、是〜的は既成のことを不動のものとして断定的説明・過去でも変化を示す了と併用できない、恒常的行為は過去でもテンスもアスペクトも不要、能願動詞と了は併用できない、有+名詞+動詞の動詞には了がつかない、文末の了・客語に修飾語がないこと、文頭の場所では在は省略、過は過去が現在には残っていない状態・不確定な時間にはつかない・有一天など、過去でも経常的習慣的なら否定は不、非動作性の動詞は不で否定、完了の否定は没、不と過は同時に使用しない、瞬間動詞に剛がつくと了はつかない、又は已然・再は未然・可能性意志願望はhai2、仮定や命令では再、又の主語は一つ、快〜了や要〜了、从の次は場所と時間、二重目的語動詞:告訴・教・問・謝謝・感謝、対于は動作動詞に・関于は非動作も可、見面などは跟を使う、照顧や関心は対、名詞に方位詞をつけて場所化した場合は在が必要、抽象的な名詞に方位詞をつけている場合も在が必要、否定詞・能願動詞は介詞の前に、把構文の動詞は動作動詞、副詞や不は把の前に、被・叫・譲の動詞は単音節動詞だけでは不可、被と把が出ると被が先に、副詞は主語の後ろ、行為の時間範囲は述語の前に・経過や反復は後ろ、動詞+回数+客語・動詞+人称代詞+回数、人・機関・国家は動詞の直後で頻度期間はその後ろ・動詞+客語+時間」
     ⇒ 岡部謙治(おかべ・けんじ) 
3★   日本語から考える!中国語の表現┃永倉百合子・山田敏弘┃白水社┃2011「p154、小包が届いている。うちのだんな、また本を買ったんだ。、来了一个?包。我老公好像又??了。、"んだ"は感嘆であって推測ではないので"好像"は間違いである。、p80に誤植あり、我一米也不能游。は言うまでもなく、他一米也不能游。の誤植だろう。」
     ⇒ 永倉百合子(ながくら・ゆりこ)1952〜。中国語、日本語。 
4#   中国語表現300例:日本人の発想・中国人の発想┃中山時子・佐藤光・趙閭先┃東方書店┃1997「講演などの日本語をどう訳すか、日本人の訳例と中国人の訳例を比較、日本人の訳例が直訳的で頭に入りにくく中国人は語順を大きく変更する、説明を増やして文を多くするが対応する成語があればそれを使って短縮する、平均して中国人の訳語の方が長くなる、中級以上向き」
     ⇒ 中山時子(なかやま・ときこ)中国文学。 
3△   漢語からみえる世界と世間:もっと知りたい!日本語┃中川正之┃岩波書店┃2005「日本人の形容詞の叫び・あつっ・いたっ、形容詞一語文・中国語では警告や命令・感嘆にならない、妖精は化け物、p81通路飼育厚遇航空は小学館の中日に収録されていない ⇒されてますけど?、周有光:我が祖国の言語には純潔性がある、大人の本の店に興味を示した中国人文学研究者、中国語が起点に注目し日本語は着点に注目する傾向、日本語と順が反対の中国語:来去・買売・借貸・これあれ、中国語は単語とフレーズの境が曖昧、日本語は対象が意志を持つかどうかで自動詞か他動詞か変わる・コントロールできるかどうか、中国語の自動詞は形容詞と違いがない、中国語の形容詞が日本語のサ変動詞になる:腐敗・衰弱・孤立・対立、形容詞の重ね型はXXYYで生き生きとした描写性、動詞の重ね型はXYXYで試みにする、西東など日本語では2音節のものが前に、中国語は声調の順に並ぶ、和語は音節数・中国語漢語は声調順、発話時基準の時間表示・昨日などは助詞"に"をつけると不自然、相対的時間表示は副詞に近い、日本語は"なる"言語・自動詞表現を好む・動作変化を結果の側から見ることと」
3◎   はじめての人の中国語:海岸通りナジュサロンタビル3階2号室┃中川正之┃くろしお出版┃1996「▽登場人物による会話体が特徴の日本語からの比較による中国語解説書。 ▽入門には適さない。中級の復習向けか ハケに毛あり、ハゲに毛なし。 是shiの濁音が日ri 主語述語は文の役割だが品詞は語が最初から持っている文法的性格 ▽間違い。品詞は語の可能な文の役割のこと ネズミは捕まえるで殺すとは言えない ▽広くネズミ駆除といいいたいときは殺すでなく捕まえるだが、殺したいときは殺すと言って問題ない。 はじめての人の中国語 継続動詞における二つの了 動詞の後ろは完了の了 文末の新しい事態の確認の了 wochilesanwanfan. 私は三杯のご飯を食べた。 wochilefan. 私はご飯を食べると...(文が言い切りでない) wochilesanwanfanle. = wochisanwanfanle. 私は三杯目のご飯を食べた。(途中経過でまだ食べたい感じ) wochilefanle. = wochifanle. 私はご飯を食べた。 到達するなど瞬間動詞では差があまりない 前置詞句は北方的表現 tayidinghuilaide 彼はきっと来るはずだ。」
     ⇒ 中川正之(なかがわ・まさゆき)1945〜。中国語、言語学。 
2★◯  完全マスター 中国語の文法┃瀬戸口律子┃語研┃2003「中国語文法を一冊にまとめたもの」
     ⇒ 瀬戸口律子(せとぐち・りつこ)1945〜。中国語学。 
1◯   <相原式>最大効果の中国語勉強法┃相原茂┃PHP研究所┃2010「発音は日本人の先生にチェックしてもらうのがよい、奇怪奇怪骨頭長在肉外。、不思議、不思議、お骨がお肉の外にあるよ。、sheme大楼最便宜?、もっとも安いビルは?、作家海岩、講談社中日辞典は全文検索できるCD-ROM付き、今泉浩晃:創造性を高めるメモ学入門」    中国語 空耳ワールド┃相原茂・野田キヨコ┃講談社┃2008「不知道 無事だよ」
2◯   話すための中国語:北京七泊八日の旅┃相原茂┃PHP新書┃2002「料理が美味しかったはお礼にならない、特意・特地(わざわざ)を言ってものを贈る」
2◯   あ、知ってる中国語:常用文ファイル50┃相原茂┃東方書店┃2000「名前を呼ぶ挨拶、不客気の3用法:遠慮しません・どういたしまして・無遠慮だ、おまえはどこだ?、名前は聞かれないと答えない、誰にご用ですか、餃子の重さは皮のみ、はいより要りませんがいい、湯も茶も水、congartulation=自助努力、happy=棚ぼた、祝=未来指向・祝賀=現在指向」
1▽   中国語の学び方┃相原茂┃東方書店┃1999「"IQをちょっと下げましょう"、中国語の"琴":細い弦や切片が振動して音を出す楽器の総称、断り表現:中国人は具体的に理由を述べる、バス映画館の子ども料金は1.1m以下で判断、中国人の証拠主義、"また誘ってください"は虫がよすぎる"次は私がおごります"に、スピーチコンテストを断るとき"あまりうまくないから":日本人の50%・中国人の6%が断りと判断、"わざわざ"を強調する中国人・"ついでに"を強調する日本人、目的のない友達付き合いの日本人・目的のために付き合う中国人」
4#   謎解き中国語文法┃相原茂┃講談社現代新書┃1997「中・上級向け。“不”はの前か後ろか、前は主観的・後ろは客観的、動詞:介詞型・挿入型・両方型、夢にはネガティブな意味も、VO型への変化、補語と動詞を密着、主語┃時間┃態度┃場所介詞┃対象介詞┃動作┃述語、常常に了はつかない」
3◯   Why?にこたえるはじめての中国語の文法書┃相原茂・石田知子・戸沼市子┃同学社┃1996「文法項目別ワークブック」    中国語:類義語のニュアンス┃相原茂・荒川清秀・大川完三郎・杉村博文┃東方書店┃1995「量詞の道・動かしにくい長いもの、投・的に向かって投げる、sha3・知力が劣る、笨・機能が劣る、去美術館要換車ma?◯対×是、量詞の条は曲がるが根は曲がらない、吐tu3は口から出すtu4は胃や肺から出る」
2◯   はじめての中国語┃相原茂┃講談社現代新書┃1990「音節:切れ目の感じられない音の連続、漢文:"去魯国"は魯国を去る・現中だと魯国へ行く、漢字は表意文字でなく表語文字、日本語の"はは"は"papa"だった」
     ⇒ 相原茂(あいはら・しげる)1948〜。中国語学、中国語教育。     中国語はじめの一歩┃木村英樹┃ちくま新書┃1996「“子供たちは自転車を盗んだ教師を捕まえた学生を殴った警官を見つけ出した”は中国語でいえない、針金と餃子は重さで売る、見るはたくさん聞くは一つ、只は対の片割れ、動詞文・形容詞文・名詞文、動詞が変化した前置詞、ニイハオはご機嫌いいが、他人に丁寧な日本語・他人に素っ気ない中国語、写真の銅像の右側は銅像から見て右を指す」
     ⇒ 木村英樹(きむら・ひでき)1953〜。中国語学。 
3#   どうしてそうなる?中国語┃洪潔清┃白帝社┃2009「要の否定は不想/不用/不必、从+時間+起、从+場所+動詞、从++到、上下前後関係があれば和でなく跟、目的語に修飾語/数量詞があれば了は動詞の直後、慣用的な了:已经,都,早就,就要,快要,要,快,该,太,别,不要、或着は疑問文に使えない、房子など部屋は場所でなく里や上が必要、動詞の動作が行われる場所には在+場所、比較文では很,非常,太は使わない、妹は私より太っている。私は妹ほど太っていない。、没没比我胖,我没有妹妹胖。、把構文は結果を強調する・結果に関する表現が必要・動詞のあとに成分が必要、人名と代名詞は数量補語の前・それ以外は後ろ、目的語の前置は修飾語が長いとき指示代名詞が付くとき、動作の期間を示す時間詞は動詞の前、我听得懂了。今はわかるようになった。、以前なら結核は治せなかったが今では治せるようになった。、以前结核病治不好,现在治得好了。、比較文、比起苹果来,我更喜欢梨。、和苹果相比,我更喜欢梨。、苹果和梨,我更喜欢梨。、我喜欢苹果,但更喜欢梨。、你多长时间没来中国了?、何年ぶりに中国に来たの?」
     ⇒ 洪潔清(こう・けっせい)中国語教育。 
2#   中国語を歩く:辞書と街角の考現学┃荒川清秀┃東方書店┃東方選書┃2009「テイクアウト打包、地板はフローリング、走廊・楼梯は室内のもののみ、屋外の階段はtaijie、修路は道をつくる、瀬戸賢一:多義はすべて中心義からメタファー・メトニミー・シネクドキから派生する、田中茂範のコア:多義のどの意味にも共通する意味・プロトタイプ:最も原初的なまず思い浮かべる意味、国広哲弥の現象素、服部四郎の意義素、忘はforgetとleave、トイレットペーパーは衛生紙、熊猫は元は猫熊だった、同義語と近義語は同じ」
3★#  一歩すすんだ中国語文法┃荒川清秀┃大修館書店┃2003「30 私を手伝ってください。 私に冗談を言わないで。 私をからかわないで。 彼はあなたに怒っているのよ。 彼はあなたのことで怒っているのよ。 34 私は彼に千元貸した。 私は彼から千元借りる。 要のもらうの用法 39 私に替わって彼らにお詫びを言って下さい。 42 大阪の人は食べ物にうるさく、京都の人は着る物にうるさい。 彼女はおしゃれに着ることにこだわっている。 ダンスは姿勢の美しさと動作の的確さを重んじなければいけない。 ▽ただ例文を挙げていく本?著者の問題意識がわからないため、何が言いたいのかわからない 中国語には「見せる」「show」に相当する動詞がない 結果補語の上のコア、付着 結果補語の下のコア、落ち着く 住:とどまる/とどめる 猜は単に想像するの意味 ▽結果補語の着のコアは結果の成立と安定? 開:動作の結果空間ができる ▽補語別に検討されているのが便利 倒:上下逆 反:裏表逆 形容詞による使役、加〜、放〜、弄〜 107 棚が高すぎて手が届かない、上にあげるのを手伝って。 使い終わったら、元に戻しなさい。 場所は補語去来の前 109 彼女は椅子を一つ持ってきた。 状態動詞はそのままの形で現在が言えるし、文脈があれば過去も言える。知道、愛、明白、是 瞬間動詞は了1をつけて現在を表す、忘、結婚など 125 うちでは新聞を二種類とっている。 125 うちでは子犬を一匹飼っている。 125 私は学校の近くに下宿している。 動詞の後ろの了1は実現 文末の了2は変化や変化に気づくこと 不/別/助動詞〜了は変化の了2 132 三年中国語を勉強した。 三年中国語を勉強してきた。 私は北京に一年住んでいた。 私は北京に住んで一年になる。 二音節の動詞では了1を使わない 了1のある文を終止させるには、了2をつける、量詞をつける、別の語を続ける 了2があれば了1を省略することが多い 結果補語の到は半分の了1、〜給も似た働き 着と相性がいいのは動きの静かな動詞 動作動詞がはだかで使われると未来を表す 快〜了、もうすぐなる 要〜了、〜しそうだ 可能は助動詞、否定形があるから 助動詞は副詞と動詞の中間に 主語の前における助動詞もある 179 今日は君が行くべきだ。 会:漠然と何かの技能ができる 能:何かの技能がどうできるか 能:主体的な能力があってできる、客観的条件があってできる、道理上できる ▽会と能、漠然と具体的の違いか? 相手に許可を求めたり禁止したりするときは可能補語ではなく助動詞を使う 可能補語の肯定形は助動詞で否定できない ▽ただの羅列の部分は読みづらい ▽量詞は文章の完結感を作る」
     ⇒ 荒川清秀(あらかわ・きよひで)現代中国語文法と語彙、日中対照研究、近代の日中語彙交流。     中国人のこころ:「ことば」からみる思考と感覚┃小野秀樹┃集英社新書┃2018「」
     ⇒ 小野秀樹(おの・ひでき)1964〜。現代中国語の文法論。     中国語のしくみ《新版》┃池田巧┃白水社┃言葉のしくみ┃2014「日本人的老師は日本人を教えている先生 了着過は動態助詞 文末助詞の了は新たな状況の発生を示す 正は進行、着は持続 已経吃過了。もう食べました。 宿舎から2人の学生が引っ越して出て行った。宿舎里搬走了両個学生。 ◯も漢字 一百一は110」
     ⇒ 池田巧(いけだ・たくみ)漢藏語方言研究。 
3#  ■現代中国語用法辞典┃呂叔湘,主編┃牛島徳次・菱沼透,監訳┃現代出版┃1983┃1980「給・在・向の介詞句は動詞の前でも後ろでも可、于と自の介詞句は動詞の後ろのみ、構文法、形容詞述語文:自動詞文に類似、名詞述語文:年齢・本籍・容貌など、是述語:認定、節述語、存在文・出現文・消失文:主語の位置に場所時間・客語の位置に存在物を置く、連動文:複数の述語動詞が連続関係にある、兼語文:動詞+名詞+動詞・名詞は前動詞の客語で後動詞の主語、動詞述語文の文型:他動詞文・自動詞文・二重客語文・動詞客語文・節客語文・数量客語文・客語前置文・把構文・受け身文・補語文・存在文・連動文・兼語文」
     ⇒ 呂叔湘()19〜。。 
3#   日本人の誤りやすい中国語表現300例┃呂才驕A戴恵本┃光生館┃1986「搬、手を使って運ぶ 幇助、目的語は人のみ 受け身文には完成や結果を示す了などが必要 19 私たちは山頂から遠くの景色を楽しむ。 19 七年前から彼女は周さんのお宅で召使いをしている。 20 私は彼女から一冊の本を借りてきた。 20 学生たちは四時から五時まで体を鍛える。 ▽一貫して自動詞の多さ他動詞の少なさが目立つ 22 武松は人とけんかした。 大概:推測の語気があるため自分のこと 26 私は学生を自宅に招待する。 27 私は千葉市へ電話をかける。 27 学校へ帰るバスがなくなった。 39 私はだんだん彼女に好感を持ち、その後、愛情も生まれた。 42 国際婦人デーは一日休みです。 42 鬼のようにむごい関せきは妻をすてた。 45 彼はいつも惜しみなく私の手助けをしてくれていて、私は彼に対し非常に感謝している。 46 学習中には、どのような態度をとらなければなりませんか。 54 若者は彼女に結婚を申し入れた。 貴重は物のみ、宝?は広く使える 64 円明園に行って見学したことがある。 64 去年林さんは風邪をひかなかった。 65 私は北京で絵を売って暮らしている。 67 彼女はたいへん才能がある。 68 彼女は私たちに授業を始めると、まるで人が変わったようになってしまった。 比を用いる比較文では很、太、真は使えず、更、hai2を使う 72 私はたくさん写真を撮ろうと思う。 家事は家務 81 阿蘇山は麗しく、私たちはみなそれを誇りに思っている。 84 思い起こせば、私が中国において初めての年に経験したことは平凡なものではなかった。 84 数年前、私も一時期悔しい経験をしたことがある。 86 途中、人っ子一人いなかったので、祥子はいやな予感がした。 88 毎日8時に第一時間目の授業が始まる。 88 私たちの学校は1月30日から冬休みです。 88 吹雪がひどいので、鉄道がいつ開通するか今のところ何ともいえない。 94 私たちは湖のほとりで長い時間話し合った。 兼語文では了は後ろの動詞のあとにつける 100 彼の生活はとても忙しい。 103 このような貝殻は、私たちの国の海岸ではどこでも手に入ります。 103 中国人は旧正月を重視するので、中国の新年はそれほどにぎやかではない。 103 中国人は旧正月を重視するので、中国の新年は日本ほどにぎやかではない。 106 あなたはめったに来ないのだから、今日帰ってはだめです。 107 私は京都の風景を忘れられない。 112 彼は一年間中国語を勉強しただけですから、中国語の先生にふさわしくないと思います。 114 昔、私たちの祖先は命がけで海を渡り中国へやってきました。当時の中国の進んだ文化をを学ぶためです。 123 私たちの間には深い友情が生まれた。 129 彼は試しにちょっと歩いてみたが、脚はやはり少し痛かった。 137 彼は小紅に彼の妻になるかどうか訪ねた。 ▽やたらプロポーズする例文がある、副詞を接続詞として使うミス、自動詞を他動詞として使うミスの例が多い 又は過去、再は未来 168 家に帰る途中、彼は娘が彼に注意した言葉を忘れてしまった。」
     ⇒ 呂才驕iろ・してい) 
3★#  誤用から学ぶ中国語:基礎から応用まで┃郭春貴┃白帝社┃2001「走・ここを去る・目的語がとれない、去・ある場所に行く、動賓構造動詞には介詞目的語、形容詞が単独で述語になれるのは対比文か答えのとき、形容詞の時制はみな同じ・了は変化を示す、状態形容詞/雪白などに很はつかない・状態詞とも、有+名詞の形容詞、中国的留学生・中国にいる世界から来た留学生、中国留学生・世界各国にいる中国人留学生、老師去maでなく老師nin去ma・代名詞をもっと使う、指示代名詞+名詞を修飾するとき的はなくてもよい、在の後ろはいつも特定の場所、目的語の前に修飾語があると数量詞が必要・他是一个很好的老師、目的語が人と場所の場合・時間量詞はその後ろ・物ならその前、過去にあったことはその数量を言わなければならない、動作性のない動作の後ろに了はつかない、着は動作後の状態の継続を示す・動作の進行は在、才と了はあまり同時に使えない、被の受身は不愉快、生気と倒は自動詞、他被人騙了。被/叫/讓/給でも同じ意味、どこからどこまで行う/いつからいつまで行う・動詞は从-到の到の前に置く、時間の起点には从+起/開始、離・ある起点からの距離、从・2点間の距離、介詞構造+動詞を一つの動詞と考え否定詞・能願動詞・副詞はその前に置く、比〜得多、為了は目的・為は動作対象、往・動作の移動、朝・相手に面と向かう、対・動作の感情や態度を相手に示す時に使う、対于・後ろの動詞の対象・關于はただ説明しているだけ、不過/可是/但是・口語/普通/硬い表現、只要-就、只有-才、動詞+場所目的語+来/去、存現文・介詞の在が使えない」
     ⇒ 郭春貴(かく・はるき)中国語学。 

