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光武帝建武二十八星宿
 出世なんてどうでもいい、麗華ちゃんと平和に暮らすのが夢という青年劉秀。ジョーク好きで明るくお気楽なこの男が、後に100万大軍に3000人で突入して全滅させ、10万大軍率いてもなお自ら敵中に斬り込んで「人間では敵対できぬ」とまで恐れられた勇者であり、さらには奴婢の解放と万人の法の下の平等を宣言する聖王となろうとは誰も予想できなかったのである。 (牛で挙兵ってどうよ? 画・マルコさま)
光武帝伝ノーカット版(臨時公開中)
 世界で一番詳しい光武帝の伝記が臨時公開中なり。
光武帝とは?Chinese版Korean版
 百万大軍を三千人で破った伝説の勇者にして、奴隷解放し法のもとの万人の平等を宣言した聖王。ついでに日本に金印も贈りました。
二十八将評伝
 天命を受け天空よりきたる二十八人の勇士などの評伝(28+1)
後漢豪族論Q&A
 民衆を最優先(以元元為首)とした政治の実態。儒家史観のレトリックに騙されるな!
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光武帝とは?
(漢語版)
●お話 ⇒ 東漢光武帝簡介(漢語版)
 三国志のおよそ200年前、西暦1世紀の中国。新の皇帝王莽の儒教政治が失敗し、反乱軍の更始帝が取って代わったが、失政がさらに続き群雄割拠の時代となり、将軍であった劉秀が独立して戦い、天下を統一した。

●変幻自在の男・劉秀
 紀元前5年1月13日の夜に生まれ、西暦57年3月27日に没した(グレゴリオ暦換算)。字は文叔。南陽郡蔡陽県の人。別名・白水真人。身長170cm前後、鼻が高くて口が大きく額が少し出ているらしい。
 若い頃は農民として熱心に働き、長安に留学すると学生として過ごし、お金が不足したので驢馬をひく商人になるも、裏では逃亡者を匿う侠客であった。乱世になると将軍として活躍し、ついには皇帝となる。予言書や儒学の研究が好きな学者でもある。
 寛容で人をよく許し至仁の皇帝として知られる。趣味は宴会(酒には強くないが)、乗馬、読書など。面白い話をするのが大好きで、徹夜して翌朝になるまで話し続けることもしばしば。お忍びで宮殿を抜け出して遊ぶことも数多く、庶民的で親しみやすい皇帝である。
 
●武の道を極めた勇者
 だがひとたび剣をとり戦場に出れば、百万人の敵軍に三千人を率い突入して大将の首を取り全滅させ、皇帝として十万人の大軍を率いるようになってもなお自ら敵中へと斬り込み、その勇姿は「真天人也!(まことに天の人なり)」と兵士たちを感嘆させ、その戦いぶりは「其勇非人之敵(その武勇は人間に敵対できるものではない)」と称えられた勇者である。
 ただし家族や友人はみなその強さを知らず、戦場で初めて知り驚くことになる。
 天の星座の生まれ変わりとされる二十八将軍(鄧禹、呉漢、賈復、耿弇、寇恂、岑彭、馮異、朱祐、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純、臧宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂、傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植)や、来歙、馬援などの名将とともに天下を統一する。
 戦場を共にした将軍を一人も粛清しなかったことや、幼なじみの恋人である陰麗華と生涯を幸福に暮らしたことで知られている。
 天下統一すると剣を捨てて平和主義に徹し、武を極めて武を捨てるという理想像を達成した史上唯一の人物である。徴兵制の廃止、人権の平等化、経済の自由化、識字教育の普及など民衆のための政治を行い、伝説時代を超える繁栄の時代を築き上げたと賞賛されている。
 ジョークを好み、人々を楽しませることが生きがいだが、最愛の妻たる陰麗華は「冗談が嫌い(不喜笑謔)」だそうで……そのセンスの程がうかがえる。

●面白い逸話
 学生時代のこと。当時の大臣である同姓同名の劉秀が皇帝になるという噂があり、宴会でもその話題になった。そのとき「それって僕のことかも」というと一座が大爆笑になった。
 皇帝になってからのこと。友人に会いに行って一緒に雑魚寝したが、友人の寝相が悪く、足を腹に載せられた。その晩、天の皇帝の星の横に超新星が現れて、天文官が驚いて報告すると、それは私の友人の星だろうと答えた。
 遠くに遊びに行き夜遅く帰ったため城門が閉まっていた。皇帝であることを告げて顔を見せても開けてもらえず、夜中に城外をさまよった。城門の番人にはルールを守ったことを称えて褒美を与えた。
 郷里に帰ったとき役人に税金を無くすように頼まれた。それを断るとお金をケチっているだけだと言われた。
 宴会の席で美人画の屏風コレクションを並べて自慢していると、家臣に叱られて、慌てて撤収した。
 幼なじみの妻である陰麗華との物語は七夕の牽牛と織女の物語そっくりである。それを裏付けるように、『漢書』天文志は劉秀誕生の後に牽牛星の近くに彗星が70日間も輝いたことを記録し、『後漢書』天文志は陰麗華が没する直前に織女星の近くに大きな流星が現れたことを記録している。
 