●● 中国語:随筆、テキスト、辞典 ●● 
2◎   30秒でできる!ニッポン紹介 おもてなしの中国語会話:MP3 CD付┃郁青┃IBCパブリッシング┃2016「▽はじめにの「日本人でも知らないような……」という表現はある日本人の発言としては不自然 11 日本の天皇はいつからいるのですか? ribendetianhuang shi4 cong2shenmeshihoukaishiyoude? 12 周囲をお堀に囲まれています。 tadezhouwei you huchengheweizhe. 境、jiao1jie1chu4 古来より、cong2gu3zhi4jin1 shang3hua1、花見 hui1ni2、漆喰 姫路城、1610年建築、1993年世界遺産、白鷺城とも jiao3jian1chao2nei4xing2zou3、内股で歩く deng1xin1cao3、イグサ jiao1nang2lv3guan3、カプセルホテル li4shi2qiao2mai4、立ち食いそば guang1gu4、利用する fei1jiu3jing1lei4de0yin3liao4、ノンアルコール飲料 ban4shou3li3、お土産によいもの tang2ji2ke1de2、ドン・キホーテ cha1hua1、生け花 hua1hui4bu4zhi4、フラワーアレンジメント niu3da3、組み合って戦う da3hun4、オチ wo3shou4si1、にぎり寿司 shou4si1juan3、巻きずし dou4pi2shou4si1、いなり寿司 san3shou4si1、ちらし寿司 ya1shou4si1、押し寿司 peng3chang3、にぎわす wei4lin2、みりん kun1bu4de0gao1tang1、昆布のだし tian1fu4luo2de0mian4hu2、天ぷらの衣 xi1tai4gong1yu2、ワカサギ sha1zuan1yu2、キス xing1man2、アナゴ gan1shu3、サツマイモ lian2ou3、レンコン gan1bei4、貝柱 zha2shi2jin3、かき揚げ bai2rou4yu2、白身魚 zhu2jia2yu2、アジ qing1hua1yu2、サバ sha1ding1yu2、イワシ hai3dan3、ウニ kao3ji1rou4chuan4、焼き鳥 man4yu2、ウナギ、7月30日に食べる zha2zhu1pai2ga1li3、カツカレー da4ban3shao1、お好み焼き yang2bai2cai4、キャベツ zhu1pai2gai4fan4、カツ丼 niang4jiu3chang2、蔵元 chai2yu2、鰹節 cheng2xian4nian2chou2zhuang4、粘りが出る shu1fa4xing2、髪を結う qi2yuan2niao4ji4、祇園祭 nai3lao4、チーズ fu2bing1、流氷 dong4man4bian4zhuang1、コスプレ bao1xiang1、個室貸し切り zu2jiu2xiao3jiang4、キャプテン翼 huo3ying3ren3zhe3、NARUTO ji2pu3li4gongzuoshi、スタジオジブリ ji1dong4zhan4shi4gao1da2、機動戦士ガンダム xin1shi4ji4fu2yin1zhan4shi4、新世紀エヴァンゲリオン qi1long2zhu1、ドラゴンボール jing1ling2bao3ke3meng4、ポケットモンスター chao1ji2ma3li3ao4xiong1di4、スーパーマリオブラザーズ yong3zhe3dou4e4long2、ドラゴンクエスト nv3pu3ka1fei1dian4、メイドカフェ nian2jie2cai4、お節料理 za2zhu3nian2gao1tang1、お雑煮 liang3ceng2xiang1die2de0mu4he2、二段重ねの重箱 qin1qi0tuan2ju4、親戚が集まる qi3qiu2xin1nian2de0xing4yun4、新年の幸運を願う fan2xiang1、帰省 gong4feng4hua1、花を供える song4jing1、読経 sheng4zhuang1da3ban4、晴れ着を着る chuan1ri4shi4ku4qun2、袴をつける 七五三は11月15日 bai2wu2gou1、白無垢 bai2sha1、ウェディングドレス li3jin1、ご祝儀 dian4yi2、香典 xian2jie1、乗り入れる tiao4biao3zhi4、メーター制 da1cheng2、乗る chu3zhi2、チャージする 犬と猫は2000万匹以上 dongjingdishinikeyuan、東京ディズニーランド zhu3ti2le4yuan2、テーマパーク da4ban3huan2qiu2ying2cheng2、USJ san1li4ou1cai3hong2le4yuan2、サンリオピューロランド xiao3fei4、チップ da4shuai3mai4、バーゲンセール」
     ⇒ 郁青(ユー・チン)台湾、中国語の指導。 
_    「日本の衣食住」まるごと事典:CD付┃とよざきようこ、ステュウット・ヴァーナム・アットキン┃IBCパブリッシング┃日中対訳ライブラリー┃2016「かりんとう、雨戸 そば柄、mao2mai4pi2 床の間 101 注ぎ口、hu2zui3 どんぶり、hai3wan3」
     ⇒ そう・ゆう()19〜。高分子化学、物理学。 
2〇   日本文化を中国語で紹介する本┃舛谷鋭、小早川真理子┃ナツメ社┃1999「宮参り、dan4sheng1can1bai4 鯉のぼり、li3yu2fan1 数え年、xu1sui4 はさみ、jian3dao1 晴れ着、sheng4zhuang1 千歳飴、bang4bang4tang2 入学式、kai1xue2dian3li3 還暦、hua1jia3zhi1nian2 赤いちゃんちゃんこ、hong2se4mian3kan3jian1 1997年の大学進学率、男性34%女性46% イタリアの離婚率が非常に低く日本の1/3以下 墓参り、sao3mu4 香典、dian3yi2 仏壇、fo2kan1 お節料理、nian2jie2cai4 注連縄、dao3cao3sheng2 鏡餅は割るのではなく開く、刃物で切らない 年賀状は15世紀のドイツ 鬼は外、福は内、yao1mo2chu1qu4,fu2qi4jin4lai2 桃の節句、tao2hua1jie2 住吉大社の御田植神事、1700年以上の歴史 日本一の花火大会、新潟県長岡市 土曜の丑の日、san1fu2 11月の酉の日、堺市大鳥神社、酉の市 松茸、song1xun4 しゃぶしゃぶ、shuan4niu2rou4 すき焼き、ri4shi4huo3guo1 カツオ、song1yu2 そうめん、gua4mian4 漬け物、yan1cai4 わさび、shan1yu2cai4 おでん、guan1dong1zhu2 かき氷、bao4bing1 掛け布団、敷き布団、bei4zi0,ru4zi0 押入、bi4chu2 縁側、wu1yan4xia4de0zou3lang2 座布団、zuo4dian4 ふすま、ge2shan4 年功序列、lun4zi1pai2bei4 ボーナス、jiang3jin1 はちまき、chan2tou2jin1 社宅、yuan2gong1zhu4zhai2 暑中見舞い、shu3qi4wen4hou4 お歳暮、nian2zhong1li3pin3 お世辞、gong1wei2hua4 質屋、dang4pu4 郵便貯金、you2zheng4chu3xu4 銀行口座、ying2hang2cun2zhe2 宅配便、song4huo4shang4men2 吉宗の御前将棋が11月17日、将棋の日に 盆栽、pen2zai1 宝くじ、cai3piao4 パチンコ、tan2gang1qiu2 鯉のぼり、li3yu2qi2 タイ、diao1yu2 キノコは木の子の意味 ほおずき、deng1long2hua1 落語の道具は手ぬぐいと扇子のみ 祇園祭、qi2yuan2ji4 祇園囃子、qi2yuan2ban4zou4 ねぶた祭り、shui4mo2ji4 カルタ、zhi3pai2 サイコロ、tou2zi0 紙芝居、lian2huan2hua4ju4 あやとり、fan1hua1gu3 ベーゴマ、tuo2luo2 メンコ、pai1yang2hua4 花札、hua1zhi3pai2 赤穂浪士の事件、1701年 わび、さび、ji4jing4,gu3ya3 わび、千利休、作動 さび、松尾芭蕉、俳句 ハレ、ケ、ケガレ:long2zhong4,xie4,chou3e4 おみくじ、shen2qian1 お守り、hu4fu2 だるま、bu4dao3weng1 絵馬、bian3e2 ハラキリ、pou1fu4 1175年浄土宗開く 1224年浄土真宗開く 1253年日蓮宗開く」
     ⇒ 舛谷鋭()19〜。。 
2#   日本:姿与心 日中対照┃日鉄技術情報センター┃学生社┃2010「フランスのボアソナードから技術と制度、boyasuobade ドイツのベルツから医学教育、beierci アメリカのクラークから農業教育、kelake イギリスのモレルから鉄道建設、molieer ドイツのトッペから八幡製鉄所操業、dubei 明仁天皇、1933年12月23日生まれ 皇太子徳仁、1960年生まれ オゾン層、chou4yang3ceng2 日本の国鳥はキジ 179 市町村、xiang1zhen4shi4 江戸末期寺子屋に通う率は40% 縦書き、横書き、zhi2xie3、shu4xie3、heng2xie3 ピント、jiao1dian3 ホース、guan3zi0 ポンプ、beng4 ポン酢、suan1you2zi0 ホップ、pi2jiu3hua1 アルカリ、jian3xing4 ペンキ、you2qi1 マンガン、meng3 モーター、ma3da2 ミシン、feng2ren4ji1 万葉集は450年間の幅 歌舞伎は能楽と文楽の要素を吸収した伝統舞台の大成 ばち、ba2ban3 生け花、枝で天地人の三位一体を表現する、流派は3000以上 窯場、shao1yao2chang2 蒔絵、sa1jin1hua1 玉虫厨子、yu2chong2fo2kan1 はめ込む、xiang1qian4 焼き入れ、cui4huo3 こけし、xiao3qie4zi0 扇子は中国や朝鮮へ輸出、朝鮮では骨の数が増え、中国では骨に彫刻 羽根、yu2mao2jian4zi0 キャディ、qiu2tong2 ふんどし、ding1zi0dou1dang1 ホームラン一本、yi4zhi1ben3lei3da3 お盆の寺参り、zhong1yuan2pu3du4 元日から七日まで松の内 鬼は外、福は内、yao1mo2guan3dan4,jiu2xia4fu2qi4 タイトル、tou2xian2 日本の歌謡曲の始まりは「カチューシャのうた」 葉巻、xue3jia1 日本の農村、田植えや稲刈りで共同作業が必要 大阪城の石垣の巨石、海中につるして運ぶ石釣船、shi2kuai4diao4yun4chuan2 厳島神社。17棟からなる厳島神社の鮮やかな朱塗りの建造物が、深々とした緑に覆われた山容を背景として、陸上から海上にまで展開している。日本三景の一つ「安芸の宮島」で知られる。」
     ⇒ 日鉄ヒューマンデベロプメント     中国語虚詞 類義語用例辞典┃高橋弥守彦・姜林森・金満生・朱春躍,編著┃白帝社┃1995「用例集」
     ⇒ 高橋弥守彦 
2#   こんなとき、どう言う?中国語表現力トレーニング CDブック┃岩井伸子┃NHK出版┃2016「38 あんな行列に並ぶくらいなら、食べなくていい。 44 さすがに徹夜しただけあって、彼は今回成績がよかった。 70 だいたいみんなそろった。 78 だったら好きにすれば。 80 誰か来て! 誰かに聞いてみよう。 誰かに手伝ってもらおう。 90 ハワイに行ったつもりで、海南島に行くのはどう? 92 彼、やり手のつもりらしいけど、まったく違う。 94 彼のこと何でも知っているつもりだったけど、何もわかっていなかった。 子どもに戻ったつもりで、今日は思いっ切り楽しもう。 100 このステーキ、硬すぎてかめない。 106 瓶の蓋がどうしても開かない。 108 彼は朝起きられないから、毎日遅刻だ。 114 田中さんという人から電話があったよ。 122 オープンまであと一週間あまりというところです。 134 もう時間になるよ。 138 椅子に乗らないと手が届かない。 142 馬に乗ったらちょっと怖かった。 もう大きくなったから、ベビーカーには乗れない。 148 見るからに引き写したものだ。 154 欲しいもの、なんでもあげるよ。 162 結婚するも何も、相手がいないじゃないか。 164 旅行も何も、時間もないのにどこ行くのよ。 178 あんな高い店、もう二度と行くものか。 もういいかげん宿題をやらなと、お母さんに叱られるよ。 184 よく時間を作ってくれたね。 よくそんなことができたな。 188 よくそんんことが言えるな。 194 落語らしい落語だ。 ミュージシャンらしいね 198 新しく出たタブレット、すごく軽いらしい。」
     ⇒ 岩井伸子(いわい・のぶこ)中国語講師。 
2◯   日本語と中国語┃劉徳有┃講談社┃2006「美しい日本の私/我、属於美麗的日本、あいまいな日本の私/我、属於曖昧的日本、、原爆慰霊碑・安らかに眠ってください過ちは繰り返しませぬから・主語がわからぬ、郭沫若・繰り返させないとすべき・トルーマンのサインが最適、⇒これは主語は日本人ということで戦争したことを過ちと捉えた表現、上司に"有什麼事ma?"はぶっきらぼう"有什麼要我ban的事?"か"有什麼指示?"、中華人民共和国の共和はrepublicの日本語訳・元は史記の周本紀、幹部は指導者ではない、演出は導演、炒you魚:スルメイカを炒めるとクルクルと丸くなる・農村からの出稼ぎ者は布団を巻いて郷里に帰ったため、要求は求めるや希望の意味・日本語の要求ほど強くない、"我要求貴方提出一fen計画"は計画書の提出をお願いします、中国語の火偏の料理法の多さ、テレビアニメ:日本60%・アメリカ29%、アニメ・ブルーキャット3000問」
     ⇒ 劉徳有(りゅう・とくゆう)1931〜。日本語通訳、翻訳。 
3#  ■式辞あいさつ篇:新編・東方中国語講座 第5巻┃待場裕子・能勢良子┃東方書店┃1989「」
     ⇒ 待場裕子(まちば・ゆうこ)1935〜。中国語、日本語。 
2〇   中国語で案内する日本┃塚本慶一、芳沢ひろ子┃研究社┃2015「似顔絵、xiao4xiang4hua4 トンビ、lao3ying1 ポイントをためる、ji1fen1 ブランド、ming2pai2 レート、hui4lv4 だし、tang1zhi1 味噌汁、jiang4tang1 ケーブルカー、gang1suo3tie3dao4 ロープウェイ、deng1shan1suo3dao4 忘れ物預かり所、shi1wu4zhao1ling2chu4 バイキング、zhu4zi4can1 スクランブルエッグ、chao3ji1dan4 目玉焼き、he2bao1dan4 卵焼き、ji1dan4juan3 ゆで卵、shu2ji1dan4 レア、kao3san1fen1shu2 ミディアム、kao3wu3fen1shu2 自動販売機、zi4dong4shou4huo4ji1 SNS、she4jiao1ruan3jian4 交番、jing3cha2gang3ting2 あいさつ、han2xuan1 食券、can1quan4 土俵、tu3biao4 まわし、yao1dai4 祀る、gong4feng4 スクランブル交差点、quan2xiang4shi2zi4lu4kou3 鈴を鳴らす、yao2xiang3ling2dang0 東京スカイツリー、dong1jing1qing2kong1ta3 スノーボード、dan1ban3hua2xue3 チェックアウト、tui4fang2 旬の食材、ying4ji4de0shi2cai2 トランポリン、beng4chuang2 カーリング、bing1hu2 ハンマー投げ、lian4qiu2 トライアスロン、tie3ren2san1xiang4 ナイスシュート、hao3qiu2 同点、ping2ju2 逆転、fan3bai4wei2sheng4 表彰式、fa1jiang3yi2shi4 駅伝、yi4chuan2jie1li4 ウォシュレット、wei4li3li4 電気炊飯器、dian4fan4bao1 ジェル、zhe3li2 クレンジングリキッド、xie4zhuang1ye4 絆創膏、chuang4ke3tie1 チェックイン手続き、ru4zhu4shou3xu4 ファンデーション、fen3di3 アイシャドー、yang3ying3 口紅、chun2gao1 リップグロス、chuan2cai3 チーク、sai1hong2 マニキュア、zhi3jia0you2 アイクリーム、yan3shuang1 いびつ、zou3xing2 干支、shu3xiang4 チップ、xiao3fei4 蒔絵、ni2jin1hua1、miao2jin1hua4 螺でん、luo2dian4 友禅染、you3chan2ran3 切子、diao1hua1bo1li0 時計回り、shu4shi2zhen1 保証金、ya1jin1 チャージ、chong1zhi2 テキパキ、ma2li4 頭金、ding4jin1 手続きする、ban4li3shou3xu4 似合う、ban1pei4 コンセント、cha2zuo4 引き立たせる、dian3zhui4 ベージュ、mi3se4 ピンク、fen3se4 肌色、rou4se4 水色、qian3lan2se4 クリーム色、nai3you2se4 ワインレッド、jiu3hong2se4 紺色、zang4qing1se4 茶色、ka1fei1se4 ダフ屋、huang2niu2 役に立つ、guan3yong4 スモッグ、wu4mai2 合掌、he2shi2 いとへんjiao3si1pang2、のぎへんhe2mu4pang2、ごんべんyan2zi4pang2、けものへんfan3quan3pang2、てへんti2shou3pang2、りっしんべんshu4xin1pang2、うかんむりbao3gai4、くさかんむりcao3zi4tou2、わかんむりtu1bao3gai4、やまいだれbing4zi4pang2、あなかんむりxue2zi4tou2、りっとうli4dao1pang2、しんにゅうzou3zhi1、さんずいsan1dian3shui3 ティッシュ、zhi3jin1 アンケート、diao4cha2wen4juan4 困る、fan4nan2 雑音、zao4yin1」
3#   新版 中国語通訳への道 CD2枚付┃塚本慶一┃大修館書店┃2013「同時通訳は1-2秒遅れて訳す。 母語不在のアリンガル 京都の街は、ちょうど碁盤の目のような格好になっています。これは、794年に京都に都を開く時に、唐の都であった長安の街づくりを参考としたからです。p114 」
3★   中国語通訳への道┃塚本慶一┃大修館書店┃2003「ドイツとフランスの文化協定:友好関係を増進するにはあたり両国はそれぞれ相手国のことばを広めるよう努力する、口頭表現・日本語は中国語の1.5倍の時間がかかる、通訳の種類:観光ガイド・随行通訳・放送通訳・会議通訳、通訳の形態:逐次通訳・同時通訳・時差通訳・ウィスパリング、通訳の基礎練習:、クイック・レスポンス、シャドウイング、リプロダクション、リテンション、スラッシュ・リーディング、サイト・トランスレーション、サマライゼーション、ノートテイキング、通訳の仕事の7-8割は下準備、同時通訳に必要な予測の技術」
     ⇒ 塚本慶一(つかもと・けいいち)1947〜。中国生まれ。中国語通訳者、翻訳者。 
2ゑ   本音と建前が分かる中国語口語表現┃李傑明・李傑群┃本間史,編訳┃アルク┃2003「含みのある口語表現を集めたもの。面白く読める。」
1★☆# 起きてから寝るまで中国語単語帳:CD+チェックシート┃本間史┃アルク┃2007「一日の生活の時系列に沿って、目に映るもの、行う行為の中国語単語が満載」
     ⇒ 本間史(ほんま・ふしと)1948〜。翻訳家、中国語講師。 
1◯〆 ■中国語基本語3000:2枚組CD付┃李玉敬・松岡栄志,監修┃三省堂┃1998「意外に便利で効率的。例文豊富で、品詞も明記の優れもの」
     ⇒ 李玉敬(Li Yujing)1934〜。中国。中国語。 
2◯▽  日本人と中国人永遠のミゾ┃李景芳┃講談社+α新書┃2005「一呼百応:人々の時流に流されやすさ、日本語の難しさは出口がない、見たものしか感じない中国人・見えないものを想像して見る日本人、中国人の体感・日本人は心の底から中国人を見下している、日本の徒弟制度を見て傲慢で非人間的と憤慨・上下の絶対性がない、日本で耐えることを学べば耐えられないものはない、中国人特有の早い者勝ち精神、排隊は街頭のラグビーゲーム、頭で働く者は人を支配し体で働く者は人に支配される、老はプラスイメージ、緑色の帽子は妻を寝取られた男性のこと、時間を守るのは学校の授業と試験だけ、コンビニ店員教育のスタート・お店の物を勝手に食べては行けない・耳の痛いことは事前に言う、日本で必要な言葉・"こんちには"と"かわいい"」
2◯   中国人を理解する30の「ツボ」:考えすぎる日本人へ┃李景芳┃講談社+α新書┃2004「子どもの交流会のプレゼント交換・日本は手作り・中国は高価なもの、情と理を峻別しない中国人、"喧嘩"は騒ぐという意味、コネとメンツと人情があれば天に昇ることもできる、自由に変える名前・夫妻子の姓が違う家族も、芸能人に芸名を使う人が少ない、北方では食料は大量購入・乾燥寒冷なので腐りにくい、道の説明・北方は東西南北・南方は前後左右、免許証もコネがあればお金で買える・教習所も路上教習なし、大学では妊娠や結婚は退学処分だった、日本は一年中伝統行事のある祭りの国、離婚しても慰謝料はなし・養育費も分担、生在杭州食在広州死在柳州、日本の親の子どもの虐待? ⇒中国で目立たないのは祖父母の存在か、入るのも出るのも難しい中国の大学」
     ⇒ 李景芳(り・けいほう)1956〜。翻訳、通訳、日本語学。 
3◯   中国社会事情を知って鍛える中級中国語┃王敏、王玲玲┃スリーエーネットワーク┃マルチリンガルライブラリー┃2008「文末の了の用法 1.動作の発生、状況の変化を表す 2.別/不要+動詞+了、催促・制止を表す 3.太+形容詞+了、程度が高いことを表す 4.形容詞+補語(極、死、壊、透……)+了、程度が極端であることを表す ▽可能補語には〜しようとしてできた/できなかったの意味がある 起来:動詞、起、目的語、来の順 株式会社では決定と経営部門は別、決定するのはdong事会、経営はlingdao班子」
     ⇒ 王敏(おう・びん)1955〜。日中学院講師。 
2△   日本の諺・中国の諺:両国の文化の違いを知る┃陳力衛┃明治書院┃2008「花鳥風月は男女の情愛、人間至るところ青山あり・日本幕末の僧侶の漢詩より、苦肉の策・中国語は身体を張った策略・日本は追いつめられての策、猪突猛勇は王莽より、呉越同舟:日本では単にその場に居合わせる意味で使う ⇒?、日本・天衣無縫な子ども時代 ⇒?、馬耳東風は肯定的に使う・日本 ⇒?、万事休す:何事もなくすべて忘れる、万事如意は日本人には奇異 ⇒?、風流韻事・男女の色事、克林頓和風流韻事菜?斯基的風流韻事、傍若無人・超然とした態度を肯定的に評価、いつも目に触れ意味を知っている諺・明珠暗投 ⇒そもそも変換もしないのに、旧世界打個落花流水、孫の手・麻姑の手より」
     ⇒ 陳力衛(ちん・りきえい)1959〜。中国。国文学。     漢字と中国人:文化史をよみとく┃大島正二┃岩波新書┃2003「古代中国人の認識:符号である漢字が実体で音と義はその属性、ベトナム漢字・チュノム、4声:平声・上声・去声・入声、中国言語学史」
3#   〈辞書〉の発明:中国言語学史入門┃大島正二┃三省堂┃1997「漢字は形/文字・音/発音・義/概念から成る、中国語では形が実体で音と義はその属性、左伝文公十三年秦と晋で会話に通訳が必要、楊雄の方言調査:上計・孝廉・衛士に都に来た人に面接調査・天鳳四年70歳で没、前漢の識字テキスト:蒼頡篇、司馬相如の凡将篇、史游の急就篇:31章1章は63字総字数は1953字、李長の元尚篇、楊雄の訓纂篇、後漢は学問が熟化して学術研究の気風が育ち士人の自覚が高揚した時代」
     ⇒ 大島正二(おおしま・しょうじ)1933〜。言語学、中国語学。  
3    中国語活用語2200:2枚組CD付┃松岡栄志,監修┃三省堂┃2002
     ⇒ 松岡栄志(まつおか・えいじ)1951〜。中国古典文学、中国語学。 
3#   通訳メソッドを応用したシャドウイングで学ぶ中国語難訳語500┃長谷川正時┃スリーエーネットワーク┃マルチリンガルライブラリー┃2006「男声の読み方がかなり速くて、変化してる。彼は飲む打つ買うだけでなく、薬もやり、その上人を陥れたり、だましたり、かどわかしたりし、盗みまでもやります。」
     ⇒ 長谷川正時(はせがわ・まさとき)1949〜。通訳、翻訳。 
2#△  紅葉の想い:言葉と習慣から見た日本と中国┃趙静┃さくら吹雪,絵┃柳原出版┃2003「断定さける日本語、相手に状況を述べて行動してもらう・注意するとき命令しない、頑張ると加油の違い・自分に対して加油は使えない、日本の挨拶は宣言型・中国語は対話型、いいえは否定詞というより謙遜語、"じゃ"と"どうも"の強い状況依存性、中国人は遅刻しても理由を作る・相手の面子を立てる意味がある・理由がないと相手をバカにしていることになる、"〜さん"の難しさ・夫の母に夫の名前にさんをつけて呼ぶ・先生に使うときはさんをつけない、東西は物・南北は人だった・南斉書、歩くこと・11番バス、ノックの回数・中国人は3回・日本人は2回、物を受け取るとき3回謙遜する・他人から物をもらうのに自尊心=面子にひっかかるため・まず防御する、日本の教室ではみな後ろの端っこから座る・中国人は前と真ん中から、自転車や徒歩だと知り合いに会って遅刻?、日本人は中央性を重視・中国人は対称性を重視、十三=あほう・ばか、二百五十⇒500枚銀元が1封⇒半封⇒半瘋、郵便配達員は緑衣使者・漢の頃は頭巻と服の袖が赤」
1ゑ☆  くちまんちっく日本┃趙静┃さくら吹雪,絵┃かもがわ出版┃1997「日中の文化習慣の違い。中国の高校は7時20分から」
     ⇒ 趙静(ちょう・せい)1967〜。中国語教師。 
2◯  ■中国語のすすめ┃鐘ヶ江信光┃講談社現代新書┃1964「簡体字は517文字、漢字の読みは410、1.上平・2.下平・3.上声・4.去声、古代は平声・上声・去声・入声、平声が上平と下平に、入声(-p-t-k)はなくなる、言葉の本体は音・文字はその影」
     ⇒ 鐘ヶ江信光(かねがえ・のぶみつ)1912〜。中国語学、方言、音声学。 
2ゑ   爆裂中国語┃ジェームズ・J・ワン┃森由美┃日経BP社┃1997「中国語スラング集。ji1やwang2の後にbaをつけない、タクシーには街に詳しいふりをする、アメリカの大学のトイレのドアに黒板」
     ⇒ ジェームズ・J・ワン(James J.Wang)中国。英語の編集翻訳。 
3#  ■通訳ガイド 中国語過去問解説:平成18年度問題収録┃本林教衡,編┃法学書院┃2007「」
     ⇒ 本林教衡(李天林)1931〜。台湾。中国語学院学院長、教育心理学。 
3#   中国語の基本音義1300:単音節語の世界┃太田成人┃ブックコム┃2010「四声の長さ:三声>一声>二声>四声、あえて数日の時間をつぶす、huo出ji天時間来、食べ始めると十匹の獅子は実は十匹の石造りの獅子の屍だったことに気づいた、食時,始識是十獅,実十石獅屍、▽藤堂明保の単語家族の考えに似ているが参考にしてはいないらしい」    日中韓同字異義小辞典┃佐藤貢悦・嚴錫仁┃勉誠出版┃2009「中国語の愛情は男女間のみに使う 中日?三国是唇?相依,或者?是一衣?水的?邦。 日中韓三ヶ国は密接に相互依存している一衣帯水の隣国である。 韓国語の意見に批判の意味はない 中国語の解釈には言い訳の意味がある 韓国語の割愛は分け与えるの意味 韓国語の議論は相談 韓国語では映画館も劇場 中国語の交代は説明する報告する 韓国語の砂糖は甘いお菓子 中国でも南北朝時代までは娘は母でなく少女だった 中国語の発覚は気づく 中国語の発毛は心細い 中国語の約束は抑える 中国語の用心は下心、韓国語は真心」
     ⇒ 佐藤貢悦(さとう・こうえつ)1956〜。比較文化。 
     ⇒ 太田成人(おおた・なりと)1946〜。共同通信、西洋史。 
1   ■手紙で学ぶ中国語┃孟広学┃鈴木英昭┃日本放送出版協会┃1984
     ⇒ 孟広学(Meng Guangxue)1939〜。北京。中国語、中国文学。  
2◯  ■やさしい日常中国語会話:CD┃瀬戸信保,監修┃大創出版┃2003「ダイソーの100シリーズ。誤訳1つ、発音間違いが3ほどあり」
     ⇒ 瀬戸信保()1968〜。フリーの文筆家、中国文化、江戸文化、中国語学。  
3◯  ■辞典で解決しない中国語300┃北村良介・呉麗君┃光生館┃1995
     ⇒ 北村良介  
3◯  ■おぼえておきたい中国語成語300┃香坂順一・羅小東┃光生館┃1992
3   ■おぼえておきたい中国語歇後語300┃香坂順一・施一[日斤]┃光生館┃1995
     ⇒ 香坂順一  
3   ■おぼえておきたい中国語日中同形異義語300┃上野恵司・魯曉[王昆]┃光生館┃1995
     ⇒ 上野恵司  
2   ■中国はてな物語┃趙賢州・砂岡和子┃白帝社┃1991
     ⇒ 趙賢州 
_   ■中国現代商業通信文┃住田照夫┃燎原┃1971「」
     ⇒ 住田照夫(すみた・てるお)19〜。。 
3#   外国人と日本人医師の臨床会話集〈6 中国語編〉┃大西守、増茂尚志、呉志剛┃三修社1992「」
     ⇒ 呉志剛 
3◯   中国語の手紙の書き方┃楊愚魯+黒木實┃ナツメ社┃2000
     ⇒ 楊愚魯(Yang Yulu)1961〜。中国。計算機科学。     中学英語でペラペラ中国語:CD付┃船田秀佳┃駿河台出版社┃2004「例文を対比させたもの」
     ⇒ 船田秀佳(ふなだ・しゅうけい)1956〜。言語学。  
3    自分のすべてを中国語で口にできる本:CD付き┃千島英一┃成瀬武史,原案┃アルク┃2002
     ⇒ 千島英一(ちしま・えいいち)1947〜。中国語、広東語。  
3    中国語の文法と使い方55:ROM単┃植田渥雄,他監修┃三修社┃2001
     ⇒ 植田渥雄(うえだ・あつお)中国語学。  
3    漢文の読みかた┃奥平卓┃岩波ジュニア新書┃1988「未亡人は謙遜の自称語」
     ⇒ 奥平卓(おくだいら・たかし)1928〜。中国語、著述、翻訳。  
3    CD2枚付き 今すぐ話せる中国語:自由自在,編┃董N・小倉憲二┃東進ブックス┃2000
     ⇒ 董N(どぉん・いん)1955〜。北京。語学講師。  
2    最新中日外来語辞典┃張一帆・塚越敏彦┃日中通信社┃1999
     ⇒ 張一帆(ちょう・いちほ)1956〜。‘中国語世界’編集長。 
1◯〆 ■精選日中中日辞典:改訂版┃姜晩成・王郁良,編┃北京商務印書館・東方書店┃2001「コンパクトで使い勝手はよい」
     ⇒ 姜晩成  
3◯   話す中国語の単語力:分野別ベーシック2000語CD付き┃ジャレックス,編┃語研┃2002
     ⇒ ジャレックス()外国語の辞書、出版物の企画、編集。  
3    中国語文法・完成マニュアル┃小川郁夫┃白帝社┃2000
     ⇒ 小川郁夫()19〜。。  
3    暮らしの中国語単語7000┃佐藤正透┃語研┃2002
     ⇒ 佐藤正透(さとう・まさと)語学書のフリーライター。  
4    今すぐ話せる中国語:自由自在編CD2枚付┃董N・小倉憲二┃東進ブックス┃2000
     ⇒ 董N(どぉん・いん)1955〜。北京。語学教師。  
3    今すぐ話せる中国語:応用編CD2枚付┃沈躍・小倉憲二┃東進ブックス┃1999
     ⇒ 沈躍(しぃん・やく)1958〜。中国。国際会計研究員。 
3# ? アタマで知り、カラダで覚える中国語の発音┃日下恒夫┃アルク┃2007「ピンインを創ったときの当初の目的はローマ字によって中国語を示すことにあった。 3声は短い 他の音節の前では3声の後半を上昇させてはいけない 声母=頭子音 rはリ゛ ▽昔の中国語の先生は濁音否定にこだわる典型例 声の大きな人は発音がよくなる 日本語のオを唇を丸くして突き出すと中国語のウになる p107濁音のバーを有気音で発音すると中国人は間違いなくbaでなくpaと聞くでしょう。 ▽間違い。全員がbaと判定した。 中国人は有声が無声かではなく帯気があるか否かを聞き取る ▽声帯振動と呼気のタイミングの問題に過ぎない jiqixiは日本語のチシとそっくり ▽舌の位置が違う。私の日本語のチシはchiとshiと判定された wは唇を突き出せの記号 deng:平唇のままng dong:円唇のままng」
     ⇒ 日下恒夫(くさか・つねお)1945〜。中国語中国文学。 
3# ? 中国語謎解きレポート┃吉村豊┃パレード┃2009「▽同一段落でですます体とだである体が混合している、▽機能語の謎を金文甲骨文などにさかのぼって解こうとする本、中国語の動詞は結果まで到達しない、▽著者は高齢のようだ、吉村豊は退職後、故郷に帰り、晩年をとても自由に送った、吉村豊離休以後,回家郷安度晩年,好不自在。、1970年中国の学者が中国語には文法がないと発言、把髪ka別住了,別掉了、落ちないようにヘアピンをしっかりつけなさい」
     ⇒ 吉村豊(よしむら・ゆたか)   ?? 常識と呼応で前から解釈する中国語┃木下崇┃風詠社┃2011「▽素人の妄想本・かえって複雑、中国語は動詞と名詞の区別がない、▽ありますが?、日本語の呼応する副詞、中国語を直接日本語として読む読み下し法、▽昔の呉越の人はSVOの膠着語だったのだが、他以??只是一个梦。、彼はこれは夢に過ぎないと思った。」
     ⇒ 木下崇(きのした・たかし)1944〜。日本語教師。 