●光武帝の名言
 天地之性人為貴。其殺奴婢,不得減罪。
(この世界においては、人であることが尊いのである。故に殺したのが奴隷でもその罪を減らすことはできない。)※西暦35年3月6日
 吾理天下,亦欲以柔道行之。
(私は天下を治めるのも、柔の方針で行こうと思う)
 我自楽此,不為疲也。※成語"楽此不疲"の語源
(私はこれを楽しんでやっている、疲れにはならないのである)
 顧重天下,以元元為首。
(天下を重んじて庶民を最優先とする政治をせよ)
 人苦不知足,既平隴,復望蜀。※成語"得隴望蜀"の語源
(人は満足することを知らずに苦しむもの。いま隴西を得たのに、また蜀も欲しいと考えてしまう)
 有志者事竟成也!※成語"有志竟成"の語源
(志があれば成功するものだ)
 楽人者其楽長,楽身者不久而亡。
(他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ)
 疾風知勁草。※成語"疾風勁草"の語源
(疾風こそ強き草を知る)
 令反側子自安。
(反側子[詩経より]を安心させてやろう)
 且當置此兩子于度外耳。※成語"置之度外"の語源
(もうしばらくこの二人は放っておこう)
 呉公差彊人意,隠若一敵國矣!
(呉公が意気を高めること、敵国を覆い尽くすほどだ)※成語"差強人意"の語源
 朕無益百姓...
(私は民衆の何の役にも立てなかった...)死に際して残した遺詔の冒頭
 兵法但有所圖畫者,實不可用。
(兵法書などただ書かれたものに過ぎず、実際には使えない)光武帝は兵法書を嫌悪していた
 
●光武帝の迷言・珍言・暴言
 何用知非僕邪?
(ど~して僕じゃないって分かるのさ?)
 ⇒ 次の皇帝になる"劉秀"って誰かを兄達が議論しているのに口を挟んだ言葉。一座は大爆笑に。
 仕官当作執金吾,娶妻当得陰麗華。
(官につくなら執金吾♪ 妻を娶らば陰麗華♪)
 ⇒ 語数が揃っているのに注意。らぶらぶじゃのう。
 矍鑠哉是翁也!※"矍鑠"の語源
(カッチャッとした爺さんだな!)
 ⇒ 何コノ長嶋語みたいなのは?
 聞卿為吏傍婦公,不過從兄飯,寧有之邪?
(聞けばそなたは官吏になると妻の父親すら鞭で打ち、従兄の家に立ち寄っても飯を食わずに帰ったとか。そんなことがあったのか?)
 ⇒ 頑固役人をからかった言葉。そんな噂を本人に聞くか?
 聞卿為市掾,人有遺母一笥餅者。卿從外來見之,奪母笥,探口中餅,信乎?
(聞けばそなたは市場の役人のとき、母に一箱の餅を送る者がいたが、そなたはそれを見つけると駆け寄って箱を奪い餅を母の口から取り出そうとしたという。本当なのか?)
 ⇒ しつこいな、そんな事実ないんだって!
 封為不義侯
(不義侯に封じた)
 ⇒ 主を殺して降伏した奴を賞して。
 諺言貴易交,富易妻,人情乎?
(諺に"偉くなったら友人を取り替え、金持ちになったら妻を取り替える"というが、それが人間の心というもんだよなあ?)
 ⇒ ひでぇよ。麗華ちゃん裏で泣いてるよ、きっと。
 此健令也。
(こやつは勇令である)
 ⇒ 勇将+県令の合成語。流行せず。
 卿非刺客,顧説客耳。
(そなたは刺す客ではなく、説く客といったところだ)
 ⇒ "客"で合わせてみたのね。
 我得專封拜,生遠來,寧欲仕乎?
(私は諸侯となりましたが、先生が遠くからいらっしゃったのは仕えたいというわけですか?)
 ⇒ 久しぶりに再会した親友への第一声。ひねくれている。
 設使成帝復生,天下不可得,況詐子輿者乎!
(仮に成帝が再び生まれても天下を取ることはできぬ。ましてニセ子輿ごときでは!)
 ⇒ あの……仮にも実在の皇帝をくさすのはまずいのでは?
 且勿為盜賊,自致亭長,斯可矣。
(とりあえず盗賊を止めてお上に自首すりゃ十分だろ)
 ⇒ 山賊上がりの猛将馬武のボケにツッコミを入れました。
 聞壯士不病瘧,今漢大將軍反病瘧邪?
(壮士はマラリアにかからないっていうのに、"漢"の大将軍たる者がマラリアかかるなんておかしいじゃないか?)
 ⇒ 漢≒壮士というわけ。病床の相手にまで駄洒落を送る劉秀恐るべし!
 