●● 中国文献訳書 ●● 
_   ■故事新編┃魯迅┃竹内好┃岩波文庫┃1979┃1935「」
     ⇒ 魯迅(ろ・じん)1881〜1936。作家、思想家。
3◯〆 ■論語┃竹内義雄訳注┃岩波文庫┃1954「句読点入り原文と訳」
     ⇒ 竹内義雄()  
5    書経・易経(抄) ┃(春秋)┃赤塚忠┃平凡社┃中国古典文学大系┃1972「古代の政治記録。尚書」
     ⇒ 赤塚忠() 
4◯〆 ■春秋左氏伝┃(魯)左丘明┃竹内照夫┃平凡社┃中国の古典シリーズ┃1972「春秋時代の歴史書。物語としてわかりやすく訳してある」
     ⇒ 左丘明(さ・きゅうめい)  
3    山海経:中国古代の神話世界┃(戦国)┃高馬三良┃平凡社ライブラリー┃1994「1┃4は実在。蓬莱山は富士山?」
     ⇒ 高馬三良()  
4   ■管子(抄)┃柿村峻┃明徳出版社┃1970「農業と商業、経済の政治学」
     ⇒ 管仲(かん・ちゅう:管夷吾)?〜−649。斉の桓公の宰相。     書経(上)新釈漢文大系(25)┃加藤常賢┃明治書院┃1983「内容は政治思想 周王が同族の子弟を諸国に領主として封建するに際して、領主としての政治上の心構えを訓戒した詔書類あるいは戦に臨んでの檄などである 君主の明徳と刑罰の慎重さ テキストの半分は東晋の偽作 この巻は真古文」
     ⇒ 加藤常賢()19〜。。     書経(下)新釈漢文大系(26)┃小野沢精一┃明治書院┃1985「この巻は偽古文 他の書籍に引用された部分を集め、足りない部分を肉付けした 堯舜禅譲説話の考察 火族の堯 水族の舜」
     ⇒ 小野沢精一()19〜。。 
3#   孝経:中国古典新書┃林秀一┃明徳出版┃1979「十三経の中で最初から経と名づけられた唯一の書、曽子の門人が記録したもの、孝を最高の道徳・宇宙形成・万物創造の最高原理とする、孝天之経也、まず親を愛す・親から疎へ及ぼしていく、父の不義は強く諫める・言いなりは孝ではない、父親の存命中は喪親章を講義しなかった清原家、現存の孔伝は漢の孔安国の旧本ではない」
     ⇒ 林秀一(はやし・ひでいち)。支那哲学。  
4    詩経・楚辞┃(戦国)┃目加田誠訳┃平凡社┃中国古典文学大系┃1969
3    老子・荘子・列子・孫子・呉子┃(戦国)┃金谷治・倉石武四郎・関正郎・福永光司・村山吉廣・金谷治┃平凡社┃中国古典文学大系┃1973
4◯   論語・孟子・荀子・礼記(抄)┃(戦国)┃木村英一,他┃平凡社┃中国古典文学大系┃1970「孔子の言動集」「性善説、理想主義で偏屈」「性悪説、集団に暮らすため“礼”が必要であり、それは学ばなければならない」
     ⇒ 孔丘(こう・きゅう:仲尼)−551〜−479。儒教の祖・孔子。  
     ⇒ 孟軻(もう・か)−390?〜−305?。魏その他で遊説。  
     ⇒ 孫卿(そん・けい:荀況:荀卿)−313(340)〜−238(245)。斉・楚の学者。  
3△   商君書(抄)┃(戦国)商鞅┃守屋洋,編訳┃徳間書店┃1995「農戦重視、愚民主義」
     ⇒ 商鞅(しょうおう・衛鞅・公孫鞅)−390〜−338。秦の宰相、法家思想家。  
3▽◯ ■孫子┃孫武┃村山吉廣┃1973「参謀の戦術兵法書。心理・哲学的。食糧は現地調達、兵士に目的を教えるな、兵力の一点集中」
     ⇒ 孫武(そん・ぶ)春秋時代末期の呉の将軍。  
3▽◯ ■呉子┃呉起┃金谷治┃1973「政治家の戦略兵法書。現実・実用的。食糧は持参せよ、兵士に大義名分を与える、兵力の三分割」
     ⇒ 呉起(ご・き)−440〜−381。戦国時代初期の魏・楚の将軍・宰相。  
4   ■六韜・三略┃(戦国)┃岡田脩┃明徳出版社┃1979「古代戦争の解説書」
     ⇒ 岡田脩(おかだ・おさむ) 
3#   六韜┃林富士馬,訳┃中公文庫┃2004┃1987「戦いに勝つ術・敵の攻撃を察知し先手を取って攻撃を仕掛ける、将軍は天の法則に従って72人を揃えて軍団編成、人を知る判定法8つ:質問と回答させる・追究して臨機応変を見る・おとりに誘惑させる・真正面から質問し徳を見る・財貨を扱わせ清廉か・美女に対して貞節か・難事に勇気があるか・酒に酔わせて態度を見る、刑の上極:高貴要職に死刑が及ぶ、賞の下通:牛飼いや雑役人に賞賜、五音により敵を知る五行の兵法・敵陣から900歩に近づいて大声をあげ十二律の管で反応を聞く・宮商角徴羽の五音に分類、城の気相を見て判断する」
      
3◯   三略┃真鍋呉夫,訳┃中公文庫┃2004┃1987「自分と人々の好むものを一致させれば成功する、柔剛弱強の性質を知って使い分ける、人民の要求に対応し望むものを与える、多すぎるものを減らし貧しいものを豊にする、強いものを抑える、強い敵は避け調子づくものには肩すかしする、士気が衰えるのを待つ、暴虐は自滅に任せる、結束にはくさびを打ち込む、功績の表彰は間をおかず実行する、将軍は兵士と同じものを食べすべてを共にする、井戸を掘っても水が出るまで喉が渇いたと言わない、全軍が天幕を張り終えるまで疲れたといってはならない、すべての待遇が兵士と同じでなければならない、人民の割に役人が多すぎると国が滅ぶ、主君が将軍の判断や決定に干渉すると勝利できない、智者勇者貪者愚者を使い分ける、天下に泰平をもたらすには道徳が不可欠、用済みの将軍から権力を取り上げる方法・手厚く待遇し功績を顕彰し豊かな領地を与える、凱旋した軍隊の武装解除のときこそ真の危機、君主は骨身を惜しまず人民に奉仕してこそ天下を泰平にできる、ただしあくまでも礼と楽に従って尽くす、遠きを捨てて身近なことに力を注ぐと目的を達成できる、賢者を招くときは相手を観察して相応しい招き方をする、朝起きて夜寝るのは礼・賊を討って懲らしめるのは義・他人への思いやりは仁・自分の望むことを他人に施すのは徳・公平に他人を尊重するのは道、周初期に騎馬戦なし・将軍という言葉もない、韓信の言葉"高鳥死して……"がある、銀雀山漢墓に六韜はあるが三略なし、架空の名義に韜晦して志を述べるのは乱世の隠士のパターンの一つ、老子の認識に準拠した戦略戦術論、三略と北条早雲」
     ⇒ 真鍋呉夫(まなべ・くれお)1920〜。小説家、俳人。  
4    呂氏春秋(上)┃呂不韋,編┃楠山春樹┃明治書院┃1996,-241「原文+書き下し+語釈+口語訳。墨家と秦の関係p28,52┃102,387、八観六験。兵法論や節義論」
4    呂氏春秋(中)┃呂不韋,編┃楠山春樹┃明治書院┃1997,-241「今までの人間関係からその人を知る、伊尹伝説」
4    呂氏春秋(下)┃呂不韋,編┃楠山春樹┃明治書院┃1998,-241「農業の后稷書、索引つき」
     ⇒ 呂不韋(りょ・ふい)−290?〜−235。秦の宰相。趙の商人。  
3    戦国策・国語(抄)・論衡(抄)┃(漢)劉向・(魯)左丘明・(東漢)王充┃常石茂・大滝一雄┃平凡社┃中国古典文学大系┃1972「縦横家の弁論と戦争逸話。いかにして君主を動かしたか」「春秋戦国時代の各国史」「唯物論者の反論」
     ⇒ 劉向(りゅう・きょう)−79〜−8。漢の光禄大夫。学者。  
3    墨子┃墨[躍-足]┃藪内清訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1996「兼愛と非攻、墨子の論理学、城防御の兵法と軍律。孔子は謀略家」
     ⇒ 墨[躍-足](ぼく・てき)−480?〜−390?。  
3△   韓非子・墨子┃(戦国)韓非・墨[躍-足]┃柿村峻・薮内清┃平凡社┃中国古典文学大系┃1968「法家の名著、  ▽だだし、愚民主義でへりくつも多い」「技術と力行重視の非戦主義」
     ⇒ 韓非(かん・ぴ)−280?〜−233。韓の王族。  
3◯   史記(上・中・下)┃(漢)司馬遷┃平凡社┃1972
     ⇒ 司馬遷(しば・せん)−145〜−87。漢の太史令。 
3◎▽  四書五経入門:中国思想の形成と展開┃竹内照夫┃平凡社ライブラリー┃2000┃1965「鯀は亀・禹は竜、革命に張り切る湯王と乗り気でない人民、諸侯は6年に一度朝廷に来る・12年に一度天子は地方に巡幸して検察、易の起源はトカゲの色変化の占い、西洋語の男女中性の区別・管理や処置する人の分類、物事はすべて八卦に分類される・乾は天・坤は大地・震は地震と雷・巽は風と木・坎は穴と水・離は火と太陽・艮は山・兌は沢、形而上は道・形而下は器、蒋介石・易より命名・字の中正も、観光とはその国の素晴らしい人物と面接すること、畏敬の礼・和平の礼、荀子:形をもって心を作り変えるのが礼儀、孟子:礼を敬より譲を重視、天子の寵愛・妃は15日に一夜・夫人は45日・その他は135日ごと、維新は詩経より、孔子の言う詩の効能:感じる力を深め観察力を増し人を理解し愛憎を知る・父や君に仕えることができ鳥獣草木の名前を知る、外交の場では詩を選んで贈る、公羊伝の三世異辞説、筆法のある三ヵ所・趙盾・崔杼・世子止、孔子の教育論:詩は心を和らげ情愛を深める・書は歴史を知り知識豊かに・易は精神を鎮め思考を精密にする・礼は身を引き締め態度を慎重にする・春秋は事件の因果関係を読む力を得る、君子は本来は武人・射と御が表芸、由也升堂矣,未入於室也、孟子の四端説:惻隱之心仁之端也・羞惡之心義之端也・辭讓之心禮之端也・是非之心智之端也、格物致知は物事の真相に迫って正確な知識を得る、文より質だと粗野・質より文だと形式主義、質勝文則野・文勝質則史、道教は天師道だから・道家に由来せず、人類学の君主安静の習俗・道家の無為の政治に転換、老子の思想は征服された弱小諸侯の立場を代弁したもの、p302漢文帝:政治は王覇を兼ねること・文弱ではいけない ⇒宣帝じゃないかな?、漢唐訓詁主義から宋明性理学へ、朱子学と陽明学、朱子の理は世界の第一原理、明代に朱子学が官学に、朱子学の知先行後、陽明学の知行合一」
3#   礼記(上)┃竹内照夫┃明治書院┃新釈漢文大系┃1971「大同、小康の世、学校の様子、食事の作法、家での様子、」
3#   礼記(中)┃竹内照夫┃明治書院┃新釈漢文大系┃1977「猫は鼠を、食事内容が詳しい、」
3    礼記(下)┃竹内照夫┃明治書院┃新釈漢文大系┃1979「大学と中庸が略。投壺のルール、婚礼の手順   ◯こちらから学業上の教えを請うには立って言い、また補足を請うにも立つ。   ◯料理。骨付き肉は左に、肉の切り身は右に、飯は左に煮込み肉は右、なますとあぶり肉は最も外側に、酢や塩辛などは手近に、その左にねぎの蒸したものを並べ、そして酒と肉汁は右に置き、さらにその右に乾肉を並べるが、それには乾肉の末端を右に上部は左になるようにする。   ◯黍の飯は箸で取らないで指でつまむ。   ◯肉の煮込みは、野菜入りなら箸で、野菜なしなら箸は使わぬ。   ◯戦争に猛獣使い。   ◯趙武は身体が弱い   ◯辟雍とは璧状に造った水を満たした堀の中央に設けた宮室で、沢宮とも。   ◯春と夏には干戈を用いる武舞を教え、秋と冬には羽籥を用いる文舞を教える。それらは東序で。小楽正が干を教え大胥が助手。籥師が戈を教え、籥師丞が助手。胥が鼓を打ち拍子を取って南楽を奏する。春には詩を暗唱させ、夏には絃楽器を習う。大師が指導する。秋には行礼、司儀が助けて指導。冬は読書、典書が指導。礼はこ宗で、書は上庠で。   ◯主食には黍、たかきび稷、稲、あわ粱、白黍、黄粱、熟したもの、未熟なもの。副食は、牛羊豚の羮、炙り肉、塩辛、切り肉、細切り、芥子あえ、魚のなます、雉、兎、うずら鶉、あん。飲み物は、酒、酢、水、梅酢、濫(米粉の水)。   重醴の酒には、稲、黍、粱の漉したのと糟混じりの。清酒と白酒がある。かごの盛り物には、米麦の粉の餅、きなこ餅がある。   かたつむりの塩辛、まこもの実の飯、雉のあつもの。   麦飯に片羊の乾肉、鶏のあつもの。   粉米の飯には犬や兎のあつもの。   これらのあつものは五味を調和し米粉のあんかけにし蓼は用いない。   豚の丸煮は、苦菜で包み、蓼をつめる。   鶏の丸煮はひしおで味をつけ、蓼をつめる。   魚を煮るには魚卵のひしおを用い、蓼をつめる。   スッポンを煮るにはひしおで味をつけ、蓼をつめる   乾肉を食うには、ありのこの塩辛を用い、乾肉のあつものには兎肉の塩辛、鹿の膚肉には魚の塩辛、魚のなますにはからしを、鹿の生肉にはひしおを用いる。   桃や梅の漬物は塩を  」
     ⇒ 竹内照夫(たけうち・てるお)1910〜82。中国文学 
3#   太玄経:中国古典新書┃鈴木由次郎┃明徳出版社┃1972「漢代象数易の極致、陰陽消長の理を一段高くした玄が根本原理・老子の道から、太玄経は筮法は筮竹を三本ずつ数える、易は陰陽二元論・太玄は天地人三元論、卦気説から来た構造、王相休囚死の五行消長、仁義のための著作、楊雄を孔子に続く大儒とした司馬光」
     ⇒ 鈴木由次郎(すずき・よしじろう)漢易研究、太玄易の研究。     漢書・後漢書・三国志列伝選┃本田済,編訳┃平凡社┃中国古典文学大系┃1968
     ⇒ 本田済()  
6    漢書2:表志上┃班固┃小竹武夫┃ちくま学芸文庫┃1998「古今人物評定、律暦の理論、礼楽・刑法・食貨・郊祀の歴史、天文の理論と実際」
3    漢書3下:志下┃班固┃小竹武夫┃ちくま学芸文庫┃1998
3    漢書8:列伝X┃班固┃小竹武夫┃ちくま学芸文庫┃1998
     ⇒ 班固(はん・こ)32〜92。歴史家。 
3#   全譯後漢書〈第9册〉志(7)┃渡邉義浩┃汲古書院┃2013「新たな官制に改革することはなかった 新しい皇帝が即位すると太傅を置く。死去すると代わりはなし 応劭の『漢官儀』 桓帝。仏陀と老子を信奉し琴と瑟をよくした 諸侯王は赤綬四采、諸侯王国の貴人や相は緑綬三采、公侯将軍は紫綬二采 和帝の時代は漢書の完成や製紙法の改良など文化の花開いた時期 和帝の頃に中常侍が宦官専任に 月旦見銭穀簿。郡国における銭穀の現在の量と徴税の状況をまとめた文書 『古今注』の丁邯。尚書を拒否。妻の放免の話 将作大匠は中元二年に廃止 開陽門は琅?郡開陽県の城門の柱が一本が飛んできたから。光武帝が嘆く 洛陽には24の街があり、街には一つ亭がある。12の城門があり門にも一つ亭がある 『中国古代都城概説』王仲殊 後漢洛陽城では都城の外周の門から東西南北に延びる道路が十字またはT字に交わり、その交わった場所に24の街があった。 制書は皇帝が恩赦や贖罪の命令を下すとき用いる 太守が病気のときは丞や長史が代行 県は毎年戸数人口田地面積銭穀物収支捕縛盗賊数を計上して報告する 俸祿は銭と穀物の半々で支給。月給制」
3#   全譯後漢書〈第7册〉┃范曄┃汲古書院┃2012「続漢書しょくかんじょ 建武三年七月洛陽の干魃。南郊外で光武帝が雨乞いすると雨が降った うまくいくかどうかは、赤眉次第。得られるかどうかは、河北次第。 黄色い牛に白い腹、五銖銭は必ず蘇る 呉門を出でて、?群を望む。そこに一人の足なえが現れて、天まで昇ろうと言っている。たとえ天まで昇れても、地上に民は得ることはできまい。	 隗囂は幼いときから足が悪かった 建武六年12月洛陽の市で火災 24年正月降雨と落雷。高廟北門で火災 ▽『古今注』を検索しテキストデータを探す 陳宣と光武帝の話」