●同時代の光武帝評
 劉將軍平生見小敵怯,今見大敵勇,甚可怪!
(劉将軍はいつも小さな敵にも臆病なのに、いま大敵を見て勇ましい、本当に不思議だ!)
 蕭王推赤心置人腹中,安得不投死乎!※成語"推心置腹"の語源
(蕭王は真心を持って人を信じて疑わぬ、命をかけてお助けしようではないか!)
 自事主未常見明主如此也。材直驚人,其勇非人之敵。開心見誠,與人語,好醜無所隱諱。圖講天下事,極盡下恩。兵事方略,量敵校勝。闊達多大節,與高帝等。經學博覽,政事文辯,前世無比。好吏事,動如節度,不飲酒。
(未だかつてこのような明主を見たことがありません。才能は人を遙かに越え、その武勇は人間の敵対できるものではありません。心を開いて誠意を見せ、人と語るとき長所も短所も隠すことがありません。天下への大略を持ち、為し得るすべての恩を施します。用兵や戦略では敵を正しく計って勝利します。器が大きくて大義を重んじることは高祖と同じです。儒教の経典に博識で、政治や文章は比べられる人もいません。事務に長けて、行動に節度があり、お酒を飲みません。)
 
●後の時代の光武帝評
 然中國自光武以來,無雞鳴狗吠之警,百姓忘戰日久。
(けれども中国は光武帝以来、軍事の備えがなく人々は戦争というものを永く忘れていました)
 光武當兵馬之務,手不釋卷。
(光武帝は戦陣の中にあっても読書を止めなかった)
 光武中興,留心庶獄,常臨朝聽訟,躬決疑事。
(光武帝は中興すると裁判に注意しいつも朝廷で訴訟を聞いて自ら決裁した)
 漢祖,泗上之健吏;光武,舂陵之俠客耳
(漢高祖は泗上の役人、光武帝は春陵の侠客に過ぎぬ)
 寥廓大度,同符高祖,又等太宗之仁,兼孝宣之明
(光武帝は、その包容力と度量は高祖劉邦に匹敵し、文帝の仁愛の心を持ち、宣帝のような物事を見抜く目を持っていた)
 光武雖曰中興,實自創革。
(光武帝は中興というものの実は自ら作り改めたのです)
 光武以一畝不實,罪及牧守。
(光武帝は一畝の虚偽の記載でも太守を罰しました)
 光武至仁,反支不忌。
(光武帝は至仁の人であり、政務に倦むことがなかった)
 乃知自古帝王,能保全功臣者,唯光武一人而已矣。
(古代より帝王を調べても、功臣の命をすべて全うさせたのは、ただ光武帝一人しかいません)
 光武自即位至平公孫述,十三年間,無一歳不親征。
(光武帝は即位から公孫述の平定までの十三年間、一年として親征しない年はなかった)
 用漢光武故事,親率六軍,往來督戰。
(光武帝の故事に従い、自ら全軍を率いて、戦場で指揮してください)
 昔漢光武以兵取天下,不以不急奪其費,不知兵者不可使言兵。
(むかし光武帝は武力で天下を取りましたが、その費用を急いで徴収しようとはせず、兵法を知らない者に兵法を語らせませんでした)
 光武求民瘼,如此則和氣通。
(光武帝は民間の病人を探し助け人々の心を平和にしました)
 三代以後,賢莫如漢光武。
(伝説時代以後で賢者といえば光武帝しかありません)
 光武帝“最会用人、最有学問、最会打仗”的一代君王。
(光武帝は最も人を用いるのがうまく、最も学識があり、最も戦争に強い君主である)※毛沢東
 自三代而下,唯光武允冠百王矣。
(伝説時代以後、光武帝こそすべての王の中の王である)
 

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