3#   全訳後漢書〈第1冊〉:本紀1自光武帝紀第一至和帝紀第四┃范曄┃渡邉義浩・池田雅典・岡本秀夫┃汲古書院┃2001「巨無覇は蓬莱から来たと称す 劉えんは劉秀を馬鹿にしていた 租税の滞納について説明・劉秀は評価された 宛城陥落の三日後に偽手紙 宋書では万修が中山で赤伏符を献じる・のちに彊華も献じて一致 執金吾は月に三回首都を巡回する 皇帝の四つの文書:策書・制書・詔書・誡勅 天子の行くところには恩沢があるので幸という 孫登が皇帝になったのは春秋保乾図に名前があるから さいようの独断 重修緯書集成 庶人:一度罪を得て後に許された民爵を持たないもの・良民と区別される 博士弟子の選抜試験・射策 賈覧は漢軍を三度退けた強力な将軍 闕門において外国からの貢納、官僚や百姓からの上章が取り次がれて皇帝と生民の直接交流が行われていた 建武26年千石以上の給与は減らし六百石以下を増やした 建武中元という元号も普及していた 明帝は下顎がふっくら 章帝の功績・五経の整理・白虎観会議 洛陽の人一戸一匹・洛陽城外の者は三戸一匹 ▽流民の記述が非常に多い・戸籍はないが奴婢ではない」
3#   全訳後漢書〈第2冊〉:本紀2自安帝紀第五至皇后記第十┃范曄┃渡邉義浩・池田雅典・岡本秀夫┃汲古書院┃2004「大臣奪服の制:大臣が喪に服すことを許可しない 水経注は著者の旅行体験も 地震の記事が多い 野王県の山頂に死んだ龍が発見された・164年長さ百尺あまり 桓帝の時代に宮中に黄帝と老子をまつる 帝王世紀:三皇から漢ぎまで シャム双生児の記録が多い 蚩尤旗はオーロラ ▽皇后伝の陰麗華に関する二つ詔は美しい『詩経』の引用もありほとんどラブレターみたいだ ▽賈貴人は賈復の娘なんだろうか? とう皇后は12歳で詩と論語 梁皇后は9歳で論語と韓詩 ▽小学は女子も通ったかも? ▽娘を弟の子と結婚させるはずもない」
3#   全訳後漢書〈第11冊〉列傳(1):自劉玄劉盆子列傳第一至銚期王霸祭遵列傳第十┃范曄┃渡邉義浩┃汲古書院┃2004「属正とは都尉のこと 母嫺都は 性格がしとやか 劉嘉は早く父を亡くし劉秀の父が養う 前隊大夫とは南陽太守 李通は刀を見て言った 范曄の論でケ禹は徒歩で来たと明記 安帝は若くして聡明と言われていた 莵肩とは葵に似た植物 霧が出る。朱鮪は岑彭が去ったと思い黍を収穫させる。そのとき岑彭が朱鮪を破る。 賈復の名声は匈奴にも届いており、賈復の子の賈武孺が太守をつとめる朔方郡に近づかなかった 馮異の返事に劉秀に指示に従って戦うと必ず勝ったが、自分で判断すると不安ある」
3#   全訳後漢書〈第12冊〉列伝(2):第十一?第二十┃范曄┃渡邉義浩・堀内淳一・島田悠┃汲古書院┃2007「後漢では都尉は辺境の属国のみ ▽劉植を戦没させた密県の賊は何軍か? ▽耿純伝の建武八年の反乱は? 五校の首領に杜猛と董敦 劉きんは処刑される前に劉秀は真にお前達の主であると言った とうゆうに黄金二百斤 爾書で独立してもよいと言及 ▽馬武伝は自首なのに とう憲の功績はえいせいかくきょへいを上回るのに賞賛されないのは死に方が悪いため 馬援は朱勃に旧恩のままへりくだり ▽卑侮之をこれにへりくだると読めるだろうか?朱勃は名門馬家に恩顧のある人間であるから昔の恩を笠に着て馬鹿にしたと読むべきではないか? 歩庫で蚩尤をまつる 蓋延は十万を率いて劉永を破る 法律の整備に活躍したのは侯覇 県令の子が奴隷とどで遊び誤って子を殺すも赦免 馮勤を尊貴にさせた者は実にこの老母である・拝礼を免除して御者に助けさせた 多くの婦人を赤眉から助けた趙きを賞賛 」    後漢書第一冊:本紀一巻一〜巻五┃范曄┃吉川忠夫訓注┃岩波書店┃2001「書き下し文+注釈。其の上書する者は聖と言うことを得ず、比=なぞらえる、賛=四字一句で二句で脚韻をふみ換韻ごと意味転換、元元をもって首と為す」    後漢書第二冊:本紀二巻六〜巻十┃范曄┃吉川忠夫訓注┃岩波書店┃2002「97人殺した狼」    後漢書第三冊:列伝一巻一〜巻十二┃范曄┃吉川忠夫訓注┃岩波書店┃2002「ト肩は葵に似た植物、舎中児は一族の子ども」    後漢書第四冊:列伝二巻十三〜巻二十┃范曄┃吉川忠夫訓注┃岩波書店┃2003    後漢書第五冊:列伝三巻二十一〜巻三十一┃范曄┃吉川忠夫訓注┃岩波書店┃2003
     ⇒ 范曄(はん・よう)  
3    漢・魏・六朝・唐・宋散文選┃伊藤正文・一海知義編訳┃平凡社┃中国古典文学大系┃1968
     ⇒ 伊藤正文(いとう・まさふみ)1925〜。中国文学。  
3#   塩鉄論:漢代経済論争┃(漢)桓寛┃佐藤武敏訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1970,-70「塩と鉄の専売、外交や内政などの討論、法家vs儒家。霍光vs桑弘羊。経済、産物、風土、生活データがある   隴蜀:朱・漆・旄(からうしの尾をさおに飾った旗)・羽   荊揚:皮革・骨・象牙・   江南:楠・梓・竹・箭   燕斉:魚・塩・毛氈・裘かわごろも、   エン州・予州:漆・糸・[糸希](細い葛糸で織った布・くずぬの)・紵(いちびの繊維・あさぬの)   斉と東阿:[糸兼]かとりぎぬ、   蜀・漢:布   汝水・漢水:砂金・麻織物   崑崙:美玉・珊瑚   桂林:犀・象・珠[王幾](まるい玉とかくばった玉)、   陵陽(安徽省宜城)の金   蜀漢の材木   丹章(安徽省当塗)の金・銅   呉越の竹   三江・五湖の魚   莱と黄の[魚台]ふぐ   中山の歌女が流徴を演奏し、巴と兪の舞   晋の垂棘の玉  」
     ⇒ 桓寛(かん・かん) 
2▽   論衡:漢代の異端思想┃(東漢)王充┃大滝一雄┃平凡社┃東洋文庫┃1965「抄訳。運不運も重要、天文予知など迷信の否定、JARO?、孔子の言行にも誤り、公孫述の白鹿、周公に倭人が香草を献上、楚王英の道士劉春、米は美味しく豆麦は粗末、信か冨か?、伯は正長子・孟は庶長子」
     ⇒ 王充(おう・じゅう:仲任)27〜100?。唯物思想家。 
4#〆 ■四民月令:漢代の歳時と農事┃(東漢)崔寔┃渡辺武┃平凡社┃東洋文庫┃1987┃160?「書き下し文+注釈+原文。後漢末期の農村の一年。」
     ⇒ 崔寔(さい・しょく)漢。?〜171?。 
3#   西京雑記・独断┃(漢)劉[音欠]・(東漢)蔡[邑+巛]┃福井重雅,編┃東方書店┃1999┃172「原文+書き下し+語釈+口語訳。六朝の仮託。前漢時代の説話。戚婦人の歌と踊り、熊殺し劉胥、六博のルールとコツ、まこも飯、琴の名曲、趙飛燕の宝琴」「秦漢の制度文物の解説。三老五更、風伯神は箕星、雨師神は畢星、王莽はハゲ?   ●六博のルールについて   『西京雑記』   許博昌は安陵の人。六博が得意。竇嬰と仲が良く、   六博の秘訣   「方の縁辺から道筋を張にとり、張の縁辺から道筋を方にとる。張で究を一投して屈・玄・高にいたり、高・玄・屈を一投して張にいたること」   「張より道筋を方の縁辺にとり、方の縁辺より道筋を張にとる。張で究を一投して屈・玄・高にいたり、屈・玄・高で究を一投して張にいたること」   六博では六本の箸を用いる。この箸は究ともいう。竹でつくり、長さは六分(1.4cm)。二本の箸をつかうことも、博昌は『六博経』も書いた。   六博で梟を手に持つと驍傑となる。      【10】六博   十二の棊を用いる。六棊は白、六棊は黒である。そのなげる頭を瓊という。瓊には五采がある。一画を刻んであるのは、塞という。二画を刻んでいるのは白という。三画を刻んであるは黒という。一辺が刻んでないもので、五塞の間にあるのは五塞という。  」
     ⇒ 劉[音欠](りゅう・きん)−53〜23。  
     ⇒ 蔡[邑+巛](さい・よう)132〜192。     睡虎地秦簡『編年記』『語書』釈文註解┃高橋庸一郎┃朋友書店┃阪南大学叢書 (71)┃2004「白川静の影響が大きい 語書。南郡守騰が発した文書 法、律、令とは、人民を教え導き、そのよこしまな所を取り除き、そのよくない風俗をやめさせて、人民に善を行うようにさせるものである。」
     ⇒ 高橋庸一郎()19〜。。 
3#   周易参同契┃魏伯陽┃鈴木由次郎┃明徳出版┃1977「儒道同源・儒道一理の思想、周易先天の学、月体納甲説、北斗星を歩してその正気を取って呑む禹歩、易象をおしひろめて丹道運火の法を説く、練丹は我が身と同類を至道とする、火記六百篇・練丹の火を運らす法を述べたもの・周易の六十四卦のこと、金と水が丹薬の基礎、陽燧・凹レンズ・火珠あるいは火方諸とも・太陽が火を取る器、方諸・月から水を取る鏡、参=三・同=通・契=合:周易と黄老と炉火が通じて道に合するの意、委時去害……以下の魏伯陽の三字の隠語」
     ⇒ 魏伯陽(ぎ・はくよう)後漢時代の錬丹術家。     列仙伝・神仙伝┃(漢)劉向・(晋)葛洪┃沢田瑞穂┃平凡社ライブラリー┃1993「成立は三国〜六朝。東方朔は木星の精、後漢書西南夷伝注:筰都に仙人山図と神薬」「陰長生、王烈、墨子も仙人、高祖の衛兵:光武帝の頃の清平吉」    抱朴子内篇┃葛洪┃本田済,訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1990「仙人になる方法、と本の古典?、仙薬一覧。南陽丹水の丹魚、調薬は鶏犬子供婦人に見せない、張仲景は胸に赤い餅を入れた、房中術・呼吸法・金丹、禹歩の法、南陽の甘谷水、仙人の瞳は正方形」
     ⇒ 葛洪(かつ・こう)283〜343。東晋     捜神記┃(東晋)干宝┃竹田晃┃平凡社┃東洋文庫┃1964「六朝志怪小説」
     ⇒ 干宝(かん・ほう) 
5#  ■荊楚歳時記┃(梁)宗懍┃守屋美都雄訳注┃布目潮風・中村裕一補訂┃平凡社┃東洋文庫┃1964「書き下し文+注釈。桃の呪力、七草粥、ブランコ、サッカー、ポロ、コックリさん、祓禊:船遊びも、カッコー、草を比べ踊る、ペーロン、五色の吹き流し、話すははつ鳥、カエルで傷薬、粟ちまき、キツツキは歯の薬、相撲、菊の灰で殺虫、鑑=冷蔵鉢、七夕、秋のピクニック   桃の呪力、七草粥、ブランコ、サッカー、ポロ、コックリさん、祓禊:河に船を並べる遊楽も、カッコー、草を比べ踊る、ペーロン、五色の吹き流し、話すははつ鳥、カエルで傷薬、粟ちまき、キツツキは歯の薬、相撲、菊の灰で殺虫、鑑=冷蔵鉢、七夕、秋のピクニック、黍雑炊、」
     ⇒ 宗懍(そう・りん)500?〜563?。  
4#  ■文選(賦篇)上┃中島千秋┃明治書院┃新釈漢文大系┃1977「原文、書き下し、通釈、語釈。班固、張衡、左思」
4    文選(賦篇)中┃高橋忠彦┃明治書院┃新釈漢文大系┃1994「京都、郊祀、耕籍、畋猟、紀行、遊覧」
4    文選(賦篇)下┃高橋忠彦┃明治書院┃新釈漢文大系┃2001「宮殿、江海、物色、鳥獣、志、哀傷、論文、音楽、情   ●蹴鞠の練習場。二組六人が対峙し、後方や両翼が対戦する   ●潘岳の住居。梨、柿、棗、李、桜桃、胡桃、赤と白のカラナシ、ザクロ、ブドウ、梅、杏、ニワウメ、葱、ニラ、ノビル、イモ、青い筍、紫生姜、菫菜、ナズナ、タデ、コエンドコロ、ミョウガ、豆、緑のセリ、白いラッキョウ、   ●楽器。伏羲の琴、神農の瑟、女[女咼]の簧、暴辛公の[土員]、[イ垂]の編鐘、叔の編磬。斉の瑟、秦の箏   ●魏都。竹藪、ぶどう、よし、あし、かがいも、蒲、赤い蓮の実、緑の菱の実、鶴、街路にえんじゅ   ●長安。藍田の美玉、竹林、果樹園、武帝元封6年、京師の民が平楽観に角テイを見る   ●長安の市。五層の市楼、脂売りの翁伯、乾肉売りの濁氏、刀剣みがきの質氏、馬医の張氏、   ●南陽。いちご、からむし、はますげ、い、まごも、がま、よしおぎ、あし、みずも、じゅんさい、ひし、みずぶき、はす、おしどり、くぐい、かもめ、おおかり、のがも、かつけい、かいつぶり、しゅくそう、とうまる、う、冬はいね、夏はむぎ、桑、漆、麻、からむし、だいず、麦、うるちきび、もちきび、たで、どくだみ、みょうが、さとうきび、しょうが、にんにく、おおなずな、いも、さくらんぼ、梅、柿、やまもも、梨、栗、さるがき、ざくろ、穣県のだいだい、ケ県のみかん、まさきのかずら、かおりぐさ、びぶ、そんちょう、たけのこ、にら、かぶらな、しそ、かわはじかみ、しょうが、九ウンの甘酒、十旬の上等の清酒、‥‥‥   ●成都。きょうちく、きんけい、龍眼、茘枝、孔雀、かわせみ、さい、ぞう、白い雉、猩々、金馬、碧鶏、琥珀、丹青‥‥‥りんご、びわ、だいだい‥‥‥さるがき、やまなし、けもも、からなし、ぶどう、ざくろ、こんにゃく、かわはじかみ、うり、いも、さんしょう、しょうが、まこも、がま、ひし、はす、白鳥、くぐい、さぎ、がらんちょう、のがも、おおがめ、すっぽん、かわうそ   ■光武帝は歴代帝王の事業を合わせた偉業を成した唯一の聖帝。光武帝の帰郷と南音の歌  」
     ⇒ 中島千秋()  
     ⇒ 高橋忠彦()  
5    斉民要術:現存する最古の料理書┃(北魏)賈思[思]┃田中静一・小島麗逸・太田泰弘┃雄山閣┃1997,540?「調理部分だけの訳。」
     ⇒ (北魏)賈思[思](か・しきょう)  
3ゑ   世説新語・顔氏家訓┃(劉宋)劉義慶・(梁)顔之推┃森三樹三郎・宇都宮清吉┃平凡社┃中国古典文学大系┃1969「漢〜西晋の伝聞記録。論語のパロディ」
     ⇒ 劉義慶(りゅう・ぎけい)  
     ⇒ 顔之推(がん・しすい) 
3#〆 ■洛陽伽藍記┃(北魏)楊衒之┃入矢義高┃平凡社┃東洋文庫┃1990,547「北魏洛陽の寺にまつわる物語。象を寄付、開陽県から柱が、苻生は人を殺さず、仏の汗、雲台は名所で健在、青い槐、緑の柳、落水の鯉、伊水の魴、虎・豹・獅子・熊の戦い、胡笳、筑、笙、箜篌、古跡の雲台と石経、門升堂入室、辟雍、大谷報徳の梨、芒山張公の梨、陽氏?   青い槐、緑の柳、落水の鯉、伊水の魴、虎豹獅子熊の戦い、胡笳、筑を撃ち笙を吹き、ハープ箜篌、古跡の雲台と石経、門升堂入室、雲台は洛陽城南三里高さ六丈方二十歩、辟雍は雲台の東に一里、大谷報徳の梨、芒山張公の梨、陽氏?」
     ⇒ 楊衒之(よう・げんし)     教坊記・北里志┃(唐)崔令欽・孫[改-已+戸+木]┃斉藤茂┃平凡社┃東洋文庫┃1992「唐宮中の音楽所、香火兄弟、太宗の破陣楽」「妓女のゴシップが多い、宣宗の微行、牙娘、曹操と鏡を見て舞う鳥、魏文帝の宮女莫瓊樹。原文付き」
     ⇒ 崔令欽(さい・れいきん)唐。  
     ⇒ 孫[改-已+戸+木](そん・けい)唐の中書舎人。 
3#   酉陽雑俎1┃(唐)段威武┃今村与志雄┃平凡社┃東洋文庫┃1980┃863「風俗編。疑似裁判の過激な閙房と聴房、仙薬、仏教の二十八宿、交州に残った馬援の兵士」
3#   酉陽雑俎2┃(唐)段威武┃今村与志雄┃平凡社┃東洋文庫┃1980┃863「アイテム編。劉尚の武渓蛮討伐249、剣客の老人330、南蛮の毒槊鐸刃、秦の白玉璽、高祖の白蛇剣419、諸葛亮の佩剣422、単雄信の槍472、秦叔宝の馬473、劉備の墓521」    酉陽雑俎3┃(唐)段威武┃今村与志雄┃平凡社┃東洋文庫┃1981┃863「動植物編。ペルシャの伝書鳩601、玄宗のオウム602、光武封禅を見に行く白牛の使者634、曹丕の葡萄とライチ評論、顔氏家訓の双陸、漢明帝の分枝ハス」    酉陽雑俎4┃(唐)段威武┃今村与志雄┃平凡社┃東洋文庫┃1981┃863「掃灰娘(中国のシンデレラ)875、漢武帝の反魂香925、魯班伝説965、梁武帝と碁966」
     ⇒ 段威武(だん・いぶ)唐の太常少卿。  
3    資治通鑑選┃(宋)司馬光┃新田大作,他┃平凡社┃中国古典文学大系┃1970
     ⇒ 司馬光(しば・こう)  
4▽   臨済録┃臨済┃入矢義高訳注┃岩波文庫┃1989「君こそが祖仏、仏に逢えば仏を殺し祖師・羅漢・父母・親類も、五無間の業をつくる、仏をこちらに奪って己に主体化する、なにものにも依存しない無依の道人」
     ⇒ 臨済(りんざい)?〜876。禅。     夢渓筆談1┃(宋)沈括┃梅原郁┃平凡社┃東洋文庫┃1978「官職の故事、言葉や物の考証、音楽、天文、暦、易、エピソード。斉水ののどの薬」
     ⇒ 沈括(しん・かつ)宋。1030〜1095。天文学。 
_   ■太極図説 通書 西銘 正蒙┃西晋一郎、小糸夏次郎 訳註┃岩波文庫┃1986「」
     ⇒ 西晋一郎(にし・しんいちろう)1873〜1943。倫理哲学。 
2#   入蜀記┃(南宋)陸游┃岩城秀夫┃平凡社┃東洋文庫┃1986┃1170「蜀へ五ヶ月の長江の船旅。地名の由来考証。曹瞞、関羽と甘寧、八陣磧周囲480丈高さ5尺   地名の由来考証、曹瞞、関羽と甘寧、葭と葦、桑やまぐわ柘楡柳、橙、菊、まこも、ゆずりは、ひのき、梨、八陣磧周囲480丈高さ5尺、洞当・中黄・竜騰・鳥飛・虎翼・折衝・衡・握機」
     ⇒ 陸游(りく・ゆう)1125〜1209。学者、詩人。  
3#   東京夢華録:宋代の都市と生活┃(南宋)孟元老┃入谷義高・梅原郁┃平凡社┃東洋文庫┃1993┃1147「夜市は中唐より」
     ⇒ 孟元老(もう・げんろう)     新十八史略〈3〉人生朝露の巻┃駒田信二、常石茂┃河出書房新社┃1997「p154-188が光武帝で、35ページ」
     ⇒ 駒田信二(こまだ・しんじ)1914〜94。作家。 
_   ■支那通史 上冊┃那珂通世┃和田清┃岩波文庫┃1938┃1890「」
_   ■支那通史 中冊┃那珂通世┃和田清┃岩波文庫┃1939┃1890「」
_   ■支那通史 下冊┃那珂通世┃和田清┃岩波文庫┃1941┃1890「」
     ⇒ 那珂通世(なか・みちよ)1851〜08。歴史学者、東洋史の始祖。 
1◯▽ ■棠陰比事┃(南宋)桂万栄┃駒田信二┃岩波文庫┃1985┃1211「裁判実話集。被害者が24時間以内に死亡すると殺人事件、漢代の環餅」
     ⇒ 桂万栄(けい・ばんえい)  
3◯   十八史略(上)┃(元)曾先之┃学習研究社┃1983┃1297「正史切り貼り本。古代より東晋まで。二十八宿はミス?、良い音の鉄・凡人の中の光、度外視、時間をおいて頭巾をとって面会とその言葉、天子明見万里之外、劉備を先に、孔明将才あり、山濤の予言、蛙は仕事で鳴く?、」
3◯   十八史略(下)┃(元)曾先之┃学習研究社┃1983┃1297「劉宋から南宋末まで。劉裕も大蛇と戦う、李世民評にミス、李義符が李猫、掛け言葉宰相、趙匡胤の民情視察と雪夜の来訪、降伏文書の李家、南宋高宗は弓の名手、大元の由来」
     ⇒ 曾先之(そう・げんし)     夢梁録1:南宋臨安繁盛記┃(元)呉自牧┃梅原郁訳注┃平凡社┃東洋文庫┃2000「季節の行事、橋」    夢梁録2:南宋臨安繁盛記┃(元)呉自牧┃梅原郁訳注┃平凡社┃東洋文庫┃2000「宮殿、役所、酒庫、河、洞窟、夜市。賈似道の外輪船」    夢梁録3:南宋臨安繁盛記┃(元)呉自牧┃梅原郁訳注┃平凡社┃東洋文庫┃2000「神、料理、人物、花、鳥、薬、娯楽など。正体不明の料理名」
     ⇒ 呉自牧(ご・じぼく)  
4    雨窓歌枕集・清平山堂話本・大唐宣和遺事┃入谷義高・神谷衡平┃平凡社┃1958「宋・元の白話本。水滸伝のネタ話など宋代の白話本」
     ⇒ 入谷義高(いりや・よしたか)  
3    後・水滸伝(上・中・下)┃陳忱┃鳥居久晴訳┃平凡社┃東洋文庫┃1966「ハッピーエンドの大円団。象に乗り火を吹く関白」
     ⇒ 陳忱(ちん・しん)  
2◯   三国志演義(上・下)┃羅貫中┃立間祥介,訳┃平凡社┃1972
     ⇒ 羅貫中(ら・かんちゅう)  
3◯  ■水滸伝(全8巻)┃施耐庵┃駒田信二┃講談社文庫┃1984「簡単に人を殺す話である」
     ⇒ 施耐庵(し・たいあん) 
3☆   天工開物┃(明)宋應星┃藪内清訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1969┃1637「モノづくり百科事典」
     ⇒ 宋應星(そう・おうせい)  
3    剣侠伝┃原編王世貞┃導読王国良┃金楓出版┃1986
     ⇒ 王世貞(おう・せてい)明。  
3    記録文学集┃松枝茂夫,他┃平凡社┃中国古典文学大系┃1968    蜀碧・嘉定屠城紀略・楊州十日記┃彭尊泗・朱子素・王秀楚┃松枝茂夫┃平凡社┃東洋文庫┃1965「ひたすら殺しまくり、張献忠の殺戮日記」「城が陥落した後の略奪についての体験記」
     ⇒ 松枝茂夫(まつえだ・しげお)1905〜。中国文学。 
3#   唐両京城坊攷:長安と洛陽┃(清)徐松┃愛宕元訳注┃平凡社┃東洋文庫┃1994┃1810「地図が豊富で著名人の住居がわかる。唐以前は役所や宮殿と民家が混在、洛陽は長安のための倉庫、昔日婁師徳園今日乃袁徳師楼」
     ⇒ 徐松(じょ・しょう,星伯)1781〜1848。歴史・地理学。 
2#   中国人の死体観察学:「洗冤集録」の世界┃宋慈┃徳田隆┃西丸輿一,監修┃雄山閣┃1999┃1247「肛門に凶器を差し込む事件・年老いた夫と若い妻の場合の殺人、カワナヤギの皮を身体に湿布するとかぶれて打撲傷そっくりになる、検屍助手・下級役人・家族・犯人など買収や証拠隠滅の注意、妻が人妻と浮気・周四姐は膣口に肉棒・ふたなり、鶏姦殺人事件・男が男に強姦殺人、焼死体の屈曲・ボクサーのファイティングポーズに似る、[糸思]麻以上の親族が死んだ場所にいないときはすべて検屍官が検屍する・他人が一人でもいないとだめ、殺人罪適用期間:殴打は10日・鈍器で20日・刃物や湯火で30日・骨折50日」
     ⇒ 宋慈(そう・じ)1186〜1249。広東省。広東管区の司法長官。 
3#   燕京歳時記:北京年中行事記┃(清)敦崇┃小野勝年┃平凡社┃東洋文庫┃1967┃1906「北京の名所も。半仙の戯=ブランコは唐代より、死後をつかさどる泰山府君は後漢より、五月五日は蘭を蓄え沐浴・朱索と五色印で門戸を飾る、六月六日衣服書物の虫干し・象洗い、賜氷、掃晴娘、七月七日針占い、凧と韓信、溜氷鞋、臘八粥、神荼と鬱塁、ねぎにんにくの温室、軫=痛み憂える」
     ⇒ 敦崇(とん・すう) 
3☆   北京風俗図譜1┃内田道夫解説┃平凡社┃東洋文庫┃1964
     ⇒ 内田道夫(うちだ・みちお) 
4#◯ゑ■中国社会風俗史┃尚秉和┃秋田成明編訳┃平凡社┃東洋文庫┃1969┃1938
     ⇒ 尚秉和(しょう・へいわ,節之)  
2#   中国幻想小説傑作集┃竹田晃,編┃白水社┃1990「志怪小説から巴金、莫言まで」
     ⇒ 竹田晃(たけだ・あきら)  

■中国の歴史人口:

周公相成王1371.4923
周荘王13年1184.7
戦国時代千余万
元始2年 田827.536頃 1323.3612戸 5919.4978万人 1223.3062戸 5959.4978万人
56中元元年 427.1634戸 2100.7820万人
56中元元年 427.9634戸 2100.7820万人
75永平18年 586.073戸 3412.5021万人
87章和2年 745.6784戸 4335.6367万人
105元興元年 923.7112戸 5325.6229万人 732.0170頃
125延光4年 964.7838戸 4869.0789万人 694.2892頃
144健康元年 994.6912戸 4973.0550万人 689.6271頃
145永嘉元年 993.7680戸 4952.4183万人 695.7676頃
146本初元年 934.8227戸 4756.6772万人 693.0123頃

156永寿2年 1607.0906戸 5006.7856万人
136-141永和?年 1078戸 5386.9588万人
永嘉2年 97.8771戸 721.6636万人




■第二次大戦の死者数
ソ連人 1000万人〜2000万人 
中国人 1000万人以上 
ユダヤ人 600万人 
ポーランド人 500〜600万人 
ドイツ人 450万人 
日本人(1937年7月からの数) 310万人 
アメリカ人 30万人(うち太平洋戦線9万)
イギリス連邦 60万人 
フィリピン 110万人 
インドシナ 200万人 
インドネシア 200万人 


■朝鮮戦争死者数
死者:南北朝鮮で400万人=北朝鮮250万人、
韓国133万人(南より北の被害が甚大←米軍の空爆)
中国軍100万人
米軍6万3000人 

離散家族:1000万人

■ヴェトナム戦争の参加国と犠牲者

ヴェトナム戦争の参戦軍隊 参戦国┃団体 規模(最大時もしくは、総兵力) 
アメリカ軍 548,000人 
韓国軍 51,800人 
タイ国軍 11,870人 
オーストラリア軍 7,670人 
フィリピン軍 2,200人 
ニュージーランド軍 500人 
台湾軍 30人 
南ヴェトナム政府軍 500,000人 
NLF 100,000人 
NVA 1,000,000人 
中国軍事顧問 54,000人 
ソビエト軍事顧問 3,800人 
 その他の軍隊、組織の人的損害

以下はヴェトナム国内での死者数。  死者数(約) 
南ヴェトナム軍 250,000人 
南ヴェトナムの民間人 不明(推定500,000人) 
NLF/NVA 900,000人 
北ヴェトナム民間人 60,000人 
アメリカ人 5,8000人 
韓国軍 5,000人 
オーストラリア軍 700人 
ニュージーランド軍 200人 
タイ 300人 
フィリピン 300人 
 
アメリカ軍の人的損害
アメリカ軍の死傷率の中でも最も高いのが、アメリカ海兵隊の8.33%となっている。これは、相当高い数値で彼らが勇猛であったと同時に、常に激戦区で戦闘をしていたことの証明となっている。  総動員数 死傷者総数 戦死者数 事故死者数 負傷者総数 平均死傷率 
陸軍 4,368,000人 134,921人 360,867人 7,252人 96,802人 3.08% 
海軍 1,842,000人 6,694人 1,605人 911人 4,178人 0.36% 
海兵隊 794,000人 66,141人 13,066人 1,683人 51,392人 8.33% 
空軍 1,740,000人 3,249人 1,715人 603人 931人 0.18% 
総計 8,744,000人 211,005人 47,253人 10,449人 153,303人 2.41% 

■馬上の星 小説・馬援伝 宮城谷昌光 中央公論新社 青2023.11.10
草具:野菜料理
馬は15年も生きれば高齢
戦場を踏んでいない人の気楽さよ。
▽王邑はてき義の乱平定の主将なんだが
▽p241で劉秀と面会
劉秀も……戦いに負けたことがあったときく。が、馬援にはそれがない。
▽たくさんある。勝率は劉秀より低い、烏桓戦で負けてるし失敗多い
劉秀を手伝うという感覚の延長上にいる馬援は、
▽あの激しい馬援の感覚とは合わない

■草原の風(下) (中公文庫)
第 3 巻 (全 3 冊): 草原の風  | 宮城谷 昌光  | 2013/11/22
広陽郡広陽県、郡や県は単にのその名前で呼ぶが同じなので、広陽県のことは小広陽と呼ぶ
宗広:任光の代理、長安へ
公孫述、龍が宮殿に降りる、龍興元年に
▽臧宮が完全に出ない
▽隗囂や公孫述の掘り下げはなし
方士夏賀良、劉秀の生まれた翌年に漢の復興を予言
尚書、つまり歴史であり、儒学ではない
▽四書五経の1つだし儒学だと思うのだが
▽二十八宿もなし

■草原の風 中2023.10.26   泉
▽挙兵の経緯が少し異なるように思う
▽劉秀を儒教の信徒ではないと強調するのは誇大ではないか
▽劉林の献策を水攻めと解釈せず
大司馬の劉将軍というが、行大司馬、すなわち単なる代理のはず

■呉漢 上 2023.11.02 宮城谷昌光
昆陽の戦いの17年前
▽呉漢の性格描写は面白い
劉崇の挙兵
祇登
▽亭長も役人なので試験があるはずだが
潘臨
劉秀は大司馬ではない。破虜将軍として、大司馬の権限を代行するだけで、大司馬は別にいる。趙萌と朱鮪がそれぞれ左大司馬右大司馬
父の仇はかならず討たなければならないという儒教の教義
▽そうだっけ?
▽上谷郡の挙兵の経緯が少し異なる
大将軍は、将軍たちの上に在る将軍、とみてよい
▽同じです。王莽の時代から将軍には大をつけることになっている

■呉漢 下 2023.11.02
幽州には十郡がある……それぞれ五千の兵をだしたとすれば合計で五万になり
▽漁陽と上谷以外は出さないと思うが……
槥:戦死者用の棺
劉秀は……それでも劉邦に及ばないのは、臣下の質をみればわかる。
▽諸葛孔明に論破されていますよ
▽蓋延がちょっとかわいそう……
上谷郡がほうちょうに攻め取られたあと……
▽数県を奪われたものの攻め取られたとはいえない
呉漢に比べ岑彭の徳の積み上げは低い
▽真逆だと思う
▽成都に焼き払い略奪したことは無視
劉秀は……かれは大変革を強行しなかった
▽大変革を何度も徹底的にした。両漢交代期に大乱が起こったのは体制に問題があり改革が必要だからで、それなのに改革しなかったら、二百年間も法律を変えずに維持できるはずがない

■宮城谷昌光『草原の風 上』中公文庫。
劉秀が易に詳しいという設定は違和感。劉秀は実際、易にほとんど言及しない
史実にはかなり忠実。正直、ちょっとキャラが薄い
文質彬彬、中身と装飾がともに備わることって大事

■李嗣源 上┃仁木英之┃朝日文庫┃2010
薫かおる、というのはちょっと違和感がある
李嗣源の子ども時代から描くことで、実際には李克用と朱温の対決から描く
宦官張承業の視点からも。不要な気がするが……
朱温の即位はいつ?
朱友珪の死に様とか描く必要あるか?
なぜ馬上一騎打ちを描かないのか?五代は一騎打ちがかなりあるはずなのだが……
王彦章はもう老人のはずだが
劉じん
呉の徐温への交代

■李嗣源 下┃仁木英之┃朝日文庫┃2010
周徳威戦死
馮道が出てきた
李建及が戦死した一年後、4ページ後に左遷される。意味がわからない。別人なら何か説明すべきだし、回顧シーンならそれを記述すべき
同じような戦争の話が続いて退屈
契丹王の耶律阿保機の死に方がわからない……
p232 晋軍の誰にも尊敬される。後唐の間違いではないか?
p268 梁の王彦章とは別の呉の王彦章
安重誨と任圜


 
>


inserted by FC2 system